11/17-11/19【連載】瀬戸際もんじゅ(1)から(3)まで【福井新聞】

「もんじゅ が おしゃか」になりそうで、とても嬉しいのだが、あまりにも品質管理が出来ていないので、常に町工場よりひどいんじゃないのか!とここでは怒りの声をあげてきたものだ。
それに、なんで担当者が2人も自殺しなきゃならなかったのかと気になることも多い。そのことも連載は書いてくれるのだろうか。きっと書かないだろう。

福井新聞で『【連載】瀬戸際もんじゅ』のシリーズが連載されている。
団藤保晴さんの【Blog vs. Media 時評】を読んでいくと、あの自殺された課長さんは厚顔無恥な政治家でも官僚でもない研究畑の方だったのが伺える。

http://blog.dandoweb.com/?eid=118079
『もんじゅ』課長自殺周辺の不審な巨額費用
2011.02.26 Saturday

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【連載】瀬戸際もんじゅ(1)上 相次ぐ違反、現場は負の循環陥る

(2015年11月17日午後5時10分)
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83848.html

規制委が、もんじゅを運営する原子力機構を「資格なし」と断じ、文科相に運営主体の変更を勧告した。1995年12月のナトリウム漏れ事故から20年。ほとんど動かなかった「夢の原子炉」は存廃の瀬戸際に立たされた。迷走の経緯や核燃料サイクルの行方、地元への影響を探る。

×  ×  ×

機器の点検記録をチェックし、原子力規制庁の保安検査で指摘を受け、またチェックし直す―。「終わりのない作業にみんな、疲弊というか諦めを感じていた」。日本原子力研究開発機構が運営する高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)で春まで働いていた男性は振り返る。

もんじゅの保守管理を担うプラント保全部。原子力機構の生え抜きの職員は、増強された今も半数以下で、業務の多くを電力会社やメーカーからの出向者に頼っている。「出向者は2~3年で代わる。(現場は)幹部が何をしているのか見えない。幹部も現場の状況を全く分かっていない」と男性は打ち明ける。組織の一体感や責任感が見えなかった。

もんじゅは2012年11月に約1万点の機器の点検漏れが発覚。原子力規制委員会は13年5月、運転再開の準備を禁止する命令を出した。
それ以降、四半期ごとの保安検査が10回行われ、8回の保安規定違反が見つかった。「質問をしても回答までに時間がかかる」「品質保証の知識が乏しく技術レベルも低い」と、現地の保安検査官の厳しい指摘が相次いだ。

「(検査中に)答えられず、担当者がだまり込むようになってしまった」と原子力機構の職員からは苦悩の声も漏れる。疲弊し萎縮した現場は“負の循環”に陥った。

 

【連載】瀬戸際もんじゅ(1)下 商業炉まねた保全計画急ごしらえ

(2015年11月17日午後5時30分)【福井新聞】
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83849.html

保安検査の初日会合で改革の進ちょくを話す青砥紀身もんじゅ所長=9月3日、福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅ

大量の機器の点検漏れを引き起こす発端は2009年1月。点検頻度などを定めた保全計画の導入にさかのぼる。

高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)は原子炉冷却にナトリウムを使う特殊な構造だ。例えば、冷却3系統のうち1回の点検でナトリウムを抜いて調べられるのは1系統のみ。一般の軽水炉とは保全の方法が大きく異なる。しかし、日本原子力研究開発機構は国の規制変更に伴い、半年も掛けずに保全計画をつくった。

もんじゅを所管する文部科学省の田中正朗・研究開発局長は「商業炉をまねて急に導入したこともあり、内容が不十分または過多な部分があった」と、急ごしらえの計画に問題があったと認める。

原子力規制委員会が、原子力機構の幹部を呼んで意見聴取した今月2日の会合で、もんじゅの青砥紀身所長はこれまでの問題点をこう弁明した。

「問題の保全計画を導入した翌年の10年は、当時の保安院の保安検査が通年ですべて合格だった。間違いはその後。(福島事故の)3・11後に要求されるものが変わったのに、合格をもらっているため対応は正しかったというところから抜け出せなかった」

ただ県内の規制庁関係者は、10年5月に試運転を再開した段階で「より商業炉に近い管理が必要になったのに、(原子力機構は)十分把握していなかった」と批判する。

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地元の敦賀市や県は、規制委のコミュニケーション不足を問題点に挙げる。渕上隆信市長は「適切な指導があれば、勧告を出すような事態にはならなかったのではないか」と疑問視し、西川一誠知事も「これまでの助言に親切さが欠けている」と苦言を呈した。

青砥所長は「現場では保安検査の視点や基準がほとんど見えない。検査官とコミュニケーションが取れれば対応できた」と悔やむ。

だが、現場が保安検査の指摘への対応に追われていたとしても、機器の安全重要度の分類といった根本部分の改善を放置してきた事実は重い。運転再開準備の禁止命令の解除に向けた報告書で未点検の機器数を誤るなどの軽率なミスも重ね、規制委に見放された。

田中俊一委員長は原子力機構幹部への意見聴取で、最後に吐き捨てるように言った。「施設の安全を保つのは事業者の務め。検査があるからやるわけではない。安全文化が全然できていない」

【連載】瀬戸際もんじゅ(2) 場当たり的改組の20年間

(2015年11月18日午後5時30分)【福井新聞】
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83919.html

日本原子力研究開発機構の創立記念式典で田口康副理事長(左)の訓示を聞く職員=10月1日、福井県敦賀市の同機構敦賀事業本部

原子力規制委員会が高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運営主体を変更するよう、文部科学相への勧告方針を決めた今月4日、田中俊一委員長は運営主体の日本原子力研究開発機構を「ここ20年間、同じようなことを繰り返してきた」と切り捨てた。

1995年12月のもんじゅナトリウム漏れ事故の後、対策を重ね、規制官庁も再三指導してきた。だが、勧告は「結果的に具体的な成果を上げることなく推移した」と断じた。

事故当時、運営主体だった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、大学、電力会社、原子炉メーカーなどから専門家を集めたエリート集団だった。エネルギー資源に乏しい日本で、国策の核燃料サイクルを担う主役に位置付けられた。その自負が、温度計1本の破損で打ち砕かれた。組織は混乱し、事故現場のビデオ隠しは社会問題に発展した。

「動燃職員は当時、技術的レベルも法令を順守するモラルも低かった」。20年前に計測機器のメーカー担当者としてもんじゅに関わった男性は、当時の現場の気質を苦々しく振り返る。「原子炉はメーカーの複合体につくってもらい、動燃は実験データを取って、論文を書くのが仕事だ―と。法律上の規制も、重要な実験を担う研究者とは無関係と、公言する人もいた」

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研究至上主義で閉鎖的とされた動燃は98年、「解体的出直し」と称して核燃料サイクル開発機構に生まれ変わった。旧動燃を主体にスリム化したが、看板を架け替えただけに過ぎなかった。

2005年には国の「特殊法人合理化」の名の下に、核燃機構は日本原子力研究所(原研)と統合。「事業肥大化」という問題が再燃した。旧動燃出身で、事故直後から約10年、もんじゅ所長を務めた原子力バックエンド推進センター(東京)の菊池三郎理事長は「個人的には、合併は間違っていたと思う」と正直に語る。

この間、もんじゅの所管が科学技術庁から文部科学省に移ったため「さらに学術に走った」と菊池氏は振り返る。

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場当たり的な改組を繰り返す中で、実用化を担うため社員を送り出してきた電力会社も及び腰になった。「出向者のレベルが下がり、入れ替わりの期間も短くなった」と複数の関係者は証言する。結果的に組織の意思疎通が滞り、職員間の認識違いと単純ミスを繰り返す悪循環に陥った。

もんじゅに勤める技術職の職員は「研究で成果を残してなんぼ。もんじゅを動かしても評価されない」と打ち明ける。改組は、対外的に変化をアピールしようと現場を細かく組み替えるため、だれも腰を据えて仕事ができないという。この職員は「本当の意味で看板だけを掛け替えるならよかったのに」と皮肉った。

今月2日の原子力規制委員会との意見交換で、着任半年の児玉敏雄原子力機構理事長は、組織の甘さを認めた上で「期限を決め、潜在する問題をつぶす」と決意を語った。

これに対し更田豊志委員長代理は「結果を出せないという結果を積み重ねてきた」と主張し、こう突き放した。「要するに、手詰まりです、というふうにしか聞こえない」

 

【連載】瀬戸際もんじゅ(3) 揺れる核燃料サイクル

http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/nuclearpowermonjuresume/83986.html
(2015年11月19日午後5時20分)【福井新聞】

核燃料サイクルのイメージfukui_monjyu3

新たな運営主体の特定が困難ならば、高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の在り方を抜本的に見直すこと―。原子力規制委員会の勧告は、政府にもんじゅの存廃も含めた判断を迫っている。

「もんじゅが廃炉となれば、日本の核燃料サイクルをやめるということ」。高速炉に詳しい福井大附属国際原子力工学研究所の竹田敏一特任教授は懸念する。

原発の使用済み燃料からプルトニウムなどを取り出し、再処理して再び燃料に使う核燃料サイクルは、国の原子力政策の根幹。中でも、発電しながら消費した以上の燃料を生むもんじゅは、資源小国の日本にとって、かつては「夢の原子炉」と期待された。

ただ、1994年の初臨界後、ナトリウム漏れ事故などで21年間ほとんど運転実績がない。1兆円を超す国費が投じられてきたが、高速増殖炉の実用化のめどは立たないままだ。

それでも、もんじゅが核燃料サイクルの中核として位置付けられてきたのは「エネルギー安全保障や自給率の観点で、他に案がない」(竹田特任教授)と、国が判断してきたからにほかならない。

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高速増殖炉の実用化目標は、先送りの歴史だ。目標時期が初めて具体的に明記されたのは、67年の原子力研究開発利用長期計画(長計)で「1980年代後半」。改定の度に目標を延期し、2005年の原子力政策大綱では「2050年ごろ」。もんじゅの長期停止もあり、当初から約70年間も先延ばしした。

福島事故後、14年に閣議決定されたエネルギー基本計画では「増殖」の文言と目標時期すら消えた。代わりに、もんじゅは高レベル放射性廃棄物を減らす研究という役割が強調された。

「もんじゅが動けば、廃棄物問題の解決に貢献するかのように言うのは『誇大広告』ではないか」。規制委の更田豊志委員長代理は今月2日の日本原子力研究開発機構の幹部への意見聴取で、こう切り込んだ。高速炉を使って廃棄物を減らす研究開発は理論段階にすぎず、単なる延命だと暗に批判した形だ。

九州大大学院の吉岡斉(ひとし)教授も「技術的な信頼性はなく、実現には高速炉が何十基も必要で、実際は不可能な話」と指摘する。

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高速増殖炉のサイクルが実現するまでの“つなぎ”として位置付けられてきたのは、一般の軽水炉での「プルサーマル発電」。増殖とは違い、各原発から出るプルトニウムを再処理して消費していくというのが主眼だ。

プルサーマルは15年度までに全国の16~18基で導入する目標だったが、福島事故前の時点で実施は関西電力高浜3号機など4基のみ。サイクルの中核となる青森県六ケ所村の再処理工場は竣工の延期を繰り返し、先行きは見通せない。

一方で、国内外で再処理した日本のプルトニウム保有量は約48トンにまで増えた。サイクルが動かなければ、核不拡散の観点から国際社会の批判も免れない。

福井県原子力安全対策課長を務めた若狭湾エネルギー研究センターの岩永幹夫常務理事は「核燃料サイクル全体が動いていない中、サイクルの必要性の判断は将来の原子力をどうしていくかだ。原発の割合を減らしていくのなら高速増殖炉の必要性は見えにくい」と指摘。国がエネルギー政策をどう選択するかの問題だと強調した。

以下、つづく・・・

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