7/24遺骨12体 北大から返還 再埋葬 遅れるアイヌ民族の人権回復/80年 歳月超え再埋葬/サミット、五輪・・・対外的に配慮アピール?【東京新聞・特報】

遺骨12体 北大から返還 再埋葬 遅れるアイヌ民族の人権回復

2016年7月24日【東京新聞・こちら特報部】

 80年 歳月超え再埋葬

  伝統儀式「誇り取り戻せた」

 やっと新法の動き 生活や教育 本格支援へ

  サミット、五輪・・・対外的に配慮アピール?

政策後押し「国民も関心を」

北海道大学が研究目的で墓地から掘り出したアイヌ民族の遺骨十二体が今月中旬、故郷の北海道浦河町に戻り、再埋葬された。八十年以上の歳月をへて返還された遺骨を迎えるため、三日がかりの伝統儀式が盛大に催された。関係者らは「大きな一歩」と喜ぶが、約千六百体の遺骨がなお全国十二の大学で保管されたままになっている。置き去りにされてきた人権回復の動きは始まったばかりだ。 (木村留美)

牧場に囲まれた広大な草原に、アイヌ語で唱える「祈り」が響いた。

十六日に浦河町の共同墓地で催された再埋葬のための中心儀式「カムイノミ」。屋外に設けたいろりを、民族衣装姿の遺族らが囲み、お米や木の実、スルメなどの供物とともに神に祈りをささげた。参列者は、にごり酒が注がれた杯を回し飲みしながら、いろりから出る煙に祈りの思いを乗せ天に届ける。今ではほとんど行われていないアイヌ式の葬送だ。

北大を相手取った遺骨返還訴訟が三月に和解。儀式は受け皿団体として設立された有志による「コタンの会」が執り行った。

原告の一人でおじの遺骨返還を求めてきた同町出身の小川隆吉さん(八O)=札幌市=は「やっと戻ってきた。うれしい」と晴れやかな表情。遺骨は前日に約百五十キロ離れた北大の納骨堂から運ばれた。小川さんは「出発前におじの遺骨に『今回、帰るよ』と話しかけた」と話す。「いろいろありすぎて言葉にできないが今日は新たなスタートだ」と感無量な様子だった。

病に倒れ昨年三月に他界した原告の城野口ユリさんの友人だった吉田ミネさん(八0)も式に参列。「(ユリさんは)生きているうちに返してほしいと強く言っていたが、とうとうかなうことはなかった。苦労してきただけに今は『ユりちゃん、よかったね』と言いたい」

小川さんのめいの八幡智子さん(六四)は「最初は墓が掘られていたなんて信じられなかった。小さな体でおじは一生懸命頑張り、取り戻すことができた。遺骨を大自然に返すことができ本当によかった」と話した。

十七日には白い布に包まれた十二体の遺骨が民族衣装などとともに再埋葬された。一連の儀式は、祭主の葛野次雄さん(六二)が博物館で調べて再現した。式の進行をかろうじて知っている仲間がいたが、墓標の作り方やひもの結び方などを知る人はいなかったという。断絶された文化を再興する試みでもあった。

式典には、小川さんらとは別の訴訟で北大と和解協議を続ける浦幌町の原告差間正樹さん(六六)も参加し「もっと早く戻るべきだったし、(北大などから)賠償や謝罪がないことに思うこともあるが、この日を迎えてほっとしている。戻ってきた方たちには、広い大地で静かな眠りについてほしい」と祈る。浦幌町の遺骨も「早く地元に埋葬してあげたい」と願った。

「コタンの会」の代表で裁判や遺骨返還に携わってきた清水裕二代表(七五)は「和解の中身は百点満点ではないけれど、ひとまずよかった」と安培の表情。同会メンバーで住職の殿平善彦(七O)さんは「奪われた遺骨のうち、ごくわずかではあるが取り戻したことで、アイヌの伝統と袴りも取り戻すことができた」と評価した。

遺骨返還を遺族らは「大きな一歩」と喜ぶが、本格的な人権回復はまだ始まってもいない。

ニ0一三年に北海道が実施した「アイヌ生活実態調査」によると、大学進学率は25・8%で、アイヌ民族が居住する調査対象の市町村の平均の43・0%を大幅に下回る。生活保護受給者の割合も4・5%で平均の約一・四倍。困窮している人が多い実態が浮き彫りになった。

東北学院大学の榎森進名誉教授(アイヌ民族史)は、アイヌの貧困の背景にあるのは歴史的な差別政策という。「明治維新後、アイヌは漁業権や土地を国に取り上げられ、生活基盤を奪われた。その後に与えられた農地は倭人-わじん-に分けた後の不毛の地。乗り越えた人もいるが、就職や結婚での差別も続いたため、悪循環に陥っている」と解説する。

市民グループ「アイヌ政策検討市民会議」に加わる北海道大教授(民法)の吉田邦彦氏は「戦後も政府は金銭的賠償をしていない。権利を収奪したことに謝罪もなかった」と指摘。「長年の救済策は補償ではなく住宅政策や医療支緩といった福祉政策をとってきた。アイヌだけが得している『逆差別だ』という認識を持つ人も存在するようになっている」とする。榎森氏も「本来ならアイヌの権利や文化を尊重したうえで、現代の生活にあった形で漁業権を与えるといった方法があったはずだ。歴史を見れば国としてやる気がなかったことがうかがえる」。

一方、ここにきてアイヌ民族の「復権」に向けた動きも出始めている。政府は今年五月、生活や教育を支援する新法の制定を検討する方針を打ち出した。一九九七年にアイヌ文化振興法が制定されているが、生活や教育支援は盛り込まれていない。生活支援は北海道が担ってきたが、根本的な解決には至っていない。長年、立法措置を求めてきた北海道アイヌ協会の貝沢和明事務局長は「現在は今までにない方向性で議論されていて、期待している」と話す。

政府は二O年には北海道白老町にアイヌの文化復興施設「民族共生象徴空間」を建設する予定も掲げている。施設には全面の大学で保管されている身元不明の遺骨を集め、慰霊することも計画されている。

アイヌの遺骨問題に詳しい苫小牧駒沢大学の植木哲也教授(哲学)は「二O年に東京五輪が行われ、国際社会の目が日本に向く。象徴空間のような博物館をつくって見せることで、先住民に配慮しているところを見せたいのだろう」と政府の狙いを分析する。

アイヌ民族を取り扱った法律は、一八九九年の北海道旧土人保護法にさかのぼる。アイヌ民族の伝統的な生活形態を否定する同化政策が廃止されたのは、一九九七年のことだ。併せて同年、アイヌを少数民族として認知し文化振興をうたった「アイヌ文化振興・伝統普及法」が新設された。だが、この時には土地や資源の権利が絡むことを懸念し、「アイヌ民族は先住民族」との理念は盛り込まれなかった。

ようやく国が認めたのは北海道洞爺湖サミットを目前に控えた二OO八年六月。衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が可決され、その日のうちに、総合的なアイヌ政策に取り組む政府方針まで示された。国際イベントがなければ何も進まなかった経緯がある。

前出の榎森氏は「アイヌの問題は国連などに報告するため対外的にやってきたにすぎない」と指摘する。アイヌ政策が進まない背景には「国民の関心の薄さも影響している」と話し、アイヌ差別の実態をまず国民が知るべきだとした。

((((デスクメモ))))
読者から古い雑誌のコピーが届いた。作家の故小田実氏が北大名誉教授の「アイヌ標本室」を訪れた体験記だ。盗掘した刀剣や装飾具が所狭しと並ぶ写真に「多くの頭蓋骨も飾られて不気味だ」の説明も。無邪気な目線にぎょっとした。似た鈍感さは自分の中にもある。無知を恐れたい。(洋)

(写真)
戻ってきた遺骨をねぎらう「カムイノミ」の儀式を行う小川さん(左から4番目)=16日、北海道浦河町で

「先住民族として認めよ」と都心をデモ行進するアイヌ民族の人たち=2008年5月、東京都千代田区で

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