5/21アウシュビッツとヒロシマ 埼玉・川越のノンフィクション作家・野村路子さんが寄稿【東京新聞・首都圏】

アウシュビッツとヒロシマ 埼玉・川越のノンフィクション作家・野村路子さんが寄稿

2016年5月21日【東京新聞・首都圏】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/metropolitan/list/201605/CK2016052102000194.html
オバマ米大統領の広島訪問が決まった。ノンフィクション作家の野村路子さん(埼玉県川越市)は今年三月、広島の被爆者らとともにナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所跡を巡る旅をした。アウシュビッツとヒロシマ。歴史に刻まれた惨事の記憶に私たちはどう向き合うべきなのか。野村さんに寄稿してもらった。

三月、十六人の仲間とポーランドのアウシュビッツとチェコのテレジン、二つの収容所を訪ねる旅をした。数少ないホロコーストの生き残りを訪ねる仕事をはじめて四分の一世紀、脚が震え、ペンも持てなかった最初の訪問からすでに十五回余、アウシュビッツに残された髪の毛の山にも、一日に千人も殺したというガス室にも動揺しなくなっている自分を嫌だなと思うことがある。こんなものに慣れてしまったらいけない…そう思うためにも、人を案内するのはいい。はじめて行く仲間には「冬がいい」と言い続けてきた。近年はここも暖かくなっているらしいが、七十一年前、解放の日はマイナス二七度だったという。その寒さを味わってほしいのだ。
旅立つ前に駐日ポーランド大使と面談した。「あそこで起こったことは想像を絶するだろう」と彼は言った。「だが、事実あったことなのだ、それを知ってほしい」と。確かに、一つの国が、一民族を絶滅させる政策を実行に移したと聞けば、考えられないと言う人が多い。だけど、本当にそうなのか…旅の間、何度もそんな会話をした。戦争のさなかには、どの国もが同じようなことを考えていたのではなかったか。それが、戦争の恐ろしさではないのか…。
今回の仲間にはヒロシマの被爆者がいた。彼女は、二度と同じ悲劇を見たくないという願いから、世界各国を回って体験を語って来た人だ。広島もアウシュビッツ解放も七十一年前のことだ。ポーランド大使が「すべて記憶は風化しつつある」と言った時に、彼女は「自分たちの中では記憶は薄らいではいない。風化させているのは当事者以外の人たちです」と言った。
旅の間に何度もそれを実感した。チェコにいたユダヤ人犠牲者の名前を壁に記したシナゴーグでは、その名前を見ながら泣いている人がいた。祈っている人がいた。肉親を失った人たちに記憶の風化はないのだ。
うれしいことに、アウシュビッツでは若者の姿を多く見た。ドイツやポーランドの高校生は、必ず訪れ、その事実を見、聞き、戦争の愚かさを学ぶのだという。そして、時には、訪れて来る、ここで苦しい生活を強いられ、幸いにも生き残った人々に会い、話をするのだという。国の政策で、教育の中で、それが継続されているのだ。
プラハでは、オバマ大統領のことが話題になった。七年前、この地で彼は「核のない世界」を訴えたのだ。「あの時はうれしかったのよ、でも…」と彼女は言った。その後もアメリカの核軍縮は進んでいない。中国は、北朝鮮は-。
プラハでは、モルダウ川を越えて街なかへ入るあたりで、日本人なら誰もがあっと思う円い屋根が見える。ヒロシマの原爆ドームとそっくりなのだ。大正四(一九一五)年竣工(しゅんこう)した、のちの原爆ドーム、被爆当時の広島県産業奨励館を設計したのは、チェコの建築家ヤン・レツルだった。
オバマ大統領が演説をしたのは、川の向かい側、プラハ城の前の広場だった。そこへ向かう途中、あの円い屋根が見えた時、彼はヒロシマを思っただろうか。
今、サミットで来日するオバマ大統領はヒロシマを訪れると報じられている。アウシュビッツもヒロシマも過去のことではない。今も同じことが起こりうると告げているはずなのだ。私たちが、アウシュビッツで見、聞いて、語りつごうとしていることを、彼にも、日本で見、聞いて、故国で語ってほしいと思う。
<のむら・みちこ> ノンフィクション作家。1937年生まれ。91年より日本で「テレジン収容所の幼い画家たち展」を開催。著書に「テレジンの小さな画家たち」など。昨年、現地で行われたアウシュビッツ解放70周年式典に日本人としてただ一人招待された。

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