11/24から連載【読売新聞・もんじゅ事故20年】<1> 規制厳格化/<2> 保守管理

もんじゅ事故20年<1> 規制厳格化

2015年11月24日【讀賣新聞】
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukui/news/20151124-OYTNT50030.html
保安検査の会議で、原子力規制庁の職員(手前)と対面するもんじゅの幹部職員(9月3日、もんじゅで)
◇する側、される側に溝

阪神大震災が起きた1995年の12月8日夜、資源エネルギー庁の現地事務所長だった佐々木文昭(67)は敦賀市桜ヶ丘町の官舎で絵筆を握っていた。趣味の水彩画に没頭していた時、1本の電話がかかってきた。「ナトリウム漏れの情報が入りました」。高速増殖炉「もんじゅ」(敦賀市)で発生したナトリウム漏れ事故の連絡だった。

原子力発電所の規制は当時、商業用をエネ庁、研究開発段階は科学技術庁(現文部科学省)が担当していた。佐々木の仕事は、商業用原発の運転を監視、指導すること。もんじゅは科技庁の所管だったが、エネルギー資源の乏しい日本では消費量以上の核燃料を生む〈夢の原子炉〉ともてはやされていただけに「まずい、大騒ぎになるぞ」と直感した。

以前から気がかりな点があった。実用化前の原発を対象とする科技庁は、エネ庁と比べ原子力規制の経験が浅い。科技庁の担当者が計器類に近寄ることなく、何メートルも離れた所から運転状況を確認する場面を何度も見かけたことがあった。「まるでお客様扱い。あれじゃあ双眼鏡がないと、原子炉の温度や圧力などの数値を読めないと思った」と振り返る。

不安は的中する。もんじゅの運営主体の動力炉・核燃料開発事業団(当時)による現場撮影ビデオの改ざんなどが発覚し、科技庁の現地事務所長の広瀬登らは、監督責任を果たさなかったとして批判を浴びた。

もんじゅは事故後、ほとんど動いていない。それどころか大量の機器点検漏れなどの不手際が相次ぎ、2013年5月から運転再開の準備停止を命じられている。

今年3月2日、もんじゅで14年度の第4回保安検査がスタートした。問題解決の道筋を示せば、目標に掲げていた年度内の命令解除も夢ではない――。そんな日本原子力研究開発機構の期待は一瞬で吹き飛ぶ。「今月末の命令解除は難しい」。報道陣の前で険しい表情を見せたのは、事故当時に科技庁の現地事務所長だった広瀬。今度は原子力規制庁の安全規制調整官として、検査に臨んでいた。規制を「する側」と「される側」の蜜月関係は遠い過去のものになっていた。

福島第一原発事故を防げなかった教訓から、独立性の高い機関として12年に誕生した原子力規制委員会は、「独善的」と称されるほどの厳格さで電力事業者に立ちはだかる。あたかも〈規制の振り子〉が真逆に振り切れたかのように。それだけに、改革の歩みが遅い機構への対応は厳しい。

今後の対策を聴取した今月2日の臨時会合では、機構理事長の児玉敏雄(64)が矢面に立たされた。ある委員は「もう十分待ったと思っており、白黒はっきり決着をつけたい」と迫った。聴取という体裁をとりつつも、事実上の「最後通告」を突きつけた。13日には文科相に、機構に代わる運営主体を見つけるよう勧告した。

既に現役を退いた佐々木は、有無を言わせぬ規制委の姿勢に違和感が拭えない。「厳しいのはいいが、対話がない。事業者との間に、信頼関係の『し』すらなく、関係が崩壊している」(敬称略)

<ナトリウム漏れ事故> 核分裂反応による熱を伝える「冷却材」に、一般的な原発が水を使うのに対し、もんじゅはナトリウムを採用。ナトリウムは空気や水に触れると激しく燃え、高度な取り扱い技術が求められる。95年12月の事故では、原子炉とじかに接しない2次系配管から漏れた。被害は換気ダクトの焼損などにとどまったが、現場撮影ビデオの改ざんなどが問題化し、「事故が事件になった」と称される。

もんじゅでナトリウム漏れ事故が起き、12月8日で20年となる。運転再開は見通せず、運営主体の日本原子力研究開発機構が「能力不足」との烙印らくいんを押されたことで、廃炉の可能性すら、ちらつく。<夢の原子炉〉がもがいた20年の意味を問う。

 

もんじゅ20年<2> 保守管理

2015年11月25日【讀賣新聞】
http://www.yomiuri.co.jp/local/fukui/news/20151124-OYTNT50050.html

分解して点検されている高速増殖炉「もんじゅ」の非常用ディーゼル発電機のシリンダーヘッドなど(17日、敦賀市で)

◇ずさん計画 ミスの山

2010年5月、「もんじゅ」の運転管理室で、日本原子力研究開発機構の職員の大きな拍手がわき起こった。ナトリウム漏れ事故から、14年5か月ぶりの運転再開――。歓喜に包まれた、その時、自分たちの首を絞めるような事態が進行していたことに誰も気づいていなかった。

その前年、原発に新しい検査制度が導入された。定期検査の度に機器を分解点検するのが基本だったが、機器ごとの劣化具合に応じた柔軟な点検頻度が認められた。保守管理は原発の安全性を左右するだけに、事業者側には高度な技術や経験が求められることになった。

機構も09年1月、この新しい検査制度を導入。電力会社は5年近くかけて検査計画を策定したが、「運転開始に間に合わせるため、10人程度の専従チームが2、3か月で電力会社の見よう見まねで策定した」と元機構幹部が明かす。メーカーなどから提案された点検頻度を検証せずに採用するなど実情とかけ離れたずさんな計画だったという。

もんじゅ運営計画・研究開発センター長の家田芳明(61)は「ずっと動いていなかったので、どういう頻度で、どう点検すればいいか、経験がなかった」と振り返る。

急な制度変更に現場はついて行けなかった。電力会社では専用のソフトで点検の時期や結果、部品の交換時期などもワンタッチで確認できるようにしていた。だが、地味な保守管理より研究開発が優先される機構では、開発に時間もコストもかかるソフトの導入は難しかった。

そのため、職員が紙の台帳や市販の表計算ソフトを使って管理した。担当は1人あたり約1000点。点検期限を誤って入力したり、点検時期が過ぎた機器を見落としたり、ミスにミスを重ねた。原子力規制委員会の関係者は「担当者がうっかり入力し忘れても、誰かがチェックするシステムになっていなかった」とする。

そして、12年11月、積もり積もったミスは9000点を超える点検漏れという最悪な形で発覚。規制委から運転再開の準備が禁じられた。これを境に、年度内に4回ある保安検査は「何か問題があるという前提で、極端に厳しくなった」(機構職員)。

ミスだらけの計画が合格基準になったことで、その後も違反が指摘された。見直しは多大な労力を必要とし、「ほかにやるべきことに力を注げず、手足をしばられ続けた」(機構幹部)。

原子力の技術系職員として県安全環境部企画幹などを歴任した岩永幹夫(61)は「保全計画は運転や定期検査を繰り返したデータを集めて作るもの。試験運転段階のもんじゅはデータがなく、民間と同等のものを導入する必要はなかった」と指摘する。

機構内部からは「拙速」を認める声が漏れる。「次のステップに進みたい思いが強く、とりあえず導入した。やりながら改良すればいいと思ったが、それが甘かった」(ある元機構職員)

機構の「改善は進んでいる」という再三の主張は、規制委に届くことはなかった。“とりあえず”の代償は、あまりにも大きかった。(敬称略)

<新しい検査制度> 運転開始から30年超を迎えた原発が相次ぐ中、機器の経年劣化対策強化のため、2009年1月から導入。過去のトラブルなどを分析し、点検方法や頻度を技術的に評価することや、実施状況を確認するための計画策定も求めた。

2015年11月25日

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