7月26日(日)9時10分~「7.26田辺の模擬原爆追悼のつどい」/「模擬原爆」投下から70年 大阪で投下の真相に迫る集い【THE PAGE】

なぜパンプキン(模擬原爆)を追っかけているのかといえば、小出裕章さんと津村健夫さんのせいだ。

原爆 戦争 平和 知って 東近江28日作家令丈さん講演会【中日新聞・びわこ版9/20】『パンプキン!模擬原爆の夏』の著者

に書いてある。そこに長浜のリンクもしてある。

現在、令丈さんの本『パンプキン!模擬原爆の夏』は、上牧行動主催者のお孫さんに読ませようと無理やり本棚に置かせて頂いている。
パンプキンのレプリカは滋賀県の平和祈念館で見たことがあるから、一度は大阪市に落ちた所の記念碑へ行ってみようとと思ってはいたが、なんと今年は日曜日なのでお参りに行けるのが分かった。行けるかもしれない。
この7月26日の午前9時10分からは、大阪市東住吉区田辺の田辺模擬原爆の碑前で「7.26田辺の模擬原爆追悼のつどい」が行われる。
このつどいはあの有名な田辺寄席のメンバーが運営されていると「風まかせ」で教えていただいたことがある。記念碑は大阪地下鉄谷町線「田辺」下車南200mらしい。人ごみで化粧臭い人がいたらいやだけどお線香の匂いで悪臭が消えるかもしれない。

なお、津村さんの番組は映像’12 [ 模擬原爆〜パンプキンが落ちた町〜 ] で解説が読める。

その日は「総がかり行動」の日だから、大阪でも2時をまわればどこぞでデモをしているだろう。私はまだシールズ関西を見たことがない。デモはカッコよくなくっちゃなんてことを言う輩だからきっと化粧臭いだろうからパスパス!

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「模擬原爆」投下から70年 大阪で投下の真相に迫る集い

2015.07.18 19:01【THE PAGE】

http://osaka.thepage.jp/detail/20150718-00000002-wordleafv

大阪の市民団体「非核の政府を求める大阪の会」は18日午後、「日本各地にパンプキン爆弾(模擬原爆)が落とされたのをあなたは知っていますか?」と題した集会を大阪市中央区のドーンセンターで開いた。これは1945年、広島と長崎に先立って模擬原爆が投下された地で、それらのことを研究する団体の交流、そしてなぜ落とされたのかを研究する工学博士を呼び、投下の真相に迫るという講演も行われた。また、1945年7月には大阪市内にも模擬原爆が落とされていることから、その当時を知る地元の人らが体験を話し、滋賀県内の博物館に置かれている模擬原爆の模型も展示されるなど、多くの来場者が模擬原爆の実態を見聞きした。

東住吉で「模擬原爆追悼式」。当時を知る人「この事実を語り継いで」

研究する工学博士が自ら調べたことを報告講演

[写真]パンプキン1パンプキン爆弾(模擬原爆)の模型が特別に運ばれた。形がカボチャに似ていることからパンプキン爆弾と呼ばれている=18日午後、大阪市中央区で

模擬原爆は、重さ5トンもある原子爆弾を目的の場所に投下させるか、米軍が1945年8月に広島・長崎に投下する前から日本各地で投下したもの。形は長崎に落とされたプルトニウム型爆弾「ファットマン」と同型だが、中身は爆薬がつめられていた。「パンプキン爆弾」と呼ばれているのは、形がカボチャに似ていることからだという。

このような爆弾がなぜ投下されたのか。そして、その落とされた真相に迫ろうと、長年、模擬原爆などについて研究し「写真が語る原爆投下」「米軍の写真偵察と日本空襲」といった著書でも知られる工学博士の工藤洋三さんが「研究報告」という形で集まった大勢の人の前で発表。爆撃機B29が原爆投下後にその場所から自らも被ばくしないようすばやく逃れるために模擬原爆を落とし訓練していたことなどを説明した。

また、自らが米国へ赴き、当時の関係者らに会うなどして調べたことや、原子爆弾がどこへ投下されようとしていたかなど、自らが入手した資料を使って真相に迫った。

田辺の模擬原爆、当時を知る元教師が体験語る

[写真]田辺の模擬原爆投下時についてかたる龍野さんパンプキン2

また、49発のうち1発は、1945年7月26日に大阪市東住吉区田辺にも落とされており、その当時を知る同区の龍野繁子さん(90)が当時の様子を語った。

龍野さんは1945年当時は中学校教諭として、生徒を田辺周辺の海軍ボタン製造工場へ勤労動員の生徒を引率。しかし、材料がなく仕事ができないため、別の部屋へ移動し授業をしようとした際に、工場に大きな石が飛んできた。

「もし移動してなかったら・・・」移動前にいた場所に、両手でも抱えきれないほどの石が屋根などを突き破り落ちてきていた。後にそれは、現在の地下鉄田辺駅前に落とされた模擬原爆によって、爆心地そばの料亭にあった石が飛んできたものと分かったという。

また、龍野さんの自宅も爆心地そばにあり、窓ガラスが割れるなどしたが母と姉は無事。だが、近所に住む姉の親友は自宅が爆心地そばだったため、吹き飛ばされて亡くなったという。龍野さんはそうした辛い体験を多くの人の前で話し、来場者がそれをじっと聞き入る光景が見られた。

各地の団体同士「横のつながりできた」

[写真]工学博士が自らの研究を基に、パンプキン爆弾投下の真相に迫る講演も行われた

田辺の模擬原爆を研究する同区の吉村直樹さん(68)は「全国各地で模擬原爆が落とされた事実は、今から20年ほど前に愛知県の団体が国立国会図書館で調べた際に分かったもの。それから各地で投下された日に追悼式をやっているが、それぞれ『横のつながり』がなかった」と話す。

だが、きょうは愛知や静岡、兵庫や大津などから各団体の関係者が集まり、交流の場を持てた。吉村さんは「こういう機会を作っていただくことはありがたい。これからもこの模擬原爆のことを伝えていきたい」と話している。

会場には、大津市歴史博物館が所有する模擬原爆の実物大模型が運び込まれ、多くの人がその大きさなどに絶句する様子がみられ、大阪市内から来たという女性(73)は「こんなものを落として。しかもそれがテストだったなんて許せません。戦争なんか絶対にあかんというのを改めて思います」などと話していた。

 26日午前9時10分からは、大阪市東住吉区田辺の田辺模擬原爆の碑前で「7.26田辺の模擬原爆追悼のつどい」が行われる。

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カテゴリー: ちたりた, 戦争法案, 放射能汚染 タグ: パーマリンク