3/22高い線量 帰村へ二の足 飯舘村 京大・今中助教と再訪【中日新聞・特報】

先週金曜の東京新聞の特報とほとんど同じ。そのうち中日メディカルで掲載されるはず。
昨年11月京大の熊取六人衆の時に今中さんにしつこく質疑応答で迫る方が多く、この飯舘の初期被曝のことは聞けなかった。
今年になってからSIGHTや科学にも執筆されているのでそちらで情報は補完すべし、といったところか。
飯舘の初期被曝についてはインタビューもあった。

今中哲二氏インタビュー~飯舘の初期被曝から分かること~
https://www.youtube.com/watch?v=lDDmz5y-J-E
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 高い線量 帰村へ二の足 飯舘村 京大・今中助教と再訪

【中日新聞】2014年3月22日
  福島原発事故で大量の放射性物質が降り注いだ福島県飯舘村。今月中旬、昨年に続いて京都大原子炉実験所の今中哲二助教ら「飯舘村放射能エコロジー研究会」による放射線量測定調査に同行した。公開されるモニタリングポストの線量データはさほど高くない。だが、雪深い現地に入ると、それがうわべの数字であることに気付かされた。 (榊原崇仁)

1カ月以上も前の雪が深々と残る墓地。日常生活が戻っていないことに気付かされた=いずれも福島県飯舘村で

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上)山津見神社を訪れた今中助教(手前右から2人目)c140324_iitate_imnakasan

下)除染廃棄物を詰めた袋の山。仮置き場確保が難しく、6段に重ねられていたc140324_iitate_housyaseihaibutu

 
 飯舘村には、まだ五0センチほどの雪が残っていた。二月上旬から中旬にかけて「半世紀ぷり」ともいわれる大雪に見舞われ、積雪は一時、一メートルを超えたという。今月に入っても朝の最低気温が氷点下五度前後の日が続き、雪解けが遅れているようだ。
 全村避難している飯舘村だが、大半は立ち入り自由の居住制限区域や避難指示解除準備区域だ。両区域の主要な道路は除雪され、トラックや乗用車とすれ違うことも少なくない。
 ただ、民家まで続く道路や店舗の駐車場、墓地などの多くは一カ月前の雪が手つかずのまま残っており、生活の営みが少しも戻っていないことを実感する。

 
 ★放射線雪が遮る
 

 気になるのは放射線量だ。原子力規制委員会のホームページで閲覧できるモニタリングポストのデータによると、村内の立ち入り自由区域ではおおむね毎時一マイクロシーベルト未満だった。
 車で移動中に手持ちの線量計に目をやると、一マイクロシーベルトを下回る場所が大半。除染の長期目標は年間一ミリシーベルト以下で、毎時に換算すると0・二三マイクロシーベルト以下になる。これよりは高めだが、除染の効果などにより、帰還基準とされる年間二0ミリ計以下にはなったということか。
 車は村内唯一の帰還困難区域、長泥地区に着く。通行止め用のゲートを警備員に開けてもらい、地区内に入る。車を降り、固い雪で覆われた田んぼの上で今中助教らとともに線量を測った。毎時二マイクロシーベルト。年間一0ミリシーベルト弱相当だ。
 ただ、スコップで雪を掘って少し地面が見えるようにしただけで、線量計が示す数値は二・五倍の毎時五マイクロシーベルトまで跳ね上がった。帰還困難区域外でも雪をかきわけで計測すると、同じような傾向が見られた。
 今中助教は「地面の放射性物質が出す放射線が雪で遮られているのが現在の状況。線量が低く見えるのは除染、かどうこうということじゃない」と言い切った。

 ★除染は大幅遅れ

 そもそも飯舘村では除染が進んでいない。
 当初の計画では今月末で長泥を除く全地区の除染が終わる予定だったが、廃棄物の仮置き場の確保が難航した上に、廃棄量が予想を大幅に上回り、宅地の実施率は予定の9%、農地や森林は5%前後、道路は1%弱にとどまり、除染終了のめどは生活圏が二0一四年内、残りは一六年内に先送りされた。長泥地区に至っては除染をどう進めるか見通しが立っていない。
 車に同乗してくれた村の男性は「今年は雪があっても除染作業をやっている。去年と違う。行政は焦ってるんだろう」と話した。
 今中助教らは避難指示解除準備区域の佐須地区にある山津見神社で再び車を降りた。昨春に焼失した社殿跡で線量を測ると、毎時一・五マイクロシーベルトを記録した。
 ここは除染未着手地区だが、今中助教は「社殿の下は事故直後、放射性物質が付着してないはず。建物があったわけだから。それでもこの線量になるのは周辺の山林から放射線が飛んできているからだ。除染で線量を下げるには山林までしっかりやらないといけないが、膨大な費用と時間がかかってしまう」と指摘した。
 ★住民と村 温度差
 
 
 そんな状況に置かれながらも村は今月四日、長泥以外の地区について避難指示解除目標を一六年三月とする復興計画案を示した。
 ただ、早期帰村に積極的な菅野典雄村長と村民の思いは一致していない。
 一月末に公表された村民意向調査によると「現時点で村に戻りたいと考えている」は六十代以上でも三割にとどまり、三十代以下では「現時点で戻らないと決めた」が六割を超えた。
 福島県伊達市の仮設住宅で暮らす男性(四五)は「国も村も東京電力もウソばかり。放射線による健康影響は考えにくい、何年後に帰れる、なんて言われても信じられない。原発事故は母親の生きがいだった畑仕事を奪った。飯舘じゃもう、野菜作りは無理。何のために帰還するのか」と憤る。
 今冬の大雪も帰還を阻む要因になりかねない。
 村を巡ると、雪の重みで押しつぶされた民家の納屋や駐車場の屋根、ビニールハウスがあちこちで見られた。家々は雨漏りやネズミのふん尿に悩まされているのに、修繕の負担が追い打ちを掛ける。ある村民は「除染が終わった場所でも、山からの雪解け水で放射性物質が流れてこないか」と不安を訴えた。
 伊達市の仮設住宅の女性(七五)は吐き捨てるように言った。「お先真っ暗。帰村のことを考えると、精神的に参ってしまうからもう考えないようにしている」

——(福島県飯舘(いいたて)村)———-

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 東京電力福島第一原発の北西28キロに位置する。事故前は1700世帯、6200人が居住した。2011年4月に計画的避難区域となり、12年7月に放射線量に応じて、避難指示解除準備区域と居住制限区域、帰還困難区域に再編された。

 

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