7/26【中日新聞・犠牲の灯り】<第5部「サマータイム・ブルース」> 読者からの反響

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【中日新聞】犠牲の灯り<第5部「サマータイム・ブルース」> 読者からの反響

2013年7月26日
http://www.chunichi.co.jp/article/feature/akari/list/CK2013072602000230.html

昨年6月29日、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働に反対し、首相官邸前の道路を埋め尽くしたデモ。右上は国会議事堂

 ロックミュージシャン、故・忌野清志郎(いまわのきよしろう)のカバー曲を手がかりに、脱原発を訴える金曜日恒例の「官邸前デモ」を取り上げた「犠牲の灯(あか)り」第5部「サマータイム・ブルース」。6月24日から30日まで計6回の連載で、さまざまな人たちの脱原発への思いと、それを訴え続けることの「難しさ」や「楽しさ」を伝えた。寄せられた感想の手紙やメールからは原発をめぐり、大勢の読者もまた、それぞれの立場で思い悩んでいる姿が見えてくる。主な内容を紹介する。

◆小林美穂さん(44) 名古屋市緑区 主婦
 「清志郎通り? サマータイム・ブルース? 清ちゃんの曲だ」。新聞を郵便受けから取り出し、一面の大きな見出しに目をやるなり、声に出してしまった。

 いつもは主人や子供たちを送り出してからゆっくり新聞を読むのだが、連載が始まった日は一番に読んだ。だって大好きな清志郎に関係する記事だから。

 私が原発に興味を持ったのは、原発という単語自体を知らなかった高校三年生の夏だった。きっかけはラジオから流れてきた清志郎の「サマータイム・ブルース」。音楽を聴いてショックを受けたのは四十四歳になった今もあのときが唯一だ。

 歌詞に出てきた「原子力発電所」というものを本で調べたり、父に原発とは何かを尋ねた。放射能が身体に与える影響を知り「怖い」と震えた。

 私は不自由な生活をしても原発はいらないと思っている。一昨年から節電で夏を乗り切ってきたように、できることからコツコツとみんなが頑張れば、電気が足りないからと原発で補う必要はない。

 私には何の力もない。原発で働く大勢の人たちの雇用のことなどを考えると「本当に原発をなくしていいのか」と複雑な思いがよぎることもある。でも、今回の連載であらためて感じた。サマータイム・ブルースで清ちゃんが歌っている。

 「原子力は要らねえ、あぶねえ、欲しくない」

◆斉藤こしみさん(42) 金沢市 主婦
 中学生のころ、学校で「尊敬する人の名前を書いて」という質問があったので、ファンだった忌野清志郎さんの名を書いたら、親まで学校に呼ばれて叱責されたことがありました。

 派手な格好でロックを歌う人を「尊敬する」だなんて、当時の大人からすれば「危ない」と思われたのでしょう。子どもながらに「世の中には、思ったことを素直に言えない場合もあるんだ」と思わされました。

 そんな社会の息苦しさは、福島原発事故を経験した今も変わっていないと感じています。

 事故はまだ収束していないのに、他の原発の再稼働を急ぐ政府。いまだ家に帰れない避難者が大勢いるのに、復興ばかりが強調される空気。あれだけの事故からわずか二年余りで、福島の痛みや脱原発を訴える声などなかったかのような雰囲気になっています。

 忌野さんの歌が、いまでも新鮮さを失わないのは、こうした閉塞(へいそく)感が当時よりも深刻になっている裏返しかもしれません。そんな中、この連載が原発問題を取り上げ続けていることに力強さを感じます。

◆吉川英里さん(14) 岐阜市 中学3年
 私は中学三年生です。ふだんはあまり新聞を読まないのですが、母が私の大好きな清志郎さんのことが載っている、と教えてくれました。「サマータイム・ブルース」は清志郎さんの中でも好きな曲のひとつ。車で出掛けるときなど、携帯音楽プレーヤーで聴いている曲です。連載を読んでいくうちにどんどん続きが気になりました。

 正直、原発のことにあまり関心はありませんでした。テレビで原発という言葉を耳にすることは減っているし、友だちとの会話で原発が話題になることもありません。

 でも、連載に出てきた人たちはそんな私にも原発は絶対ダメなんだと教えてくれました。特別に偉い人たちじゃない。皆さん、会社員など身近にもいる人たちばかりで、頑張ってほしいと心から思えました。

 世の中にはいろいろな方法で反原発を訴える人たちがいます。抗議デモは過激なイメージが強くて「怖い」って思ってたけど「ゼロクマ」(連載五回目)とか、親しみやすいものもあるんですね。いきなり参加するっていうんじゃなくて、一度、デモを見に行ってみようかな。同世代の人が原発のことをどう思っているのかも知りたい。

 きっと私にも何かできることがあるって思っています。

◆入野佑助さん(71) 茨城県茨城町 無職
 旧ソ連チェルノブイリ事故後の反原発運動を描いた連載四回目を読み、当時のことを思い出しました。私も事故に衝撃を受け、地元の反原発運動や東京での集会に参加していました。

 ある日、私は日の丸の旗を持参しました。「日本の国土や古里を汚す放射能の危険を訴えたい。この国を大切にしよう」という気持ちを表現するのにふさわしいと考えたからです。もちろん、日の丸を侵略戦争の歴史と結び付け、反対する意見があるのは知っていましたので、他のメンバーに強制するつもりはまったくありませんでした。

 しかし集会のメンバーは私を非難し、日の丸を降ろすまで参加を認めてくれませんでした。原発のない社会を実現したいだけなのに、なぜ個人の自由まで制限されなければならないのでしょう。私は運動から遠ざかりました。

 福島原発事故後は、一人で自転車に乗り、脱原発を求める署名千四百三十筆を集めました。東京の首相官邸前デモにも、時々日の丸を持って参加しています。相変わらず文句を言われることもありますが「そんなことを言っていたら、また脱原発運動は先細りですよ」と反論しています。

 幸い、現在の脱原発デモはチェルノブイリ後に比べ、自由な雰囲気が広がっているように感じます。原発をやめるのにイデオロギーは必要ありません。一人一人が自由な思いや表現で、賛否を表せることが大切だと思います。

◆男性(60代) 岐阜県土岐市 会社員
 原発と直接、関係しているわけではありませんが、私は中部電力の子会社に勤めています。

 一九九五年、高速増殖炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)のナトリウム漏れ事故があったときのことです。会社関係の人間が「あんな事故は大したことがない」と言い放ち「ええっ」と驚いた覚えがあります。

 これが業界の雰囲気です。福島第一原発の事故後もなかなか社内では原発の話はできません。

 日本には原爆を落とされた経験があるはずなのに、一部の経済的利益を追い求める人たちによって原発を持ってしまいました。

 原発が本当に安全なら都会の真ん中に建てればいい。核のごみの処分場はいまだに決まっていない。

 自民党によると原発事故で直接、亡くなった人は「一人もいない」そうですが、事故のせいで亡くなられた人たちや、避難生活を強いられている人たちのことを考えると、たかだか電気代のために原発推進なんて到底、納得できません。

 本当は私も抗議デモに参加し、反対の声を上げたい。しかし、不況の中で、仕事のことを考えると、どうしてもできないのです。私のような人は他にも大勢いるはずです。退職まであと数年。その後は私も行動します。

 今はただ、連載に登場した人たちのように声を上げてくれる人たちに感謝したい。ありがとう。

◆伊藤多江子さん(64) 三重県鈴鹿市 主婦
 福島第一原発事故後、脱原発のデモや集会に参加しています。

 家庭や子育てに忙しく、デモとは縁遠い生活を送ってきました。地元の三重県に原発建設計画があった時も「何で反対派の人はあんなに一生懸命なんだろう」としか思っていませんでした。

 でも、今は違います。福島の事故が国土を汚し、子や孫たちが食べる食品の安全を脅かしています。このままでは次世代に申し訳ないという強い気持ちになりました。

 昨年末の衆院選でも今月の参院選でも、原発推進の自民党が勝ちました。脱原発の声がなかなか届かない歯がゆさはありますが、今もあきらめてはいけません。

 福島で参加した集会では、地元の母親が「福島を忘れないでください」と訴えていました。この気持ちを共有できるよう、地道な声を上げ続けていきたいと思います。

<第5部「サマータイム・ブルース」> 読者からの反響(2013年7月26日)
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