【朝日ジャーナル】恥ずかしい国、日本 -核のゴミを処理できない人類に原子力という選択肢はない。

【朝日ジャーナル】
 恥ずかしい国、日本
  -核のゴミを処理できない人類に原子力という選択肢はない。

京都大学原子炉実験所助教
小出裕章
こいで・ひろあき

1949年、東京都生まれ。東北大学大学院工学研究科修士課程修了。
専門は放射線計測・原子力安全。著書に「原発はいらない』
(幻冬舎ルネッサンス新書)など。

 全国にある54基の原子力発電所のうち52基が事故や定期検査で止まり、現在運転中の原発は2基だけだ。原発を動かさないと電力が足りなくなるのでは、という議論が盛んにされているが、私はそのような議論にはまったく関心がない。たかが電力の話ではないか。今、日本がなすべきことは、どのような困難があろうとも、一切の原発を即刻廃止することしかない。
「原子炉を廃炉にしたあとの放射性物質をどう処理すればいいのか」とよく問われる。残念ながら、その答えはない。
 人類が原子力に手を染めた70年前から、世界中の科学者が放射性物質から放射能をなくす無毒化の研究を続けてきた。当初は「消滅処理」といわれたが、それは言いすぎだということになり、現在は「核変換処理」という言葉が使われている。放射能を持った原子核を、放射能を持たない原子核に変換する。あるいは、放射能の寿命が短い原子核に変換するという意味だ。しかし、今に至るも、その技術は開発されていない。
 そのため、放射性物質を生命環境から隔離する方法がさまざまに模索されてきた。           
 まず宇宙に捨てることが検討されたが、ロケットは時々打ち上げに失敗する。技術的にもリスクが大きすぎるとして、このアイデアはダメになった。             
 次に、深い海の底に沈めてはどうかとなった。しかし、放射能が漏れたときは世界中の海に拡散してしまう。海は原子力の恩恵を受けている国だけのものではない。1972年のロンドン条約で放射性物質の海洋投棄が禁止された。南極の厚い氷の下に埋めてしまおうというアイデアも出た。南極大陸は厚さ1千~2千メートルの氷に覆われている。その氷の上に放射性物質を置けば自身の発熱で氷を溶かして下に沈んでいき、最後は南極の大地に到達する。その頃には上には再び氷が張って放射性物質を閉じ込めてくれるだろうと考えられた。しかし、いずれ南極大陸で資源開発をすることがあるかもしれない。海と同様、南極大陸も原子力の恩恵を受けている国だけのものではない。 59年に採択された南極条約によって放射性廃棄物の投棄が禁止された。各国は地下深くまで穴を掘って埋め捨てするしか方法がなくなった。アメリカではネパダ州ユッカマウンテンが候補地となったが、地元住民の反対で計画は白紙に戻った。
 地下への埋め捨てでは北欧が先行しており、フィンランドでは地下500メートルに穴を掘り、そこに10万年先まで保管するという。
 原発は科学者の間で「トイレのないマンション」といわれてきた。放射能という大変な毒物を処理する方法を持ち得なかったからである。トイレのないマンションでの生活が不可能なように、放射能を処理できない原子力にそもそも手を出すべきではなかった。しかし、人類は、自身が生み出すゴミの始末法も見つけられないまま、70年間も原子力に手を染めてしまった。あまりにも愚かな選択だったと言わざるを得ない。
 今、日本は原発によって生み出された核分裂生成物と呼ばれる放射性「廃物」を大量に保有している。普通のモノはそこらに捨てておけば自然が何がしかの解決をしてくれる。生ゴミであれば、バクテリアが分解して自然の環境に戻してくれる。しかし、放射能に関する限り、自然の浄化作用はまったく働かない。人聞がどうにも処理できないモノ、自然の浄化作用が働かないモノは本来、捨ててはいけないモノである。だから私は、放射性廃棄物ではなく放射性廃物と呼んでいる。
 日本は3万~4万トン、広島に落とされた原爆120万発分に相当する放射性廃物を保有している。うち約7千トンはイギリスとフラジスに再処理を依頼した。それ以外のものは国内に残っていて、青森県六ケ所村の再処理工場や全国の原発敷地内に置かれている。
 しかし、量が増え続けて原発の敷地内にも置けなくなり、各電力会社は中間貯蔵施設を造ろうとしている。東京電力と日本原子力発電は青森県むつ市に5千トン分の中間貯蔵施設を造る計画を持っている。関西電力を含めた西日本の電力会社も中間貯蔵施設を造らなければいけないが、受け入れ場所が決まらない。最終処分場については言うまでもない。
 日本でも2000年に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が制定され、高レベルの放射性廃物を300メートル以深の地下に埋め捨てすることが決まった。
 ただし、どこに捨てるかという問題が残った。そこで狙い撃ちにされたのが、財政破綻しそうな小さな自治体だった。国は、調査を受け入れてくれれば、それだけで20億円を渡すと働きかけた。アメをちらつかせて、誘致してくれる自治体を探したわけである。
 この調査の受け入れに最初に応募したのが高知県東洋町だ。しかし、住民の強い反対運動は町長のリコール運動にまで発展。町長が辞職して行われた出直し町長選で反対派の町長が当選し、計画は白紙撤回された。

地震国で埋め捨ては不可能

 日本は世界一の地震国で、世界で起こる地震の1割が日本で起こるといわれる。地下300メートルなど、地震の起こる場所からすれば本当に浅いところだ。今後10万年にわたって地震の影響を受けない場所など、この国には存在しない。人間が推し量ることのできない遠い未来まで、科学が安全性を保証できる道理はない。
 こうした日本政府のやり方を認めることは到底できない。政策立案者も、埋め捨てが困難なことを、実はわかっているのではないか。最近では、日本国内ではなくモンゴルに埋めたらどうかという話さえ出てきている。ゴミを自分の国で処理できないから他国に捨てようと考えること自体、実に恥ずかしい国だと思う。
 日本では、原子力をエネルギー源として意味あるものにするために、核燃料サイクルという夢を描いた。原発で使った後の使用済み燃料からウランやプルトニウムを分離し、再び燃料として利用しようという構想だ。しかし、その核となる高速増殖炉「もんじゅ」も、六ケ所村の再処理工場も、いまだに本格稼働のめどは立っていない。
 核燃料サイクルという夢が破綻していることは自明である。何兆円ものお金をドブに捨てたも同然だ。経済的にもまったく割の合わない原子力に、なぜ原子力推進者たちはしがみつこうとしているのか。
 エネルギー源として原子力を開発してきたわけではないからだ、と私は考えている。すでに日本は普通の原発から発生した45トンのプルトニウムを持っている。原爆を作ろうと思えば長崎型原爆を4千発作れるほどの材料を懐に入れている。しかし、そのプルトニウムには核分裂性のプルトニウム239が70%しか含まれていない。高性能の核兵器を作るにはその割合を90%以上にする必要がある。高速増殖炉を稼働すれば98%まで高められるのだ。
 高速増殖炉を発電用に使うなら何十基も必要だが、核兵器用のプルトニウムを作るには1基で十分だ。超高品質の核兵器材料を欲しいがために、日本は「もんじゅ」をあきらめられないのだと私は思う。

原子力と核は同義である

 世界は国連(United Nations)が支配しているとされる。United Nationsの実態は、日本と戦争して勝った連合国であり、戦勝国(米国、イギリス、フランス、旧ソ連=ロシア、中国)が国連の常任理事国を構成している。日本に勝った国は山ほどあるはずなのに、なぜその5カ国が常任理事国なのか。核兵器を持っているからである。今の世界で支配する側に立つには、核兵器の保有は決定的に重要な必要最低限の要素なのだ。
 日本は戦争に負けて、United Nationsから排除される二等国になったが、なんとか這い上がって常任理事国入りするのを悲願としている。
 10年10月、NHKで「”核”を求めた日本~被爆国の知られざる真実~」というドキュメンタリー番組が放映された。内容は単純明快。日本は原子力の平和利用と言いながら、実は核兵器を作る潜在的な能力を持ちたかった。そのことを、60年代の日本の外交官の証言や外交文書から検証した番組だ。なかなか見応えのある番組だったが、中身以上に興味深かったのは、国営放送といっていいNHKがこれを放映したことだ。このような番組がNHKによって放映されたことは、日本でも核兵器を持つか持たないかの議論をせざるを得ない時代に入っていることをうかがわせるものだ。憲法改正(私は改悪だと思っているが)も含めて、これまでタブーとされてきた核兵器保有問題まで俎上に載せなければならない時代に入ったのだと思う。
 日本の政府やマスコミはイランの核開発計画を非難しているが、日本でも同じことをやっている。日本の場合は「原子力開発」と言い換えているだけだ。自国は免罪して他国を断罪する。恥ずかしいことだと思う。
 日本政府は原子力と核(兵器)が同じものだと知っていながら今日に至っていることを、国民は知らなくてはいけない。原子力発電を容認することは核兵器の保有を容認するのと同義なのだ、ということを含めて議論しなければならない。電力が足りる、足りないというのは些細な問題なのである。
 私は原子力発電を止められなかった責任を感じている。なるべく電気を使わないできたが、まったく使わないわけにはいかない。
 原子力の恩恵を受けてきた私たちの世代は、核のゴミに対して責任を負っている。しかし、3万トンを超える放射性廃物を無毒化できない。生命環境から隔離する方法もない。いままでに生み出してきた核のゴミを始末するめどは立っていない。だとするなら、核のゴミをこれ以上出さないよう、すべての原子力をやめることが、私たちの世代にできる最低限のことだと思う。
 そして、放射性廃物を無毒化する研究を進めなければならない。世界中の科学者が70年間、知恵を絞って、いまだに解決策が見つからないほど難しい課題だ。しかし、私たちの愚かな行いが生み出し、10万年、100万年という単位で人類に災厄をもたらす放射性廃物の毒性を消す方法を、なんとかして考えなければならない。そのためには研究者の育成が必要だ。国家的なプロジェクトを立ち上げ、原子力の推進に使っているお金を全部そこにつぎ込めばいい。
 私は1968年、大学の原子核工学科に入った。66年に日本原子力発電(原電)の東海第一原発が連続運転を開始、初年には原電の敦賀1号機、関西電力の美浜1号機が稼働した。これからは「原子力の時代」といわれた。当時、工学部のなかでも原子核工学科は花形だった。旧帝国大学(北海道、東北、東京、名古屋、京都、大阪、九州)にはすべて原子核工学科や原子力工学科があった。それが、今はひとつも残っていない。原子力に未来がないことがわかって学生が来なくなったためである。
 私が原子力を志したときには原子力に夢があった(その夢は間違いだったと後で気づくのだが)。しかし、未来のない学問に人生を懸ける人間はいない。
 とはいえ、原子核の基本的な性質を調べているグループはある。化学的な挙動を研究しているグループもある。こうした基礎的な学問を寄り合わせて核変換処理を実現したいと考えている人たちはいるのだ。
 私たちが生み出した放射性廃物を無毒化する研究は、まず私たちの責任において進めなければならないが、私たちの世代ではおそらく到達できないだろう。そうなると、私たちの世代がつくりだした負の遺産の清算を、未来に託さなくてはならない。本当につらい。

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【朝日ジャーナル】恥ずかしい国、日本 -核のゴミを処理できない人類に原子力という選択肢はない。 への2件のフィードバック

  1. oonuma より:

    筆者は間違いだと気づいたと書いてあるが原子力エネルギーがなぜこんなに問題を抱えながらも世の中の支持を得ているのかを述べていない。資本主義社会の中で電気料金の占める割合が多いつまり現在の電気料金制度を維持していくためについたうそが今までの原子力行政を維持してきた原動力ではないのか。今更あればうそでしたクリーンではないという知見を言われても一般市民はどうかんがえればいいのかゴミとして処理できないということも最近の話ではないのか。現在の資本主義経済において弱者は必要であるこればギリシャの時代から奴隷が必要であるのと同様であると私は考えるリスクをとるのかきっとこの社会はリスクを隠してこの世代だけの問題として処理するであろう。
    技術者を育てるには金の力がひつようであろうそれをわかっていてなぜ国にたよるのか原子力の毒を無害化できれば危険な原子力を拡散するはたらきがあるまさに諸刃の剣である。
    常任理事国にならなければこの弱者に日本国がなってしまうからという思想が核武装という考えがのさばる原因そして人の本質なのだ。

  2. ちたりた より:

    oonuma様
    小出さん、敗北の話をわざわざお書きにならなくたって貴方がわかっておられたら、それでよいじゃないですか。
    こんな古い記事でなくて、もっと最近のものでコメント頂ければ幸いです。
    また、句読点がないと読みにくいものだなと、私も反省いたしますので、貴方もお願いいたします。すみません。文句書いてしまったりして。

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