大熊町の木幡ますみさんの話を聞いてみよう!【2012/09/16 エルおおさか】かちぐり様テープおこし

ディスクを整理していたら、去年の秋にかちぐり様より頂戴していた木幡ますみさんの集会での文字おこしされたのが、お蔵入りになっているのに気が付いた。なんてもったいない。
「大熊町の木幡ますみさん」といえば、中日新聞や東京新聞の記事を文字おこしした覚えがある。

9/6「帰還」広がる失望 中間貯蔵施設に揺れる大熊町【中日新聞・特報】どうなる中間貯蔵施設~揺れる大熊町【東京新聞・特報】

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かちぐり様 ありがとうございます。

大熊町の木幡ますみさんの話を聞いてみよう!
日時:2012年9月16日 午前10時~12時
主催:木幡ますみさんを大阪に呼ぶ会
会場:エルおおさか 701会議室

※当方の知り合いのみに配布しています。文書の利用にあたっては、著作権への配慮をお願いします。
※【 】 は、この文書をまとめた者がつけた見出しです。同様に、文中の ( ) は注釈です。

【帰るたびに、「帰れないんだ」と…】…………………………………………. 2ページ
【3月11日、大震災が起きて】………………………………………………….. 3ページ
【避難先の体育館は「戦場」】…………………………………………………. 4ページ
【ヨウ素剤は配られなかった】…………………………………………………. 6ページ
【会津若松への移転をテレビで知る】…………………………………………… 7ページ
【薬がもらえず、亡くなっていく】……………………………………………… 8ページ
【子どもは遊び放題。ピノキオみたいに】……………………………………… 9ページ
【仮置場の周辺から、人が去っていく】………………………………………… 10ページ
【中間貯蔵施設と補償】……………………………………………………….. 10ページ
【夫が町長選に立候補】……………………………………………………….. 12ページ
【町長の主張─「これが民主主義だ」】………………………………………… 14ページ
【今度は死んだけど、まだ、あるよ。たくさんある】………………………… 14ページ
【ペットも被曝している】……………………………………………………… 15ページ
【東電からの謝罪はない】……………………………………………………… 17ページ
【放射能はセシウムだけ】……………………………………………………… 17ページ
【18歳以上の元気な人、求む】…………………………………………………. 18ページ
【大熊町に中間貯蔵施設を】……………………………………………………. 19ページ
【化粧品屋に行って、初めて口紅を】………………………………………….. 19ページ
【宮仕えはものが言えない】……………………………………………………. 20ページ
【子どもを東電にとられた母親】………………………………………………… 21ページ
【質疑応答】………………………………………………………………… 22ページ

(以下、テープ起こし)―――――――――――――――――――――――――――――

司会 おはようございます。集まりが少ないんですけれども。まず先に…。福島県大熊町から会津若松に避難されている木幡さんです。今日、いろんな方にお話を…。隣(の部屋)で聞いたんですが、メールでもらったとか言っていました。その続きを今日、あの…。3月11日以降、どうだったのか。その後で、お聞きになりたいことを。

【帰るたびに、「帰れないんだ」と…】
木幡 はじめまして。木幡ますみといいます。大熊町の出身です。大熊町でも、どちらかというと田村市。そっちのほうに近いところで、原発から7kmぐらい離れたところなんですけど。町のほうは雪が降る…。雪が降るといってもたいして降らないんですが、私のほうは、同じ大熊でも雪が降るほうなんですけれども。で、けっこうイノシシとかタヌキとか多いところなんですが。今回、皆さん一時帰宅で、許されて帰るんですけど、家の中でイノシシが死んでいたとか、家の中が牛に荒らされたとか。私のほうは地震では壊れてはいなかったんですけど、動物に荒らされて壊れていたみたいな感じで。草ぼうぼうになって、家の中がフンだらけになって。泥棒が入って、もう、めちゃくちゃにしていった感じなんですけれども。
線量は、前は低かったんです。もうちょっと低かった。野上集会所は3点いくらだったのが(マイクロシーベルト)だったけど、今は4以上になって。この空間線量で、下がコンクリートのところにモニターを置いているんです。下がコンクリートだと…。土のところの、本当は放射線を測ってほしいんですけど。それが全然計測されないで、ものすごく低いところ、低い値のところで。地上から5mとか7mとか離れたところでとっているんで、本当に、あの、本当の線量よりはずっと少なめに出ているんですけど。ただ、全体的に大熊町は、本当に高いところは、ここ(新聞記事)に出されてないんですけれども、80とか90とか。特に原発に近いところは、家の中も同じような状態。
私たちは、帰るたびに「帰れないんだ」ってことを認識しているんですけど、私の大熊町の町長は、「みんなで除染して帰れるところは帰りましょう」と同じことを声高々に言ってるんで。4、5日前も、全員協議会で、町長と町会議員さんの集まりで「みんなで除染して帰りましょう」とおっしゃってるんで。
私は今、仮設(住宅)にいるんですけれども。そこにいる…、仮設には、平均年齢がだいたい80歳くらいなんですね。老人の人がいっぱいいらっしゃる。そうすると…。なぜ老人だけかというと、若い人が仕事を求めて、原発のほう、いわきのほうにいっちゃってるんですけど。彼女たちが私に言われるのは、「別に私たちは大熊に帰りたいわけじゃない。みんなと一緒に暮らせたらいい。私の命だってもう80歳すぎているんだから。いつどうなるかわからないから、早めに家族と一緒に暮らしたい。ただそれだけで、大熊に帰ろうなんて、これっぽっちも思っていないよ」。そう言われるんですけれども。

【3月11日、大震災が起きて】
3月11日の大震災の時から。みんなもう、それぞれ。まず3月11日に地震が起きて、みんな、わっさわさして。原発の労働者も…。みんなで蟻の軍隊が逃げてくるように。わっさわさ、わっさわさして。原発の労働者が逃げてくるんですよ。彼らは「ここの町にはいられないから、逃げよう、逃げよう」と言われるんですが、他の知らない人たちは…。自分の家に東電の労働者がいない家は、そんなことは全然聞いてないんで。3月11日の時点で、東京電力で、知っている方はもう、逃げているんですよね。だけど、それを知らない老人とか、まだ知らされていない大熊の家は、3月11日に地震があって、津波があって、その時にもみんな外へ出て炊き出しをしたりなんかしたりして。後は体育館に集まっていたんですけど。
で、次の日、朝の6時ちょっと過ぎにバスが来て避難所にいたんですけど。でも、私はちょっと、11日に「明日、子どもの後期の入試だ」っていうことで。みんな、ウチの夫も「まさか、やらないから」とか言ったんですが、「明日やらなかったら、この人、浪人だよね」と思って。「じゃ、息子を連れて仙台に行くしかないか」となって、時間がかかるだろうと、11日に仙台に向ったんですね。私は息子と次の日に帰ってきたんですけれども。もちろん、入試は中止でした。それで、浪人の形になったんですけれども(笑)。で、次の日、12日に帰ってきましたら、誰もいなかったんですね。「あれ? お父さん、どこさいったんだろうな?」と思って。(息子を)この家へ置いて、私があちこちクルマで探したんですけれども。誰も人っ子さ、いないんで。「どこにいっちゃったら、いいんかな?」と思って。で、浪江のほうへ行ったらぽつりと(人が)いて。「いやあ、津波がひどかったよ」と、こう言われて。「みんな、どこにいったんだろうね?」とお互いに話をして。結局は、連絡が密じゃなかったんですよね。知らない人は知らないで、浪江にいたり。双葉、大熊にもぽつりぽつりといて。双葉は電気がついているところもあるんで。井戸水がある人がたくさんいらしたんで、井戸水を飲んで暮らしていた人が結構いたんですね。その人たちが、山のほうなんですけど、やっぱり。今は線量がものすごく高いところなんですけれども。その人たちがいて、「みんなどこへ行ったんだろうね、わからないね」と。結局、双葉も、大熊も、連絡がこう、密に行き渡っていなくて。残された人がいっぱいいて。私も家に帰ってきたんですが、「外へ出ちゃいけないね」と思って。連絡をとろうにも携帯が全然つながらないんですよね。混雑して。それで、夫がね、次の日あたりに来たんですよ。次の日の13日に。
だけど、ウチに、犬と猫がいたんですよね。それを連れていこうと思ったら、なかなか犬と猫が捕まらないんですよ。ウチは山だったんで、犬は放し飼いにしていたもんで。今さら首輪をつけて連れてこようと思っても、犬は全然だし、猫も捕まらない。明日まで待とうと大人は帰ったんですけど。14日朝、子どもに「出て行こう」と言って。犬と猫を置いたんです。そのときの印象がホントに…。ウチは坂道の上に家があるんですけど、犬と猫が2匹でそろって、「いってらっしゃいませ」みたいな感じで、ずっーとだまっているんですよね。あれが私…。猫はすごくかわいかったんですが、あれが猫に会った最後だったんですけれども。

【避難先の体育館は「戦場」】
それで、私たちは…。田村市というところに体育館があるんですけど。新しく。のど自慢をやって、こけら落としにって形だったんですが、それをこけら落としに私たちが使っちゃった感じで。で、体育館に入ったのが、覚えているのが10時45分だったんですね。そうすると、爆発はその後ですから。本当に私たちは助かったんですが。まだその時に、大熊や双葉に残っていた方がだいぶいた。体育館に入りましたら、「ここはいっぱいだから他へ行ってください」と大熊の人に言われたんです。「いや、たった3人なので入れてくださいよ」と。「いや、ここ入らないから、だめだめ」。「入らないからって。ちょっと無理すれば入れられるでしょう?」と言ったんですけど。長男も大学から帰っていたんで。長男と下の息子は、「じゃあ俺たち、クルマにいるから」とクルマに寝泊りすることになったんですけれども。体育館に入ったら、確かに隙間はちょっとずつあるんですけど。もう、何ていうの、われ先に、そこに入りたいから。役場職員も「他の人がいっぱいだから、だめだめ」と、どんどん、どんどん断っちゃってる。ちょっと詰めれば入れるのになあと思ったんですけどね。あれは今でも、役場の職員とかみんなの気持ちがもうちょっと優しかったらね、もう、そんなにあちこち転々としないで入れたのになあと思ったんですけどね。
それで、体育館に入って。もう、むっとするような。人が多すぎて、すごい空気がよどんでいるような感じだったんですけど。時々、自衛隊の迷彩服を着た人たちが来る。気持ちがね。「あ、これは」と。ヘリコプターが常に巡回しているんです。空でね。なんかすごく「戦場」っていう感じがして…。子どもは泣くし。ほんで、夜になると冷えたんですよ、寒いから。山のほうで。ものすごく冷えて寒くなって。ストーブが、燃料がないからって、7時頃に消されたんです、1回ね。そしたら、すごく冷えて、咳をし始める人もいて。いや、ちょっとと、また焚いたんですが、やっぱり9時頃消されて。すると、夜中にしんしんと冷えてくるんですね。それが毎晩、毎晩と続いて。食べ物も…。水があまりなくて。水がない、ご飯がない。で、カップラーメンがやっと食べれた。田村市の人たちは本当にすごくやさしかったと思うんです。婦人会の人が一生懸命おにぎりをつくってくれたり。でも、数が少ないんで。だから、みんなワーッと、とっちゃうんですね。で、結局はとれる人だけとれる。老人とか身体の弱っている人には食事が回っていかないから、それではダメだということで、みんなでこう…。そういう時になると、今まで外へ出なかった人がまとめようとして。そういう時に一番弱いのが誰かというと、役場職員なんです。役場職員は、本当はこういうことを率先してやんなくちゃいけないだろうけど。役場職員はまとめようとすることができないというか…。なんであの人たちが…。もうちょっとみんなで整列させたらいいのになと思っても、できないので。一般町民、ここにいた方たちで、「ちゃんと並びなさい」て感じで。誰がどうなのかわからないけれども、こう。みんな、私たちも一緒に並ばせたりなんかして。みんなに食事を配ろうとすると、さーっと立っちゃうんですよ、われ先に、われ先にと。それはだめとけんかになったり。結構、食事の争いはやっぱり、下手すると殺しにもつながっちゃうと私はその時思ったんですけど。それで、これでは弱い子やちっちゃい子は食事にありつけないという状態なので、もう一度みんなで考え直して。言ったんですよ。「食事は誰かが一方的にとるんじゃなくて、みんなで分け与えてください」って。そうすると、「しょうがねえなあ」みたいな感じで、だんだん、だんだん並ぶようになって。
田村市の方が本当に、もう…。役場職員の人もみんなで来て。男性の方も年寄りのかたも老人会の人もみんな来て。「私たちの使っていた下着ですよ」と言って分け与えてくれたんですね。一番先に助かったのは…。女の人だったら、生理用品がない。赤ちゃんだったら、おむつがない。
私は14日に自分のクルマで来たからいいんですけど、大熊町の人たちは、朝の6時15分に、「逃げろー」って言われて。「バスに乗れ、バスに乗れ」と、整列させられてバスに乗せられて来て。まだバスに乗せられたほうはいいんで。連絡がとれない人は…。ていうか、もう全部には。町長さんが自治会の区長さんとかなんかに知らせて、その人たちが自分の地区の住民に知らせればよかったんですけど。それをしないで。全然。放送がいき渡ったところにだけ、逃げろ、逃げろと言われて。何も持たないで来ちゃったんで。赤ちゃんだったら、ミルクを持ってきていない。おむつを持ってきていない。大人の人は薬も何も持ってきていない。ただバスに乗れ、乗れと、収容所にでも行くような感じでバスに乗せられて来たんで。誰かが言ってたんですよ。「これは収容所行きだなあ」と思ったらしくて。来たんですが、何も持ってないから。寒さも何も…。私たちのほうは温暖なところで。私のほうは山なんだけど、ちょっとオオノのほう、町のほうへ行くと、ほとんど雪はないし。結構温暖なところで、そんなに寒さはないんですが。田村市のほうへ行きますと、冬だったんで、寒かったんですよ。雪は降るし、手足は冷えるし。特にご老体で身体の弱い方だったら、寒さでもうしびれる感じで。田村市の方は本当に、自分たちの毛布をもってきてくれて。ありがたかったんですけれども。ほんで、薬を飲んでいない。たとえば糖尿病のかたが薬を飲まない、高血圧の方が薬を飲まないと、みんな倒れていくんですよ。夜中にバターンとすごい音がするんですよ。体育館の中だから。倒れちゃってそのまま。そういうことが、体育館に1ヶ月間近くくらいいたんですが、結構そういうかたがいらっしゃって。倒れてその場で亡くなった方は3人くらい。実際にその、近くにいたかたで亡くなったのは5~6人。意識不明になったかたはどうなったのかちょっとわからない。大熊町は一切…。震災前は、誰々がなくなったと知らせてくれたんですけど、震災後は全然教えてくれないんで。
私の夫もあれなんですよね、震災前からずうっと薬は飲んでいたんですよ。元々からだが弱かったんで。ウチは農業と塾をやってきたんですが。薬を飲みながら身体を保ってきたんですが。やはり、インスタント食品ばかりだったから。水もないし。病院のほうにもいいものが渡っていかないんで。どんどん、どんどん意識が朦朧としてきて。やっぱり…。起き上がれない状態に。これはだめだなあと、死ぬかもしれないなと思ったんですよ。周りに聞くと、この辺の病院へ行ってそのまま亡くなっているという話を聞いて、行けないなと思って。「東北自動車道が開通するまでお父さん我慢しなさいよ」と言って。東北自動車道が開通したのが4月2日だったんですけれども。それまでに、救急車が来て運ばれていって、ふとんが片付けられて、どっかいっちゃったという人がいっぱいいて。どうなったかはわからないんですけど。

【ヨウ素剤は配られなかった】
体育館にいた中で、最初のうちは自分だけのことしかみんな考えてないんで。病人や子どものことなんか考えてない。一番苦労したのが赤ちゃんをもっているお母さん、お父さん、家族とか。自閉症とか障害をもっている親が。泣きわめくから。お母さんの言うことをきかない。赤ちゃんだってどうしようもないから泣くだけ。その子の口をぱっとふさぐんですよ。「うるさいぞー」とか言われるから。もう(子どもの口を)ふさいで、外へ出ようとするんだけど、外は雪なんですよ。寒いんですよ。そうすると、なかなか外へ出れないから。もう、お母さんも泣きながら必死になって。涙をこらえながら子どもの口に手を当てて。あるおばあさんが、「昔の防空壕にいたような感じだった」と。「あんまり押さえると死んじゃうからだめだぞ」とそっと言った。そういう障害児をもっている方とか。あとやっぱり、赤ちゃんとかは、家族は大変だったと思うんですよね。
そんで、女の人だと生理になって、何にもないんで。助けてもらった友達の方には本当に…。「どうしたんですか」と聞かれて「いや、こうなんですよ」と。「わかりました」と生理用品を集めてくれて。役場の人に言っても。「役場の人は助けてくれないから」ってみんなが。「役場職員は何のためにいるんだろうね。何にもしないね」とみんな話していた。役場職員は「俺たちだって被災しているんだ」「あんたたちばかりじゃないんだ。俺たちだって被災しているんだから、何もできないんだ」と。「いや、私がどこかで、これだけないんだから集めてくれ」とか、言えばいいのに…。周りの住民の人に、今回は田村市の人なんですけど、助けてもらって。
もうひとつ。三春町ってあるんですよ。「三つの春」と書くんですが、昔、伊達政宗に嫁いで行った愛(めご)姫という方の出身地なんですけど。そこはヨウ素剤を町長がみんなに配ったんですよ。あれは1週間以内に飲まないと効き目がないので。ところが…。大熊町にもヨウ素剤はあるんです。保健センターというところにみんなの分を貯蔵してあるんです。「それ、持ってきてください」と言ったら。「ヨウ素剤を、なんで配らないんですか」「それ、何?」と言われて。「ヨウ素剤を知らないんですか」と。「そんなの、あるはずないよー」とか言って。調べたりしたんですが、皆目検討がつかなくて。言っても無理だなと。私と息子でヨウ素剤といったんですが。声にもならない問題。ところが役場職員は三春町にいって、自分たちだけヨウ素剤をもらっていたんですよ。一般町民はヨウ素剤も何も関係なく。体育館に、自衛隊に連れて来られたかたが後から入ってきたんです。その人たちにもヨウ素剤をすぐに飲ませたらよかったのに…。自衛隊の方もおっしゃったらしくって。「ヨウ素剤を飲ませてくれ」と言ったんだけど、「ここにはない」と。
で、爆発してから、10日もいたとか、2週間も大熊にいたとか。(そんな住民を)みんな(避難所へ)連れてきてくれたのが自衛隊の方なんです。自衛隊の方も大変なんですよ。若い人なんです。「どこ出身ですか」「私、大阪なんです」と。20代の若い人。「母親に、そんなところへ行くんじゃないといわれたんですけど」と。1ヶ月の中で。自衛隊の人はみんな若い人ばっかりで。風呂なんかも設置してくれて。年寄りとか障害者のかたを自衛隊のかたが一生懸命世話してくれて。身体を洗ってくださったり。でも、彼女たちが言うには「私自身も怖い。被曝してるんじゃないか」と。原発の地域に入ってずっといたから、と。「もう、あんたやめときなさいよ」と年寄りが(自衛隊員に)言うんです。「帰りなさい」と言われて、本当に途中で帰った方もいらっしゃったんですけれども。そういった人たちに世話してもらってきたんですけれども。

【会津若松への移転をテレビで知る】
3月が過ぎて4月に。東北自動車道がこう、開通して。大熊もどうすんだーと。次のことが見えなかったんで。そしたら、「今度、会津(若松)に行く」って。町長さんから直接言われたんじゃなくて。町長も田村の、私たちの体育館にいたんですけれども。全く話をしてくださらなくて、テレビで「会津に行く」といきなり画面がきたんですよ。なんで、「お前ら、知ってたのか」と。「俺は知らない、知らない」と。でも顔が映っている。前の日、前段階で撮っているだから、知らないわけないと町長に詰め寄ったりして。何も言わないから、私、トイレの前で待ち伏せしたんですよ(会場笑)。
「すみません、町長さん、ごめんね」と言って。「みんなに説明してください。今説明してくれないと暴動が起きます。なぜ会津に行くのかとか、ちゃんと説明してください」と。「うんうん、わかった」という感じで。ところが、(町長の)周りの役場の人が「そんな説明することない」と言うんです。「なんで説明することないんだ。役場が説明しないとだめでしょう」「あんたには関係ないよ」と。「関係ないじゃなくて、みんな聞きたがっているんだから、説明してくださいよ。テレビに先に出たってしょうがないでしょう」。町長が「わかった、説明する」と。生でやろうとした。この体育館で。「町長さんの声が聞こえないから、拡声器か何かでやってくださいよ」と。また役場の職員が「そんなの使う必要ない」と。「みんなに行き渡らない」。どこかからしぶしぶ拡声器を持ってきて。「実は皆さん、これから大熊町は会津へ行くことにしました。これからしばらくの間、私たちはホテルや旅館で様子を見ましょう」と言われたんです。それを言えばよかったんです。これからのことはまた今度言えばいいんで。それを言わなかったから、みんな不安で「なにやってんだー」とか騒ぐし。町会議員もたくさんいたんですが、だーれも何も言わなかったんで。結局、役場職員とか、町会議員とか町長っていうのは、ことがあってからしかものを言わないんで。その時あっても、いろいろ披露しないものなんだと、みんなにわかってしまって。
みんな、それぞれの旅館とかホテルとか。だいたい、みんな病気をもっていても薬を持たないで逃げてきたんで。病気の人は、病院が近い町の中へ行きたいんです。ところが、区分けられたのが…。普通だったら、猫魔ホテルとか。1泊3万円とか。人気なんですけど…。でも、その時はいい気がしない。病気がちの人が「猫魔ホテル」とか言われるんです。「えっ」と。「私は薬もらわんといけないんだから、若松市内にしてください」と。けんかになって。役場職員は「俺らだって」と聞き入れてくれなかったんですね。役場職員が「必ず1週間に2、3回バスで行くから、山のほうのホテルへ行ってくれ」といった感じで説得されて。新潟県境のホテルへ追いやられた人もいっぱいいたんですけれども。そっちのほうへ行ったんですね。やっと電話がつながって、あちこち連絡して聞いてみると…。
私は最初、「夫が病気なんで、私も猫魔(ホテル)とか行けない」と言ったら。「会津には行かないんでしょう」と私のホテルが決まっていなかった。「え、そうじゃなくて、薬とか取りに行けないから若松市内のホテルに」とお願いしたんですよ。「あんただけの言うこと聞いてられないんだよねー」って言われて。私だけ除外されて。「あんた行かないんだね」となったみたい。みんなどんどんバスで行っちゃうんです。「どこへ行くの?」と思って。「私も乗せてー。私も行かせてー」と。「しょうがないから、行かせてあげよう」みたいに言われて。なんだろうねーと思って。やっと決まったのが、若松市内のホテルだったんです。私にとっては本当によかったんですけど。

【薬がもらえず、亡くなっていく】
で、若松に移ってから、メールがきたり、電話がくる。「薬が来ない」「役場職員が1回も来ない」と言われて。みんなクルマで逃げてないから、どこへも行けないんですよ。私は昔、会津にいたことがあって、わかっているんです。でも、免許とったのが7年前とかなんで、会津の山なんか、どう行ったらいいのかわからない。でも、友達を連れて一緒に行ったんです。そしたら、おじさんが薬もらえなくて「寝てた」とか。旅館の人がそれを聞いて「私が連れていってあげる」って。役場職員の人は来るって言ってたけど、なんで来ないんだろうね、と。結局は旅館の人に頼って、薬をもらいに行くようになったんですよね。
帰ってから、役場の方に「薬がもらえない人、たくさんいるんだよ。役場のほうで来るって話だったでしょう」「いやあ、それ、むちゃくちゃ忙しいから行けないわー」。「あなた方、言ったでしょう、口で。約束したでしょう、必ず行きますよって。何でいかないの? 具合悪くなる人がいっぱい出てくるでしょう」と。たまたま、バタバタバタとけんかみたいになって。やっと、山の中へバスが出ることになって。しばらくしてからですけど。その間に、ぼちぼち。特に東部に追いやられた人が亡くなっていって。お年を召した方ばかりじゃないんですよ。50代のかたとか、血圧の薬とか糖尿病の薬を飲んでいたかたが、薬がもらえなくて亡くなっていったんですよ。そういうことを全然想定しないで…。はじめから、病気の人は書いてもらって、若松市内のホテルとか旅館へ泊まってもらったらよかったんですね。元気な若い人や役場職員はクルマで相乗りして帰ってもらうとか。そういうことをなんで考えられなかったんだろうって。

【子どもは遊び放題。ピノキオみたいに】
これからどうするんだという話になったんです。
子どもなんか、全然勉強しないんです。学校開いてないし、旅行、ホテルで。ピノキオじゃないけど、1回遊びを覚えた子は、勉強しない(笑)。遊び放題なんですよ。本当にあれは、ピノキオなんですよ。「俺たちは今が楽しい。最高だー」みたいな感じで。もう、大変な状況なんですよ。
で、そういう感じで半年近く、子どもたちは勉強もしないで。学校は7月に始まったけど、たいした授業もない。教科書もない、鉛筆もない。書くものがないから…。先生が一生懸命、自分でガリ刷って、コピーして、みんなに配って勉強させた。紙の授業で、教科書がないから。2学期になってから教科書が配られた。ほとんど遊んでいる状況だったんで。2学期になっても旅館やホテルにいらっしゃる方もいっぱいいたんですよね。
7月頃から徐々に仮設に入り始めたんですけれども。仮設といっても、山のほうから入り始めた。山のほうへはみんな移りたくないんですよね。それでなくても薬がもらえなかったりとかあったんで。みんな嫌がって、旅館とかホテルとかにいた。子どもたちは遊んで。夜遊びはするし。
大熊ってすごく田舎なんですよ。夜開いているところといえばセブンイレブンかそれくらいだったんですが、会津若松に来ればゲームセンターはあるしねえ。もう喜び勇んで、うれしくて、うれしくて。全然勉強もしないで。でも、だんだん教科書の勉強も始まって…。みなさん仮設住宅とか、借り上げといってアパートを借りて県とか国がそこへ入れていくんですが。ようやく落ち着いて授業が始まったのが、だいたい10月。9月から始まってはいたんだけど、落ち着いては始まってはいないので、10月頃から。4月からの、ずうっとの遅れが…。その後、補いましょうといっても、とんでもない状態になっているんで。
私のウチは元々塾をやっていたんですけれども。お父さんが入院していて、回復するまでと思って。10月頃から「塾を始めます。無料でやります」と看板を。中学校の下。中学校が上で、下が役場なんですけど。そこを借りて。でも、そんな無理して勉強しようなんて人、誰もいない。遊びすぎちゃって。やっと来たんですけど、もう、学力が全然ついてなかった。たとえば3年生で受験なのに、1年生くらいの学力しかなくなっちゃって。わー、2年間、どうする? これ?みたいな感じで。怒ってもしょうがないんだよね。言葉をこらえて、腹の中で「うーん」と言いながら、口ではニコニコ笑って。
子どもも大変なんですよね。やっぱり。借り上げとか仮設。仮設って2間くらいしかないんですよ。4畳半と6畳で後は台所。小さい弟や妹がいたりする子は、周りでうるさく騒ぎますよね。勉強するような環境じゃないから。そこでまた勉強しないから。仮設は子どもがいっぱいいらっしゃるところも多いんで、夜中に集まるんですよ。一時の楽しい時期が忘れられなくて。みんな集まって、翌朝眠そう。やっと給食が始まった頃には、登校するんですが。それでも遊び続けた月日が忘れられなくて、登校拒否がかなり、今でも多くて。そんなに人数が多くない大熊中学校なのに。今、1学級で5~6人が登校拒否して学校に通っていない。実際何をしているかというと、仮設で集まって遊んでいる。大人が「学校へいけよ」といっても、学校へ行かない日々が長かったので、今さら学校に集まらないよとなってしまって。

【仮置場の周辺から、人が去っていく】
私たち、大人のほうは大人のほうで…。8月に中間貯蔵施設の話が出たんですね。中間貯蔵施設というのは、除染というか、放射線の高いところを削ったりして、ゼオライトをまいて、またそれをきれいにして…。その削ったものとか、掘った土をどこかに捨てなくちゃいけないんですよ。捨てる場所がなかったら、除染も何もできないんですよ。中間貯蔵施設がなかったら、仮置場っていうのをつくんなくちゃいけない。仮置場に集めてくると、そこら辺の線量が高くなるんですよね。それが嫌で、みんな反対するんですよ。
だから、郡山だったら、ここへ1回仮置場をつくろうと。たとえば郡山の安積(あさか)地区にもって来るっていうんですけれども、みんなやっぱり反対はされるんで、その仮置場は結局、すぐに移動してしまうんですけど。ところが、それ、仮置場がないと除染ができないから、どうしようもない。自分の土地を提供しますというかたも出てきてやったんですけど。
私は実家がもともと郡山なんです。家の近くに公園があったんですね。その公園が仮置場になったんです。周りにアパートとかあったんですよ。いい環境だったんですよ。そうしたら、仮置場ができたら、みんないなくなっちゃったんですよ。アパートに入っていた若いかたとか、危ない、怖いから逃げちゃうんですよ。そのうち誰も入らなくなっちゃって。この間、帰ったら、アパートが取り壊されていたんです。郡山市からは、どんどん人が出ていってしまっている。つまり、それは…。郡山から避難しても、手当ても何も、たいしたことないんです。1世帯あたり8万円のお金しか入ってこないんです。それだけでは生活費にも何もならないんですけど。だから…。ただ、出て行ける人はある意味、お金のある人とか。郡山市のハラ市長の家族の方はみなさん、お出になられたんですね。一番先に逃げたみたいなんですよ。やっぱ、金持ちは違うなって感じで。だけど、市役所職員とか、そこにいなくちゃいけない人の家族は郡山市に。いくら高くてもいなくちゃいけない状態でいるし。仕事がほかにない人もいるし。子どもにマスクさせたりしながら登校させるんですけど、年がら年中マスクしてられないしって。
会津若松はそんなに線量は高くないんですけど、ホットスポット的に、川のふちとか、そういうところは高くなって。そこに近づかないようにと言われているんですけれども。

【中間貯蔵施設と補償】
で、そのために中間貯蔵施設をつくるってことだったんで。8月に国から言われたんですけど。私はつくんなくちゃいけないだろうと思って…。私が今いる「女性の会」(「大熊町の明日を考える女性の会」のこと。以下同様)を…。
私は6月までに新聞をつくっていた人を集めて、「女性の会」をつくったんですけども。その「女性の会」を集めて…。最初はやはり、ストレス発散のために、自分の苦しい胸の内とか、そんなことを話し合うところだったんですけど、だんだん学習会とか。東電の問題をみんなで読み合いしたり。いろんな新聞とか小出さんの本とか読んでいくうちに、怒りと、何とかしなくちゃいけないという感じになっていって。「女性の会」を立ち上げられたんですが。立ち上げて、8月、中間貯蔵施設の話が出たんです。「なんで、私たちに中間貯蔵施設まで押し付けるんだー」という感じになったんですよ、みんな。「それはでも、しょうがないんじゃないのか」と私が言ったら、すごく怒られたんですけどね。でも、「8月に国に行こう」って。あそこは帰れないんだから、私たちに交渉してもらおう。移り住むにしても、お金も何もなくてはどうしようもないんだから、補償してもらいましょう、と。私はもしかしたら、被曝している可能性が十分にあるんだから。大熊の人ばかりじゃなくて、双葉郡、福島県みんなね。原発で働いている方も被曝しているんだから、被爆者手帳(「被爆者健康手帳」のこと。以下同様)つくってもらおうかみたいなことで。病気になったときに、無料で国に。国のもとに、無料で医者にかかれるようにしてもらおうということで。署名集めに行こうと思ったんですけど、なかなか国というのは、自分の気持ちだけでは全然行けないところなんで。
町役場へ行ったら、「中間貯蔵施設反対」ということであれば、「はい、わかりました。いいですよ」ということだったんですが、全然、8月、9月、10月と来ないんですよね。10月20日頃、いきなり「行けるよ」って。町長選挙とか町会議員選挙が近くなったからかなと思ったんですよ、その時は。
私たちは、その段階で2ヶ月も経ってるんで、中間貯蔵施設は「反対」じゃなくて、「賛成」になっていて。女性の会は、みんなが一律のもとに「あそこは絶対に帰らないんだぞ」と。女性の会は実際に活動しているのは20名くらいなんですけど。帰れないんだから、大熊町に中間貯蔵施設をつくらないといけないんじゃないか。で、後の賠償とか、補償とか、被爆者手帳というのは、これは絶対に同じような条件でつくってもらおうと思って。そう言ったんです。
中間貯蔵施設に関して、反対ということで署名は集めたんですが、集めている段階でみなさん、「あそこは帰らないんだから、中間貯蔵施設はもう、つくっていかないといけないんじゃねえか」という意見がだんだん多くなっていったんですね。「女性の会」で集めた署名をもっていったんですけれども、「中間貯蔵施設は、うちらとしてはもう反対じゃなくなりました。つくんなくちゃいけないですよね」と。そう言ったら、その話だけがテレビとかマスコミにすごい出されて。帰ってきたら、すごい槍玉にあげられて、「お前ら、何を言っているんだ。町を売る気かー」みたいな。次の日、町長のところに行ったんですけれども。町長は、「俺だって、つくんなくちゃといけないと思ってたんだ。だけど、何で言ってくれたんだ」みたいな。「最初の段階と違うくなったから、それは悪いんだけど…。でも、やっぱり、あそこ、帰れないでしょう」って。町長は、私たちには「帰れないよ」とは言っていたんですよ。
でも、それから…。なんか、もう…。私はいいんだけど。ウチの主人は「それはそうだろう、当たり前だなあ」と。でも、周りの、「女性の会」の人たちは、家に帰ったら、だんなさんが酒に酔っぱらって、「何でお前はそんなこと言ったんだー」みたいに。空き缶とか瓶を投げられたりなんかしたって。それで離婚になった人もいるんですよね。仮設を出た人もいるんですけど。
でも結局は、今になってみると、その人たちは何も言わないんですよね。中間貯蔵施設を結局つくるようになるんですけどね。今はその候補地で大変なことになってきているんですけど。大熊の人も今は、中間貯蔵施設が必要だというのはわかってきたんですけども。

【夫が町長選に立候補】
それで、10月20日に行って、帰ってきて。そういう状況で。今度、だんだん町会議員の選挙(期間)に入ってきたんです。ウチのお父さんは、本当は病気で退院したばかりだから、町長選挙に出すのはよくないとみんな言ったんです。身体が大切だから、と。ただ、対抗馬がいないんで。町長さんの話は「帰りましょう。大熊町は除染して帰りましょう」の一点(張り)だったんで。それではどうしようもないから。放射線が…。
チェルノブイリだって、26年経って、帰ってない。大熊なんか、ましてや帰れないんだから。だったら他のところへ移住しましょうということで、私の夫は(選挙に)出たんだけれども。町長選挙の時に、「なんで帰れないんだと思ってるんだ」と。
「線量が高いから」
「俺たちは原発で仕事をしてきたんだから、あんな線量なんて、へっちゃらだぞ」
「へっちゃらだって、事故が起きる前と今は違うでしょ。原発で働いている時だって、きちんと防護服を着てやんなきゃいけない。防護服着たままで生活できるか」
「除染すればいいんだ」
「除染って、誰が、一体どうやって。除染の技術も確立されていないのに」
で、若い人は帰れない、と。子どもがいるから帰れない、と。女の人たちも帰れない、と。でも、中年以上の男の人たちは「帰ろう、帰ろう」と。
東電の関係も、メールをずっと回したらしいんですよ。大熊町長選で、木幡さんに絶対入れるなと。絶対あの人は入れちゃだめだ、町長に入れろと。でも、ウチのお父さんは何の準備もたいしてしてなかったんだけど、1,700票とったんです。かなり結構入ったんだなと。表側では言わないけど、そう思っている人がたくさんいるんだということが証明されたというか。
この、お渡ししました紙にありますように、大熊町町政研究会というのをつくったんです。これから、このままでは黙っていられないから、同じような形で、中間貯蔵施設(の建設)と、財物補償と被曝者手帳と。署名をずっと集め始めたんですよ。なかなか集まらなかったんですが、3月頃になって、どんどんどんと集まるようになって。それでも人数的に足らないから。あちこちで柏崎とか、署名を集めて。それを国に持っていこうとしたんですが、やっぱり大熊町はつぶす気でいるからね。もう、そんなん持って行くなという感じだったんですけれども。
ところが、逃げている間に、私たちはいろいろなところとつながりができたんです。仮設にいる間に、谷岡郁子さんという国会議員のかた。名古屋選出。民主党を脱退して緑の党とかなんとかを結成した人。中京大学の学長だったかな。参議院のほうの人です。そのかたが仮設に来て泊まったり…。福島県に事務所をつくって。だいじょうぶかな、落ちないのかなあと思ったんですが。いや、あの、伊達に事務所をつくって、1ヶ月に1回は必ず来るですけれども。仮設に泊まったり、いろいろしてくれているんですけど。支援も谷岡さんがずいぶん集めてくれて。要望書と署名を集めたのをもっていけるように谷岡さんが一生懸命はからってくださって。やっと先月、国に持っていくことができたんです。環境省のほうへもっていったんですけれども。
で、5月から、だいたい、どんどん署名が集まるようになって。今まで渋っていた人が。もう帰れないんだなー、というふうに署名してくれるようになって。それであの、なんだ、自分たちの次の行き場を考えないと、早くしないと。自分たちも、生活が、お金が、困窮してきて大変だし。子どもたちの将来も。このままだと中途半端に。みんな学校へ行かないとか、そういった浮浪者になってしまうということが、親も本当に心配だったんで。次のこと考えなくちゃいけないから、このままとどまっているわけにはいかないから、国に何とかしてくれと、署名してくださったんです。
ところが、大熊町はそういうことに対して反対。帰るんだ、帰るんだーと。すごい大合唱で…。役場とか町長さんが復興委員会をつくったんです。大熊町で。復興委員会というのは、どこかへ移住するんじゃなくて、あくまで大熊町に帰って、こういうことしようとか…。たとえば話では、1階には住まないですって。家に帰るというんだけど、家に帰るのかなーと思ったらそうじゃなくて、高層ビルを建てるんだって。で、2階から(上に)住むらしいんですよね。でも、人間って、歩いてれば土に足もつくしね。どういう意識だって思うんです。放射線は足にもつくしね。で、山や川や、なんでもあるんだから。飲み水はどうするんだろう?って。店も何もないのに。井戸水飲むのか? 放射能にまみれた…って思うんですけど。復興委員会はあくまでも…。大川原だって、線量が(新聞記事に)出ている。そこの線量だって全然、0.1とかじゃないんですよ。3点いくらとか。コンクリートで。人間が生活する居住地では測っていないんですよね。(居住地では)もっと高いんですよ。そこに、除染して帰りましょうって。あくまでもそれを…。こないだも全員協議会があって、町会議員と町長と、みんなで帰りましょうということをテレビで言ったんです。みんなもう、あきれて。「見たくない」。テレビのほうもあきれたと思うんだよね。1回しか放送していない。

【町長の主張─「これが民主主義だ」】
東京、柏崎で調整懇談会をしたんです。みんな「帰りたくないから、何とか違うところに」と言ったんですけども、余計、語気を強くして、「帰ろう、帰ろう、帰ろう。帰れるところに帰ろう。除染して帰ろう」。何で、そんなことばっかり言ってんだって思うくらい。みんな、聞き飽きて。この間、いわき市でも調整懇談会をやったんです。もう半分のところから、誰も聞きたくなくて、町長さんとか町会議員とか、除染して帰りたいとか。みんな席を立って、どんどん、どんどん、もう。誰も町長の話も聞かないで。もう、やめた、やめた。本当は町長や町会議員は、俺たちの話を最後まで聞いてくれと思ったと思うんです。本当のところ、帰っちゃって、いなくなって。
で、町長に「なんで、そんなに帰りたいんだ」って聞くと、「帰りたい人がいるから」「これが民主主義だ」と。民主主義ってそんなんじゃない。ほとんどの人は「帰らない」と言っているんだから。帰りたい人は1割くらいですよ。そのために、みんなで…。その人は、町長の親戚とか、そういう人とか、特に、東電の周りにいて…。東電の3km圏内で、東電の危ないところにいる人たちが「帰ろう」と言っている。「あなたたち、帰れないでしょう?」と。実際、彼らは「大川原に住めればいいんですよ」と。大川原は町長がいるところなんだけど。「そこへ行って、新しい町をつくればいい」って。「新しい町を、そんなところへつくれないでしょう?」って。で、大熊だけかなと思うと、他の町村のほうも、みんな「帰りましょ、帰りましょ」「除染して帰ろう」って。飯館なんかも、楢葉も、線量高いところは高いんですよ。あの辺、山なんで、除染できるはずないんですよ。それを、飯館の村長も、帰ろう、帰ろうって。みんな「帰ろう」ばっかり言ってて。
それがある意味、ものすごく怖いなと思うのは、みんな、そこに組み込まれないと、そこから曲がった意見を言うと、そこから追い出しにかかる。いじめにかかる。「故郷を大事にしないといけない」と感情論で合わせようとする。でも、何も示してないというか。いいことというか…。危ないということがあるのになぜ、みんなをそこに同意させようとするのかなと。本当に不思議なんですけど。

【今度は死んだけど、まだあるよ。たくさんある】
で、最近。やっぱり。いろんな問題がかなり浮上してきて。いわきに行きますと…。いわきに仮設がたくさんできて、いわきから原発に相当みんな、たれ流れていくんですけど。原発の仕事で不安なんですよね。みんなね。被曝するという不安がものすごいんで。終わって帰ってきたら、酒飲むとか、パチンコをやって自分の気持ちをおさえようとする。そうすると、もう、また…。で、実は本当は若い人なんかは、原発で仕事したくない。なぜかというと。原発の中っていうのは、マイクロシーベルトでいうと、100以上のマイクロシーベルトの世界なんで。本当に危ないんで。防護服は着ているけど。そこに3月11日からずーっと、仕事をしているのがいっぱい。なぜかというと、仕事しないと電話が来るんです。「お前仕事してないなら、やめろ」「お前、使わねえからな」。お金が、先立つものがないと困るから。自分の子どもがいるとか家族がいる人は、元にもどって原発で働いている。
やっぱりね、「俺、血尿が出て止まらないんだ」「彼女がいたけど、結婚しないことにした」とか。「子どもは絶対につくらないようにしよう」とか。そういう話しか、本当に悲惨な話しか、回ってこない。仮設にいると、時々は笑うけど、そういう話になるともう、暗い。
早くなんとかして、ここから出て行こう、行きたいというのが山々なんだけど。町は、帰りましょうばっかり。除染して帰りましょうばっかり言っているから、話が全然、前に進まない。
で。もう、なんか。いわきで仕事をするというのは大変なんだよね。あの、仮設から…。自分のクルマでは東電には行けないんですよ。原発まで行けないんで。みんなバスに乗せられて行くんですよ。ホントに。収容所に行くような感じで。そこで1日働かされるんだけど、だんだん具合が悪くなってきている人が多いんですよね。
この間、新聞に出ていたんですけど。私と同じ歳だったんだけど、56歳ていうか。具合が悪くなって、バスで連れていかれて。仕事しようとしたら、具合が悪いから、もう…。医務室は遠いんですよ。みなさんバスで来ていて自分では医務室に行けないんで。医務室は楢葉のほうにあるんですよ。クルマで30分離れている、だいたいね。自分のクルマで来てないから、医務室に行けないんですよ。休憩室で休むしかないんですよ。医者もなにもいないで、具合が悪くても休憩室にいるしかないんですよ。そのかたは休憩室にいて、ほかの人が見にきたら、死んでたんですよ。それで、死んでいて、それをヘリコプターで連れていったらしいんですけども、いくらマッサージをやっても、亡くなっているから終わりで…。死因は心筋梗塞と言われているんですけど。
でも、そういうのが…。「今度は死んだけどー」なんて、みんな言うんだ。「まだ、あるよ」「たくさんある」って。

【ペットも被曝している】
東電で言われているのが、放射線と…。あれ、たしかにそうだと思うんですけど、放射線の被害だと思うんですけど。私の家に犬がいるんですよ。ポチっていう名前なんですけれども。一般的な名前。親はポチ、子どももポチ、全部ポチなんです(会場笑)。
ポチは元気だったんですよ、ウチにいる頃は。野山をかけめぐって。さっき言ったように猫と犬を置いてきて。去年の6月に一時帰宅したときにいたんです。ふらふら、ふらふらしながらやせこけて。「ポチ、ポチ」と呼んだら、こう、来たんです。坂道なんで、そこをあがっていくんです。猫がいないんです。(犬が)私を連れて行くんですよ。そこに猫が死んでいた。猫のエサも食べないで、お尻から血を出して、死んでいたんですよね。
ああ、と思って。「ポチ、ごめんな」って。一生懸命、ポチは猫をなめてあげていたんですよね。エサも食べないで。本当はお腹がすいたいただろうけど、猫のエサまでは絶対食べないで、残しておいたんです。ふだんはバカな犬なんだけど、もしかして、本当は利口な犬だったんだ(笑)、と思って。猫をちゃんとこう、葬って。「自分の犬がいたときは、携帯に電話してください。笛を鳴らしてください」と言われていたんで。笛を吹きました。保健所の人が来て「しばらく犬を預かります」と。ポチはまた、私たちから離されそうになったと思うんだよね。すごい鳴いて、吼えて。連れていかれたんですけど。
それから、保健所に会いに行ったら。私たちはホテルにいたんで。6月だったんで。ホテルから移ったのが7月20日頃だったんで。6月はまだ預かれなかったんで、お父さんの親戚が、従兄弟が福島のほうにいたんで、従兄弟に引き取ってもらうことにしたんです。従兄弟が引き取りにいったんですけど、保健所の人に言われたのが「この犬、ずっと血尿が出ているんだよね」。「獣医さんに診てもらうといい」と言われて。お金は5千円までいっとくから、と言われて。獣医さんに連れていったら、「これは、だいぶ、心臓もやられてますね」と言われて。血尿がこう、止まらないんで。
今度、私たちの仮設が決まって、ポチを連れにいったんですよね。夫と2人で連れにいったんですけど。今までは外で暮らしていた犬が、いきなり家の中で大事に扱われてたんで。私が外へ連れ出そうとすると、「なんで俺は外へ行かなくちゃならないんだー」みたいな。「やだー」みたいになって。「家に帰ってきたんだから」と連れてきたんですけど。具合が悪くて、本当にひどい状態だったんですけど。獣医さんに連れて行って。元気になって帰ってきたんです。
獣医さんが言うにも「心臓が悪い」と。ウチでは元気にはねまわっていたから、心臓が悪いなんて話はないはずなんだよねと思ったんですけど。「7歳になったばかりなんです」と言ったら。先生がおっしゃるには「放射線のセシウムっていうのが血管をボロボロにしていくから、心筋梗塞を起こしたりなんかするんだよ」と。それは言われてないけど、「犬とか猫はほとんど心臓で死んでいるんだよね」と言われて。ああ、あの猫も…、小さな猫だったから。先生は「小さい動物から死んでいるはずだ」と。確かに、あちこちの道路に猫とか死んでたんですよね。水を飲まないのもあったんだけど。放し飼いにしない犬や猫は死んじゃったらしいんですが。結局は被曝して、小さいものから死んでいったんじゃないかと、先生はおっしゃって。
ウチの犬は、今は「散歩をさせないように」ということでいるんですけど。すごくやせたように思うんですけど。今は少し元気になって、時々、病院で先生に診てもらって、注射してもらったりなんかしているんですけど。お父さんが「俺とこいつは一緒だなー」って言ったんですけれど。二人で身体悪くしてもな、と思ったんですけど。
近所に犬とか猫がいるんですが。白血病とか。頭にこぶができて「癌だ」とか。犬も哺乳類だから、人間と同じようにそういうのが出てくるんですよね。「犬も被曝しているんだよね」と言っているんですが、それを立証してくれる人もいない。
東電にそれで、お金を請求したんです。獣医さんにかかったから。この分払ったからって。被曝したからと、いろいろ書くんですが、「そんな因果関係はありませんよ」と。「そういうのは我々のせいではない」というんです。

【東電からの謝罪はない】
東電の人は一切、謝りも何もしない。ウチらにね。
人間も、先日、新聞に大きく出たんですが、甲状腺癌が見つかった人がいて。それが18歳以下なんです。18歳以下ってことは、子どもなんですよね。東電が言うには、こうなんです。「これは私たちのものじゃなくて。放射線の癌は、すぐにできるもんじゃないから。前々からこの子は癌を持っていた」。姓名もなにも言われないが、18歳以下の人が甲状腺の癌の検査をしているんだから、これは18歳の人だ。そういう人が甲状腺に癌ができるのはおかしいよねと思ったんですけどね。

【放射能はセシウムだけ】
町民懇談会があった時に、それを…。これ、帰ったら。本当にこういうこと。子どもには甲状腺癌とかできるんだから、絶対に帰しちゃいけないし、と。今から被曝…と話をして。隣の隣に町会議員のかたがいて。その人は東電の職員で労組の委員長なんです。その人が町会議員になっている。その人に
「セシウムばっかりじゃないんですよね。プルトニウムとかストロンチウムとか。プルサーマルやってるんだから。そういうのも調査してくれないと困るんですよね」
「そんなん調査してるよ」
「でも、全然公表されてないじゃないですか」
「前からあったんだよ、大熊には!」
「えっ前からあったですか? そんなの普通、自然界にはないよね。プルトニウムだのストロンチウムだの、あったら大変でしょう。なんで?」
「山下教授が言ったろ」
山下教授というのは、長崎大から来た先生なんですけど、「福島のプルトニウムやストロンチウムというのは、中国の核実験で運ばれてきたものなんだ」と言ってるんですよね。中国の核実験で運ばれてきたって。あんな重いもの…。何でとんでくるんだって。
結局は、大丈夫だ、微量だから人体に影響ありません、被害ありません、なんて言われているんですが、全然公表されてないし、ましてや「大熊にはないですよ」みたいなことを言われたら、大熊にはあるんですよと言いたいんですけれども。
それをうのみにして信じて。町長さんも「だから、大丈夫なんだ。放射能はセシウムだけなんだ」と言うんですよね。「セシウムだけのはずないでしょう。爆発してあれだけの被害をこうむったんだから」って思うんですけど、東電がそんなふうに…。完全にそれ以上には言いません。
で、私たちは…。「女性の会」は、一時期ね、「あの人たちは何やってんだー」みたいに言われたんですけど、今は、だんだん「がんばってねー」「ありがとねー」みたいな感じで。みんな最近は、私たちの話を聞くようになってきたんですけれども、声を大きくして町長に言ってくれと思うんですけど、町長にはもう、あんまり言わない。ただ、アンケートには「もう帰らない」っていう人が半分以上いると言われたんですけど…。町長はいまだに少しだけの話を聞いて、「帰る」としか言わない。ほんで、みんなから言わせると、東京電力からお金をもらってんのかなーってことしか、言わないんですよね。除染して帰りましょう、というのは…。

【18歳以上の元気な人、求む】
除染はゼネコンがやっているんだよね。前田建設とか鹿島組とか。そうした人たちが…。下請けがお仕事をもらって、除染をやるんですけど。そうすると、その、今までは原発にくっついてきたゼネコンの仕事が、今度は原発がなくなって、除染の会社のほうに、そういう話が入って回って。どっちにしても儲かるというか。そうすると、仕事がないから、みんなが、東電で仕事がありますよ、除染の仕事がありますよって。会津若松にも広告が入ってくる。A4の。「18歳以上の元気な人求む」なんて。18歳以上で、元気な人を、なんで除染の仕事させなくちゃいけないんだ、と。
除染も、会津若松とか、その辺だったら、まだ本当に。それでも危ないですからね。低線量被曝で。ところが、原発の中の除染だから。とんでもない除染をしなくちゃいけないんですよ。それでなくても高いところなんで。そこに行って除染して、やっぱりなんか、具合が悪くなる人が多いっていうんですよね。そうすると、2日くらいで終わるところが、やっぱり家族を養うためには、除染の会社にまた入っていく。除染というのは土を削るんです。ひどいところは1mくらい。土を削って、そこにゼオライトをまくんですね。そこをまた、こう、やるんですけど…。本当に、途方もない。だいたい何人雇って、双葉郡全体をやんなくちゃいけないだと思うんですけれども。そんなことやったら、人件費がまずかかる。1日、除染で6千円だとか、広いところを除染すると1万円とか。ひどいところに行くたびに千円ずつお金が上がるとか。そういうところに若い人がどんどん、派遣されていくと、とんでもない事態が生まれるんじゃないかと言っても、いや、除染するときにもマスクして防護服着てやるから大丈夫です、と言うんですけれども。
除染して出たものをね。土とかどこに置くんだと。大熊町長の言っていること、よくわかんないんですけど。中間貯蔵施設つくるな、反対だって人がいたんですけど、今はだんだん、それがすたれてきたんですけど。
で、除染したものどこに捨てるの?って。仮置場を大熊町はつくったんですね。ちょっと実験的にやったんですけど。ムダなお金だと思うんですけど。仮置場をつくったのは、大熊中学校。線量は…。実際には、土の上とかなんか測ったらものすごい…。今までにはないような、かなりの…。大熊中学校の裏手辺りが仮置場から近いところなんですけど。20とか30マイクロシーベルトとかになっているらしいんですよ。そういうふうな、かなり…。付近に家があるんですけど、家に行きたくて帰ると、線量が高くなっちゃって、なんだよーって。仮置き場があって、まとまって入ってくるから、線量が高くなっちゃって。だからもう、あの、仮置場…。

【大熊町に中間貯蔵施設を】
で、結局、除染すると、仮置場つくんなきゃいけないんですよね。仮置場じゃ、なかなかだから、中間貯蔵施設ってなるんですが、それをつくんなかったら、除染、除染って言ったって、無理じゃないかなと思うんですよ。剥ぎ取った土を、線量が高いものを、どこに捨てるの?って。
そうしたら今度、俺たちばっかりじゃなくて、それを東京へ持っていけとか、九州に持っていけとか。「どうやって運ぶんだ、その過程において反対運動になるよ」と言っても。「そりゃしょうがない」とかって。「しょうがないって…。誰も、そんなの受け取らないよ」って。それを受け取らないよっていうのが、だんだん、だんだん、こう…。やっぱり。みんなの声があがってきた。ここで女の人が、「大熊に捨てるしかないんだから。大熊で引き取って。大熊の余計なところを除染することないんだから。大熊に中間貯蔵施設をつくって、そこに捨てるしかないでしょう。中間貯蔵施設についても、もっと説明を国からもらえばいいんじゃないの?」って、みんな言うようになってきたんですけど。依然として、町村長たちは、中間貯蔵施設は反対で、もう、「帰りましょう」運動の大合唱がすごくて。なんか、いつまでこんなことやってんのかな?という、非常に消耗感を持っている最近の状態で…。
でも、これを打破しなくちゃいけないんで、みんなで学習会を今、やっているんです。「町政研究会」と私たちのあれで。あそこには帰れないんだから、賠償じゃなくて、補償を。
今、国から出されている補償は、たとえば…。新聞でも出されたんですが、本当にわずかなんです。何十年も経った家なんか、賞味期限が切れちゃって。ウチなんか家の土地が100ヘクタールあるんですけど、家が150年くらい経ってるんで、賠償が本当に低いんです。そんなんじゃ家を建てられないし…。家は2軒あるんです。でもその後の補償が出てこない。どちらも古いんで。そうじゃなくても…。家に帰るとなると、そういった賠償しかないんで。あそこには帰れませんということをきちんと言って、それをつきつけて。たとえば、橋をつくるとか、交通道路をつくるときに立ち退く。同じような大きさの家を補償される。帰れないということを前提とした補償をしてもらいたいな、と。
そのための学集会を、今回、東京都の元職員。それまで八場ダムの立ち退きに関わってきて、申し訳なかったという悔いのもとに私たちのところへ来て、こういった法律もあるといったことを学習させてくださって。そういう人も交えて、あちこちに学集会を展開してるんですけど。で、みんなにもっと声を大きくして、帰れないということを前提に何かやろうかと。ほんで、リコールという話もあるんですが、1年間は、リコール運動はできないらしくて。1年してからなんですけど。

【化粧品屋に行って、初めて口紅を】
ただし、大熊町は静かなんですよね。たとえば東京行って柏崎に逃げたりして。もっと言ってくれたらいいんですよ。もっとみんなで。帰れないなら、町長、町長って。ところが、言う人は…。声を大きくして言ってくれるのは本当に少ないんで。
私たちの意見には同意してくれるんですけどね。賛成してくれるんです。もう帰れないよね。帰れないから、帰れないという前提のもとに補償してもおう、と。おばあさんたちも、私たち年寄りのせいにしないで、と。私たちは帰りたいとは言っていない。私たちは家族と一緒に住めたらいいんであって、どこでもいいんだ、と。都会であっても。
たとえば会津若松に来て…。大熊っていうのは本当に田舎なんで。今まで化粧したことのない人が、みんなでおしゃれが始まって。役場の人のことは信じられない。商工会でつくった店があるんですけど。お惣菜が1パック500円なんです。そんな高いもの買えないし。あちこち畑で野菜をつくったりして。相乗りして買物にいくようにして。非常に皆さん、垢抜けてきた感じなんですけど。80代のおばあさんが、「化粧品屋いって、初めて口紅つけた。会津はよがったなあ」「大熊には帰れねえから、会津に残っぺー」みたいな感じで。(会場笑)最近、垢抜けて…。

【宮仕えはものが言えない】
だけど、垢抜けてないのは男の人なんだよね、やっぱり。なんかねえ、男の人は。なんだろうねえ。東電で、原発で勤めてきた人が多いんですよ。宮仕えって形で。逆らえない。女の人は言うんだけど、男の人は宮仕えが長かったせいか、役場にも、ものを言えない。東電に対しても、ものが言えない。自分の身体が悪くなっても、もの言えない。自分が何か言うと、たとえば下請けの人が言うと、東京電力が「お前の会社、仕事こなくしてやる。来てもらったら困る」と、メールが回ってくるんだって。「お前の会社、危ないぞ」とか。社長が「お前な、絶対に言っちゃだめだ。顔を出して、テレビに出て、いろんなこと言っちゃだめだ」と。すごいですもんね。自分の身体が悪くなっても「お前の自己責任だから」っていうことで、「二度としゃべるな」と。みんな黙って仕事をする。仕事しないと暮らしていけないから、浮浪者になって、お金のない生活になったらどうしようもないということで、ものも言わないで勤めてきたんで。町長に対しても、どっかに移ろうとか、大熊に帰れないんだからとかいうことを、大きなことを言える人がいない。言えるって人は東電に勤めてなかった人。原発に勤めてなかった人が言うしかない。
で、私たちは、一応ね、塾と農業をずっとやってきたんですけど。子どもたちには「東電はあんまり…。せっかく、勉強できるんだったら、違うところ行けよ」とか言ってきたんだけれども。
でも、下請けの子は東電社員がうらやましかったんですよね。東電社員は45歳になって、年間収入が1千万円なんですよ。1千万以上。1千万って金は…。やっぱりねえ。お金があれば家も建てられる、クルマも買える、子どもの教育もできるっていう感じで。お金につられて、やっぱりみんな、原発で働いていくんですけど。
ただ、東電社員も、みんながなれるかというとそうではなくて。コネが必要なんです。絶対的にね。役場社員と東電社員っていうのは、必ず…。町長や町会議員とかに言って頼むと、東電に入れる。役場に入りたい時も、東電の誰かに言って、そこから町長にくみあげてくれると、役場に入れる。どちらも、コネ、コネ、コネなんで。結局それで、あそこに世話になった、ここに世話になったというんで、町長にも、ものが言えない、東電にも、ものが言えない。
たとえば、東電学校って東京にあるんです。無料なんですよね。3年間そこで勉強できるし、電気の資格なんかもとれるんですけど。そこを出たら東電に入るんですけど。東電学校へ入るにも、国立高専に受かった子が、東電学校に落ちてるんですよね。なんでって。国立高専のほうが難しいでしょって思うんだけど。結局、コネを使った人が東電学校に入って、本当に勉強できる子は東電学校には入らない。優秀な子は東電学校に入っていかないから…。本当に勉強嫌だなと思う人のほうが、むしろ、入って…。決められた、きちっとした職業になってるんで。そこで一生安楽に過ごすっていう感じで。
東電は絶対に事故は起きないよと言ってたんで、みんなそれを信じていたんで。こういう事態になったら大変だって感じで。
昨日も言ったんですけど、前の町長の子どもさんが、学校をやめたんですよ、途中で。薬やったりなんかして。高校を中退したんですよ。保護観察処分になったんですね。その人がいつの間にか、東電社員になってたんです。なんでそれがわかったか。私がモニターになったんです。原発の中を見せられるモニター。何年も、何年も希望して、1回もなれなかったのに、とうとう1回なった。反対されてた人がみんなモニターになっていたんです。プルサーマルをもってくるってことで多分集めたんだろうなと思うんですけど。原発を全部見せられたんですよ。その時に、向こうでマンガ本を読んでいた人がいたんです。「なんであの人、マンガを読んでいるのかな。お客さんかなー」と言ったら、
「いや、社員ですよ。あれが仕事です」
「なんであんな人採ったんですか?」
「町長さんの息子だったから」
わあ、信じられないなと思うんだけど、それが彼の仕事だって。結局、そうやってコネで。みんながみんなじゃないけども。そういった人を採ってやってたもんで…。
そういう人は3月11日、どうしていたかというと、逃げている。われ先に。お金もあるし。さっさと、どっか行っちゃってるんだよね。柏崎とか。結局、なんか、ホントに。東電社員の幹部は、3月11日、地震があった時に、もう逃げた。逆にいた人は、東電社員の地元の子とか、下請けの人。みんな残って。いまだに…。線量が高いんでいったん出されて、また戻ってきて。つまり、被曝しているんですけどね。それを1回出されて、また戻って仕事をするんですけど。

【子どもを東電にとられた母親】
ウチの子どもの同級生なんですけど、結婚が間近に決まっていたんですけど、彼女に「俺と結婚しても、不幸になるだけだから」と。彼女は東京の人なんですけど、「結婚しないようにしよう」ということで…。(彼女の)東京の実家のほうも「結婚しないでくれ」と。結婚は破談になって…。その子は3月11日から、吉田所長と一緒にずっと入っていて。身体のほうは大変だったと思うんですよね。若いから。20代で。どういう状態になったのかな、と。お母さんがおっしゃるには「血尿が出てる」「心臓もちょっと…」。お母さんは「やめなさい」と。
「俺がやめたら、誰が養ってくれるんだ」
「そんな問題じゃないんだよ」
そのお母さんは、「子どもが東電にとられている」って。みんな、特攻隊みたいにいっちゃってるんだよね。(お母さんは)「私は子どもに『生き残ってくれ』と言うしかない」と。「お嫁さんとか、そういうのは期待しない。望んでも望めないことだから、そういうことは一切言わないし。ただ、『生きのびてくれ』ていうことしか言えない」って。
まあ、そういう人が、本当に…。一番下の子は20代なんですけど。結構入って…。結婚をやめたり。子どもをあきらめたり。ただ、無造作に、何も考えないで子どもを産む人もいるみたいですけど。これから先、どんな風になっていくのか、本当に怖いなと思って。
ただ、何とかしないといられないんで。さきほど言った学習会と…。あと、リコールを…。リコールって大変で、いろんな手続きをしないといけないんで。人を集めないといけないんですが、人はみんな分散してるんで…。福島県にはほとんどいないんで、東京とか、関西とか、九州、沖縄にも。その人を集めてリコールというのは、半分以上も、署名を集めなくちゃいけないらしいんですけど。大変だなあって思うんですけど。
町長が入ってくれたら、簡単なんですけどね。国も、中間貯蔵施設についてきちんと説明する気なんですよ。私たちが国に行った時は、きちんと説明してくれたんです。「中間貯蔵施設はここにつくるんだ」とか。それをちゃんと、こんなふうにして、つくるって話をして、「中間貯蔵施設は絶対必要なんだ」と言わなくちゃいけないんですけど。あくまでも「帰る」ということを前提とした町長とは、やっぱり話にならないのかなという風にも思うんですよね。そんな風に今も、前に、前に進もうとやっている今日この頃です。
どうも本当に、ご清聴いただいて、ありがとうございました。(拍手)

【質疑応答】
会場1 生活はどうしてらっしゃるんですか。

木幡 生活は…。あのー。最初に遠くに逃げた方は、お金があったとか、親戚の人がこっちへ来なさい(と言った)とか。親戚の人がお金出してくれたとか。そういうの。後は…。書く紙が、分厚いやつなんですが、来るんですよね。細かく書くと、こんなに厚いのだから書くのが大変なんですよ。書けないと、東電のところに行って…。あれはひどいんですよ。東電の人が来て。老人の人とかもう見えない、読めないし、わからないから、適当に(東電側の関係者から)言われたとおりに書くんですよ。本当は医療費とか、書かなくちゃいけないんです。後から、「書き漏れたんです」と言っても、「最初に書いたので終わり」って言われて。

会場1 生活費は、毎月出ているんですか?

木幡 出てない。出てないから、その補償っつうか、出されてたもので、毎月…。少しずつバイトしたり。あとは年金。

会場1 仮設住宅は、無料なんですか?

木幡 (家賃は)無料ですけども、光熱費は全部実費。

会場1 職を失ったかたは?

木幡 職を失ったかたは、もう、だから…。東電から金銭を…。みんなカネがほしいから。領収書も何もなく。言われた通りに書いて、少しでもカネをもらう。今度は財物補償も出されたんですけれども、財物補償っていうのは家や土地(に対する補償)なんですが、宅地なんかは、税金の申告と同じで、だんだん年数が経っていくと、減価償却で…。大熊町や双葉町は固定資産税安いんですよ。固定資産税が安いもので財物補償をもらうと、家は全く建てられない。だから、帰るって前提ではじめから、もっていっちゃってるから、お金も。東電も出したくないわけですよ。除染して帰るって、除染の費用ってものすごくかかるんです。だったら、除染しないで。住めないんだから。建設会社から言わせると、山ひとつ崩して、ならして家を建てたほうがお金はかかんね、と。それをウチらも言ったんですが。その時にやればよかったんだけど、(今は)町長が「帰りましょう、帰りましょう」と言っているから。中間貯蔵施設、結局…。郡山や福島を除染しないとどうしようもないんで。除染したものを置くところがないと、だんだんで…。中間貯蔵施設はもう、汚染されたところに持っていこうってことなんだけど、町長たちがみんな反対しているから。結局は、除染したものを置くところがないし。帰りましょうって言っているから…。

会場1 お金もくれないわけでしょ?

木幡 まあ、(東電に)自分で申請して…。だいたいみんな、田舎だから、農協の保険とかに入っていたんです。農協が保険のお金を出してくれた。農協は「絶対に帰れないんだから」という前提のもとに、保険をおろしてくれた。でも、保険金が入ってこない人は自分で何とかしなくちゃいけない。

会場1 自分の責任じゃないのにね。

木幡 みんな自分の責任にされて、全部。お金が本当にない人。子どもさんが3人で5人家族。お父さんが透析やって。お母さんは、飲み屋に行って一生懸命皿を洗ったりなんかしたり。子どもが小さいんですよね。支援物資…。そういう病気のかたは借り上げ(住宅)に。借り上げにいればいるほど、支援が全然行き届かないんで。「女性の会」が行って、何が足りないの?とか。本当だったら、それは、町でやらないといけないんじゃないのと言っていたんですけど。今、やっと、マツシタのほうの社会福祉協議会ってやつ。社協でやっと動き出して聞きにいってんですけど。前は、聞きにいっても「あ、いなーい」ガチャ、とか。あんた、もうちょっと丁寧に聞きなさいよ、と。身体の具合悪くないですか、何か足りないものはないですか、とか。そういうものが、配慮が非常に足りないんで、私のほうでも役場へいったりしたんですけど。もう、殿様商売みたいな。そういう感じだったんですよ。
最近はようやく慣れてきて、きちんと聞くようになって。もうちょっと違うところを雇ってやるようになったんですけれども。
やっぱり…。なんていうか。ほんとに。財物補償もらって、家も建てることもないし、お金が大変だから、働きましょう、と。最終的には仕事がないと、原発とか除染の仕事に行くしかない。悪循環。それをあっちは、しめしめって感じに思っているんだと思う。除染というのはものすごくカネがかかるらしくて。当然、人件費もかかるんですが。
役場を除染したのに(対して)私たちが反発したんですよ。確かに今まで15マイクロシーベルトだったのが、5~6くらいに減ったんです。ところが2週間して行ったら、(線量が)また元に戻っているんですよ。確かに除染って、きれいになった感じがするんです。掃除して。こう、チョキチョキと枝を切ったりして。やあ、きれいになったね、と。でも、2週間して行ったら、また(以前と)同じ線量になっているから。

会場1 テレビでやってたでしょ。200人ぐらいが…。皆さん出席者のかた静かでしたよね。みなさん、なぜ、もっとあそこで言わないのか。

木幡 福島県で、会津と郡山といわきでやったんですね。で、会津は怒ったんですよ、結構ね。会津ではもう…。私たちはあそこに帰れないと言ったりして。男の人も女の人も、町長なんとかしろ、と。帰れないなら、帰れないと言ったらいいべ、と。あとはみんな静かですよね、結構ね。

会場1 地元の人が怒らなかったら…。わからない。

木幡 いわきの調整懇談会はものすごく荒れて。ものすごかったですもん。国とかに。「お前ら、なんとかしろ。帰れねえんだから」と。途中でみんな怒って、引き上げて。誰も、もう…。後は本当に。さっき言ったように宮仕えが…。本当に静かで。みんな後ろめたさがあるんかなと思うくらい、東電にもの言えない、役場にもの言えない。

会場1 それだけ言えないなら、満足してらっしゃるのかなと。

木幡 私たちは外へ言って、こういう状況だと言って。役場職員はだんだん…。私たちの…。役場職員も町長に言えばいいのに、全然逆らおうとしない。女性のかたは、だめだと。でも結局、最後の最後は。私たちのところへ。人まかせが多くて。一生懸命みんなで「言おうね」という声を集めているんですけれども。学習会で。

会場2 まず、中間貯蔵施設という言葉ですよね。30年くらい一時的に保管するということなんですけれども。おそらく、中間といえども、いったんつくれば、ほぼ永久だと思うんです。中間というような言葉、一時保管という言葉はあまり意味がないんじゃないかという気がするんです。

木幡 私たちは、最終処分場かなと思っているんです。

会場2 おそらくね。東電のすぐ近くですよね。だから、つくるとしても、あそこしかないと思うんです。最終処分場だと思ったほうがいいんじゃないですか。

木幡 あそこは最終処分場だよって言ってるんですけど。それがもう、かなり、最初はみんな、反対で…。抵抗があって。でも最近、女性のかたは、あそこは最終処分場にするしかないんじゃないのということは言っている。若いかたも、最終処分場だと。でも、中年以降、50代以降の人が、最終処分場だと困ると。私たちにしてみると、周りで反対してくれたらいいんだよね。今度、鹿児島に最終処分場の話がもちあがったんですが、あれも全部反対してくれたらいい。
私たちは(大熊町の中間貯蔵施設は)最終処分場だと。でも、50代、60代くらいの男の人が、なんであそこにもってくるんだと。あそこしかないでしょう、大熊しかないでしょうと思うんですけれども。私たちは、そういう話がきたら、みなさん、反対してくださいね、と。あそこしかないんだからと、言っているんですけどね。

会場2 それと、財物の完全補償と集団移転は、ほぼイコールなんですか。移転するために完全補償…。

木幡 完全補償イコール…。市場価格というか、さきほど言ったように高速道路とかの移転と同じような便宜を。それだけの家とか土地を補償してくれと…。それによって私たちは移転することができるということで。

会場2 それと、被曝者健康手帳は…。配布されたらいいとは思うんですが、抵抗あるんじゃないですか。

木幡 でも、浪江町と双葉町の町長が被爆者手帳をつくろうとしている。でも地元の大熊町の町長が全然。

会場2 もらうことで差別につながる。

木幡 女性の会にも、被爆者手帳をもっているかたがいらっしゃるんです。広島の。彼女は癌なんですけど。若い頃から何度か癌に。お父さんも広島で、癌で亡くなっていらっしゃる。彼女から話が出て。被爆者手帳は必要だと。どうしてもそれを知られたくない人は、(手帳を)もらっても公表しなきゃいいんだと。結婚とか就職とか。
会津若松が抵抗しているのは…。会津若松は放射線の検査もしないんです。会津若松はホットスポット的に、あちこち、あるんです。ところが、(会津若松は)観光地ですから。放射線があるとなると観光地として成り立っていかなくなるから、放射線の検査はするなと前の関係室長が。測定しないでくれ、と。会津の中年の歳をとったかたで、かなり財力のあるかたが、観光地として成り立たなくなるから、放射線の検査はしないでくれ、と。でも、会津若松からも若い人は逃げているんです。なぜかっつうと、ホットスポット的に高いところがあるんですよね。やっぱり…それはもう。
(手帳を)出したくない人は出さなければいいわけで…。会津からもだいぶ、東電に入っている人がいる。原発に入っているかた。除染の仕事をしているかたがいっぱいいらっしゃる。親からしてみると「被爆者手帳がほしい」と。(放射線)管理手帳みたいなのは仕事をしていればある。でも、仕事をやめると、それはもらえなくなるから、自分はあそこにいたという証明がなくなる。だから、被爆者手帳っていうのは…。
移住なんていう話が出て。でも、「仮の町」なんてものは法律を変えないとできませんし。税金の問題、ごみの問題があるんで。だったら仮の町じゃなくて、自分らがどこかの町に入っていって移住するしかないなと。で、その時のためにも、自分らは大熊にいた、福島県にいたという証明が必要だと。そのために被爆者手帳が必要というかたがいっぱいいらっしゃるんですよね。浪江町と双葉町は…。浪江のかたは、逃げた先が…。線量の高いところにどんどん逃げているんですよ。最後に飯館に移ったりしたかたもいっぱいいらっしゃる。双葉のかたもそうなんで。双葉は、埼玉に行って。埼玉で連絡が全然回らなくて、(線量の)高いところ、高いところに逃げた人がいっぱいいらっしゃるんで。双葉の町長、浪江の町長は被爆者手帳をつくってほしいって。もしつくらなかったら、町独自でつくるとやっているんですけれども。ところが、ほかの町村長は…。そんな考えは全然。富岡、大熊は一切、そういう話はない。
仕事をやめたら、何も証明するものがないから、できたらほしいと思う気持ちは、みんなあるんですよね。公表したくない人には、持っていることを公表しなきゃいいんだからって。

(以上)

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