ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』を製作した環境活動家・ジャーナリストの矢間(やざま)秀次郎さん【こがねいコンパス】・4/12-25十三・シアターセブン上映情報

《映画に登場する京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんは、このようなメッセージを映画のチラシに寄せている。
 「当時の住民は賛成派も反対派も、みんな原発が危険であることはわかっていた。ただ原発がなくても生きていける自信を持っている人々が反対できた」 》

実は[こがねいコンパス]さんと上牧行動とはご縁があって、このサイトはたまに覗きに行くのだが、さっき偶然この映画を作られた矢間秀次郎さんの記事を見つけた。不思議なこともあるものだ。

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変える 試みる 小金井の人たち file24-1【こがねいコンパス】

ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』を製作した環境活動家・ジャーナリストの矢間(やざま)秀次郎さん(前編)

http://www.koganeicompass.com/%E5%B0%8F%E9%87%91%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-1/file24-1-%E6%98%A0%E7%94%BB-%E3%82%B7%E3%83%AD%E3%82%A6%E3%82%AA-%E3%82%92%E5%88%B6%E4%BD%9C%E3%81%97%E3%81%9F%E7%9F%A2%E9%96%93%E7%A7%80%E6%AC%A1%E9%83%8E%E3%81%95%E3%82%93-%E5%89%8D%E7%B7%A8/

 
長編ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』が公開されている。小金井市内では来年1月18日に上映予定だ。

映画の製作と脚本を担当したのが環境活動家・ジャーナリストとして知られる矢間(やざま)秀次郎さん。40年ほど前、仲間たちとともに「水辺の空間を市民の手に」という言葉を掲げ、悪臭を放っていた野川の再生に取り組み始めた。

この人の存在がなければ、子どもたちが野川で水遊びをしたり、水面を見ながらゆったりと川べりを散策したりという「水辺の空間」は実現しなかったかもしれない。

 原発をテーマにしたドキュメンタリー映画について聞く前に、まずは野川の再生について――。
 
――野川との出会いはいつ、どのように?

私が杉並区から小金井に引っ越してきたのが1967年です。東京都庁に入庁して3年目。美濃部都政が始まった年でした。

まだ、ハケの下の野川沿いには水田がいっぱいありました。犬の散歩で田んぼのあぜ道を歩いていたときに、顔見知りになったお百姓さんと話をしていたら、「この田んぼのお米は出荷しても、自分は食べていないんだ」と言うのです。驚いて「えっ、なぜ?」と聞くと、「ちょっときなよ」と野川に連れて行くのです。(田んぼへ水を送っていた)野川は、川底が見えないほど洗剤の泡が浮かび、悪臭を放っていました。ドブ川だったんです。
――小金井市に来られた後、1970年に法曹を志す若者たちが司法試験の勉強をする「小金井司法研究会」という勉強会を立ち上げられます。この小金井司法研究会が主催したイベントをきっかけに、野川問題に取り組む団体が生まれたそうですね。

そうです。小金井司法研究会は「市民としての責務を自覚して、地域民主主義の確立に寄与する」ことを目的としていました。市民派の弁護士を世に送り出すための活動です。97人が司法試験に合格しています。社民党党首だった福島瑞穂さんもその一人です。

1972年6月に「住みよい地域社会をめざして」という映画上映会・討論会を開催しました。「市民の知る権利と地域情報」をテーマにしたものです。この後、野川問題に取り組む「三多摩問題調査研究会」が発足しました。

1960年代の野川は台風豪雨のたびに氾濫を繰り返してきました。1965年5月の台風6号、1966年6月の台風4号・・・。このため東京都は防災対策として野川の川幅を広げ、川床や両岸をコンクリートにするという改修を計画していました。

一方、川幅の拡幅によって立ち退きを迫られる前原町などの住民は小金井市議会に「野川改修事業変更に関する陳情書」を提出しました。前原町2丁目から西3キロにわたって野川を深く掘り下げ、ふたをする。つまり暗渠(あんきょ)にするという内容です。

私たちが三多摩問題調査研究会を立ち上げた背景には、こうした野川の改修工事計画や住民による暗渠(あんきょ)案があったのです。

私たちは小金井市民が野川をどのように思っているかを探る意識調査をしました。1972年9月のことです。メンバーが手分けをして、野川流域の家だけでなく、小金井市内150世帯を対象に調べたのです。

「今の野川はどの程度よごれていると思いますか」という問いに対して、もっとも多かったのが「死んだ川(ドブ川)」という回答でした。60.7%の人がそう感じていたのです。

同時に、小金井市民が野川に何を求めているかを探るために、整備の方向性についても聞きました。「こんなドブ川はふたをして、上にできたオープンスペースを公園とか緑化に使うべきだ」と「子どもや孫たちのためにもドブ川をきれいにして魚がすみ、木の葉がかげをおとすような川を中心とした地域開発をする」という二つの選択肢で聞いたのです。

結果は、「ドブ川にふたを」が24.1%、「きれいにして魚がすみ・・・」が75.9%でした。市民の意識がはっきりと把握できたのです。
そうした活動をしていたころ、たまたま日本地域開発センターが月刊『地域開発』の100号を記念し、懸賞論文を募集していたことを知りました。意識調査などをもとに、6人のメンバーで「野川と社会開発 水辺の空間を市民の手に」というタイトルで共同執筆したのです。私はその時、32歳でした。残りの5人は司法修習生や大学院生らみな20代の若者たちです。

論文を締切直前に中央郵便局に持ち込み、郵送しました。論文の審査委員は、高山英華・東京大名誉教授らそうそうたるメンバーです。それに入選したんです。つまり客観的な評価を受けたんです。

その論文の良いところは、将来の「環境の時代」をすでに予見し、かつ市民の意識を徹底的に調査をしたところです。調査対象も、河川の「流域」の住民というのではなく、「水系」という発想から考えました。川沿いではなく、川全体、つまり三多摩全体に影響するという視野をふまえたのです。

私は「暗渠化をやってはいけない」と主張しました。野川は、1964年に東京オリンピックが開催される数年前まではウナギやアユまでいたのです。僕の近所に住んでいる人が「矢間さん。ウナギがいっぱい捕れてな。料亭にもっていくと、小遣いに不自由しなかった」と言っていました。

 
 入選した論文を収録し、自費出版した「市民によるてづくりの本」《入選した論文では最後の部分で、「”暗渠の思想”から”水系の思想”へ」との見出しをつけ、「自然環境の中の川、環境を形成する生きとし生けるものが、水と深くかかわっている。現行の行政区域や制度、地域エゴイズムにとらわれない、いわば”水系の思想”といもいうべき発想を基底にもたなければなるまい」と指摘している。》

「水系の思想」というのは流域で見てはいけないのです。たくさんの支流があつまって多摩川水系と呼ばれているのですから、野川にメスを入れる場合には「多摩川水系の野川」という位置づけをしなければならないのです。そのような発想は当時、ありませんでした。

野川は多摩川を汚し、汚れた多摩川は東京湾を汚染するのです。あらゆる水系の源流まで視野に入れなければ東京湾は甦らないのです。医学も福祉も環境も同じです。「系」でものごとをとらえるという思想が日本にはなさすぎますね。

《 論文は野川のあり方としてこう述べている。
「まず、水辺の空間――市民のための安全といこいの場を確保しなければならない。野川が清流によみがえることを前提として、都立武蔵野公園付近に遊水地がつくられてよい。ここには旧水田用地の6万5000平方㍍のオープンスペースがある。これは、かつて水田が洪水の規模をゆるめる機能をもったように、大雨への安全弁である。と同時に、市民にやすらぎを与える水の空間となろう。川の生態をそこなうことなく、改修が行われることを前提として、ホタルや魚の生息する場をも確保できるだろう」。

論文発表から40年後の現在の姿をみると、その先見性の確かさに驚くばかりだ。 》

――「水辺の空間を市民の手に」と訴えた論文は当時の社会にどのような影響をもたらしたのでしょう?

「水系の思想」を一人でも多くの方にわかってもらおうではないか。そういう声が会員の中から高まったので、論文を自費出版しました。それが『水辺の空間を市民の手に 水系の思想と人間環境』です。

東京経済大学教授の色川大吉さん、理想選挙推進市民の会代表幹事の市川房枝さん、東京大学助手の宇井純さんら多くの著名な専門家、学者が寄稿してくださいました。それが反響を呼び、野川をめぐってテレビ、新聞が注目し始め、どんどん記事が載るようになりました。私たちが水質調査をやるというと、記者が3社ぐらい来るとか。

《自費出版された『水辺の空間を市民の手に』へ、宇井純さんは「技術主義の破綻」というタイトルの原稿を寄せ、こう結んでいる。

「この野川の市民運動が乾ききった草原にともされた一つの火の如く、社会の行きづまりをつきぬける運動にならないとは誰にも言いきれないのである。もし病める都市の未来に希望があるとすれば、その基盤は住民の運動をおいて他にあり得ない」》

野川を清流に戻すためには、社会のありようを変えないといけないと考えていました。工場の排水規制だけではなく、社会のあり方を変えていく。水という地球物理学的な要素に着目するのは間違いではないのですが、その背景にメスを入れないと清流には戻りません。

 
 矢間さんたち三多摩問題調査研究会が野川流域の自然データを足で集めた貴重な資料集。ワープロがない時代、すべて手書き。

――何によって清流に戻ったのですか?

4つあると思います。水質汚濁防止法によって工場からの排水垂れ流しができなくなったこと。野川の源流は日立製作所の中央研究所の森にある「大池」ですが、その周辺には工場がありましたから、源流付近からすでに汚れていたのです。

2番目は、下水道が普及し、生活排水が野川に流れ込まなくなったたことです。この地域は日本でももっとも下水道が整備されたところです。ただ、整備された下水道は雨水が合流する方式ですから、雨量が多い時には野川に放水されます。下水処理能力に制約があるからです。したがって野川は完全な清流には戻りません。

3番目は美濃部都政で「東京に青空と清流を」という掛け声の下、東京都公害防止条例をつくったんです。日本一、規制が厳しいんです。マスコミが美濃部都政の取り組みを積極的に報じることによって、反公害の思想が次第に当たり前になっていったことです。

4つめは、そうした世論が形成されたことです。メディアの役割は非常に大きかったですね。私がメディア戦略で半歩ぐらい先に行っていたのは、東京都広報室に勤めていたことが大きいと思います。私は美濃部都政がスタートした1967年に広報室に異動しました。美濃部さんはマスコミをうまく使った、イメージ戦略にたけた人だったですね。

「野川を清流に」という世論が形成されると、(清流にするための)国家予算がつくんですよ。役人はやっぱり、世間の目を気にしているんだね。

 
 ――1993年に三多摩問題調査研究会がATT流域研究所に移行しました。これはどのような経緯から?

ATTとはA(荒川)、T(多摩川)、T(利根川)の頭文字です。これをつくったのは、現代科学がたこつぼに入っているという問題意識からです。分野ごとに細分化されている。公害を無くすのは総合科学です。物理学、生物学、社会学がばらばらにやっていても問題は解決しません。

荒川水系も多摩川水系も利根川水系も、関東圏を支えている生命線。この3つの分水嶺を越えない限り、関東平野の明日を描くことができないというのが私の発想です。言葉を変えれば「分水嶺を越えよう」です。

――具体的にはどんな活動を?

例えば、柏崎刈羽原発から高圧電線によって電気が首都圏に送られてきています。この電線は分水嶺を越えています。権力や企業ははるか前から分水嶺を越えて社会の仕組みをつくっているのに、住民、市民は分水嶺を越えられていない。尾根の向こう側に関心がないのです。これでは対抗軸をつくれるはずはない。それが私の考え方でした。

分水嶺を越えて提携しなければなりません。今回の私の映画では、分水嶺を越えた連携を描いています。原発立地計画を断念させるために、徳島県阿南市椿町と和歌山県日高町の住民が、紀伊水道をはさんで手を結び、情報を交換しあう。そういう連携ができたところは、原発立地を断念させることができたのです。四国電力と関西電力に打ち勝ったわけです。

だから「分水嶺を越えて、総合的に考える」という思想を、ATTに象徴させたのです。
 『水辺の空間を市民の手に』の巻頭言。「野川の濁りは、多摩川を汚し、東京湾を死の海にする」と、「水系の思想」から清流の復活を訴えた。それは人間性回復への試みでもあった。(続く)

 後編は2014年1月4日発刊の「こがねいコンパス第43号」に掲載します。
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ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』を製作した環境活動家・ジャーナリストの矢間(やざま)秀次郎さん(後編)

http://www.koganeicompass.com/%E5%B0%8F%E9%87%91%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-1/file24-2-%E7%9F%A2%E9%96%93%E7%A7%80%E6%AC%A1%E9%83%8E%E3%81%95%E3%82%93-%E5%BE%8C%E7%B7%A8/
 

チェルノブイリ原発事故(1986年)、福島第一原発事故(2011年)が起きるよりも前の時代――。

原発の危険性に気づいた住民たちの反対運動によって、電力会社の原発立地計画を頓挫させた地域がある。

長編ドキュメンタリー映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』は、住民たちの証言を丁寧に引き出すことによって、なぜそれが可能になったかを私たちに示してくれる。

映画を企画し、構成を考え、製作者として資金集めなどに奔走した環境ジャーナリスト・矢間(やざま)秀次郎さんの目に映ったものとは――。
 映画のチラシから――『シロウオ』はいつごろ、どういう動機でつくろうと?

3・11が起きた後、私の頭はしばらく空白でした。一体、これはどうなるのか。自分に何ができるんだろうか・・・。様々な情報を集めましたが、なかなか真実は見えてこない。

その時、ぱっと思いついたのが、「千曲川・信濃川復権の会」が発行し、私が編集長をしている雑誌『奔流』で、「原発立地計画を『断念』させた町はいま」という特集を組むことでした。それが2012年6月7日発行の第7号です。

《『奔流』第7号の7ページにわたる特集記事の前文は、以下のように企画の趣旨を伝えている。

 いまだに東京電力福島第一原発の過酷事故に収束がみえない。放射線計測器が“生活必需品”になった首都圏でさえ、「知らぬが仏」の様相になりつつある。
 単なる風化現象ではなかろう。いま原発の現場で何がおきているのか、情報操作によって十全に知りえていないからではないか。
 こうした事故原因の解明がない理不尽な状況で、原発再稼働や電力料金の値上げ、計画停電などのおぞましさが目立つ。国民の“怒りマグマ”が潜んでいるはずがないと専断した振る舞いなのか、あらためて検証を欠かせない。
 かつて原発立地をめぐる地域闘争で推進派×反対派ともども深傷を負いながら、「原発を止めた町」が日本列島に約30か所。
 金権・利権の泥沼にからめとられ、人間支配に抗った人々にフクシマの衝撃は何をもたらしたのだろうか。
 どっこい、その生き証人にめぐり会えたらと、新潟県「巻原発」、三重県「芦浜原発」、徳島県「蒲生田原発」を歩いた・・・。》

編集会議にこの企画を提案し、新潟の「巻原発」(の立地予定地)にライターと一緒に行ったほか、私が担当したのが三重県の「芦浜原発」、徳島県の「蒲生田(かもだ)原発」です。この3か所を私は歩きました。

私は環境問題に取り組んで約40年。編集長をつとめている『奔流』は4000部を発行しています。環境問題で知り合った人たちや、『奔流』を読んでくださっている方たちが各地で案内をしたり、助けてくれました。
原発立地を断念させた3か所の町を歩いていると、こんなことがありました。

原発推進派だった人が「俺は間違っていた。フクシマの現実をみるとなすすべがない。俺は何億もカネをもらっていたんだ」と語るのです。

新潟では、ゴリゴリの推進派から積極的な反対派に変身したという井田忠三さんが「俺は口先だけで反対しているんじゃない。原発に反対するからには、原発に替わる自分たちの電力をつくらんばならん。だからこの小水力発電をやっているんだ」と話し、農業用排水を使って水車を回し、発電する設備を見せてくれました。

 
――この時点ですでに映画を作ろうと考えていたのですか?

この号は、すごい反響を呼びました。増し刷りに次ぐ、増し刷りです。読者の一人、ある大学教授が「矢間さん、まるで映画を見ているようだね」と話すのです。そして「これだけ取材をしたのならば、ここに書ききれない情報を持っているんでしょう。映画にしたらどうですか」と。ものすごく激励を受けました。

――そこから映画へという企画が生まれるわけですね。

そうです。
 
映画のタイトルともなったシロウオ漁。制作発表資料から ――『シロウオ』というタイトルはどこから?

第7号の四国電力「蒲生田原発」の記事のところで出てきます。産卵をするためにシロウオは川を上ってきます。それを網に誘導するために、川に小石をぽんぽんと投げるのですが、その光景を想像したとき、僕にはその小石が「原発マネー」のように映ったのです。

単なる石です。エサではないんですよ。でもシロウオたちはエサと勘違いして、ばっと石の落ちたところに集まると一網打尽にやられてしまう?。

ところで、紀伊水道をはさんで対岸にある和歌山県湯浅町の広川では同じシロウオ漁をするのに、石を投げることはしないのです。これは不思議でしたね(笑い)。

映画の中で、監督が漁をしている人に「(石に集まるのは)なぜでしょう?」と聞くと、「そら、シロウオに聞かんとわからんわ―」と言われる場面があります。その通りです(笑い)。
――監督選びはどのように?

私の人脈で7、8人の方に会いました。脚本を見た(監督候補の)人たちは「矢間さんが監督した方が早いよ」と言うのです。中にはカネの作り方を私に助言する人もいました。「文化庁の映画創造活動支援費1500万円をもらおう」とか。

映画の契約書を作るのに、小金井市司法研究会出身の竹澤克己弁護士に監修してもらいました。そうするとメールで確認がありました。

「矢間さん、『文部科学省、文化庁に奨励金を申請しないものとする』と書いてあるのは、『申請する』の間違いじゃないんですか」

こう答えました。
「いや、間違いじゃありません。私が熟慮を重ねたものです。福島原発事故を引き起こした文部科学省の責任はあまりにも重い。この映画が仮に評判を呼んだ際、『ところでこの映画の資金はどこから?』と聞かれた場合に、『文部科学省からです』と答えたらアウトなんです。福島の過酷な現実を見ていないということになるのです」

その契約書を監督候補の人たちにみてもらったとき、一番反応がよかったのが、かさこ監督です。「ぼく、これでいいですっ」ときっぱり言いました。
 かさこ監督:本名・笠原崇寛。1975年生まれ。ブロガー、ジャーナリスト、写真家。『かさこマガジン』発行人。本作品が監督デビュー。「東日本大震災発生後、被災地を何度も取材しました。中でも福島原発20キロ圏内に入り、人が住めない『死の町』と化した無人の町を見た時の恐ろしさは忘れられません。家に帰れなくなった人の話を聞いたとき、これは福島だけの問題ではなく、そう遠くない未来に誰もが起こりうる話だとの思いを強くしました」(映画のチラシから)。
 紀伊水道をはさむ2つの原発立地予定地。(制作発表資料から)
――『シロウオ』の制作発表資料に、「住民が反対運動を行い、原発計画を断念させた場所が全国に34か所ある」と書かれています。34か所から、徳島県阿南市椿町の「蒲生田(かもだ)原発」と、和歌山県日高町の「日高原発」を撮影対象に選んだ理由は?

(脚本をつくる)シナリオハンティングの段階で印象深かったのが、先ほど申し上げた阿南市椿町でのシロウオ漁でした。もう一つは、関西電力による原発計画を追い返した日高町ですが、原発立地を断念させた地域にはある共通点があることに気が付きました。

共通点の1番目は、郷土への誇りです。映画の冒頭で阿南市の漁師の人が言っています。「ここを売りとばすような人が多ければ、原発はできています」と。祖先の土地や海を守るだけでなく、「自分はここで生きていく」というプライドですよ。

撮影を終えて帰ろうとすると、地元の人たちから「矢間さん、待ってくれ。あと15分すると漁から船が戻ってくる。その魚を食べてから帰ってくれ」と言われた。そこまで言われたら待たざるを得ない。撮影は撮り直しですよ(笑い)。命をかけて漁をしている。その魚を食べてくれという気持ちが伝わってくる。海で生きている人たちの誇りです。

2番目は自治です。自治体政治に対してコミット(関与)するということをはじめから旗揚げしていますね。「政治を変えない限り、原発は止まらない」という精神です。(原発計画を止めようとする住民たちは)町議会選挙、市議会選挙、町長選挙、市長選挙、あらゆる選挙にコミットしています。敗れていることも少なくありませんが。

3番目は女性ですね。
 
「女性の力は絶対です」と話す矢間さん
――女性ですか・・・。

男はね、飲まされたりしているうちに、ふらふらとしちゃうんですよ。ついついハンコを押してしまうんですよ。

それを「何やっているのよ、お父さん! 馬鹿なことをするんじゃない!」と言って、引きずりなおすのが女の役割なんですね。映画に登場する「原発に反対する女たちの会」の代表だった95歳の元教員の女性、淡々と語っていますが、女性の力は絶対です。すごい。

4番目はね、歴史への回帰を忘れなかったということですね。

――歴史への回帰?

郷土史ですね。郷土の歴史に無頓着で、歴史を踏まえない運動は敗れます。その地域には固有の歴史があります。それを自覚しているかどうかは、地域の誇りにもつながってくるのです。

原発が立地している自治体は今、22か所。一方、追い出したのは34か所。追い出した方が実は多いのです。これが歴史の真実です。現在、原発の反対運動に取り組んでいる人たちにも、こうした過去の取り組みをぜひ参考にしてほしいと思っています。

 
《映画に登場する京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんは、このようなメッセージを映画のチラシに寄せている。
 「当時の住民は賛成派も反対派も、みんな原発が危険であることはわかっていた。ただ原発がなくても生きていける自信を持っている人々が反対できた」 》

(終わり)

こがねいコンパス第43号(2014年1月4日更新)
矢間秀次郎(やざま・ひでじろう)さんのプロフィール

1940年6月、大阪府生まれ。大阪空襲を受けて、5歳から16歳まで疎開先の徳島県小松島市で育つ。12歳の時、透きとおった海の底を見ていると、大きなカニがタコにあっという間に食べられる場面を目撃。「生きるというのは一期一会だ。絶対はなく、常に相対的に生きるか死ぬかだ」と痛感する。
1964年、東京都庁に入庁。渋谷区教育委員会、広報室、公害研究所、生活文化局、主税局等。在職中から野川の再生・保全運動に取り組み、1972年に「三多摩問題調査研究会」を組織。市民の手による科学的調査・研究の積み重ねから水環境を守る活動を展開し、「市民環境科学」を実践。現在は、「千曲川・信濃川復権の会」共同代表。『奔流』編集長。中町2丁目に在住。
———-((( 大阪・十三シアターセブン 上映 )))———

http://www.theater-seven.com/2014/movie_shirouo.html

シロウオ
 ~原発立地を断念させた町~
(2013年/日本/104分)
【2014/4/12(土)~4/25(金)】
 
原発反対運動を成功させた人々の証言ドキュメンタリー
故郷を、自然を、仕事を、そして家族を守りたい――。
今から30年以上も前に、「いつか必ず原発事故が起きる。危険な原発は建てさせない」と住民が反対運動を行い、原発計画を断念させた場所が全国に34ヵ所あった。
原発マネーを拒否し、原発計画を追いやった徳島県蒲生田原発と、和歌山県日高原発の反対運動を行った住民にインタビュー。なぜ原発に反対できたのか。当時、計画推進のためにどんなことが横行していたのか。福島の事故をどうみるか。今、原発のない町で幸せかどうか――。
原発問題を考える上での示唆がここに凝縮されている。公式サイト:http://www.kasako.com/eiga1.html

スタッフ・キャスト
監督:かさこ
製作・脚本:矢間秀次郎
撮影:中井正義
録音:田辺信道
ナレーション:大橋ひろこ
エンディングテーマ『魂の輝き、それはFと共に』~CD『魂の歌』より。
作曲:岩代太郎、演奏:東京都交響楽団、音楽協力:SHOCHIKU RECORDS
上映日程
4/12(土)~4/18(金) 11:55~13:45
4/19(土)~4/25(金) 14:50~16:40
十三・シアターセブン
 〒532-0024 大阪府大阪市淀川区十三本町1丁目7−27 サンポードシティ 5F
 06-4862-7733

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