『茶色の朝』-フランク・パブロフ-と 12/10″言論統制の「嵐」止めろ”【中日新聞・特報】(俺的メモあれこれさんありがとう)

今朝の中日新聞・特報「言論統制の「嵐」止めろ」にも載っていたフランク・パブロフ氏のベストセラー「茶色の朝」について調べたらWEB上に上げってい。隆祥館書店さん、ごめん。
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茶色の朝

フランク・パブロフ
http://www.tunnel-company.com/data/matinbrun.pdf

 太陽に向けて足を伸ばしながら、シャルリーと私は何を話す風でもなく、お互いが傍らで何を語っているのかにはさして注意も払わずに、頭の中にただ浮かんだ考えをやりとりしていた。コーヒーをすすりながら、時間がただ過ぎるに任せているのは心地よいひとときだった。シャルリーが彼の犬に(安楽死のための)注射をしなければならなかったという話を聞いた時には驚いたものだが、ただそれだけだった。耄碌した犬ころを見るのはいつも悲しいものだが、15歳を過ぎたとなってはいつの日か彼は死ぬという考えは持っておかなければいけない。

― 分かるだろう、あの犬が茶色だって押し通すには無理があったんだ。
― まあそうだが、ラブラドル犬が茶色であるべきだなんてあんまりな話だ。ということは、何か病気でも持っていたのかい?
― そういう問題じゃない。あいつは茶色の犬ではなかった。それだけさ。
― 何てこった、猫が処分された時と同じだっていうのかい?
― ああ、同じだ。

 猫の時は、私は当事者だった。先月、私は自分の猫を一匹手放さなければならなかった。やつは白地に黒のぶちという悪い巡り合わせの(ふつうの)家猫だった。猫の過剰繁殖が耐え難いというのは確かだったし、国家の科学者たちが言うところによれば、茶色の種を保存するのが次善の策だということもまた確かだったのだ。茶色だけだ。あらゆる選別テストが示すところによれば、茶色の猫がもっとも都市生活に適合し、子供を産む数も少ないし、そして餌も大変少なくて済むというということだった。個人的には猫は猫だとは思うが、問題は何らかの方法で解決すべきなのだから、茶色ではない猫の排除を定める法令に従う他はない。街の自警団が砒素入りの団子を無料で配布していた。砒素入り毒団子は餌に混ぜられ、(去勢前の)雄猫たちは瞬く間に片付けられてしまった。その時は私の胸(※1)が痛んだが、人というのはあっさりと早く忘れてしまうものだ。

 犬の時はさすがに驚いた。何故かはよく分からないが、たぶんそれは猫よりもずっと大きいからか、あるいはよく言われるように、人間にとっての輩(ともがら)であったからだろう。いずれにしてもシャルリーは、私が猫を処分した時と同じくらい自然な体でそれを話していた。そして彼は正しかったのだろう。感傷的になり過ぎたところで何か大したことが起きるわけではないし、犬についても、茶色いのが一番丈夫だというのも多分正しいのだろう。

 お互い話すこともそれほどなくなったので、私たちは別れることにしたが、何か妙な印象があった。あたかもそれは何か言い残したことがあるかのようだった。あまりいい気持ちがしなかった。

 それからしばらく経って、今度は『街の日報』がもう発行されないということを私がシャルリーに教える番だった。彼はびっくり仰天した。『街の日報』はクリーム入りコーヒーを飲みながら、彼が毎朝開いている新聞だったのだ。

― 彼らが潰れたって? ストライキか、倒産か?
― いや、いや、犬の一件の続きのためだ。
― 茶色の?
― ああ、ずっとそうだったのさ。一日とおかずにあの新聞は国のこの政策を攻撃していたからね。挙げ句の果てには彼らは(国の)科学者たちの実験結果まで改めて疑いだしたんだ。読者達はどのように考えるべきか分からず、ある者達は自分の犬を隠すことさえ始めたんだ。
― そりゃ度が過ぎたようだな……
― おっしゃるとおり。新聞はついに発禁になってしまったというわけだ。
― なんてこった。三連馬券についてはどうしたらいいんだい?
― そりゃお前さん、『茶色新聞』でとっておきのネタを探すしかないな。もう新聞はそれしか残ってないんだから。競馬とスポーツについてはそこそこイケてるって話だ。他の新聞がみんな脇へ押しのけられてしまった以上、新聞が街には一つくらい残っていてしかるべきだろう。いっつもニュースなしで済ますというわけにはいかないし。

 その日はシャルリーとコーヒーをもう一杯飲んだが、『茶色新聞』の読者になるというのはなんだか嫌な気持ちだった。
にもかかわらず、私の周りのビストロの客達は前と変わらぬ暮らしを続けていた。そんな風に心配する私がきっと間違っているのだろう。

 新聞の後は図書館の本の番だった。これまたあまり明快な話とはいえない。『街の日報』と財務上同一グループをなしていた数々の出版社が訴追を受け、それらの出版社の本は図書館の書架への配架が禁止された。それらの出版社が刊行を続けていた本をよく読めば分かることだが、一冊に犬や猫といった単語が一つは出てくる。だがその単語に「茶色の」という言葉が常にセットになっているわけではない。出版社はやはりそういうことは知っておくべきだったのだ。

― 派手にやり過ぎちゃいけないよ。
シャルリーは言った。
― 法の網の目をかいくぐったり、法律といたちごっこをすることを引き受けたって国民にとっては何にも得にはならないんだよ。あ、茶色のいたちね。

 彼は周囲を見回して、万一誰かが私たちの会話を晒し者にすることがないように茶色のいたち、と付け加えた。用心のために、私たちは文や語に「茶色の」と付け加えるのが習慣になっていた。最初の頃はふざけて茶色のパスティス(※2)を注文していたものだが、結局のところ言葉遣いは変われば変わるものであって、わけもなく仲間内で我々が「この糞ったれ」と付け加えるような感じで、言葉や文章を「茶色」にすることをそんなに奇妙には感じなくなっていたのだった。少なくとも、人々からよく見られていれば、私たちは静かに生きていられる。

 そして私たちはついに三連馬券を的中させたのだ。ああ、たいした金額ではないけれども、それにしたって私たちにとっては最初の当たり茶色三連馬券というわけだ。
そのおかげで新しい規則の煩わしさも受け入れられるようになった。

 ある日、私はそれをよく覚えているのだが、チャンピオンズカップの決勝を見に家に来ないかとシャルリーに言った。
彼が来たとき、私は爆笑してしまった。彼は新しい犬とやってきたのだ! 素晴らしいことにその犬はしっぽの先から鼻先まで茶色で、目まで栗色だったのだ。
― ほうら、ようやく見つけたこいつは前の犬より情感豊かで、指一本動かすか、目をちらと動かすだけで私に従うんだ。黒いラブルドル犬くらいで悲劇ぶるんじゃなかったよ。

 彼がそう言い終わらないうちに、その犬はソファの下にもぐり込んで、頭がいかれたみたいにキャンキャンと吠えだしたそいつは「たとえ茶色だからって、俺は主人にだって他の誰にだって従わないぞ!」と何かを相手に言っているかのように大声で吠えていた。そしてシャルリーは突如何かを理解したようだった。

― いやまさか、君もか?
― まさしくその通りだ。見ろよ。

 そこでは、私の新しい猫が矢のように飛び上がってカーテンをよじ登って箪笥の上に待避していた。私の(去勢前の)雄猫も、毛並みも瞳も茶色だった。何て偶然の一致だ! 私達は大笑いした。

― そういうことだ。
私は彼に言った。
― いつも猫を飼っていたものだが、こいつもなかなかイケてる猫だろ?
― 素晴らしい。
シャルリーは答えた。

 それから私達はテレビを付けた。その間私達の茶色の犬と猫はお互いに横目で様子をうかがっていた。どちらが勝ったのかはもう覚えていないが、素晴らしいひとときを過ごせたと思う。安全だという感じがしたからだ。それはあたかも、ただ単に街中の常識に従ってやってさえいれば、安心していられるし、暮らしもすっきり行くというかの如くだった。茶色の安全というのも悪くはないもんだ。

 勿論、アパートの正面の歩道ですれ違った小さい男の子の事を考えてはいた。彼は足下に横たわる白いプードルの死体を前にして泣いていた。だがいずれにしても、大人が言っていることをよく聞けば、犬が禁止になったわけではなく、茶色の犬を探せばいいだけだと分かるだろう。茶色の子犬だって見つかるわけだし、私達のように、規則に従った暮らしをして安心できれば、昔のプードルのことなんかさっさと忘れてしまうだろうに。

 そして昨日、信じられないことに、すっかり平穏に暮らしていると安心している私が、危うく街の自警団に引っ立てられそうになった。奴らは茶色の服を着ていて、情け容赦のない奴らだった。幸い、奴らはこの地区に来たばかりで、全員の顔と名前を覚えているわけではなかったので、私が誰だか分からなかったらしく、助かった。

 私はシャルリーの所へ行った。日曜、シャルリーのところでブロット(※3)をやるつもりだったのだ。ビールを1パック、それだけを手に持って。ビールをちびりちびりと飲みつつ、2~3時間トランプをやるはずだったのだ。

 ところがそこには、驚くべき光景が広がっていた。彼のアパートのドアは粉々に吹っ飛ばされていて、自警団の人間が二人、踊り場に突っ立って野次馬の交通整理をしていた。私は上の階に行くふりをして、エレベーターでもう一度下へと降りた。下では、人々がひそひそ声で話していた。
― だけど彼の犬は本当に茶色だったろ、ウチらだって見たんだから間違いないじゃないか。
― ああ、だけれども、連中が言うには、彼が前に飼っていたのは、茶色ではなく黒の犬だったそうだ。黒い犬だったんだよ。
― 前に?
― ああ、前に、だ。今では茶色以外のペットを飼っていたことも犯罪(※4)なんだよ。それを知るのは難しい事じゃない。隣近所に聞けば十分だろ?

 私は足を早めた。汗が一筋シャツに伝った。以前に茶色以外のペットを飼ったことがある事が犯罪なら、私は官憲(※5)の格好の餌食だろう。今のアパートの人間はみんな私が白黒の猫を飼っていたことを知っている。以前に!そんなことは、考えてすらいなかった!

 今朝、茶色ラジオ局はそのニュースを伝えた。シャルリーは間違いなく逮捕された500人のうちの一人だろう。最近茶色のペットを飼ったからといって、飼い主の心が変わったわけではないというのだ。ラジオのニュースは続けて言った。「不適切な犬あるいは猫の飼育は、それがいかなる時期のものであれ、犯罪です」。アナウンサーはさらに、不適切な犬あるいは猫の飼育が、「国家侮辱罪である」とすら付け加えた。そして私はその続きをしっかり書き留めた。曰く、「不適切な犬あるいは猫を個人として飼育したことがなくとも、親族、つまり父、兄弟、あるいは例えば従姉妹がそのような色の犬あるいは猫を人生に渡って過去一度でも飼育したことがある場合には、その者は重大な係争に巻き込まれる恐れがある」とのことだ。

 ……シャルリーがどこに連行されたか、私は知らない。だが、連中はやり過ぎだ。それは狂気だ。そして私は茶色の猫を飼ってさえいればずっと静かに暮らしいてられると思っていた。勿論、茶色の連中が過去の洗い出しをすれば、猫や犬を飼っていた人間はしまいにはみんな捕まってしまうだろう。
 私は夜中寝ることができなかった。連中が動物に関する最初の法律を課してきたときに、私は「茶色」の話を信用すべきではなかったのだ。いずれにせよ私の猫は私のものだったのだし、シャルリーにしたってそれは同じだったのだから、「茶色」には否と言うべきだったのだ。

 もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって? 連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの
悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?

 誰かがドアを叩いている。明け方のこんな早い時間には今までなかったことだ。日はまだ昇っていない。外はまだ茶色だ。
だけれど、そんなにドアを強く叩くのはやめてくれないか。
 今行くから。

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※1 L’Humanité 紙のサイトに掲載されている版では「cour」となっていたが、文意から「coeur」に改めて訳出した。

※2 パスティスは南仏特産のアニスベースのリキュール。食前酒として水で割って飲まれることが多く、原酒の状態では透明の茶褐色だが、水で割ると白濁する。原酒でのアルコール度数は40度近く、香りもきついので、飲むことはまず不可能。

※3 ブロットはフランスでは比較的なポピュラーなトランプ遊び。トリックテイキングを利用したポイント獲得を目的としたゲームで、7~Aのカードを用いる。詳しいルールはhttp://homepage2.nifty.com/cardgame/belote.html

※4 「犯罪」の原典での表現は「délit」。通常は軽微な犯罪を指す。後のアナウンサーの放送では「国家侮辱罪」と表現がエスカレートしている事に注意。

※5 「官憲」(milice)はヴィシー政権(第2次大戦時のフランスにおけるナチスドイツ協力政権)の民軍と同じ語。民軍はヴィシー政権下ではレジスタンス狩りを行っていた。

 

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言論統制の「嵐」止めろ

2013/12/10【中日新聞・特報】
 

 特定秘密保護法が成立し、安倍晋三首相は「嵐は去った」と言った。しかし、政権による「嵐」がこれから起きるかもしれない。戦前、治安維持法は二度改悪され、国民の発言を封じ込めた。出版法、新聞紙法、軍機保護法、国防保安法など、他にもさまざまな法が作られ、言論は統制された。同じ過ちは絶対に繰り返せない。(小倉貞俊、榊原崇仁)
(言論統制などに関わる年表)

明治 1889 大日本帝国 法律の範囲で言論の自由を保障
   1893 出版法 書籍やビラ、パンフレットが対象に
   1900 治安警察法 労働運動の取り締まりが目的
   1909 新聞紙法 社会主義思想の取り締まりが目的
大正 1917 ロシア革命 史上初の社会主義政権が成立
   1920 森戸事件 東京帝大助教授の筆禍事件
   1925 治安維持法 天皇制と資本主義を否定する結社を処罰
昭和 1928 3・15事件 共産主義者、社会主義者を弾圧
      改正治安維持法 最高刑が死刑に
   1933 小林多喜二が特高警察の拷問で虐殺される
   1937 改訂軍機保護法 適用範囲を拡大し、厳罰化
   1939 軍用資源秘密保護法 天気予報が規制対象に
   1941 国防保安法 政治的な機密を保護する
      第二次改訂治安維持法 取り締まり範囲の拡大
(※法律などいずれも成立年)

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ここからは「俺的メモあれこれ」さんの「気になるニュース 354」が今朝の東京新聞の特報「特定秘密保護法は政権の武器 治安維持法は10数万人逮捕」で文字おこしで。      ↓
http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/354-8727.html
◆秘密保護法の恐ろしさ

「秘密保護法が言論の統制や弾圧に使われる恐れは拭い切れない。事実、戦前にそうした事態が起きている」

「特高警察」の著書があり、戦前の治安体制に詳しい小樽商科大の荻野富士夫教授(日本近現代史)はこう指摘する。

しばしば秘密保護法は、天皇制や私有財産制を否定する結社を禁じた戦前の治安維持法に重ね合わせて論じられる。軍事や政治の機密を定めた軍機保護法や国防保安法などの方が性質は似ているようにみえるが、荻野氏は「言論統制という観点では、治安維持法に近い」と説明する。

治安維持法の最高刑は当初、秘密保護法と同じ懲役10年だった。だが、最もよく似ているのは、政府が反対を受けながらもしぶとく、法案を成立させた経緯だ。

1985年、スパイ防止法が国会に提出されたが、野党の反発にあって審議未了で廃案になった。2011年には民主党の野田佳彦首相(当時)が秘密保全法制を提唱したが、法案提出にはいたらなかった。

治安維持法の原型は1922年に政府が提案した「過激社会運動取締法」だ。議会は、政府が同法を乱用することを懸念し、成立を許さなかった。しかし、25年、25歳以上の男性の投票を認める普通選挙法とセットの形で、治安維持法を成立させる。

荻野氏によると、「共産主義の取り締まりに限定する」と政府が約束したことで、議会が納得したという。安倍政権も秘密保護法で、秘密の範囲を拡大させないことを約束している。

戦前、政府は約束を守らなかった。治安維持法は二度、改定された。成立の3年後に最高刑が死刑となり、日米が開戦した41年の改定では、取り締まり範囲が広がって結社の「準備行為」と当局がみなすだけで検挙が可能となった。結局、対象は共産主義からジャーナリスト、宗教者に広がり、最終的に全国民に拡大した。

治安維持法の犠牲者遺族らでつくる「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」によると、終戦までの約20年間に約7万5000人が送検され、約5700人が起訴された。逮捕は十数万人に上り、虐待や病死で1600人余が獄死したとされる。

針谷宏一事務局長は「さほどの反対がないまま法律ができ、国家権力が都合よく使っていった結果です」と話した。

荻野氏は治安維持法のように法を改定するどころか、秘密保護法については「官僚が細則で強化することは十分可能だ」と話す。「戦前の特高のように公安警察が活発化し、見せしめ的に運用されることもあり得る。秘密保護法は政権の国民に対する強力な武器になりかねない」
◆言論弾圧強まった戦前

1889年に公布された大日本帝国憲法は、国民の言論の自由をうたっていたが、「法律ノ範囲内」と条件が付いていた。憲法制定以前に、69年に出版条例、75年に新聞紙条例がつくられており、治安や風俗を乱す言論は禁じられていた。

当時の規制の狙いは何だったのか。中京大の浅岡邦雄教授(出版史)は「自由民権運動が盛り上がった時期で、政府批判を抑える意図があった」と指摘する。

言論弾圧が色濃く出たのは、1909年公布の新聞紙法だった。

日清・日露戦争に勝利し、産業が発展する一方、生活条件の改善を訴える労働者による社会運動が活発化していた。政府は国家体制を揺るがしかねない社会主義思想を警戒した。

新聞紙法により、裁判所の審査なしで、政府が新聞の発売禁止を命じることができるようになった。また、新聞発行に必要な政府に収める保証金が引き上げられた。「今で言うと数千万円単位の増額。政府に味方する裕福な層しか新聞を出せなくなった」(浅岡教授)

言論や思想の統制は大学に向かう。20年に問題になったのが、東京帝国大の機関紙に載せた森戸辰男助教授の論文だ。ロシアの無政府主義者クロポトキンの思想を解説しただけだが、「天皇制を揺るがす内容だ」と当局に認定された。結局、新聞紙法の「朝憲紊乱(びんらん)罪」で起訴され、禁錮3月の実刑判決を受けた。

「森戸事件」と呼ばれるこの言論弾圧について、広島大の小池聖一教授(日本政治史)は「影響力のある人物として当局に狙われた。秘密保護法が成立し、現代でも似たようなことは起こりうる」と警告する。

戦前は言論統制が強化されるばかりで、25年の治安維持法につながる。京都大の佐藤卓己准教授(メディア史)は「ロシア革命をきっかけに、日本にも広がりつつあった共産主義の運動を抑え付ける狙いだったのは明らかだ」と話す。

30年代以降、国家総動員法や国防保安法といった言論統制の法律が次々とできた。39年公布の軍用資源秘密保護法では、航空機が兵器として使われるようになったため、天気予報や気象情報も軍事機密になった。

国民の自由がじわじわと奪われていく状況は、フランスとブルガリア国籍を持つフランク・パブロフ氏のベストセラー「茶色の朝」の寓話(ぐうわ)に似ている。

毛が茶色以外の犬猫を飼うことを禁じた法律ができ、主人公はペットを処分する。法を批判した新聞は廃刊になった。茶色が支配する世になるが、主人公は「ごたごたはご免だから、おとなしく」して茶色の猫を飼い始める。しかし、法は拡大解釈されて以前に茶色以外の猫を飼っていた人も「国家反逆罪」になり、主人公はある朝、ドアをたたかれて…。

茶色はナチスが当初、制服に使った茶色にちなむ。主人公は「嫌だと言うべきだったんだ。抵抗すべきだったんだ」と悔やむが、遅すぎた。
◆「ネット時代 誰もが対象」

先の浅岡教授は警鐘を鳴らす。「秘密保護法ができた背景の一つに、少なくない国民が『自分は関係ない、大丈夫』と思っていた点がある。言論統制がいつの間にか国民の生活を脅かすことは歴史が証明している。今は誰でもネットで情報発信できる。逆に言えば誰もが弾圧を受けかねないことを忘れてはならない」
[デスクメモ]
だれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描き出して…「茶色の朝」に、高橋哲哉東大教授はこうメッセージを載せた。邦訳の初版は2003年。今こそ読みたい。(文)

 

2013年12月10日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013121002000138.html

 

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