経産省前テントが撤去された~テントより 撤去するなら 原発を【8/21志村建世さんのブログ】脱原発テントは消えても 避難者を優しく支えた場「またみんな集まってくる」【8/22東京新聞・社会】

経産省前テントが撤去された~テントより 撤去するなら 原発を

http://blog.livedoor.jp/shimuratakeyo/archives/55701927.html
【志村建世さんのブログ】2016年08月21日15:04

今朝の午前3時半ごろから5時ごろにかけて、経産省前の「脱原発テント村」が撤去された。先に国による明け渡しと損害賠償請求の裁判が、最高裁判所で確定していたが、それを受けた東京地裁による強制執行が、未明に行われたのだった。朝刊には載らない時間帯であり、朝パソコンを開いたら最新ニュースとして伝えられていたので行ってみた。

このテントは、東日本大震災後、福島の女性たちによる抗議の座り込みから始まった。その初日は2011年の9月11日とされている。あと少しで満5年になるとろこだった。テントは年月を重ねるとともに発展し、最近は女性テントや「美術館」と呼ばれるスペースも含めて、3張のテントで構成されていた。目立つ場所だけに海外のメディアにも紹介されて有名になり、輪番制で24時間人が常駐する体制が確立して、脱原発運動の拠点となっていた。場所は経産省の前庭の一部を借りる形だが、従来から公開されていたスペースであり、もちろん役所の業務に障害になるようなことは何もない。民主党政権の時代には、強制的に排除することはないと明言されていた。

ところが政権が交代して安倍政権となった2013年3月29日に、国はテント村の敷地明け渡し訴訟を東京地裁に起こした。このときテント側の少数の個人が被告とされたので、弁護団はもっと広範な人々の利益に関係するという観点で、被告側への参加を呼びかけたことがある。私も賛同して、裁判所宛てに「陳述書」を書いた記憶があるのだが、その後関係者として呼ばれることはなかった。却下されたのではないかと思う。

それから3年あまりの時間をかけて、国側は裁判を確定し、強制執行をかけたわけだ。形式的に一つの裁判は終ったわけだが、国民の表現の自由と国の財産権の問題に結論が出たわけではない。憲法は「一切の表現の自由はこれを保障する」と定めているのだから。

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本日午前の現場風景。新しい柵に、緑のシートを貼ってあった。

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横で30名ほどの警官隊が待機中。テントの再建を警戒しているのか。

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テントの住民はテントがなくても同じように現場に座っている。

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これは警察官が採用されるときに署名する「宣誓書」だとのこと。

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この二人は、反対側の歩道で、手作りのミニミニテントを再建していた。

 

 

脱原発テントは消えても 避難者を優しく支えた場「またみんな集まってくる」

2016年8月22日 朝刊【東京新聞・社会】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082202000109.html

強制撤去される、脱原発テント。後方は経産省=21日午前3時51分、東京・霞が関で
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日曜未明の強制執行だった。東日本大震災後から約五年、脱原発運動の象徴的な場所として知られていた東京・霞が関の経済産業省敷地内のテントが東京地裁によって撤去された。東京電力福島第一原発事故で避難生活をしている人や、福島で畜産業を続ける人からは「第二の古里を返して」「国への抗議のやり方は別にある」という声が上がった。 (萩原誠、神野光伸)

「何も持たずに逃げてきた。こんな私をテント村の人たちは優しく支えてくれた。その第二の古里を返して」

原発事故直後、福島県双葉町から避難し、東京都港区で暮らす主婦亀屋幸子さん(72)は、テントのなくなった経産省前で涙ながらに語った。毎週金曜の集会に通い続けた。市民団体のメンバーからの電話で未明に駆け付けたが、テントの撤去作業を見守るしかできなかった。

テントを設置した市民団体代表の淵上太郎さん(74)は「今ここにテントはないが、脱原発の行動をやめるということはあり得ない」と話した。

強制撤去が始まったのは午前三時四十分。静まり返った暗がりの官庁街に、東京地裁の執行官らが現れた。市民団体のメンバーによると、テントの中には五人の男性が寝泊まりしていた。ガタガタという音が聞こえて目が覚めたという国立市の男性会社員(53)によると、「強制撤去を執行します。十分以内に私物を持って出てください」と通告された。

寝泊まりしていた男性らが執行官に囲まれるようにテントから出てきた。ほとんどの人が抵抗することなく皆自分たちの荷物を持ち、テントひろば向かいの歩道まで追い出された。

テントの中にいた北区の無職の男性(63)は「寝ている時に来るなんて、汚いやり方。悔しい」と嘆き、もう一人の北区の男性(64)は「テントは霞が関のオアシスのようだった」と語った。

午後一時から、テントの跡地で開かれた抗議集会には約百人が集まった。たまたまこの日、テントを訪れる予定で上京した福島県浪江町の畜産農家吉沢正巳さん(62)も参加。吉沢さんは福島第一原発事故で被ばくした牛を飼育しており、「福島の原発事故の反省もないまま国は原発を動かしていく。私たちの街は原発事故でチェルノブイリの状態になり、多くの人や家畜が亡くなった」と訴えた。

さらに「テントは脱原発の象徴だったが、抗議のやり方は別にある。テントがあった場所にまた皆集まってくるはず。命そのものがどう扱われてきたか訴えることは変わらない」と強調した。

捜査関係者によると、抗議集会では、吉沢さんが持ち込んだ牛のオブジェをどけようとした男性警察官にぶつかって抗議したとして、丸の内署が公務執行妨害の疑いで、六十代の男性参加者を現行犯逮捕した。男性は黙秘しているという。

◆有無言わさぬ国の意思

武蔵大・永田浩三教授(メディア社会学)の話 テントは再稼働反対や脱原発を多面的に考える拠点になっていた。原発の再稼働を目指す現在の政権下では、そういう日が来るだろうと予想された。不法占拠と言われれば、そうではないとは言いにくいが、判決では表現の場として一定の評価をしていた。国が強制執行を申し立てたのは、参議院選挙での勝利で政権として信任され、有無を言わさないという意思表示だ。

◆都合の悪い主張の排除

高千穂大・五野井郁夫教授(政治学)の話 省庁の敷地内で5年近く活動を続けたのは前例がない。賛否両論はあるが、党派を超えた人々が集まり、権力に対して議論をする場となっていた。今回の強制執行は、政治に対して声を上げることへの不寛容さの表れだ。テントの撤去は不法占拠という理由だが、政府にとって都合の悪い主張の排除と受け取られてもしかたがない。

 

脱原発テントを強制撤去 経産省前、1800日超

2016年8月21日 08時31分【東京新聞・社会】
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016082101001101.html

東京地裁は21日未明、脱原発を訴える市民が国への抗議の拠点として東京・霞が関の経済産業省敷地内に設置していたテントを強制撤去した。立ち退きを命じた昨年10月の東京高裁判決が、今年7月に最高裁が市民側の上告を退けて確定したことを受け、国が強制執行を申し立てていた。

午前3時半すぎ、暗闇の中で東京地裁の執行官が強制執行に着手してテントを次々と解体し、トラックに積み込んでいった。

テントは東京電力福島第1原発事故をきっかけに、2011年9月以降、50平方メートル分の敷地に計3張りが設置されていた。1張り目の設置から、1800日超が経過していた。

(共同)

 

脱原発テント、未明の撤去 経産省の敷地内に5年

2016年8月22日 朝刊【東京新聞・社会】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201608/CK2016082202000114.html

東京・霞が関の経済産業省の敷地内に市民団体が脱原発を訴えて設置したテントの立ち退きを命じる判決が最高裁で確定したことを受け、東京地裁は二十一日未明、国の申し立てに基づき、テントの撤去を強制執行した。

午前三時四十分ごろ、地裁の執行官らが、テント内にいた団体メンバーらを退去させ、周囲をバリケードで囲み、解体を開始。大きな混乱はなく、同九時までに撤去作業を終えた。

テントは二〇一一年九~十月、市民団体が経産省北側の歩道に面した敷地に三張り設置。メンバーらが常駐して国の原発政策を批判する看板を掲げ、約五年間、脱原発運動の象徴的な場所として知られた。

国は一三年、テントの撤去と土地の使用料の支払いを求めて提訴。一審東京地裁は、国有財産の適正管理を目的とした提訴は不当でなく、他の手段での意見表明は妨げていないとして国の訴えを認め、二審東京高裁も支持。最高裁が七月二十八日付で、団体側の上告を退ける決定をした。経産省によると、土地の使用料は一部を回収したが、二十一日時点で約三千八百万円が未回収となっている。

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