4/19福島・川内村 帰村1年 戻らぬ住民-除染進んでも・・・帰村率16% 避難先が「命綱」に【中日新聞・特報】

村の約四割が福島第一原発から二十キロ圏内にある福島県川内村。昨年四月一日、村役場が避難先から戻され、住民の帰還が始まった。それから一年。帰村した住民の比率は約16%にとどまる。「除染から帰還へ」というシナリオ通り、主要地区の放射線量は下がったという。それでも住民たちは戻らない。「復旧」「復興」という標語と現実との距離は短くない。(小倉貞俊、林啓太)

3年生は1人しかいない川内小
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除染は終了したが雑草が伸びだした田んぼ=いずれも18日、福島県川内村で
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仮設住宅内のベンチで話す川内村からの避難生活者たち=18日福島県郡山市の若宮前仮設住宅で
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 川内村 

昨年1月、ほかの避難自治体に先駆けて「帰村宣言」を出し、同4月1日から村で役場機能を再開させた。村域の約4割は居住制限区域(年間放射線量20ミリシーベルト超~50ミリシーベルト以下)か避難指示解除準備区域(同20ミリシーベルト以下)。村によると18日現在、人口2828人のうち、完全な帰村者は456人。仕事や学校のため、村に週4日以上滞在する人は約800人。
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 児童減は8割減

 「それでは国語の学習を始めます。礼」。十八日朝、村立川内小学校。教室中央にぽつんと置かれた机の前で、三年生の小林朋徳君(八つ)が大きな声で号令をかけた。
 担任の教諭と二人きりだ。小林君は同校で唯一の三年生。避難先の東京都から帰村した。「同級生が少なくなって寂しいけれど、自然が豊かな古里に戻って来られてうれしい」とはにかむ。
 同小の新年度の全児童数は二十四人。昨年度より八人増えた。しかし、百十四人いた震災前の約二割にとどまる。
 村は先月末までに、全住宅(千二百三戸)の除染を完了した。現在は生活道路や農地の除染を進めている。だが、除染が終わった住宅のうち、約四割で空間線量が目標値(毎時0.二三マイクロシーベルト)以下に下がっていない。
 住民帰還が進まないため、商店や働き口になる事業所も少なからず休業を続けている。村商工会によると、加盟する九十六の事業者のうち、再開したのは五十五業者に限定されている。
 原発立地自治体として潤っていた東隣の富岡町や大熊町が打撃を受けた影響も深刻。川内村の住民にとって両町は勤め先や買い物などの生活圏だった。一年前に帰村した主婦朝倉節子さん(六一)は「買い物は事故前、車で三十分くらいの富岡町に行っていた。今は西に一時間かけて通う」と話す。

 農業再開2割弱

 基幹産業である農業はどうなったのか。村は今年、二年ぶりにコメの作付けを再開する。コメ農家支援のため種籾(たねもみ)を無償提供しているが、再開を決めたのは約五百戸(五百ヘクタール)のうち、九十戸(九十ヘクタール)にすぎない。
 村は昨年、三十地点でコメを試験栽培。玄米から一キログラム当たり七.七ベクレルを検出した一地点のほかは検出限界値未満だった。「一般食品の安全基準は100ベクレル。問題ない」(村農村振興課)。しかし、農家には風評被害を恐れる声が絶えない。 農業猪狩邦之さん(八四)は「売れないのが怖く、今年は少なめに作る。赤字だ」と浮かぬ顔だ。
 村も帰村を促すために手をこまねいているわけではない。職を確保するため、事故後、四件の企業を村内に誘致した。
 「誘致第一号」は、昨年十二月から本格稼働している金属機械加工「菊池製作所」。廃校になった高校の校舎を改装して工場にし、地元出身者ら三十二人が職を得た。
 その一人、小野庄一さん(五0)は、原発二十キロ圏内の避難指示解除準備区域に自宅があるため、家族六人で村外に避難している。「一家で川内村に戻るのが夢。当面、子どもたちは仕方がないにしても、仕事を見つけ、帰村への足掛かりにしたかった。ありがたい」と語る。
 今後の焦点は若年層の帰村をどう促すかだ。二十歳以下の約三百二十人のうち、帰村したのは二十六人と8%にすぎず、コミュニティーの危機を迎えかねない。

昨年七月、郡山市の仮設住宅から戻った農業猪狩カツエさん(八一)は「高齢者には故郷の自宅で暮らせるのが何よりうれしい。だが、若い人たちは避難先の方が便利だし、知り合いも増えて住みやすいのだろう。村の行く末が心配」と話した。

 進学、通院に便利

 川内村の住民はなぜ戻らないのか。
 「郡山市の仮設は、夫が川内村で生活していく上での『ライフライン』になっている」。郡山市内の仮設住宅の管理会社で働く三瓶ヒロミさん(四七)はそう切り出した。
 三瓶さんは小学五年の三男(10)と仮設住宅に住む。一方、村内の養豚所に勤める夫(五五)は村に残っている。現在は夫婦で週に数回、市内の大型スーパーで買った食材を村に運ぶ。「村内の店で食材を買うと、食費が割高になる。二重生活が成り立たない」という。
 村に家族ごと戻らない理由は「福島原発では相変わらず、停電や漏水など事故が絶えない。仮設住宅は緊急時の避難先になるから」と話す。
 土木工事業吉田和浩さん(四九)は「川内村の子が通ってきた双葉町などの高校が再開できていない。郡山市やいわき市などに生活の基盤を移した方が、子どもらの進学には有利だ」と説明した。

 環境の激変心配

 避難生活が長引き、高齢者にも即時の帰村をためらう理由がでてきた。仮設暮らしによって、目まいや頭痛に悩まされる高齢者も増えている。そうした病弱な高齢者たちにとって、医療機関がそばにある街での暮らしは「命綱」でもある。
 狭心症の持病がある義母(八六)の介護をする主婦(七0)は「義母は事故後、郡山市内のデイサービスに通い始めて、そこで友達もできた。ここで帰村すると、再び環境の激変から病状が悪化するのでは」と懸念する。
 二年間の避難生活で都市部ならではの便利さに慣れたことが、帰村を妨げるケースもあるという。会社員の遠藤友樹さん(二七)は「郡山では、病院も商店も近い。タクシーもすぐに呼べる。この生活に親しんでしまった感覚を元に戻すことは難しい」と語った。

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