1/29 3・11前に戻る川内の町 記者ルポ/賛成 作業員待つ繁華街  反対 廃炉へ訴え続ける【中日新聞・福井発】

「廃炉は天の声」
まことにそのとおり!
諦めることを諦めるしかない。

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3・11前に戻る川内の町 記者ルポ

 賛成 作業員待つ繁華街  反対 廃炉へ訴え続ける

【中日新聞・福井発】2016年1月29日
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2016012902000221.html

kenfuku0129a全国チェーンのホテルが並ぶ川内駅前。川内原発への出張客を見込み、タクシーが客待ちしていた=19日
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関西電力高浜原発3号機(高浜町)が29日にも再稼働する。4年ぶりに原発が動く街はどう変わるのか。昨年8月、新規制基準下で初めて再稼働した九州電力川内(せんだい)原発が立地する鹿児島県薩摩川内市を歩くと、福島第一原発事故がどこか人ごとのように過ぎ去り、3・11前に回帰していく姿が浮かんだ。=<1>面参照 (塚田真裕)

川内駅周辺の繁華街は月曜日から人出があった。「客は増えた」と言うのは焼き鳥店で働く田中建吉さん(36)。「原発で働く人が戻ってきた」と話す。仕事帰りに来店した協力会社の男性(37)は「ようやく堂々と飲める」と晴れ晴れしい表情でジョッキを空けた。再稼働までは余計なトラブルが起きないようにと、会社からの通達で繁華街に行くのを控えていたという。

駅周辺には全国チェーンのホテルが立ち並ぶ。人口十万人に満たない街に、三十六ものホテルや旅館。市ホテル旅館組合の福山大作組合長(65)は「多くが十三カ月に一回の原発の定期検査を当てにしている」と説明。定検時、作業員は三千人に上る。「だから止まっている間がきつかった。二軒は持ちこたえられず廃業した」と振り返る。

定検は半年以上先で客数に変化は見られないが「再稼働して街も潤う。3号機の増設が始まれば夢の街になる」と福島の事故直後から棚上げされている増設計画の実現を期待していた。

テント村(右奥)のある久見崎海岸の前で再稼働に反対する思いを語る森永明子さん=kenfuku0129b18日、いずれも鹿児島県薩摩川内市で
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一方、再稼働に反対の声を上げ続ける人もいる。原子炉建屋が見える久見崎(ぐみざき)海岸には「廃炉は天の声」と書かれた横断幕が横たわる。通称「テント村」だ。1号機が再稼働した昨年八月には四百人が集まったが、再稼働後は出入りが減り、今は三人が住み込む。

まきストーブで体を温めていた川崎市出身の江田忠雄さん(77)は「動いたからといって終わりじゃない。止まるまで続ける」と絶望した様子はない。

川内原発差し止め訴訟の原告団代表森永明子さん(44)は「再稼働で街が活気づいたとも、寂れたとも思えない」と冷静に分析する。「原発の存在を気にしていない人は関心のないまま」。そのことに無力さも感じる。「でも、地元から声を上げ続けないと反対する人がいないと思われる」と危機感を示す。

原発から南に三・五キロの寄田町。二百世帯ほどの小さな集落だ。小さなスーパーを五十年以上営む満田りく子さん(80)は「これまでも原発と一緒に暮らしてきたから」と、再稼働後も気持ちに変化はない。「足が悪いので、もし事故が起きたら他人の世話になる。でも、そのときはそのとき」と淡々と話した。

鹿児島県薩摩川内市 薩摩半島の北西部に位置し、人口は9万9589人(2010年国勢調査)。九州電力川内原発1号機は1984年7月、2号機は85年11月に運転を開始し、ともに出力89万キロワット。他に九電の石油火力、風力発電所がある。

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