5/13市民のための自由なラジオ Light Up! 世良田律子さん、画家・貝原浩の生き方、そ​して今だから伝えたい大切なこと【アーサー・ビナードさん】

永岡さん、ありがとうございます。
五年前の今日5月13日は、初めてナマで小出裕章さんにお会いした記念日であり、じゃっくどんどんさんとは会場(シアターセブン)の何列か違いで接近遭遇していた日でもある。
アーサー・ビナードさんに初めてお会いしたのは、貝原浩さんの「風下の村」原画展は4年前の3月末だったと思う。
その頃はまだ「たね蒔きジャーナル」に出演されていなかったはずだ。
アーサーさんはラジオのパーソナリティをなさっておられるのだから、本当にこのキャスターは最高だと思う。

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市民のための自由なラジオ Light Up! 世良田律子さん、画家・貝原浩の生き方、そして今だから伝えたい大切なこと

永岡です、第7回市民のための自由なラジオ、今週は詩人のアーサー・ビナードさんの司会で放送されました。アーサーのわかるラジオであり、アーサーさんはアメリカ生まれ、22歳の時に日本に来られて、人生の半分以上を日本で過ごし、ラジオでも各局で活躍されて、本職は詩人であり、奥様にしゃべり過ぎの詩人と言われたというのですが、言葉により伝えるのは詩もラジオも文学もメディアも同じであり、この番組を担当するのは今回が初で、わかるラジオをタイトルにして、アーサーさんもスタッフも、世の中分からないことだらけ、みんなが理解できないように政府も企業もカモフラージュをしており、しかし詩人として、ラジオの司会者として、カモフラージュを外してやりたいと言われて、分かったと膝打ちして終わるのではなく、次の瞬間から分かったものが進展し、何が分かるのかが見えてくる、この番組を通して、皆さんと分かりあいたいと言われました。

今週のゲストは世良田律子さん、画家、貝原浩さんの奥様であり、その生き方についてのお話がありました。第1回目は誰の話を聞くかワクワクして、世良田さんのことが思い浮かんで、ご主人の貝原浩さんの展覧会が練馬であり、その展覧会のところで、アーサーさんスタジオを飛び出して、世良田さんに取材し、貝原さんは何でも描ける人、デッサン力が秀ており、しかし貝原さんの絵は旅の絵であり、貝原さん、いろいろなところに出かけて、アトリエに戻り描いて、様々な世界の風景、人物を描いて、92年にチェルノブイリに行かれて、ベラルーシの放射能の降り注いだところを描き、92年に風下の村と言う本で、原発事故が何をもたらしたかというものを描き、権力の上から目線や、経済の統計ではなく、魅力あふれる人物による描写であり、貝原さんの絵を守り続けておられる、世良田さんのお話です。

貝原さんはどんな人であったのか、貝原さんの展覧会、見回すと自分が旅する気分になるとアーサーさん言われて、世良田さん、貝原さんは旅が好きで、帰ってから絵を描き、現地でスケッチをする絵手紙であり、もらった大根の味のことなど描いて、手紙として手渡すものであり、しかしお金はなく、ほとんどは貝原浩の絵手紙の会を作り、会員の方が絵葉書を書いて、そういう支援を受けて取材し、多くの人はうれしかったといい、ホテルにこもり何十枚も描き、現地から手紙も出したのです。

アーサーさん、旅を感じると言われて、衣装、食べ物などあり、人物がそこにいるような実感のわくものであり、見ているものも出会いを感じると言われて、世良田さん、様々な作品に言葉があり、風下の村は大きな手すき紙をテーブルに置いて描き、ベラルーシのおばあさんたちという作品もあり、離れたら見つめられている要素もあり、なにも見ずに書いて、ベラルーシのばあさまたち、貝原さん、10年経って描いたものであり、絵の変遷があり、この絵の中にはもう亡くなられた方もあり、貝原さんは海外にも国内も行かれて、どぶろくの取材、連載も17年やり、全国各地の農家でどぶろくは作ってはいけないものの、各地で作られているものを17年取材し、世良田さんも貝原さんが病気になり取材も同行して、農家の人たちの知恵を見るもので、農家の方も、伝えたかったことを聞いてくれる人が来たと思い、里山でのこと、ベラルーシ農家も描き、現代農業を描き、どぶろく法典、ベラルーシの風下の村も同じで、貝原さんはチェルノブイリの石棺も描かれて、立ち位置はどぶろくであり、ペチカであり、生活であり、目に見えないけれども汚染されているというのです。

今年はチェルノブイリ事故30年、世界を震撼させた核の惨事、風下は放射能汚染で多くの方が被曝して健康を失い、被爆した子供たちに甲状腺ガンも多発、日本から医療支援もして、貝原さんは92年に医療支援を開始、写真家の本橋誠一さんと一緒に行き、それで真冬の絵と春の絵があり、放射能汚染の看板があり、その村は居住禁止区域の隣かも知れず、しかし線があるだけで、風も土も人も行き来し、子供たちのいるのは禁止地域ではないが、それの隣であり、住んでいないと思っていた家に老人たちがいて、わけの分からない外国人が来てくれたとしても、料理も作ってくれて、本橋さんのお話で、ロシアの方は、客が来たらのめるのがあり、普段飲めず、おじいさんたちは喜んでくれて、行くたびにその村に行き、お酒を飲み交わしていたのです。

そこに、お酒は持って行かず、医療支援で行き、検査技師も病院でつらい顔の親子と出会っており、本橋さんも記録して、つらい子供たちを撮らなければならないのか、そして絵を描いて、似顔絵を描いてあげて、画家は描くことでコミュニケーションになり、書いたことで、行くだけでなく、現地のことを知り、本橋さんと貝原さん、小室等さんが行き、様々な方が関わり、チェルノブイリ、ベラルーシのことも、医療支援の人だけでなく、多くの人が知ることになり、アーサーさん、現地でもABCCの流れを汲むものが、数字でごまかしていたものを暴いたと評価されて、人間を描くことで、核の禍を描き、アーサーさんの詩の世界の叙事詩を、絵で貝原さんは描かれたと評価されました。

今日は、チェルノブイリから福島へ、風下の村原画展、貝原浩の残したもの、でのインタビューであり、Light Up ジャーナルも画廊からの放送で、飛び入りゲスト、はらきよさん(この方の詳細は不明です)の参加であり、貝原さんの絵を見たくて来て、大分の出身であり、どうして川内原発を止めないのかと言う意味で来られて、何かがあってからでは困るので川内原発は止めるべきなのに、止めず、アーサーさんも異常と言われて、アーサーさんのふるさとのミシガンにも原発があり、家族の行ったところにも原発はあり、アメリカも日本も風下の村であり、しかし日本は地震国であり、アーサーさんは日本に来て地震を体験して、アメリカの友人にしては地震国で原発を動かすのはおかしいとアーサーさんに抗議が来て、海外から見たら狂った国ではあるが、日本の原子力マフィア、安倍総理、麻生氏、珠代氏らの立場だと、日本で原発は増やせず、トップセールス(実際は下っ端セールス)であり、原発を海外、他国に売るためにモデルルームがあり、自分のところで動かして、揺らして?大丈夫と証明する必要があり、今止めたらセールスがダメになり、今薩摩川内は海外への輸出のモデルルームであり、そししはらきよさん、戦争が怖いと言われて、原発は電力ではなく、核兵器を作るためのものであり、長崎などの原爆は原発から作られて、我々が騙されているのを知らないといけないのです。

全国でピースリーディング(http://hisen-engeki.com/ )が行われて、ピースは様々な組み合わせがあり、1953年12月8日、パールハーバーに合わせて、にアイゼンハワー氏が核の平和利用と演説し、アトム・フォー・ピースであるが、これの意味は重く、青い空は、青いままで子供たちに伝えたい、今流す灯篭の光に込めて、全ての国から戦争の火を消して、平和と友情を込めて、という詩でありありす。ここで音楽、新垣勉さんの、青い空です(この曲はユーチューブにはありませんでした)。

チェルノブイリが爆発し、石棺の絵があり、朗読があり、書かれた文字が印象に残り、絵とともに何かを伝えたく、アーサーさんも印象と言われて、5月のシルエット、事故後、石棺と名付けられた4号機、中の炉はまだ活動して、高濃度の放射性物質がまき散らされて、この石棺をさらに大きなもので囲む計画もあり、最初の石棺も歪み、ありとあらゆる知恵により抜け出なければ、次代があると思うなら、日常と隣り合わせの危険であり、薬にならないオリンピックに熱狂するなというもので、世良田さん、体が熱くなったと言われました。

貝原さん57歳で亡くなられて、それまで幾度もチェルノブイリ、ベラルーシに行かれて、お酒を飲み、現地の方の生活を絵にして、貝原さんの画家としての基本指針から、チェルノブイリと福島をつなげるとアーサーさん言われて、医者たちが放射能汚染を考えて、食べ物、飲み物、空間線量と内部被爆も気にしており、しかし貝原さんはそういう汚染は考えず、居住禁止区域でも、畑で取れたピクルス、じゃがいもを食べたから絵を描けて、それで被爆したこともあったが、子供たちのことも描けて、喜怒哀楽を感じられる絵であり、今の福島、避難するのも住み続けるのも、どちらが、というものではなく、アーサーさん、悪いのは放射性物質をまき散らす奴らであり、風下にいる我々がいがみ合うと、原子力マフィアの思うまま、原子力マフィアを叩き潰す力は市民になく、いがみ合うと全ておしまいであり、第5福竜丸の見舞金に差をつけていがみ合わせて、しかし抱えている問題を取り上げて、風通しのいいところで考えるのに貝原さんの絵は大切で、震災後、貝原さんの絵を買った福島の方からのお話を世良田さん聞かれて、貝原さんの絵の展覧会を2012年に福島で行い、仮設の方にもチラシを配っても拒否されて、世良田さん避難している方に見てほしかったが、福島でも、小さい子のいる世帯は避難し、来た人は、自分たちのこととしてとらえて、しかし話題にしたくない、除染とか言うと風評被害だと非難されて村八分にされるのがつらいと、泣きながら話す人もあり、しかし世良田さん、福島で展示会をしたいという人たちへのまなざし、居住禁止区域の人たちを描いたものが印象に残り、これで世良田さん良かったと言われました。どぶろく法典のまなざし、ベラルーシも素晴らしい農業地帯で、しかし権力もなく、マネー経済でも弱く、原発を作られるのに抵抗できず、死ぬ覚悟で闘わないと抵抗できず、しかし福島は第2原発もあり、さらに東北電力の原発の建設計画もあり、爆発した福島第1の近くで拒否し、そこは地元の人たちが闘って拒否し、子や孫に押し付けられないとして、メルトダウン後白紙撤回になり、しかし地元の人が拒否運動をしなかったら、その原発もメルトダウンしていたのであるのです。

今週の自由なラジオ、貝原さんの作品を分析されて、どの絵も墨がたれて、貝原さん筆ペンで描かれ て、丸いたれたものが絵にあり、観覧車、おばあさんのところにあり、これは失敗か、狙っているのか、アーサーさん気になり、貝原さんは、それが放射能という意味で垂らしたとアーサーさん言われて、この染みが付いたのは、線量が高いと言う意味であり、貝原さんが象徴的な意味を取り込んだもので、飛行機でX線検査で被曝する、というような書き方で、それが放射能という意味ではないかと、アーサーさん、それを今回の展覧会で発見されて、これからも、貝原さんの展覧会はあり、その情報、これからも伝えた いとアーサーさん言われて、締めくくられました、以上、今週の自由なラジオでした。来週は大阪から、 西谷さんの司会で放送されます。

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