市民のための自由なラジオ in 松本(2016/9/23) 松本市長・菅谷昭さんのお話、チェルノブイ​リ支援と福島事故、小出先生との対談

永岡です、市民のための自由なラジオLIGHT UP、第26回はジャーナリストの今西憲之さんの司会で放送されました。今西憲之の毎度おおきに、今回は長野県松本市、松本市役所での収録です。

今週のゲストは松本市長の菅谷(すげのや)昭さん、松本での収録です。小出先生も収録に同席されたスペシャルヴァージョンです。

菅谷さん、全国の市町村で、放射能、原発に最も詳しい市長さんで、菅谷さんはもともと甲状腺関係の医師であり、チェルノブイリ支援もされて、滞在された時間は合計で5年半であり、小出先生が今松本にいらっしゃるのも、菅谷さんが松本市長だからです。

今年の春に、松本市長選挙で4期目、3月の選挙では市民の支援で引き続き市政を担えても、長すぎるかなと言われて、しかし菅谷さんは信州大医学部を68年に出て、聖路加病院で日野原先生の指導を受けて、信州大に戻り、内分泌、ホルモンを出す臓器の外科医になられて、チェルノブイリ事故後、大学を辞めて支援し、当時の長野県の田中知事から連絡があり、県庁に来てほしいと言われても当初は断り、しかし何度も依頼されて、長野県民のためにとして、その後松本に戻り、第3の人生を、として、松本市長にと市民から依頼されて、ぜひ出てほしいとして、菅谷さんは全国で子供たちに講演を依頼されて、人の役に立つ人間になれと講演したので、それを自分がやることになり、それで選挙に出るが、落ちると思って、それでも支援者からいいと言われてやったら当選であり、市民の熱意、サポーターが増えて続けておられるのです。

チェルノブイリ支援、91年に松本のNGOグループとの関係でやって、それまで信州大におられたのに、なぜベラルーシの支援をされたのか、これは伏せていたが、兄弟7人の末っ子であり、母親は菅谷さんを産んだ後占ったもらったら、43歳で死ぬと言うことになり、これは母の臨終の場で叔母が教えてくれて、それで43歳に近づいて、占いが当たったら?であり、そしてアメリカの帰りの飛行機の中で43歳になり、これが落ちたら…死ぬなと思ったら、医者になるときに、患者さんから、この医者に診てもらってよかったと思われてほしく、大学の医学部でやって、そして飛行機の中で、患者さんのためにやっているかと自問されて、そこで成田に着いたときに、自分の生き方を考えるべきと思い、別の生き方は難しいので、医療者としてやったことを生かすまで死ねないと思い、それで大学に戻り、その際にチェルノブイリ支援をしたグループが松本のテレビに出て見て、甲状腺関係のことがあったので、これに尽くそうと、鎌田實さんと、91年から活動されて、チェルノブイリは甲状腺がんが激増しており、今やっていないような医療技術でロシアにてやっていたので、これは何とかしないと、と思われたのです。

いつもだと、LIGHT UPジャーナルですが、今週はこの後、小出先生も市役所に来られて、収録に参加されました。

その小出先生登場、松本は暑い大阪と比べて快適で、町中に温泉で、もっと前から住みたかったと言われて、松本市に来られたのは、暑いのが嫌いで涼しい町に行きたく、東京、大阪の大都市は嫌いで、新幹線が通るとミニ東京になるので、地方の小さい都市で、文化のある町がいいと思い、そして菅谷さんが松本市長であり、その街に行きたいと思い、しかしそれ以上に、菅谷さんを選ぶ市民がいるのが重要で、その市民になりたいと言われて、菅谷さんありがたい、まさか小出先生が松本に来られるかと言われて、小出先生は菅谷さん、医師がチェルノブイリ支援をされることをありがたいと言われて、小出先生もチェルノブイリに行かれて、97年、菅谷さんはベラルーシにおられて、それを訪ねてご馳走になり、それが出会いであり、菅谷さん、1月に零下10度に、日本からの研究者が訪ねてきて、単に原発に反対してもだめであり、日本人の価値観を変えるべきということが、チェルノブイリ、命の軌跡にあり、菅谷さんは市民運動をどうするか聞かれて、そして日本から持参のそうめんを召し上がられて、この出会いに、深いものを見られたのです。

ベラルーシでの医療活動、汚染地域での子供の検診をされて、手術した子供たちを見て、日本から通うのでは間に合わずと、96~2001年に現地に住んで医療活動をされて、その5年半、ミンスクで3年、ゴメリで1年半、もっと居てほしいと言われても、退職金の問題があり、それで医療活動をされても、使い果たされて、家族には了承されたものの、それが限界であり、しかし神は次の仕事に菅谷さんをつけてくれて、小出先生は、菅谷さんの生き方、日本で大学の医者になるような人は功なり名を遂げたのに、菅谷さんは納得して死ねるのかと思い、地位も、退職金も使い果たされて、自分の納得する生き方を選ばれて、菅谷さんは甲状腺のエキスパートであり、ベラルーシの子供たちには素晴らしいめぐり合いで、ありがたいことだと言われました。

菅谷さんは日本にいた際に原発の問題についてそれほど知らず、原発について、メカニズムは知っていても、がんの子供を目の前にしたら、罪のない子供を放射性物質が襲うことに驚きがあったのです。前半はここまでです。

ここで音楽、菅谷さんのリクエスト、堀内孝雄さんの青春(ゆめ)追えば、菅谷さんも若い時に思い浮かんだ夢であり、ベラルーシでも聞いておられたのです。これは、you tubeにありました。

後半のお話、菅谷さんは今年7月またベラルーシに行かれて、実質5日、しかし往復に4日もかかるので厳しい日程で、ミンスクやゴメリ市のホットスポットご覧になり、チェルノブイリ事故から30年たち、原発30kmは今も居住禁止であり、しかしホットスポットがあり、4年前も行ったが、150km離れてもホットスポット、福島も同じであり、高度に汚染されたところを見て、移染してもしきれずあきらめて、国は住んではいけないというのに、お年寄りが汚染地でもここで死にたい、墓を守りたいと、3つの老夫婦が住んでいるものの、この方々がいなくなると村は無くなり、そして福島への帰還と移染、小出先生、相手にしているのは放射能であり、人間には放射能を消せず、移動させるだけで、消したのではなく、移動させた放射能のゴミがそこら中にあり、そしてチェルノブイリも30年で移染の意味はなく、福島も5年でしんどく、セシウム137が半減するのに30年かかり、福島では汚れはほとんど減っておらず、そして国民が忘れさせられているが、3・11に原子力緊急事態になり今もそのまま、特措法で従来の法律は反故にされて、緊急事態宣言は今も解除されず、解除されるのはいつになるかわからず、今後何十年も解除されず、それを日本人は知るべきで、住んではいけない汚染地域にたくさんの人たちが捨てられていると言われました。

菅谷さん、チェルノブイリに行って気づいたことは、健康省(日本の厚労省)の役人や医者に聞いてみたら、国は心配ないと、日本と同じことを言うものの、現地の人は、ゴメリ州だと大人の5割くらい具合が悪く、子どもも免疫が落ちて病気になりやすく、早産死産があり、甲状腺については、もう子供にはなく、放射性ヨウ素はもう影響はなくても、今大人に増えており、自然発生のがん&幼少期に被爆した子供が大人になり病気になり、検診体制をしっかりしたらわかり、どちらが原因か断定できず、今20~30代の甲状腺がんが増えており、しかし放射能との影響を立証するのはしんどく、現地の医師は、時間が要ると語り、これからも検査と治療を継続するしかない。

小出先生、それなのに福島では地元に帰れであり、「本当にひどい国だ」と言われて、被曝が危険なのは学問の常識なので、法律で被爆の限度を作っているのに、福島事故で被曝限度を反故にして、1ミリシーベルトのものを、20ミリで帰れとして、20ミリの限度は放射線で仕事をしている人間のみに適用している基準を赤ちゃんにも適用するのはムチャクチャであり、疫学で病気と被爆の関係を証明するのには長い時間がかかり、これは子供たちを国が守るべきだと言われました。

菅谷さん、チェルノブイリ・エイズがあり、後天性の免疫不全、チェルノブイリだと放射線被曝で免疫がやられるものであり、チェルノブイリ周辺では他出し、子供たちの免疫は低下しており、低下の状態は汚染にもよるが、6~7割、高度汚染地には健康な子供がおらず、耐久力、元気がない子供がいて、将来どうなるかわからず、なら誤診でも、誤診で元気であったら問題ないが、ベラルーシでは日本で被災者を放置しているのを医師は驚いている、どうして日本はあんなに被曝に甘いのかと言われて答えられず、恥ずかしかった。

東日本大震災、福島事故を聞いて菅谷さん、子供たちを守らないといけないと思い、チェルノブイリの二の舞をさせてはならず、子供たちを守るべきで、被曝への感受性が高いため、避難させる、ヨード剤の服用を語っても、こちらの新聞は書いても全国には伝わらず、当初日本では10km圏内のみの避難であり、口では事故対応と言っても、被災者を見捨てていた。

放射能事故について、取り組まれているのは、長野には原発はないが、柏崎刈羽と志賀、浜岡が近くにあり、これらが事故なら松本には対策が必要で、松本は2012年から核災害の対策をして、松本での事故対策と、松本に避難された方の対策、ヨード剤も次の事故の際に観光客の分も蓄えているのです。

小出先生、菅谷さんには心強く、しかし松本だけやってもだめで、日本中でやるべきであり、なぜチェルノブイリを手本にしないのかと今西さん言われて、小出先生はしかし日本で核をやっていた人たちは安全、絶対に事故を起こさないと言ってこの始末であり、そして事故を起こして、それなのに再稼働だ、新規建設だと言う始末であり、福島の汚染地に人を帰そうとすらしていて、防災計画を立てる=核の危険性を知られるので、なかなかやらず、知らぬ顔で安全だと嘯くものなのです。

松本市の平和祈念式典で、菅谷さんは今の核政策でいいのかと語られて、原爆を含めての核廃絶だけでなく、原発も核、原発はアトミックではなく、ニュークリアパワー、原爆も原発も核であり、これの悲惨なことを日本は2回経験して、核の負の側面をもっと日本人は知るべきで、ベラルーシの子供たちの悲惨さを見たら、核を廃絶すべきであり、小出先生も、原発も原爆も核であり、原爆はだめだが原発はOKというはおかしいと言われて、菅谷さん、ウクライナでは核を大統領が推進して、原発も作り、日本同様、核に反対できないと言われて、これで時間になりました。

(永岡注:私はかつて神戸製鋼という、ヤクザや右翼が経営していた会社にいて(安倍総理も在籍)、そこの原子力事業部から、核と言うと聞こえが悪いので原子力と言えという通達が来たことがあり、このように原子力マフィアは核と言われるのを嫌がるので、そのために積極的に核と表現しています)

今週の放送、長野県松本市からの放送であり、菅谷さんに市政のことは聞かず、しかし松本城の外堀の復元を計画して、これで町は二分されるので、2021年に出来上がり、桜も植えて、観光資源になると締め くくられました、以上、自由なラジオでした。

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