12/9もんじゅ住民提訴 福井の住職が再び原告団に 仲間の遺志継ぐ【東京新聞・社会】中嶌哲演師

もんじゅ住民提訴 福井の住職が再び原告団に 仲間の遺志継ぐ

【東京新聞・社会】2015年12月9日 13時59分
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015120990135950.html

明通寺の文殊菩薩像の写真を示しながら、もんじゅ提訴への思いを語る中嶌哲演さん=福井県小浜市でNAKAJIMATETSUEN_2015120999135950

高速増殖原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の廃炉を目指し、地元福井県の住民たちが八日、国と訴訟で闘う意思を表明した。同県小浜市の明通寺(みょうつうじ)住職、中嶌哲演(なかじまてつえん)さん(73)は、二〇〇五年に最高裁で逆転敗訴した訴訟に続き、今回も原告に名を連ねる。「当時の原告は半数近くが亡くなり、弁護団や支えてくれた科学者も多くが故人になった。皆の無念や遺志を受け継ぎ、勝利を目指す」と話す。 (高橋雅人)

「(心の)防弾ガラスみたいなのをぶち破られた」。中嶌さんがもんじゅに特別な思いを抱く、その原点となった出来事がある。

一九六三年、東京芸術大から高野山大に編入した夏。安保闘争にも関心がなかった二十一歳の青年は友人に誘われ、和歌山での平和行進に参加した。そこで出会った男性の話に、ショックを覚えた。

元軍人で、被爆者だという男性は丸一日、生々しい被爆の様子や戦後の思いを聞かせてくれた。戦後、差別の対象にもなった被爆者の思いを詠んだ短歌は今もそらんじることができる。「死ぬる気で出征したるふるさとへ 隠れ病む身となりて帰りぬ」

大学卒業後、地元で「隠れ病む」被爆者を訪ね始めた。体験を聞き、被爆検査の費用を集める托鉢(たくはつ)も開始。放射線被ばくの問題も学んだ。ちょうど、そのころ、若狭湾岸で原発誘致の話が持ち上がった。反対運動に参加したが、いつしか、故郷は「原発銀座」と呼ばれるように。立地に金がばらまかれ、当時の敦賀市長は後に原発を「金のなる木」と表現した。中嶌さんは「金で批判的な意見や疑問を封じ込めてきた」と怒る。

八三年、高速増殖原型炉もんじゅに設置許可が出た。通常の原発と違いプルトニウムを使うが、それは「原爆の材料になる」。

明通寺の国宝の三重塔には、もんじゅの名の由来となった文殊菩薩(ぼさつ)が獅子に乗っている。「仏教の獅子は人間のエゴの象徴で、それを制御するのが文殊の知恵。それに対し、人間が原子力を完全に制御してみせるというのは何と傲慢(ごうまん)なのか。そういうおごりこそを、文殊菩薩は最も戒めている」

八六年四月二十五日、福井地裁で行われた前回もんじゅ訴訟の第一回口頭弁論。今は故人になった原告団長の磯辺甚三さんは意見陳述の最後にこう一喝した。「科学者よ おごるなかれ」。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きたのは、その翌日だった。

もんじゅも二十年前の十二月八日、ナトリウム漏れ事故を起こした。そして、福島第一原発の事故…。

これまでの闘いは失望、絶望の連続だった。でも、諦めない。「放射能は子々孫々の世代まで負の遺産を残す。福島も、もんじゅも同じ過ちを繰り返してはいけない」

(東京新聞)

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