1/26裁判へ 原発告訴団長の決意 事故の責任はっきりと【東京新聞・ふくしま便り】武藤類子さん

11/9/19「さようなら原発五万人集会」での武藤さんの発言は末尾にあり。

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裁判へ 原発告訴団長の決意 事故の責任はっきりと

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2016012602000194.html
2016年1月26日【東京新聞・ふくしま便り】

「二度と同じ不幸を繰り返さないためにこの裁判が大切」と話す武藤類子さん=福島県田村市で
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福島第一原発の事故を引き起こした東京電力幹部の刑事責任を問う裁判で、東京第五検察審査会は昨年七月、勝俣恒久元会長ら三人の強制起訴を議決した。近く裁判が始まる。告訴した福島原発告訴団の武藤類子団長(62)は、もともと故郷・福島の里山で自然と共に生きる生活を目指した人だった。そんな武藤さんは、なぜ、「鬼」となったのか。

原発事故から半年が経過した二〇一一年九月。東京都内で「さようなら原発五万人集会」が開かれた。壇上に立った武藤さんは「私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」とスピーチする。言葉は感動を呼び、脱原発運動を勢いづける力となった。

その「鬼の棲(す)みか」は阿武隈山地に抱かれた福島県田村市にある。穏やかな山と川に囲まれたロッジ風の家が武藤さんの自宅だ。春には観光客でにぎわう三春の滝桜などにもほど近い。

特別支援学校教員を十七年務めた後、〇三年にこの場所に里山喫茶「燦(きらら)」を開店した。裏山で拾ったドングリを食べたり、野草を摘んでお茶にしたり、クリやキノコなど季節の山の幸も店の看板だった。

「一九八六年にチェルノブイリの事故が起きました。福島にも十基の原発があった。本当に安全なのかと心配になったのが環境問題に関心を持ったきっかけです。『脱原発福島ネットワーク』をつくり、仲間と勉強会などをした。そうした活動の中で、まず自分の暮らしを見詰め直そうと考えた。そこで父が持っていた里山の開墾を始めたんです」と武藤さんは話す。

自然食や太陽光利用のワークショップなども開催した。

そんな生活を根底から覆したのが、一一年三月の福島第一原発の事故だった。

原発から燦まで約四十五キロ。家族や近所の人と一緒に少しでも遠くへ行こうと吹雪の山道を車を走らせた。会津若松市、山形県天童市など知り合いの家を転々とした。数カ月して自宅には戻ったが、事故以来、店を開いたことはない。放射性物質が検出されたため、薪(まき)は燃やせなくなった。ドングリもキノコも食べられなくなった。開店から十年を迎えるはずだった一三年四月に廃業届を提出した。

事故から九カ月後の一一年十二月十六日、野田佳彦首相(当時)は「原子炉の冷温停止状態を達成した」として事故の「収束」を宣言した。怒りに火が付いたのは、このときだ。

「事故から一年近くがたつのに抜本的な救済策は何も提示されなかった。おかしいなと思っていたら、このありさま。これで終わりなのか。また誰も責任を取らずに済ますんだな。そう思ったら許すことができなかった」

事故は明らかに人災だった。

福島の原発は、八九年に第二原発の3号機で、原子炉に冷却水を送り込む再循環ポンプが破損する事故が起きている。第一原発も一〇年六月に、2号機で冷却系電源を全喪失する事態を招いた。武藤さんらは、そのたびに原因究明や再発防止を求めて東京電力に申し入れをしてきたが、こうした提言を一切受け入れずに、引き起こしたのが、今回の事故だ。

事故から一年後の一二年三月、福島原発告訴団を結成し、団長となった。同六月、東電の元幹部三人を告訴・告発。東京地検は二度までも不起訴処分としたが、東京第五検察審査会は強制起訴を議決した。

今後は補充捜査の終了を待って裁判が始まる。武藤さんらは今月三十日、東京の目黒区民センターホールで「福島原発刑事訴訟支援団 1・30 発足のつどい」を開く。裁判の行方を見守り支えるために全国から支援団へ参加を求めるつもりだ。

昨年六月、国は閣議決定で福島復興指針を改定し、一七年三月までに居住制限区域と避難指示解除準備区域の避難指示をすべて解除し、賠償も打ち切る方針を発表した。武藤さんは、これについても「あきらめたり、忘れたりを強要する帰還復興政策」と切って捨てる。

「福島の人は本当は誰も安全だとは思っていない。仕方がないから口をつぐんでいるんです。それもこれも、事故の責任をあいまいにしたところから始まっているような気がします」

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「発足のつどい」に関する問い合わせは福島原発告訴団=電080(5739)7279=まで。(福島特別支局長・坂本充孝)

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武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40周年実行委員会)

http://sayonara-nukes.org/2011/09/110919hatugen/
2011/9/19明治公園「さようなら原発五万人集会」より

皆さん、こんにちは。福島からまいりました。きょうは福島県内から、また避難先から、何台もバスを連ねて、たくさんの仲間と一緒に、やってまいりました。初めて集会やデモに参加する人も、たくさんいます。それでも福島原発で起きた悲しみを伝えよう、私たちこそが「原発いらない」の声をあげようと、声を掛けあい、誘いあってやってきました。
初めに申し上げたいことがあります。三・一一からの大変な毎日を、命を守るために、あらゆることに取り組んできた皆さん一人一人を、深く尊敬いたします。それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様ざまな支援をしてくださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。
そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった、子どもたち、若い人たちに、このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。本当にごめんなさい。

さて、皆さん。福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。モモ・梨・リンゴと果物の宝庫の中通り。猪苗代湖と磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを、深い山々が縁取っています。山は青く、水は清らかな、私たちの故郷です。
三・一一原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り注ぎ、私たちは被ばく者となりました。大混乱の中で、私たちには様ざまなことが起こりました。すばやく張り巡らされた安全キャンペーンと不安の狭間で、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人が悩み、悲しんだことでしょう。
毎日、毎日、否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、させない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かにもの申す、黙る。様ざまな苦渋の選択がありました。
そしていま、半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、事実は隠されるのだ、国は国民を守らないのだ、事故は未だに終わらないのだ、福島県民は核の実験材料にされるのだ、莫大な放射能のゴミは残るのだ、大きな犠牲の上になお原発を推進しようとする勢力があるのだ、私たちは捨てられたのだ――。私たちは疲れと、やりきれない悲しみに、深いため息をつきます。
でも口をついてくる言葉は、私たちを馬鹿にするな、私たちの命を奪うな――です。福島県民はいま、怒りと悲しみの中から、静かに立ち上がっています。子どもたちを守ろうと、母親が、父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが。自分たちの未来を奪われまいと若い世代が。大量の被爆に晒されながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと、労働者たちが。土地を汚された絶望の中から、農民が。放射能による新たな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が。一人一人の市民が、国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと、声を上げています。

私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の土地に留まり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに、注目してください。政府交渉、疎開、裁判、避難、保養、除染、測定、原発と放射能についての学び。そしてどこにでも出かけて、福島を語ります。きょうは、遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りの、あらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。

もう一つ、お話したいことがあります。それは、私たち自身の生き方、暮らし方です。
私たちは何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。差別と犠牲の上に成り立っていることに、思いをはせなければなりません。原発は、その向こうにあるのです。
人類は、地球に生きる、ただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるでしょうか。私は、この地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。だれにも明確な答えは分かりません。
でき得ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人一人が、本当に、本当に、本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。一人一人に、その力があることを思い出しましょう。
私たちは誰でも、変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がりつながり続けていくことが、私たちの力です。たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめ合い、お互いの辛さを聞きあいましょう。涙と怒りを許しあいましょう。いまつないでいる、その手の温もりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たち一人一人の、背負っていかなければならない荷物が、途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあり、軽やかに、朗らかに、生き延びていきましょう。
ありがとうございました。

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