2015年10月30日の社説【琉球新報・沖縄タイムス・朝日新聞・東京新聞】辺野古本体工事

<社説>新基地本体着工 民意無視の強権政治だ 自制なき政権に歯止めを

2015年10月30日 06:01 【琉球新報・社説】
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-162967.html

防衛省は名護市辺野古への新基地建設の本体工事に着手した。中断していた海底ボーリング(掘削)調査も再開した。翁長雄志知事が指摘するように「強権極まれり」という異常事態である。

これほど一地方を標的とした政治的暴力があっただろうか。「公益」を名目に地方の声を踏みにじる。まさしく民主主義の破壊だ。
民主的な行政手続きによる県の埋め立て承認取り消し、非暴力の理念を踏まえた市民の抗議行動を安倍政権は黙殺した。国策への隷属を民に強いる前時代的な強権政治を断じて許すわけにいかない。

沖縄を「弊履」扱い

日米同盟の肩代わりに沖縄の民意を切り捨てるような非道は、サンフランシスコ講和条約による沖縄切り捨てに比すべき不条理と言えよう。このような歴史の桎梏(しっこく)から逃れたいという県民の訴えを政府はことごとく退けてきた。
1971年11月、沖縄返還協定が衆院特別委員会で強行採決された際、屋良朝苗行政主席は破れた草履を意味する「へいり(弊履)」という言葉を使い、「沖縄県民の気持ちと云(い)うのはまったくへいりの様にふみにじられる」と日記に記した。
安倍政権の姿勢は、まさに沖縄を「弊履」のように扱うものだ。
その態度は、普天間飛行場所属のMV22オスプレイの佐賀空港での訓練移転計画を防衛省が取り下げたことにも表れている。
米国と地元の理解が得られないことが取り下げの理由だ。菅義偉官房長官は「知事など地元からの了解を得るのは当然だ」と述べた。沖縄では反対を押し切ってオスプレイを強行配備し、新基地建設を強行しているのに、佐賀では「地元の了解」は必須という。このような「二重基準」を弄(ろう)するような行為は県民を愚弄(ぐろう)するものだ。
名護市の久辺3区を対象とした防衛省の振興費拠出もそうだ。地方自治への露骨な介入であり、住民分断を意図した米統治時代の「高等弁務官資金」の再来を思わせる。
住民分断は植民地統治の常とう手段だ。戦後70年を経て、安倍政権は沖縄を植民地視していると断じざるを得ない。
明治の言論人太田朝敷は「琉球処分」後の沖縄は植民地的な「食客」の位置に転落したと嘆いた。安倍政権の沖縄政策は、沖縄を「食客」の位置に固定するものだ。
本体工事の着手は、民意を無視し、地方自治をじゅうりんする安倍政権の専横が最も露骨な形で沖縄に襲い掛かったものだ。
これは沖縄だけの問題ではない。全国民が安倍政権の本質と厳しく対峙(たいじ)しなければならない。

 政府の焦燥感の表れ

県の承認取り消しの効力停止、国の代執行に向けた是正勧告に続く工事着手という政府の一連の動きはまさしく常軌を逸している。
翁長知事が「国は余裕がなく、浮足立っている感じもする」と指摘するように、矢継ぎ早の対抗策は政府の焦燥感の表れと見ることもできる。
条理にかなった沖縄の抵抗によって政府は守勢に回ったとも言える。今後の法廷闘争でも県民の英知を結集した論理展開で国の不正義を厳しく追及したい。
1996年の代理署名訴訟の最高裁判決は補足意見で、沖縄の基地負担軽減に向け「日米政府間の合意、さらに、日本国内における様々な行政的措置が必要であり、外交上、行政上の権限の適切な行使が不可欠」と指摘し、政府の責任に言及している。
それから19年が過ぎても基地負担の軽減が進んでいないのは、政府が「権限の適切な行使」を怠ったためだ。今回の本体工事着手は政府に課せられた責任をかなぐり捨てる行為に他ならない。その自覚があるならば、直ちに工事をやめ、新基地建設計画を断念すべきだ。
私たちは、民主主義と地方分権に立脚し「自制なき政権」に歯止めをかけなければならない。それは沖縄だけではなく国民全体の課題であるべきだ。

 

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社説[辺野古本体工事着手]自治破壊する暴挙だ

2015年10月30日 05:30【沖縄タイムス・社説】
https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=139317
名護市辺野古の新基地建設に向け、防衛省・沖縄防衛局は29日早朝から、陸上部分の本体工事に着手した。

普段、穏やかな笑みを絶やさない島袋文子さん(86)が、別人のような形相で警備員をにらみつけ、怒りの声を上げた。血の水をすすって沖縄戦を生きながらえ、本土とはまったく異なる米軍支配下の戦後を歩んできた86歳の老女を、日本政府は国家意思によって排除したのだ。
ゲート前で反対行動を展開していた市民が強制的に排除され、海上ではカヌーで抗議する人々が強制排除された。
外見的には、新基地建設をめぐって政府と沖縄県が法律を盾に激しく応酬しているように見えるが、そのレベルをはるかに超える深刻な事態だ。
憲法を尊重し憲法に従って政治を行う立憲政治がないがしろにされ、法律の恣意(しい)的な解釈がまかり通り、公権力の行使をためらわない強権的な姿勢があまりにも目立つのである。
著名な憲法学者の佐々木惣一は「真の立憲政治が我が国に行われないのは何の故か」と問いかけ、こう指摘している(『立憲非立憲』)。
「憲法制度を条文の解釈から観ただけで分かるものではなく、憲法制度を吾々の生活から観なければならない」
実はこの著書は、今から97年も前の1918年に出版されたものだ。憲法制度を生活から観るとはどういうことか。現在の問題に引きつけていえば、辺野古の現場から観るということである。
私たちの目の前で繰り広げられているのは、米軍を引き留めておきたいあまり、憲法を空洞化し、地元の民意を無視して安全保障のコストを半永久的に沖縄に負わせる理不尽で差別的な政治である。

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日米地位協定は基地の提供義務をうたっているが、好き勝手にどこにでも造れるわけではない。憲法・地方自治法の下で国内に米軍基地を建設し新規に提供しようとする場合、地元の同意が絶対的な条件であり、大原則だ。
沖縄県や地元名護市が反対し、昨年の三つの選挙でも各種世論調査でも明確に「ノー」の民意が示された以上、工事を中止し、計画を見直すのは当然である。
行政不服審査法はもともと、国民(私人)を保護するための制度である。同法に基づいて知事の取り消し処分の審査請求や執行停止を申し立てることはできない、と多くの専門家が口をそろえる。
違法性が指摘されているにもかかわらず国土交通相は、行政不服審査法に基づいて執行停止を決め、同時に政府は、地方自治法に基づいて行政代執行の手続きに着手した。「執行停止」と「行政代執行」を同時に打ち出すということは、沖縄県に「さるぐつわ」をかませ、地方自治を破壊するのに等しい。

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埋め立てを承認する際の「留意事項」として環境対策などについて事前協議することが義務づけられているが、沖縄防衛局は、県の同意もないのに一方的にこれを打ち切り、28日、執行停止と同時に県に工事着手届を提出した。陸上部の本体工事に着手したのは翌29日のことである。
埋め立ての既成事実を積み上げること、それによって後戻りできない状況をつくり出し裁判を有利にすること、県民にあきらめの感情を植え付け地域を分断すること-これが政府の狙いであることはあきらかだろう。
中谷元・防衛相は29日、佐賀県の山口祥義知事と会談し、普天間飛行場配備のオスプレイの佐賀空港での訓練移転要請を取り下げると伝えた。
県内のすべての自治体と議会が配備撤回を要請しても政府は聞く耳を持たず、配備を強行した。なのに佐賀空港での限定的な訓練移転の要請は取り下げるというのである。聞いただけで腹立たしくなる話だ。
構造的差別の根は深い。理不尽で不当な基地政策に対しては、これを拒否する権利がある。あきらめないことだ。
県が孤軍奮闘するだけでは政府の強硬姿勢を改めさせることはできない。
全国の弁護士から知恵を借り、影響力のあるさまざまな人々からアイデアを提供してもらい、現地での取り組みと国内外に向けた発信力を強めていくことが急務だ。

 

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(社説)辺野古、本体工事着手 埋め立て強行は許されぬ

2015年10月30日05時00分【朝日新聞デジタル・社説】
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12041917.html

政府はいつまで、沖縄に差別的な歴史を強いるのか。
米軍普天間飛行場の移設先、名護市辺野古で政府は、埋め立ての本体工事に着手した。
新基地建設に「NO」という多くの沖縄県民の声に耳を傾けようとせず、一連の手続きを強行する安倍政権の姿勢に、深刻な疑問を感じざるを得ない。
沖縄県民の人権と民意がないがしろにされている。
同時に、沖縄という一地域に過度の負担を押しつける、この国のあり方が問われている。

 ■沖縄の「NO」の理由

政府に改めて求める。工事を速やかに中止し、県と話し合いの場をもつべきだ。
いま一度、沖縄県民の心情に寄り添ってみたい。
太平洋戦争末期、沖縄は県民の4人に1人が犠牲になる痛ましい地上戦を経験した。本土防衛の「捨て石」とされたのだ。
その沖縄は戦後、平和主義や基本的人権を保障した日本国憲法から隔絶された。米軍統治のもと、「銃剣とブルドーザー」で土地を奪われ、強権的な支配のなかで米軍基地が広がる。
念願の本土復帰から43年。今なお、国土の0・6%の沖縄に全国の73・8%もの米軍専用施設を抱えている。
戦後70年たつのに、これほど他国軍の基地が集中する地域が世界のどこにあろうか。度重なる事故や犯罪、騒音などの基地被害に脅かされ続けてもいる。それが沖縄の現実である。
それでも、翁長雄志知事は日米同盟の重要性を否定していない。抑止力で重要な米空軍嘉手納基地の返還も求めていない。
こうした歴史をたどってきた沖縄に、さらに「新たな基地建設」を押し付けようとする。そんな政府の姿勢に「NO」の声を上げているのだ。
辺野古に最新鋭の基地が造られれば、撤去は難しい。恒久的な基地になりかねない。

■民意に耳を傾けよ

それに「NO」を告げる沖縄の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の四つの小選挙区で反対派が相次いで勝利したことで明らかである。
政府にとって沖縄の民意は、耳を傾ける対象ではないのか。着工に向けた一連の手続きにも、強い疑問を禁じ得ない。
翁長知事による埋め立て承認の取り消しに対し、沖縄防衛局は行政不服審査制度を使い、同じ政府内の国土交通相が取り消し処分の執行停止を認めた。
この制度はそもそも、行政機関から不利益処分を受けた「私人」の救済が趣旨である。防衛局は「私人」なのか。政府と県の対立を、政府内の国土交通相が裁くのが妥当なのか。公正性に大きな疑問符がつく。
政府は同時に、地方自治法に基づく代執行手続きにも着手し、知事の権限を奪おうとしている。その対決姿勢からは、県と接点を探ろうという意思が感じられない。
埋め立て承認の留意事項として本体着工前に行うことになっている事前協議についても、政府は「協議は終わった」と繰り返し、「終わっていない」という県の主張を聞こうとしない。
さらに政府は名護市の久志、辺野古、豊原の「久辺3区」に対し、県や市の頭越しに振興費を直接支出するという。
辺野古移設に反対する県や市は無視すればいい、そういうことなのか。自らの意向に沿う地域だけが、安倍政権にとっての「日本」なのか。
この夏に行われた1カ月の政府と県の集中協議も、結局は、県の主張を聞き置くだけに終わった。その後、政府が強硬姿勢に一変したことを見れば、やはり安保関連法を通すための時間稼ぎにすぎなかったと言わざるを得ない。

■日本が問われている

「普天間飛行場の危険性を除去する」。政府はいつもそう繰り返す。しかし、かつて米国で在沖米海兵隊などの整理・縮小案が浮上した際、慎重姿勢を示したのは日本政府だった。
96年の普天間返還の日米合意から19年。本来の目的は、沖縄の負担軽減のためだった。
そのために、まず政府がなすべきは、安倍首相が仲井真弘多(ひろかず)・前知事に約束した「5年以内の運用停止」の実現に向けて全力を傾けることではないか。
米国は、在沖海兵隊のグアム移転や、ハワイ、豪州などへの巡回配備で対応を進めている。
その現状を見れば、「辺野古移設が唯一の解決策」という固定観念をまずリセットし、地域全体の戦略を再考するなかで、代替施設の必要性も含めて「第三の道」を模索すべきだ。
ひとつの県の民意が無視され続けている。民主主義国として、この現実を見過ごすことはできない。
日本は人権を重んじる国なのか。地域の将来に、自分たちの意思を反映させられる国なのか――。
私たちの日本が、普遍的な価値観を大事にする国であるのかどうか。そこが問われている。
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辺野古着工 民主主義に背く強行だ

2015年10月30日【東京新聞・社説】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2015103002000140.html
沖縄県名護市辺野古で米軍基地の新設工事が始まった。海兵隊拠点の国外・県外移設を求める県民の民意を顧みない安倍政権の暴走だ。安全保障のみならず日本の民主主義の在り方をも問うている。
米海兵隊普天間飛行場(宜野湾市)返還のため、代替施設の建設地を辺野古に定めた一九九九年の閣議決定から、十六年を経ての本格的な着工である。予定工期は二〇二〇年十月末だという。
普天間飛行場は周囲に住宅が迫る。〇四年には隣接する沖縄国際大に米海兵隊の大型ヘリが墜落した。かつて視察したラムズフェルド米国防長官が「世界一危険」と指摘したこともある。
普天間飛行場の閉鎖、日本側への返還が急務であることに異論はない。しかし、代替施設を同じ沖縄県に造る県内移設に、なぜ県民の多くが反対するのか。政府だけでなく、本土に住む私たちも深く考えねばならない。
米軍に強制的に接収された普天間飛行場の返還要求は以前からあったが、日米両政府間で具体的に動きだした契機は九五年の米海兵隊員による少女暴行事件である。
国土面積の1%にも満たない沖縄県には今も在日米軍専用施設の約74%が集中する。事故や騒音、米兵による犯罪に加え、米軍の戦争に加担しているという心理的圧迫など、基地集中による重い負担を、県民は強いられている。
宜野湾市の中心部を占める普天間飛行場の返還は負担軽減策の象徴だが、日米両政府の結論は同じ県内の辺野古への移設であり、唯一の解決策との立場である。
基地を同じ県内に移しても負担軽減にはならない、なぜ沖縄だけが過重な負担を強いられるのか、日米安全保障条約体制が日本の平和に必要なら、日本国民が等しく基地負担を負うべきではないか。
それが沖縄県民の訴えであり、私たちも共感する。
しかし、安倍政権は選挙で示された県民の民意をも顧みず、「抑止力」を掲げて、県内移設に向けた手続きや工事をやみくもに進める。法令の乱用であり、民主主義への逆行にほかならない。
ドイツの宰相ビスマルクの言葉とされるものに「政治とは可能性の芸術である」がある。
辺野古は、本当に「唯一の解決策」なのか。安倍政権は国外・県外移設など、ほかの可能性を追求する努力をどこまでしたのか。県内移設に反対する県民を押しのけて工事を強行するだけなら、もはや政治の名には値しない。

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