2/18「熊取6人組」今中哲二さん最後の原子力ゼミ(1)「福島の事故は明らかな人災」 【アジアプレス】

今が旬の今中さん!これからどんどん記事が出て来るものと思われる。この記事の記者さんもカメラマンさんとも、この一カ月は「熊取六人組」追っかけ仲間で、いたる所でお会いした。これは連作らしいので(2)も楽しみ。

安全ゼミの翌日2/11のお昼すぎ
「そろそろ今中さんの記事がどっかの新聞社で上がっているはずよ」
「えっ どうやって調べるんですか?」
「今中 定年 熊取 くらいで検索してみて」
「あっ ありました 東京新聞」
などと会話したが、私ったら失礼なことを言ってしまったわ。相手はフリージャーナリストさんなのに偉っそうに言うてしもた。すんません。

新聞うずみ火では今中さんの講演会を今まで3回開催してくれたが、2回目のは行けなかったけれど、下記でも読める。↓

京大原子炉実験所 今中哲二さん講演~放射能汚染の現状(上)

京大原子炉実験所 今中哲二さん講演~放射能汚染と向き合うには(下)

===========

「熊取6人組」今中哲二さん最後の原子力ゼミ(1)

「福島の事故は明らかな人災」

2016年2月18日 10:34 【アジアプレス】
http://www.asiapress.org/apn/archives/2016/02/18103439.php

大阪府熊取町の京都大原子炉実験所で反原発を訴えてきた研究者グループ「熊取6人衆」の唯一の現職、今中哲二さん(65)が3月末の定年退職を前に、2月10日、最後の「原子力安全問題ゼミ」で講演した。講義のテーマは「福島原発事故から5年」。今中さんは「定年後も福島に関わっていく」と語った。(矢野宏/新聞うずみ火)

asiapress_kumatori6v01「福島原発事故から5年」をテーマに講演する京都大原子炉実験所の今中哲二さんは「福島の事故は明らかな人災」と語った。(大阪府熊取町で2月撮影・栗原佳子)

「熊取6人衆」とは、94年に亡くなった瀬尾健さん、海老沢徹さん、小林圭二さん、川野眞治さん、小出裕章さん、今中さんの6人。

原子力安全問題ゼミは1980年6月に6人が始めた市民参加の自主講座。今中さんが定年を迎えるため、112回の今回で最後を迎えることになった。

今中さんは広島市出身。祖母を原爆で亡くした。大学で原子力工学を専攻したが、日本の原発は安全だと言いながら都会ではなく、田舎にしか造らないことから。原発に疑問を持ち始めたという。

76年、京大原子炉実験所に助手(現・助教)として着任。3年後の79年3月に米国・スリーマイル島で原発事故が起こり、今中さんは瀬尾さんと一緒に放射能放出量を評価する作業に従事した。86年4月に発生した旧ソ連・チェルノブイリ原発事故でも20回以上現地に入り、調査研究を行った。

asiapress_kumatori6v02会場からの質問に答えるウクライナの科学者ウラジミール・ティヒーさん(写真左)と今中さん(大阪府熊取町で2月撮影・栗原佳子)

この日は全国から150人が詰めかけ、6人衆も瀬尾さんを除く4人が見守った。

ウクライナから今中さんの親しい友人でもあるウラジミール・ティヒーさんも駆けつけ、「チェルノブイリ事故後30年、その意味と現状」と題して講演。続いて、今中さんの最終講演が始まった。

「大学時代から原子力に付き合って47年になるが、スリーマイル、チェルノブイリ、そして福島原発事故へたどり着く道を歩んできた」と、今中さんは振り返った。

2011年3月11日、東京電力福島第一原発の6基のうち1号機から3号機が運転中だった。地震で核分裂の連鎖反応は自動的に止まったが、電気も止まり、外部電源もダメになった。タービン建屋の地下にあった非常用電源のデーゼル発電機も10メートルを超える津波で水浸しになった。

「福島原発の津波対策は5.7メートルでした。吉田調書によると、2008年に東京電力内部チームから、福島原発で10メートルを超える津波の可能性が報告されていたにもかかわらず、握りつぶしてしまった。原発は危ないものだという認識を忘れずに対策を取っていれば回避することができた。その意味でも、福島の事故は明らかな人災だ」(つづく)
【矢野宏/新聞うずみ火】

広告
カテゴリー: 今中哲二 パーマリンク