(特集・連載)新貧乏物語 第1部・悲しき奨学金(1)借金1044万円 (2)落とし穴 (3)破産しても消えない (4)風俗で働く自分に涙【中日・東京新聞】

元旦、近江八幡の駅前のコンビニで分厚い中日新聞を購入し、原発報道の少なさに嘆きながら貧困問題を扱ったシリーズが始まるのを知った。
このシリーズは河上肇著『貧乏物語』をベースに連載していくとあった。
一部分だけなら中日プラスで写真だけ見ることもできる。
アメリカンさんのブログより転載させていただく。アメリカンさんありがとうございます。

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(1)借金1044万円

2016年1月3日【中日新聞 特集・連載 新貧乏物語 第1部・悲しき奨学金】
http://ameblo.jp/psmch291/entry-12113467156.html

昨年末、名古屋の都心・栄。師走に華やぐ繁華街に、かすれた声が響いていた。
「教育を受けながら、どうして大きな借金を背負わなきゃいけないんでしょうか」
声の主は、名古屋にある名城大経営学部三年の佐藤寛太さん(23)=愛知県春日井市。裕福ではない子どもたちへの教育援助を訴えるため、支援団体の仲間と街頭に立った。
佐藤さんは大学卒業時、最大で千四十四万円の借金を背負い込む。すべて、奨学金の返還。民間のあしなが育英会などから高校と浪人時代に借りた分を除く五百十万円は、独立行政法人・日本学生支援機構(旧日本育英会)から借りる。入学時の特別貸与三十万円と月額十万円の四十八カ月。年率3%の上限利子が付く 「第二種」の奨学金だ。
大黒柱だった父は、佐藤さんが三歳のときに病死した。大腸を切除する大病を患った母(59)はパートの保育士として働きながら、末っ子の佐藤さんと兄二人を育てた。約九万円の月収を児童扶養手当や祖父母からの援助で補う、ぎりぎりの暮らしだった。
思春期。おしゃれに凝りだした友達が「NIKE」のスニーカーを買うと、似たデザインの靴をセールで見つけて六百八十円で買った。中学を卒業するまで自転車はなく、近所を遊び回る友人たちに走ってついていった。
何よりつらかったのは、仏壇の前で涙する母の姿だ。生活がうまくいかないとき、不安なとき、父に何かをつぶやきたかったのだろう。
それでも、手に職を付けて早く働き始めるため、「高校は工業科か商業科に行こうか」と気遣う佐藤さんに、母は「普通科で大学を目指して」と言った。「将来のお給料が違ってくるから。教育はそのためにあるの」
励まされてつかんだ合格。ただ、四年間の学費三百五十八万円に加え、教科書代や定期代が家計にのしかかる。奨学金が無ければ大学には進めず、ハンバーガー店で手にする時給八百三十円のバイト代も半分は母に渡している。
そうしなければ進学できない学生がいることを知ってほしい。佐藤さんはその思いで師走の街に立ったが、道行く人の反応はさまざまだ。
「やかましいんだよ」。顔をしかめてからんできた茶髪の青年がいた。別の日には初老の男性に「大学なんて、金持ちのぼんぼんが行くものなんだ。俺の時代はそうだった」とまくしたてられた。
募金箱を持つ手がビル風でかじかむ。「ご協力をお願いします」と声を上げていると、企業が募集するインターンで去年滞在したフィリピンの子どもたちを思い出す。すり切れた服を着て路上にたむろし、外国人の佐藤さんに小銭や食べ物を求めて群がってきた。
あの子たちに比べれば、今の日本は豊かだと思う。ただ、大学の進学率が五割を超え、学歴が生涯賃金に大きく影響するようになった。公的な奨学金は未来への チャンスを与えてくれる制度のはずだが、返還の必要がない「給付型」が整備されていないのは、主要国の中で唯一、日本だけだ。
「将来、一千万円の借金がある自分を企業の面接官はどう見るんだろう。結婚してくれる女性はいるのかな」
春、桜が咲くころには就職活動を始める。「世間が冷たいとは言いたくない。ただ、社会に出るスタートラインは平等であってほしかった」
月に約四万円、二十年。来年三月、大学生活が終われば重い返還が待ち受けている。

貧困の連鎖を教育で断ち切り、将来の格差を埋めるための奨学金。大学進学者の増加を後押しする一方、返還負担が若者の重しになっている。奨学金の現場から、この国の貧困の現実を見つめる。

 

(2)落とし穴

2016年1月4日 【中日新聞 特集・連載 新貧乏物語 第1部・悲しき奨学金】
http://ameblo.jp/psmch291/entry-12113986530.html

人々が出勤を急ぐ朝の地下鉄。乗り換え通路の売店で、名古屋市に住む坂村勉さん(25)=仮名=は足を止める。視線の先の黄色い箱は、朝食代わりの「カロリーメイト」。二本入りで百八円。「買おうかどうか、毎朝迷う」
私立大の理系学部を三年前に卒業し、中部地方の自治体の嘱託職員として働いている。本当は高校教師になりたかったが、採用試験に失敗。今の手取りは十三万八千円。家賃や光熱費を引くと、食費は一日千円あるかどうか。
大学の学費は日本学生支援機構から借りた奨学金三百八十四万円と、祖母の援助でまかなった。父が営む広告会社が東日本大震災のあおりで倒産し、生活費は百円ショップのアルバイトで稼いだ。
若者の就職難が続いていた時期。嘱託でも職に就けた自分は幸運なのかもしれないが、月一万八千円の奨学金の返還は五カ月分で滞った。機構に窮状を訴えて、最長十年の返還猶予がようやく認められた。失業や生活苦、災害、傷病などが対象になる。
自力で返すために正規の公務員を目指している。でも、「専門の予備校に通いたくても、そのお金がない」。返済が再開するのは三十三歳。そのとき、二百三十五カ月、年率1・08%の利子が付いて約四百二十万円の残額はそのまま残っている。
利子だけでなく、延滞金で膨らんだ残金の返還に苦しんでいる人もいる。
浜松市北区のTさん(42)は九年前、思いも寄らない電話を受けた。山梨県の実家に機構から届いた通知を見て、両親が連絡をよこした。
「このままでは裁判になるって書いてある」
大学時代に借りた奨学金は二百三十万円。一九九六年の卒業から二〇〇一年までは会社員だった父(74)が毎月返してくれていたが、定年退職後に返還がス トップした。Tさんの知らないうちに残高百五十一万五千円が六年間放置され、滞納分に年率10%(現行は5%)の延滞金がかかっていた。
ちょうど親戚のいる浜松でカラオケ喫茶を始めたころ。慌てて機構に連絡し、月一万一千円の返還を〇七年に再開した。でも、その四年後の一一年、Tさんは機構の担当者から、さらに耳を疑う話を聞いた。
「今の返還額だと、返し終えるまでに時間がかかりすぎます」。月一万一千円はあくまで延滞金の支払い。元金が一円も減っていないため、延滞金はさらに増え続けているという説明だった。
機構のコールセンターには、請求や督促への相談が一日数千件ある。中にはきちんと返そうとせず、居直る人もいるという。担当者は「意図的に少額の返還をし ている人以外に、こちらから増額をお願いすることはない」。ただ、寺沢さんは「月の返還額を倍の二万二千円に増やしたのは、機構からの話だったから。そう せざるを得なかった」と話す。
Tさんは、機構が作成した入金一覧表を見てため息をつく。大学時代に無利子で借りた元金二百三十万円に対し、父とTさんはそれを上回る二百四十四万八千円を既に支払った。うち延滞金は九十九万円。それでも、九十一万円の未返還金が残っている。
「返還を親に任せ、途中で滞った事実を知らなかった自分も甘かった。でも、これじゃあ延滞金地獄だ」
軌道に乗せたカラオケ喫茶は昨年末、高速道路の施設拡張で閉店した。月に二万二千円を返すため、この正月もアルバイトで、しゃぶしゃぶ店の調理場に立っている。

 

(3)破産しても消えない

2016年1月5日【中日新聞 特集・連載 新貧乏物語 第1部・悲しき奨学金】
http://ameblo.jp/psmch291/entry-12113992171.html

「正月ぐらい、帰ってこんの?」
昨年末、東京。ネット通販会社のアルバイトで生活している高橋康弘さん(35)=仮名=は、故郷の名古屋に住む母の声を複雑な思いで聞いた。「お金もったいないし、やめとくよ」。そう言って電話を切ったが、本当は顔を合わせにくい事情がある。
高橋さんはこの正月明けにも、東京地裁に自己破産を申請する。約四百万円の負債は年収のほぼ二倍。うち半分が、日本学生支援機構から借りた奨学金の残金だ。消費者金融などの借金は破産すれば消えるが、奨学金だけは連帯保証人の母に機構から請求が行く。
その母は今、年金を頼りに一人きりで暮らしている。子どものころから教育熱心で、学習塾やバイオリンに通わせてくれた。当時は父の勤務先の1LDKの社宅住まい。高橋さんが小学校のときに両親が離婚し、母は工場で働きながら一人息子を育てた。
中学三年の三者面談。成績が良くなかった高橋さんと母に、担任は「このままだと高校に行けませんよ」と告げた。帰り道、「高校なんか行かんでもええわ」と ふてくされると、母は「とんでもない。上を目指さんかったら、どんどん悪くなるばっかだわ」と、血相を変えてしかった。あんなに怒った顔は、それから一度 も見たことがない。 奨学金で東京の私立大に進み、卒業後はIT企業に就職したが、強引な社風になじめず辞表を出した。当時の大卒の平均初任給十九万八千三百円。それを捨て、アルバイトや派遣でしのぐ暮らし。「やり直したい」と思っても誰にも言い出せず、今は破産する以外に選べる道はない。
地裁に申請すれば、春までには決定が出る。破産が決まっても、奨学金は母に頼らず自分で返すと決めている。ただ、家に余裕がなかったから奨学金を借りざるを得なかったのに、その請求が親に回ることに疑問を感じている。
機構によると、高橋さんのように奨学金の返還を抱えて自己破産した人の負債件数は、二〇一四年度末で一万一千四百八十二件。奨学金を借りるには親が連帯保 証人になるほか、親戚らが務める保証人も必要で、本人の代わりに元金や延滞金などの一括返還を求められた訴訟は過去五年で四千六十四件。すべての訴訟件数 の15%を占める。
金沢市の事務所に所属する三十代の弁護士も、自己破産の申し立てを担当したことがある。「親や親戚に請求されるのは嫌だ」という相談を何件も受けた。
「どうなっているんだ」「こんなつもりじゃなかった」。借りた本人の代わりに突然返還を求められた親族からは、怒りや困惑の声を聞かされる。奨学金が原因で関係がぎくしゃくしていく家族も見てきた。
この弁護士自身、機構から借りた奨学金を返し続けている。大学から法科大学院を終えるまでに、計八百万円を借りた。自治体の奨学金を合わせれば総額一千万円。弁護士としてのキャリアは浅く、月収が数万円の月もある。 返還は毎月五万円。連帯保証人の父は既に退職している。「もしも自分が返せなくなったら、どうなるのだろう」。相談者の苦悩を聞くたびに、その姿に自分を重ねて不安になる。

 

(4)風俗で働く自分に涙

2016年1月6日 【中日新聞 特集・連載 新貧乏物語 第1部・悲しき奨学金】
http://ameblo.jp/psmch291/entry-12114439040.html

奨学金の返還を宣伝文句に女性を求人していたプロダクションのサイト。現在は閉鎖されている=一部画像処理
東京・五反田のマンション。ふかふかのソファに体を沈め、慶応大二年の椎名理子さん(20)=仮名=がテレビを眺めていた。携帯電話が鳴ると行き先のホテルを確認し、待機室のこの部屋から出掛けていく。
理子さんは大学一年の六月から、派遣型の風俗店で働いている。週三回、一日約七時間働いて、月収は五十万円。うち三十万円を実家に仕送りし、残りはアパートの家賃五万五千円と生活費に充てている。
風俗で働くのは、日本学生支援機構の奨学金を卒業時にまとめて返すためだ。月六万四千円、四年間で計三百七万二千円。借金を背負って社会に出るのは嫌だった。
東京から電車で二時間ほどの町の出身。高校までは両親と二歳上の兄と実家で暮らしていた。中学二年のとき、トラックの運転手をしていた父が解雇された。気力をなくして今も仕事に就かず、パート事務員の母の年収二百万円では進学はとてもかなわなかった。
「お父さんみたいになりたくない。ブランド力がある慶応に行って、一流企業に入る」。食卓でうつむく母をそう説得し、現役で合格して奨学金を借りた。入学 後はサークルに入らず、講義には欠かさず出席している。これまでの単位はすべて取得し、成績表には四段階で最も優秀な「A」が並ぶ。
で も、アパートで一人、鏡に映る自分を見て、涙が出たこともある。「私、汚れちゃったな」。付き合って半年の彼氏には「レストランの接客のアルバイト」とう そをついている。毎月三十万円を実家に送る娘のことを、母はきっと「おかしい」と思っている。でも、そのお金が無ければ先に大学に進んだ兄への仕送りも滞 る。
着ているブラウスは千九百円の量販品。生活を切り詰めて、理子さんの貯金は百万円を超えた。このままバイトを続ければ奨学金を一括で返せそうだが、「私の家もお金さえあれば、風俗やらなくてもいいのにな」との思いは消えない。
理子さんが働く店の男性店長(28)は「ここ数年、奨学金を抱えて風俗で働く女子大生が急増している」と内情を話す。ネットでは「奨学金の返還」を誘い文句にする求人が珍しくなくなっている。
東京都渋谷区の大手AVプロダクションは昨年、本業を明かさずに「奨学金返済ナビ」というサイトを開設。「最短二日での返済が可能」などと宣伝して女性を募り、ネット上で「最低だ」などと批判を浴びた。
プロダクションの関係者は「貧しさに付け込むような求人はよくない。そういう意見もあったのに、社内の一部の人間が決めた」と証言。批判を意識して、十一月末にサイトを閉鎖したことも認めた。
ただ、奨学金を早く返したい学生は理子さんたちだけではなく、そこに目を付ける大人たちのビジネスが消えてはまた生まれている。
一度は閉鎖され、「現在使われておりません」の音声が流れていたフリーダイヤル。年末に電話すると呼び出し音が鳴った。応対した女性は、こう答えた。
「はい、こちらは奨学金返済ナビです」

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