6/25【犠牲の灯り】<第5部「サマータイム・ブルース」> (2)清志郎通り(下)【中日新聞】

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【犠牲の灯り】
<第5部「サマータイム・ブルース」> (2)清志郎通り(下)
   2013年6月25日
 
 集まった仲間と路上で、清志郎ソングを歌う本田さん(左)。「言いたいことを言って何が悪いんですか」=東京・永田町で
 
 
 六月十四日の金曜日、東京・練馬区役所にある区の総合福祉事務所。保護第三係長の本田隆之(53)は部屋の隅に立て掛けておいたエレキギターを手に取った。急ごう。そろそろ、日が暮れる。
 
 金曜日恒例の脱原発デモが行われている国会議事堂正門前(東京都千代田区)の通り。四年前、五十八歳で亡くなったロックミュージシャン、忌野清志郎(いまわのきよしろう)の曲が流れる「清志郎通り」が本田のいつもの“ステージ”だ。
 
 通りの「ボス」こと、平川健夫(57)ら仲間が二十人ほど。午後七時前から一時間少々、流れる曲に合わせ、ギターをつま弾く。締めは、やっぱり「サマータイム・ブルース」。
 
 福島第一原発の事故が起きるまで「原発のことなんて考えたこともなかった」という本田。きっかけは一昨年夏、東日本大震災の復興ボランティアで出掛けた福島県いわき市で、だった。
 
 三五度を超える暑い日だった。津波をかぶった水田から泥を取り除く作業。スコップを持つ手が上がらなくなったころ、並んで作業をしていた地元のおじさんが言った。放射能で汚染されているかもしれない泥の山を見ながら「東京へ持ってけばいい」。
 
 ショックだった。「札束で顔をはたくようにして都市が地方に押し付ける。原発はそんな差別構造のうえに成り立っている」。頭では分かっていたが、どこか人ごとだった。自らが電力の消費地の人間であること、差別する側の人間であること、何よりそのことに無自覚だったことが情けなかった。
 
 声を上げよう-。本田は原発稼働の是非を問う東京都民投票を求める市民グループに賛同し、署名集めに奔走した。署名は三十二万筆に達したが、当時の知事石原慎太郎には一顧だにされず、昨年六月、投票条例案は都議会で否決された。
 
 それから一カ月余り、無力感にさいなまれながら足を運んだ官邸前デモで本田は「清志郎」に出会った。
 
 等身大のポスターのわきで平川が曲を流しながらぽつんと一人で座っていた。
 
 本田は若いころから大の清志郎ファン。反原発ソングを歌っていたことも知っている。「聴いてていいですか」。そう声をかけた。いつからか趣味のギターを手に自らも曲を奏でるようになった。
 
 本田はふだん、生活保護世帯を支援するケースワーカーのとりまとめをしている。れっきとした公務員。職場で「原発反対」とは公言しづらそうな感じもするが「全然、そんなことない」と笑う。「プライベートで言いたいことを言って何が悪いんですか」
 
 平川の妻で、教諭の和美(55)も清志郎に救われた。三十年余り前、小学校の障害児学級の担任だったころ。できるだけ健常児といっしょにすごさせたいと願う和美は「別でいい」という校長にたびたび叱責(しっせき)されたという。
 
 落ち込むたび、心に流れたのはデビュー当初の清志郎が歌う「言論の自由」。「本当の事なんか言えない。言えばにらまれる。そんなものウソさ…♪」。「本当のことって思えるなら、堂々と声に出したっていいじゃない」。それが、和美の、清志郎通りの人々に共通する思い。
 
 清志郎の歌声に誘われるように、磯桂岳(いそよしたけ)(44)が偶然、通りに顔を出した。かつて反原発デモのカメラマンとして知られた男だった。=つづく(文中敬称略)
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