1/23仁川キリスト教会「坊や!起きてちょうだい」/2/5谷町六丁目の隆祥館書店の質疑応答と南船場「南庭(なにわ)」

今月は忙しかった。いや、まだ明日の上牧行動と、2/28(日)午後2時高槻市役所集合の第3回高槻deパレードが残っているが、
一番気を使ったのが2/5の隆祥館書店だったような気がする。
言いだしっぺの責任というのもあるけれど、あの隆祥館書店そのものが大好きだから苦にはならなかった。

そもそも1/23に仁川カトリック教会へ行ったのは予定外だった。有休とらなきゃならなかったし。
翌日の山口市で友人としばらくぶりに会えるのを楽しみにしていたが、1/24は高浜原発ゲート前か地元の高槻アクションという大事な日だから仕方がない。
私には2/5の宿泊先のパンフレットをお渡しするという重大任務(笑)があった。

1/23仁川カトリック教会

教会では「つめてお座り下さい」と言われ、仕方ないので一番端のほうに座ったら、その一番はしがなぜか中央という能楽堂みたいな教会だった。
レジュメ150部があっというまにはけて、75部をあと刷りしても足りなくて、さらにまた刷ったと帰りの電車で教会の方からお話をお聞きした。
通路にはパイプ椅子が出ていたし、聖歌隊の席までいっぱいの多分300人位。

うずみ火のT氏もいらしてたので、期せずして小出さんのかぶりつきとなってしまった。かぶりつきとか最前列に座るなんてはしたないのは趣味ではないけれど。
T氏は取材らしくカメラが活躍していた。

前日に高山右近の列福の報道があったせいか、仁川カトリック教会は信者さんが多かった。

小出さんは教会で必ずおっしゃる「私のような無神論者がこのような所に」の後、アラモゴルドに炸裂したトリニティについて言及され、広島の御幸橋の写真を拡大されて説明された。
この写真は何度も現地で見たことがあるけれど、私の知らなかったことを教えて頂いた。
真ん中の女性が何か黒いものを抱いているのがなんとなくわかる。
その若いお母さんが黒こげになって息絶えたあかちゃんを抱きしめ「坊や!起きてちょうだい」と泣きながら走っていくところの写真だと小出さんが仰った。
カメラマンは中国新聞でこの写真を含め4枚しか残っていないという。涙でファインダーがにじんでシャッターが押せなかったという。
広島の原爆記念館でこのカメラマンさんの他の写真をみたのを覚えているし、この御幸橋の写真は、昔のブログに写真を貼った覚えがある。


http://mtiwo.blog.fc2.com/blog-entry-120.html

この集会の前日に朝日新聞の神戸版に案内記事が載っていたので、永岡さんがあわてて教えて下さったものだ。いい人だなー。

ET氏とお会いしたら「明日、高浜ですよね!」って念を押されてしまったが「ごめんねー地元優先なの」と謝るしかなかった。彼は上牧行動主催者とも顔みしりの猛者だ。
2/5は行かれないとのことで招待しそこねた。
実際ものすごい数の方を招待していたので、追加のチケットを購入に仁川カトリック教会の後、谷町六丁目へ行かねばならなくなっていた。

それで、久々に谷町六丁目へ来たらいつも寄ろうとしているお店「そば切り 蔦屋」へ行くことができた。
ミシュランひとつ星というのも頷けるお店だ。30分店の前で待つのも苦にはならない。
でも行っておいてよかった。3月から能勢へ移転するとのこと。
http://www.sobakiri-tsutaya.com/
この日食べたのは「鴨汁そば」とつきだし
・醤油麹漬けの大豆と辛み大根
(大豆は茹でてひたひたの醤油麹につけるそうだ)

<移転先>
大阪府豊能郡能勢町垂水246

この日はもう一回「明日は高浜やね!」という声をパキパキ姐さんから聞いた。「ごめーん」(以下同文)

 

2月5日谷町六丁目「隆祥館書店」の質疑応答 と 南船場「南庭(なにわ)」

この日は仕事がたてこんでいて、きっと立ち見だろうと思いこんでいたが奇跡的に仕事が終わり、開場してちょっとたった頃に駆けつけることができた。
本の出版記念の講演会をなんで毎日新聞社は東京だけでやって、大阪でしないのかと隆祥館書店さんに泣きついたら開催の運びとなったから、こちらも奇跡のようなものだ。
当日はなかなかの盛況ぶりで、みんな大阪市内での小出さんの集会を待ち望んでおられたのがよくわかった。
うずみ火のT氏が前から2列目のすばらしい席を譲って下さった。 なんてお優しい方なんだろう。

鹿砦社さんが講演会の内容をWeb上にあげて下さっているので、覚書として質疑応答だけ書いておく。

司会の二村さんに「コワい質問」と紹介されてしまった質疑応答で、「広島型原子爆弾はいつ試運転というか実験したのですか?」というのが私の質問だった。

それまで学究肌の高槻アクションの仲間から「試運転はしていませんよ」と教わっていたし、yokoblueplanetさんに 日本語で解説させてまで追っかけていた問題がこれだった。

https://silmarilnecktie.wordpress.com/2015/12/15/1215the-bomb-%E3%80%9C-%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%8C%E3%81%A9%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E3%82%92%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%81%97%E3%81%9F/

だって、大学院の博士課程程度なら開示資料で原爆の設計図くらい作れるものだというし。これもどっかに書いた覚えがある。

 

小出さんはこう説明された。

「リトルボーイと呼ばれた原子爆弾は、広島が実験場だったわけです。

ウランを一方に入れて、もう一方の片端に爆薬をいれて、ぶつけたら臨界状態になるという単純な原理なので、確実に爆発するかどうかを広島で実験したのです。

長崎のファットマン型は合体させようとする前から反応してしまうので、爆竹とスポンジにしみこませたプルトニウむが爆発するかどうかを実験したのが1945年の7月16日のトリニティなのです。

そのアラモゴルドで実験したものを長崎に落としたのです。」

 

時間が押していたので聞けなかったことを、著書にサインして頂く前に椅子を片づけながらしつこくお聞きした。

「本当に戦争を止めるために原爆を使ったのなら、どうして1939年にベルリンと東京に落とさなかったのでしょうか?単純な原理なんでしょ?実はできていたんじゃないですか?」と、まるで文春の記者のようにしつこく聞きまわった。

「その頃はまだ出来ていなかったのです」と念を押されてしまった。

その後、懇親会会場へはなつかしいぽぽんぷぐにゃんさんのお顔もあり、ご招待した鹿砦社さんが連れてきて下さったのは、なんと小出さんが非常勤講師を務められている講座の担当の先生だった!

鹿砦社さんにはいっぱい雑誌を頂戴してしまったし、自主避難の森松さんに生でお会いできたのもうれしかった。

南船場『南庭』

住所: 〒542-0081 大阪府大阪市中央区 南船場4丁目13−14 Shuビル 3F
電話:06-6245-7281

大阪市地下鉄の四ツ橋か心斎橋あたり。
http://r.gnavi.co.jp/b2368ma40000/

この店は反原発な方のたまり場的な感じがして、偶然なのか事前に御連絡があったのか、小出さんの古いお知り合いの方にめぐり合うことがお出きになったようだ。
そのことを小出さんが二村さんに感謝されておられたのを、ここでお伝えしておこう。

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