2/22世界ヘ羽ばたく「はだしのゲン」翻訳者らの思いは【東京新聞・特報】

上牧行動主催者のところに遊びに行っている「はだしのゲン」、またそのうち全巻読み返してみよう。

広島で2012年の夏にお姿を垣間見た中沢さん、そのためここのブログは以前からゲンの記事を拾ってきた。

8/3はだしのゲン 世界へ次代へ 連載40年 被爆者の思い 広がる共鳴【中日新聞】(2013)

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ロシア語とウクライナ語の違いってあるんだなぁと感じたのは、2/10に熊取の研究者用宿舎で тихийさんに Спокойной ночи と言ったら доброй ночи と返ってきた。
なるほど good night だ。ウクライナはヨーロッパ語なんだと地図上の距離を感じたものだ。

もしも翌朝お会いできたら、こんなアホなことを聞いたと思う。
который вам нравится sindohikaru или toyaakira ?

山上たつひこ氏の「光る風」とは♪ジョニーは戦争へ行った♪みたいなので、昔読んだ覚えがある。真崎守氏も大好きだった。

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世界ヘ羽ばたく「はだしのゲン」翻訳者らの思いは

2016年2月22日【東京新聞・こちら特報部】

被爆の苦しみは、死ぬまで終わらぬ

 力強く生きる姿に、胸を打たれる

  方言、文化の差「表現難しい」

非核、反戦の願い託す

  福島原発事故5年「日本こそ学ぶべきだ」

漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験をもとに描いた作品「はだしのゲン」は現在、二十三カ国語に翻訳されている。国籍を超えて作品に心打たれた人びとが、手弁当で海外に広めてきた。「ゲンは平和の種をまいて、世界を歩いている」。そうした思いを分かち合い、やんちゃな少年の広島弁と格闘してきた翻訳者たちが今月十八日に広島で集い、作品への思いを語り合った。 (中山洋子)

原爆ドームからほど近い広島市のホテルの一室は、翻訳者たちの熱気で包まれていた。集いにかけつけたのはアラビア語、英語、シンハラ語(スリランカ)、朝鮮語、中国語、ベトナム語、ポーランド語、ロシア語の八言語の翻訳に関わった約二十人。

翻訳者たちが一堂に会するのは初めてで、ニO一二年に亡くなった中沢さんの妻ミサヨさん(七三)は「主人は海外に羽ばたくゲンをうれしく思っていた。各国の読者から届く手紙に『思いが通じた』と喜んでいた」と振り返り、感謝した。

集いは、ロシア語版や英語版を翻訳する金沢市のグループ「プロジェクト・ゲン」が、結成二十年を記念して企画。代表の浅妻南海江さん(七三)は「力強く生きるゲンの姿が、世界中の人びとの胸を打っている。作品の力をあらためて知る思いです」と話した。

昨年一月にアラビア語版の第一巻をエジプトで出版したカイロ大日本語学科教授で、広島大で研究しているマーヒル・シリビーニーさん(五六)は「広島弁の『おどりゃ』と『わりゃ』の違い逃いが分からない。『休んでちょんまげ』という表現の『ちょんまげ』の意味も、学生に聞くまで考え抜いた」と翻訳の苦労を報告。漫画特有の擬声語や凝態語なども難題と説明しながら、「中沢先生は生き生きとした表現で、笑いをはさみながら深刻な問題を描いていく。子どもたちを笑わせるのは翻訳者の義務でもあるが、残念ながらうまくできていない」と自らの課題を語った。

戦争やテロが絶えない中東。マーヒルさんは「いつか核兵器が使われるのではないか」といった心配が拭えないという。「死ぬまで苦しみが終わらない被爆の実態をアラビア語圏の子どもたちにも伝えたい」

性的な表現など、イスラム圏特有のタブーも少なくないが「とりわけ厳格なサウジアラビアや西欧化されたレバノンなど、国によっても程度は異なる。広く普及するために、社会の実情に合わせて訳す必要もあると思う」と提案した。

一方、松江市教委が一三年夏、「(『はだしのゲン』の)描写が過激」として、学校図書館での閲覧を制限して物議を醸した問題などにも触れ、「作品は中沢先生が自らの体験をもとに血を吐く思いで描いた。原爆の悲惨、実態を伝える大事な資料でもある」と、規制する動きを憂いた。

実際、翻訳者たちは「ゲン」に非核や反戦の思いを託してきた。

在日コリアン二世の金松伊-キムソンイ-さん(六九)茨城県高萩市=は、一九九五年から翻訳に取り組み始めた。「子どもが学童保育で借りてきた作品を読み、『麦のように強くなれ』とゲンを育てたお父さんに感動した。お父さんは非国民と言われ、留置場に入れられでも『この戦争は間違っている』と言い続ける。人間こんなふうに生きなあかんと思いました」

当初、韓国では日本の漫画の出版は禁じられていたが、徐々に解禁され、Oニ年には全訳が完成。韓国語版は二万セットを越える人気となっている。

金さんは「韓国ではその昔、米国と同じく『原爆投下は仕方がない』と考える人たちが多かった。でも、ゲンによって初めて原爆被害の悲惨な実態と、米軍による「実験」という投下の本質が伝わった」と説明する。

作品に登場する在日朝鮮人の朴さんにも、強い印象を受けたという。ゲン一家と親しく交流する朴さんにも実在のモデルがいた。しかし、戦後、帰国事業で北朝鮮に渡った後、消息が途絶えてしまった。

朴さん一家を心配する中沢さんのため、金さんはつてをたどって探したが、いまも行方は分からない。

原爆文学を研究するポーランドのウルシュラ・ステイチェックさん=広島市=は、一一年に全十巻が完成したポーランド語版の第三巻の翻訳に携わった。

一九八六年のチェルノブイリ原発事故では、ポーランドも汚染された。約六百キロ離れたワルシャワに住んでいたウルシュラさんの母は喉頭がんにかかり、五年後に亡くなった。「ポーランドでも子どもの甲状腺がんが増え、多くの人が病気になった。政府は危険を教えてくれなかった」

原発のないポーランドに安倍首相は三年前に売り込みをかけたが、この事故の被災に苦しんだ現地の人びとによる反対は根強い。

名古屋市の坂東弘美さん(六八)も、チェルノブイリの被災支援をきっかけに浅妻さんたちと出会った縁で、八年前に「ゲン」の中国語訳に挑戦した。出版が厳しい中国に先立ち、今夏には台湾版が出版される。

「まさかチェルノブイリのような事故が日本で起こるとは思わなかった。福島原発事故から五年、被災者の苦しみは続いている。日本の私たちこそ、ゲンに学ぶべきかもしれない」

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チェルノブイリ事故後進展

  文通きっかけに翻訳ヘ

英語など「はだしのゲン」の翻訳は七0年代から始まるが、いずれも未完で終わっている。大きく進展したきっかけは八六年のチェルノブイリ事故だった。

被災した子どもたちを応援する文通事業を通し、金沢市とウクライナの村の小学校が交流。現在も教師の東滋野-あずましげの-さん(八0)と、村の教師だったニーナ・バシレンコさん(七九)は文通を続ける。その手紙を翻訳してきたのが浅妻さんだった。

東さんは九四年、被爆者の手記を題材にした朗読劇の金沢公演に合わせて、バシレンコさんを日本に招いた。その台本をロシア語に訳したのがきっかけで、浅妻さんはモスクワで始まっていた「はだしのゲン」のロシア語訳に加わった。

台本の翻訳を手伝ったロシア人留学生たちは「原爆のきのこ雲の下で、一人一人がこんな目に遭っていたなんて知らなかった」と泣いたという。

経済的理由でロシア側の団体は解散したが、諦めきれない浅妻さんが金沢で活動を引き継ぎ、O一年にロシア語訳を完成させた。外国語で全巻が出版されたのはこれが初めてだった。

バシレンコさんもいま、ウクライナ語の翻訳に取り組んでいる。東さんは「チェルノブイリの教訓にもかかわらず、日本でも子どもたちを被ばくさせてしまった。日本が戦場になることはないと信じたいが、歯止めの憲法が変えられようとしている。子どもたちや母親たちの苦しみを忘れてはいけない」と訴えた。

(((デスクメモ)))
「ゲン」に限らず、社会派漫画の影響を受げて育った。再び復刻された山上たつひこ氏の「光る風」。現在の政治状況を四十年以上も前に予見していたような作品だ。さらに話題の高校生の政治活動なら、斎藤次郎氏原作、真崎守氏作画の「共犯幻想」。ごまかしながら生きている自分にいまでも突き刺さる。(牧)

広島で集い
23カ国語に翻訳されている「はだしのゲン」。中国語やベトナム語での出版の準備も進んでいる=広島市で

(上)アラビア語に翻訳するときの難題を報告するマーヒル教授
(中)「チェルノプイリ事故で彼災したポーランド人たちはゲンの思いを理解できる」と話すウルシュラさん
(下)翻訳者らに感謝を述べる中沢ミサヨさん(左)

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