4/29俳句あるから 闘えた いじめに負けなかった 俳人「小林凛」君【中日新聞・特報】、『ランドセル俳人の五・七・五』いじめと才能【HONZ】

後半のHONZの書評は丁度一年前にあたる。去年の中日新聞は、この小さな俳句の巨匠のことを取り上げてはいなかった。
あの高島汚染チップ問題にメディアが眼を向けることができたのは、大津のいじめ問題がひとくぎりついたからだ。

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俳句あるから 闘えた いじめに負けなかった 俳人「小林凛」君

2014年4月29日【中日新聞・特報】
 「いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨」。大阪府岸和田市の西村凛太郎君(12)は小学校時代、ふさぎ込む気持ちを五七五に託した。悲しみが安らぎに変わり、句集が新たなつながりを生んだ。今春、中学校に進学して思う。「僕は俳句があるからいじめと闘えた」      (白名正和)

★☆★☆★ 凛太郎君が詠んだ主な句 ★☆★☆★☆

 春の虫 踏むなせっかく 生きてきた

8歳の句。懸命に地面を歩く虫たちの強さに感動しました

 

 紅葉で 神が染めたる 天地かな

9歳の句。赤く染まった木々は、神様の仕業かなと考えました

 

 俳句泳み いじめ克服 羽化揚羽(うかあげは)

12歳の句。頼りないさなぎが蝶となり、新しい世界へ飛び立つ

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 学校って残酷

 「いじめられると悲しさ、つらさ、悔しさ、いろんな思いが混ざり合う。俳句を詠むと、そんな気持ちが安らぐんです」
 中学に進学し、母親の史さん(50)の背丈を超えた凛太郎君がほほ笑む。
 「心に浮かぶことを表現できるのが、俳句の良いところ。詠むたび、お母さんやおばあちゃんに『秀作だ』と褒められるのもうれしくて好きになった」
 出産予定日より三カ月ほど早く、小さな体で誕生した。小学校に入学した時も、ほかの子と比べて体は小さかった。その割に頭が大きいため動きがぎこちなく、両手を伸ばしてバランスを取らないと上手に歩けなかった。入学数日後にいじめが始まった。
 「凛が来たぞ!」と教室の扉を閉められ、「消えろクズ!」とののしられた。教室で足を引っかかれ、腕をねじ上げられた。廊下で後ろから突き飛ばされて転び、目を開けられなくなるほど顔が腫れたことも。
 「学校の先生にいくら抗議しても、『いじめはない』と何もしてくれなかった」と史さんは憤る。凛太郎君は「学校って残酷なところやなあ」と漏らし、二年生は秋以降、不登校になった。それでも、三年生からは登校を再開した。
 いじめはやまなかった。ある時、祖母の郁子さん(75)が教室まで来て、「小さく産まれた凛は、みんなに追いつこうと一生懸命生きている」と訴えた。いじめを止めたい一心からだった。しかし、翌日からは「胎児のように頭が大きいから、胎児頭だ」「障害者は学校に来るな」と言葉の暴力がエスカレートした。
 そんな凛太郎君の支えになっていたのが、小学校入学前の五歳ごろから始めた俳句だ。NHKの教育番組や絵本で親しみ、ずっと続けてきた。

あかねぐも  ふとん
 茜雲   月の蒲団と なりにけり 

 主に花鳥風月が題材だったが、五年生の春、初めていじめを詠んだ。冒頭の「いじめられ・・・」と合わせて一度に三句も。

いじめ受け 春も暮れゆく 涙かな

いじめ受け 土手の蒲公英(たんぽぽ) 一人つむ

 「悲しくてつらい気持ちがたまっていたんだと思う」と凛太郎君。史さんも「怒濡のように出てきた。本当につらかったんだろう」と振り返る。
 その後、不登校を繰り返しながらも、六年生に進級したが、いじめは過激になる一方だった。昨年十一月、自分の椅子が壊され、、「いじめっ子たちがやったと直感した。生身の僕がされたらどうなってしまうか、と怖かった」
 卒業式には出席できなかった。「本当は学校が好きだったのに、いじめが怖くて行けなかった」

 友達ができた

 凛太郎君は六年生の春、句集『ランドセル俳人の五・七・五』(ブックマン社)を出版した。俳号は「小林凛」。「お気に入り」の俳人、小林一茶から取った。
 この句集が思いがけない出会いを橋渡しした。三重県松阪市の小野江小学校の教諭だった草分京子さんがたまたま句集を知り、昨年六月に授業で俳句を紹介した。

強風に あおられまいと しじみ蝶

 いじめや不登校については伏せたが、子どもたちは敏感だった。感想を言い合ううち、「この子はいじめられているんじゃない?」「うちの学校に呼んであげたい」という声が出た。
 昨年十一月、凛太郎君の松阪訪問が実現した。大阪の学校で、椅子が壊された時期と重なる。
 「普通の学校生活をほとんど経験できていないと聞いたので、特別な歓迎会ではなく普段通りの時間割で授業をした。事前に児童と手紙の交換をしていたので、緊張は最初だけですぐうち解けた」(草分さん)
 理科で化石のレプリカを作り、体育でボールを追い掛けた。冗談を言い合い、給食を食べていた時、凛太郎君が笑いながら涙した。「給食はほとんど一人だったので寂しかった。今までの人生で一番楽しい」。心からの思いだった。
 「これは僕の宝物だよ」そう言って手にしたのは小野江小の友達がみんなで手作りしてくれた卒業証書とお守りだった。今年二月下旬に松阪を再訪した際、手渡された。お守りには「28」と縫い付けてある。「小野江小の六年生は二十七人で、僕が二十八人目の仲間という意味」
 凛太郎君は参加できなかったが、小野江小の六年生たちは三月十九日の卒業式で、在校生らに「もう一人仲間がいる」と呼び掛けた。離れてはいても心がつながった凛太郎君に思いをはせて。
 「家で見られない笑顔を見られた。小野江小は第二の母校。凛太郎は俳句という学校生活とは別の世界に打ち込めたから、いじめに押しつぶされず、新しい友達にも出会えた。俳句に助けられた」と史さんは十七文字の力をかみしめた。

 今度は僕が

 いじめはなくならない。文部科学省によると、二0一二年度、全国の小中高校で確認されたいじめは約二十万件に上る。一二年七月に社会問題化した大津市の「いじめ自殺」で認識が高まり、前年度の約三倍増で一九八五年度の調査開始以来、最多となった。
 いじめが子どもを死に追いやる悲劇も後を絶たない。一二年度、自ら命を絶った児童生徒は百九十六人。そのうち、いじめが原因だったのは六人。学校側がいじめとの因果関係を認めることはまれで、九十人の動機は判然としない。
 凛太郎君は「学校の先生はいじめはないと決め付けて、僕の意見を聞いてくれなかった」と自身の経験を振り返る。「他の学校もきっとそう。小さないじめが積み重なって、悲惨なことが起きてしまうんだ」
 いじめられている子に向けた俳句を頼んだ。凛太郎君は「ちょっと待って」と考えにふけり、一句を詠み上げた。

その下に 仲間がいるよ 春の空

 「僕は、俳句や友達に支えられたおかげで、いじめに負けなかった。全国にいじめられている人がいたら、僕が友達になるよ。だから一緒に頑張ろう」

 

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=俳句をノートに清書する凛太郎君kobarin1
凛太郎君(写真中央)が小野江小の児童らと撮った記念写真=2月22日、三重県松阪市で(草分京子さん提供)kobarin3

 

 
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『ランドセル俳人の五・七・五』いじめと才能

【HONZ】 成毛 眞 2013年05月20日 
http://honz.jp/26182

 
ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨–11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと。

作者:小林 凜
出版社:ブックマン社
発売日:2013-04-09

ブーメラン返らず蝶となりにけり

 この本は俳句集であり、いじめを受けている子どもを持つ家族の手記である。まさしく文芸書だ。HONZが得意とするノンフィクションではない。しかし、この本がより多くの人に読まれるよう、僅かばかりでも役に立たなければ、書評を書くものとしての矜持が保てないのだ。すこしだけお付き合い願いたい。いや、無理やりにでももう少しだけ読んでもらいたいのだ。
 著者の凛くんはこの6月で12歳になる小学生である。生まれたときの体重は944グラム。超低出生体重児だった。水頭症の疑いもあり、年に1度はMRI検査を受けなければならないばかりか、頭部への打撲には注意しなければならない状態である。何度も入退院を繰り返しながらも、幼稚園時代には字を覚えて、物語、科学小説を読むようになった。テレビや絵本で俳句に出会った。親が気づけば5・7・5の17文字を指を折って数えていたという。しかし、小学校に進むと事態は一転する。小さくて力が弱く視知覚にも問題のある凛くんをいじめる同級生がでてきたのだ。

「凛ちゃん、いじめられて毎日泣いている、見てられへん」

 女の子がある日教えにきてくれた。入学してたった1週間で後ろから突き飛ばされて顔面を強打したのだ。凛くんにとっては致命的になりかねない暴行である。その後も、腎臓部に青あざを作るほどの激しい暴行は続くのだが、担任も教頭も見て見ぬふりどころか、共犯者としか思われない態度をとる。なんと担任は無実の子どもを犯人を仕立てあげ、凛くん親子に謝らせるというでっちあげまで行うのだ。一旦収まったかにみえたいじめが再発する。もはや、自らの命を守るためにも不登校になるしかなかった。
 凛くんのお母さんとお祖母さんそれぞれの手記が痛ましい。毎日、凛くんを学校に送り出してから、自宅に帰ってくるまで、不安と心配でいたたまれなかったであろう。凛くんの心身の痛みと、お母さんお祖母さんの気持ちを想像するだけで胸が締め付けられる。しかし、その凛くんは文才という力が授かっていた。この本の冒頭、凛くんの文章を全文を引用しよう。
“ この日本には、いじめられている人がたくさんいる。僕もその中の1人だ。いじめは一年生から始まった。
からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、クズ!」とののしられた。それが小五まで続いた。僕は生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの半分もなかったんだよ。一キロもなかったんだよ」、とお母さんは思い出すように言う。
だから、いじめっ子の絶好の標的となった。危険ないじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日にように野山に出て、俳句を作った、

冬蜘蛛が糸にからまる受難かな
これは、僕が八歳の時の句だ。

紅葉で神が染めたる天地かな
この句は、僕のお気に入りだ。

僕は、学校に行きたいけど行けない状況の中で、家にいて安らぎの時間を過ごす間に、たくさんの俳句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だった。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にできた句は、三百句を超えている。
今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。”

素晴らしいリズム感である。驚くべきことに担任も学校も凛くんのこの才能に気づくことはなかったという。それどころか「俳句じゃ食べていけませんので」と嘲ったというのだ。一篇の書評をもって教育制度や、ましては凛くんの学校を糾弾するつもりは毛頭ない。しかし、才能を発掘することも教師にとって重大な仕事であり、それこそが教師の醍醐味であるということは強調しておいてもよいだろう。いじめっ子に対して他人を気遣うということを教えることも教師にとっての誇りではないのか。ともあれ、凛くんは俳句を本格的に学び始めたのだ。季語や切れ字などについても体得しながら、絵と一緒に俳句を作り始めた。
ある夜のこと、お祖母さんは横にいる凛くんが、いじめられてもめったに言葉に出さずに、小さな胸で耐えていると思うと不憫で、つい聞いてしまったのだという。
「凛、生まれてきて幸せ?」

凛くんは

「変なこと聞くなあ、お母さんにも同じこときかれたよ」と答え、沈黙の後、一句。

生まれしを幸せと聞かれ春の宵
 簡単に子どもに対して天才という称号を与えるのはいかがなことかと思う。大人からの過大な賛辞や期待は子どもの成長にとっていかなる負荷になるものかとも思う。しかし、少なくとも自分には今もってこのような才能を見いだせない。

いじめ受け土手の蒲公英(たんぽぽ)一人つむ

 あの朝日俳壇でなんども入選していているのだという。著者には失礼ながらまだ12歳なのである。いささかの嫉妬をするほどだ。凛くんの素晴らしい笑顔の写真と俳句と絵。いっぽうで、この本を読みながら、凛くんのような才能に恵まれない、いまでもいじめを受けている子どもたちについても思いがおよぶ。何とかしてあげなければならない。いったいどうしたらいいんだろう。

 生まれてはじめて12歳という孫のような年齢の人から力をもらった。これからもしっかり生きていこうと思う。この書評がまさに子どもの作文のような締めくくりであることが恥ずかしい。しかし、それこそがこの本の魅力なのである。逆境にありながらも、無垢に明日は今日より楽しいはずだと生きていたころの気持ちに戻してくれる本などめったにないのだ。本書をおすすめする所以である。

 掲載されている俳句は120句ほど。「春」「夏」「秋」「冬」「冬から春」「学校・友達・命」の6つのパートに分かれている。
春嵐賢治のコートなびかせて
ー嵐のような日、コートのえりを立てて歩いていると、宮沢賢治のコート姿の写真を思い出しました(10歳)”
亡き祖父の箸並べけり釣忍
ー夕食のお手伝いをしている時、つい、祖父の箸も出して並べてしまいました。外では釣忍の風鈴が鳴ってました(11歳)”
乳歯抜けすうすう抜ける秋の風
ー乳歯が抜けました。息をすると、そこだけ風が通り抜けるようです(9歳)”
寒空にアンモナイトを掘る僕だ
ー野原に小さく割れた崖があります。僕は発掘道具を持ってよくそこに行きます。水中メガネをかけて、コンコンと土を掘ります。考古学者の気分になります(10歳)”
 凛くんのお母さんは、いつか凛くんが教育現場で尊敬する「師」と出会ってくる日を願っている。大人になって凛くんが懐かしく思い出せるような「学び舎」を得て欲しいともいう。しかし、凛くんが俳句の世界を我が家にもたらしてくれたおかげで「張り切って不登校」と心からいえるようになったともいうのだ。凛くん一家のお幸せを切望する。
いじめられ行きたし行けぬ春の雨

 

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