5/11中電、浜岡住民組織に30億円【中日新聞・静岡】立地地区、暗黙の優遇 浜岡 地元住民組織資料【東京新聞・核心】

どなたかが立教大に資料を寄付されたのが昨日公開されてこのスクープとなったらしい。
推進派が改心された話が好きなので、忙しくてたまらないのに東京新聞の核心を文字おこししてしまった。

(1)立教大学 2016.05.10

浜岡原子力発電所関連資料を公開しました

 

(2)「浜岡原発は本当に大丈夫なのか?」というサイトで写真を見ることができる。

中部電力の協力金で建てられた大鳥居   2011年11月24日

これが8242万5千円の滑り台  2011年12月10日

 

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中電、浜岡住民組織に30億円

2016年5月11日【中日新聞・静岡】
http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20160511/CK2016051102000112.html

◆原発建設で渡す 都内で文書公開

写真

中部電力が浜岡原発(御前崎市)1~4号機を建設するのに伴い、地元の住民組織に総額三十億七千九百万円余りが渡っていたことを示す文書が見つかった。組織の代表者を務めた男性(故人)の自筆メモで、関係者から提供を受けた一連の資料とともに、立教大共生社会研究センターが十日、公開を始めた。

電力会社が原発の立地自治体に行う寄付は、なれ合いを生むなどとして批判されてきたが、浜岡原発の場合は一住民組織にまで継続的に行われていた。こうした実態が明らかになるのは異例だ。

男性は旧浜岡町議の鴨川源吉氏。原発の建設用地の地権者の一人でもあり、中電が1号機の受け入れを町に打診した翌年の一九六八年、地権者らの代表組織として「佐倉地区対策協議会(佐対協)」が発足すると、理事に就任した。

その後、原子炉増設の際には佐対協の同意が不可欠となるなど原発運営に強い影響力を持つようになった。鴨川氏は3~4号機を受け入れた七八~九〇年には会長を務め、九九年に八十四歳で亡くなった。

資料は「中電協力金集計表」と題され、日付は「(平成)元年8月31日現在調査」とある。

資料によると、協力金は原子炉を増設するたびに支払われた。中でも、浜岡原発の真下を想定震源域とする東海地震説が発表(七六年)されたり、米スリーマイル島原発事故(七九年)が起きたりして、受け入れ交渉が難航した3号機増設の際には、総額の六割強に当たる十九億円余りに達した。

旧浜岡町は従来、中電からの寄付金を人口などに応じて町内六地区に平等に分配していた。だが3号機増設の際には、中電との直接取引を指すとみられる「中電直入」の金が計十三億四千万円生じており、全体の金額を押し上げている。「中電直入」は4号機分でも五億円ある。

鴨川氏が会長を務めた当時、幹部だった男性は資料について「知らない。知っていてもお金のことは言えないし、墓場まで持って行く話」と答えた。同時期に町長だった鴨川義郎氏(88)は「佐対協は中電と直接、補償交渉をしていた。金額までは分からないが、三十億円くらいはもらっているかもしれない」と話した。

中電広報部は取材に「地元の振興を手伝いたいとの考えから、協力金を支払うことがある。個別の協力内容は相手方もあることから差し控える」とコメントした。

鴨川源吉氏はこの資料のほか、佐対協の議事録や自筆メモなど大量の資料を残しており、立教大で公開されるのは、計約五百六十点に上る。

三十億円を超える金が、浜岡原発の地元の住民組織に渡っていた。そこからうかがえるのは、地震大国・日本で原発を建設することの難しさだ。

原発の立地、建設を円滑に進めるために電力会社は多額の寄付金を地元自治体に落としてきた。旧浜岡町も一九七〇~八〇年代、中部電力から少なくとも百十四億円を受け取っていたことが本紙の過去の報道で明らかになっている。今回のケースではこれに加え、人口三千~四千人規模だった一地区にまで、巨費が投じられていたことになる。

浜岡原発は東海地震や南海トラフ地震で大きな被害が想定されるエリアにあり、「世界一危険な原発」と呼ばれる。手厚い地元対策の背景には、地震や過酷事故への住民の懸念があったはずだ。ところが、「立地交渉は、ブラックボックス。社内でも担当部署以外は事情を知らされない」(中電の元役員)というようにその実態はほとんどベールに包まれてきた。

東日本大震災を経験し、地震や津波対策は日本中の原発に突きつけられた共通の課題になった。日本で原発を建設し、運営するにはどれだけの費用がかかるのか。そして、これまでどんな交渉が行われてきたのか。電力を消費し、電気料金を払い続ける国民にとって、今回公開された大量の資料は、現在の原発政策を考える上でも大きな示唆に富むはずだ。

(東京文化部・森本智之)

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立地地区、暗黙の優遇 浜岡 地元住民組織資料

 原発マネー 町経由せず18億円

  直接交渉で手厚く

2016年5月11日【東京新聞・核心】

中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の立地をめぐる詳細な内部資料が公開された同市佐倉の「佐倉地区対策協議会(佐対協)」は、中部電と直接交渉した住民側窓口だったと同時に、中部電からの非公表の寄付金を受け取り管理する住民組織だった。先祖伝来の土地を差し出すよう求められた地権者が中心におり、原発関連の事業は何をするにも佐対協の同意が大前提。当時の旧浜岡町も佐対協が特別扱いされることに「暗黙の了解」(元浜岡町長)をしていた。 (勝間田秀樹、森本智之、小沢慧一、太田鉄弥)

◆直取引

公開された資料に、総額三十億円に上る佐対協の「中電協力金集計表」がある。この表には、1~4号機建設までに旧浜岡町経由で受け取った公の寄付金十二億円とは別に、「中電直入」の注釈が付いた金額が記入されている。合計すると約十八億円になる。

中部電と話し合いをもった時のメモには、「直取引は1億円迄位ならいいだらうが多いと駄目だ」「社会通念上妥当と思はれる額ならいいだらう」という文言も並ぶ。

直接の金のやりとりを裏付けるような一九八七年の「覚書(案)」も見つかった。その前年に増設が決まった4号機に絡む交渉時のもので、中部電が一億円を支払うとある。立会人として名前がある当時の町長、鴨川義郎さん(八八)は、こうした文書の立会人に名を連ねたことが「二、三度あったかもしれない」と明かす。

◆上乗せ

中部との直接交渉には「他地区からは批判もあった」(鴨川元町長)が、特別扱いされたのはなぜか。

中部電は、旧浜岡町から3、4号機の増設同意を得た八0年代、公表、非公表合わせて約八十九億円を町に寄付する約束をした。米スリーマイル島原発事故などを経て、住民の増設への抵抗も強まっていたころだ。

中部電から町に入った寄付の一部は佐倉を含め六地区に分配された。「秘(まるひ)」と書かれた資料には、土地を提供したおひざ元としての「佐倉の特殊性」が認められ、3号機増設の際に二億円超が上乗せされたとの記述もある。

だが、それ以上、佐倉にだけ手厚くすることは行政として公平を欠き、難しかった。より多くを得ようと佐対協が直接交渉で手にした直入金について、鴨川元町長は「地元(佐倉)をなだめるには、そういう形になっていった」と特別な待遇だったことを認めている。

◆箱口令

祭り屋台、防災センター、体育館・・・。公の分も含め、寄付金はさまざまに使われた。旧浜岡町で最も早く下水道が整ったのも佐倉だった。家の敷地内への配管は、自己負担だった他地区と異なり、佐倉だけは中部電の金でまかなわれた。メモには「四十七士の覚悟で秘密に」とあり、箝口令を敷いている。

一方で、資料とメモを残した鴨川源吉さんは佐対協会長だった八四年、役員を集め、金は「すべてこれを福祉向上と地域振興に寄与することを目的に」すると決議。使途を佐倉の振興に限定した。他地区では二0O六年、中部電の寄付金を元に市が分配した基金の一部が各戸に約十五万円ずつ配られた。「地域全体で使う金だ」と受け取らない住民もおり、回収する騒ぎになった。

佐対協には今も積み立てた寄付金が残り、役員数人で管理している。毎年の支出内容は報告されるが、残高がいくらあるかは住民にも公表されない。佐対協の会長経験者も「不透明なのは事実。住民のためにも改善の必要はある」と認める。

推進側の資料珍しい

内部資料の立教大への提供に関わった藤林泰・埼玉大元教授(地域社会史)の話
公的な資料センターに推進側の資料が提供された例は私が知る限りなく、非常に珍しい。反原発側で残っているものはあるが、推進していく過程での町長や町議会の話など、反対派では手に入らない資料も含まれる。電力会社と地元のやりとりも検証でき、一級の資料であることは間違いない。チラシの裏に自分の記録用に一生懸命計算したり、メモをしていたりしており、作為的に誤った情報を記すことは考えにくく、信頼性も高いと思われる。

(写真)
佐対協は中部電からの寄付金の使い道を「住民の福祉向上と地域振興のため」と決議し、祭り屋台づくりや防災センターの建設などに使ってきた(コラージュ)

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