12/4佐賀・玄海町 元住職・仲秋喜道さんの半生 原発と闘い50年 貧しさが民主主義奪った/5/10玄海町に見る原発の「麻薬」性 最終処分場 撤回せず 廃炉で町財政減収【東京新聞・特報の仲秋喜道さんの記事】

今週の日曜12/4の記事、関連記事が5/10にあった。

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佐賀・玄海町 元住職・仲秋喜道さんの半生

 原発と闘い50年

  放射能・死の灰 何が夢のエネルギーだ

貧しさが民主主義奪った

 バラ色の噂 誘致に血眼になった町

 動いたカネ 腐敗が蔓延していった

2016年12月4日【東京新聞・こちら特報部】

玄海原発のある佐賀県玄海町で暮らす元住職の仲秋喜道(きどう)さん(87)は、「夢のエネルギー」ともてはやされた時から五十年、原発反対を貫いてきた。だが、福島で事故が起きても、故郷の町は原発依存をやめない。1号機の廃炉による収入減を補うべく使用済み核燃料税を導入し、3、4号機の再稼働に前向きだ。「貧困が民主主義を奪った」と憂う仲秋さんの半生を振り返る時、原発に翻弄(ほんろう)された悲壮な町の姿が見えてくる。 (沢田千秋)

 

仲秋さんは一九二九年、玄海町の小さな樹寺・東光寺に生まれた。本堂には、平安時代末期に制作された国指定重要文化財の薬師如来坐像が鎮座する。

太平洋戦争真っただ中、山口県内の仏教系の中学に進学した。二年生になると学徒動員で勤労奉仕に駆り出され、学校での勉強は皆無になった。飛行場では、戦闘機を隠すドーム状の掩体壕-えんたいごう-を造るために一日中、材木を運んだ。鉄工所では、機関車の清掃や特殊潜航艇の部品を作り、燃え続ける炉の番もした。

「当然、賃金なんて一切ない。まさに奴隷だった。飯代だけは取られなかったが、主食は大豆の搾りかす飯。牛や馬が食べるもん。つなぎとして、わずかの米が入っていたが、いくら腹が減っていても、決してうまいとは感じなかった」

四年生だった四五年夏、「広島、長崎に特殊爆弾が落ちた」と聞かされた。

「すぐに原子爆弾だと分かった。学校で日本も開発すべきだと習っていたから」。間もなく終戦を迎えたが、フィリピン・ルソン島へ出征した兄はついに戻らなかった。

「勤労奉仕と兄の戦死で、自分の生きる道は決まった。自由、平和を求め、戦争反対で一生を終えると、この時すでに自覚していた」。兄に代わって寺を継ぐ決意をした仲秋さんは、大学で仏教を学び、教員免許も取得した。

日本は敗戦かや七年間、一切の原子力研究を禁じられたが、五二年のサンフランシスコ講和条約の発効とともに解禁された。同じ年、仲秋さんは地元の中学に英語教師として赴任した。

その十一年後の六三年、茨城県東海村の実験炉で、日本は初の原子力発電に成功する。そして、六五年、玄海町で原発建設計画が持ち上がった。当時の町長は早速、東海村を視察し、佐賀県の職員も現地調査にやって来た。

仲秋さんは、大学教授の論文などを取り寄せて原発について勉強した。「最初は難し過ぎて読解すらできなかった」という。「当時、原発に関する資料はほとんどなく、国が言う安全神話に心が揺れることもあった」。だが、原子炉の構造や放射能についての知識を集めるうちに危険性への確信を強めていった。

当時の仲秋さんが記した文章がある。

「大気中に放出される放射能、廃液が流される玄界灘の汚染の不安、廃棄物処理使用済み燃料、死の灰のドラム缶の山積みされる日々が刻々と近づいている。なにが『あすをひらく夢のエネルギー』だろう。なにが『脚光を浴びた過疎の町・玄海町』だろう。憤りが体の奥の方から、むらむらと突き上げてくるのを抑えることができない。だからこそ玄海町を離れることができない」

五十年間に及ぶ長い戦いの始まりだった。

土地が高く売れる。雇用が生まれる。金が転がり込む。バラ色の噂が席巻し、原発誘致に町中が浮かれていた。国会議員、県議、町長らに加え、商工会、漁協、農協の代表などあらゆる名士が「誘致促進期成会」に参加し、住民に原発の安全性を説いた。「今じゃ考えられないが、原発をよそに取られないよう、みんな誘致に血眼だった」

仲秋さんは違った。六五年十月、教職員組合の仲間ら約五十人とともに、「原発誘致反対の決議」を発表した。小さな集会を開き、米国での事故などを説明し、安全性への不安を訴えた。家々を周り反対署名を集めようと奔走した。「ようやく署名してもらっても、後から町議が取り返しに来たこともあった。反対と言えない空気が徐々に蔓延-まんえん-していった」

町長と議長に交渉したこともあった。二人はこう言った。「要は信仰と同じで私たちは安全だと信じる。先生たちゃ危険だと信じる。それでよかじゃなかですか」「使用済み燃料?そりゃ何かい。そんな本ば俺にも見せちくれんかい」

反対を続ける仲秋さんに町は冷淡だった。「重要文化財の本尊に収蔵庫が必要になった。建造費の負担は国50%、県25%、町25%の予定だったが、町が拒否し、実現できなかった」。檀家が押しかけ、父に「息子を寺から追い出せ」と怒鳴ったこともあった。

「おやじにはすまんかったが、ひるむわけにいかんかった。原発から五・五キロの場所に住み、反対を表明した最初の一人であり、ずっと運動の中心におった。責任をしよってた。おやじは私には文句一つ言わん仏さんみたいな人だった」

九州電カは六八年六月、玄海町での原発建設計画を発表した。仲秋さんは「大金が動いた」と嘆息する。町の税収は二千七百万円程度だったのに、七一年、町職員が二千万円の横領で逮捕された。「金に名札はついとらんけん、どこから来た金か分からんけど、二千万円もの金が役場の金庫にあったこと自体がおかしい。説得のため『話せば三月-みつき-、金三日、女抱かせりゃ一晩で』という下劣なセリフもよう聞いた」

町の課長や係長、漁協幹部らが横領や賭博容疑で次々と逮捕され、町長や助役は辞任に追い込まれた。町選出の県議の運動員十二人は、公職選挙法違反(買収)罪で有罪判決を受けた。腐敗がはびこっていた。

騒動を横目に、九電は原発建設を着々と進めた。玄海原発1号機が七五年に営業運転を始めた。九七年七月までに2~4号機ができ、いつしか、玄海町は収入の六割を原発に依存するようになっていた。

二O一一年三月、仲秋さんが恐れたことが、福島県で起きた。五年半たっても、八万四千人が故郷に帰れない。ある町民に言われた。「和尚さんの言う通りになったねえ」

原動力はひとえに、ふるさとへの愛着だった。「ここには理屈抜きの貧困があった。原発ができる前、みな東京、大阪、名古屋に出稼ぎに行った。原発関連で働くようになり、家族と離れて暮らす必要はなくなった。本当は原発を恐れながらも家族、暮らしを大事にしたいという町民の思いに付け込み、原発ができた。その不合理が許せない」 先月、原子力規制委員会の新規制基準に適合した3、4号機の再稼働に、町は前向きだ。町内には今も、原発反対と言わせない圧力があるという。

「戦争は『国破れて山河あり』と言うが、原発事故は山河すら残さない。人類への脅威は戦争以上だ。今持てる技術の全てを投じても防げなかったのに、人知を超えた放射能を管理できるという傲慢-ごうまん-は地域への侵略に等しい。原発はその地の民主主義や人権、自由を奪わないと存在できない。民主主義が存在する地では原発は動かない」

(デスクメモ)
五年前の人口移動調査では、東京圏で暮らす約三割が、他地域の生まれと回答した。望んで上京した人でも、帰郷して暮らしたいと思うことがあるだろう。でも、その地が、放射能で汚染されたら・・・。故郷を失うリスクのある原発の運転は、どれほどのリターンがあっても容認できない。(文)

2016・12・4

原発との歩みを配した自作のノートを手に半生を振り返る仲秋喜道さん=佐賀県玄海町で

(右)1973年当時の仲秋喜道さん(中)=本人提供

(左)九州電力玄海原発4号機(手前)と3号機=2015年3月、佐賀県玄海町で

 

 

 

玄海町に見る原発の「麻薬」性 最終処分場 撤回せず 廃炉で町財政減収

2016年5月10日【東京新聞・こちら特報部】

 

九州電力玄海原発のある佐賀県玄海町の岸本英雄町長が先月下旬、高レベル放射性廃棄物の最終処分場建設をめぐり、国との協議に前向きな発言をした。町長はその後、発言をトーンダウンさせたが、背景には玄海原発1号機の廃炉に伴う町財政の減収が透ける。原発依存という「麻薬」だ。一方、国は九日の東京を皮切りに、最終処分場の必要性を訴えるシンポジウムを全国で開き始めた。(池田悌一、沢田千秋)

 

 最終処分場 撤回せず

 「これいかんどー」言える町民ほぼいない

岸本町長が最終処分場の受け入れに前向きな姿勢を示したのは、先月二十七日のことだった。

「こちら特報部」は九日、あらためて町役場で岸本町長に真意を聞いた。

町長は「自ら手を挙げるつもりは、いまのところ全くない」としつつも、「国が玄海町を最終処分場の適地と判断し、調査を要請してくれば、協議に応じ、住民にも説明する。町民も原発には一定の理解がある。国のエネルギー政策には協力したい」と話した。

高レベル放射性廃棄物は原発の使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムなどを取り出した後の廃液。これをガラスと混ぜて「ガラス固化体」にする。これが無害化するまで、数万~十万年の間、生活環境から隔離する必要がある。その隔離場所として、地下三百メートルより深い地層の岩盤に埋める(地層処分)方式を採用する計画だ。

岸本町長は「中山間地域の玄海町は平地が少なく、リアス式海岸で海底が浅いため大型輸送船は入りづらい。処分場には適さない」と言うが、九電の広報担当者は「玄海原発付近の地層は二百万年動いておらず、安定している」と語る。

岸本町長は二〇〇六年八月に就任。一二年に、町長の実弟が社長を務める建設会社「岸本組」(佐賀県唐津市)が〇五~一一年度にかけ、電源立地地域対策交付金など「原発マネー」を財源とする同町発注工事を二十五億円以上受注していたことが発覚した。

総事業費十五億五千万円で、岸本組が建てた「次世代エネルギーパークあすぴあ」は一三年に完成した。入館無料の施設を孫と訪れた唐津市の主婦(58)は「最終処分場が安全なら、原発立地自治体が受け入れるべきだ」と言い切る。

町内で買い物をしていた大工の男性(70)も「原発のおかげで町民税も電気代も安く、道路も舗装された。処分場は怖いが、よそでは無理」と笑う。漁港にいた漁師の妻(63)は「原発が来た時から覚悟しとった」と言葉少なに立ち去った。

「『これいかんどー』と声高に言える町民はほとんどいない。誰のおかげで町が成り立っとるか、と怒られるから。沈黙の町だ」

処分場建設に反対する藤浦晧(あきら)町議(79)はそう話す。「原発が来た後も町の人口は減り、農業も漁業も衰退し、今や『限界』町だ。地場産業は育たず、町長の会社ばかり潤ってきた」

原発の誘致段階から反対を続ける東光寺の元住職仲秋喜道さん(86)は「地震大国の日本に安全な場所などない。町長は経済産業省や九電と話し合った末に発言したに違いない。アドバルーン的な役割を町長が務めて、町民やマスコミの反応を見ているのだろう」と強い警戒感を示した。

 

廃炉で町財政減収 処分場整備急ぐ国

 再稼働の障害除く思惑 必要性訴えるシンポ始まる

 

町の財政は完全な原発依存型だ。同町によると、一六年度の当初予算ベースで歳入七十二億五千万円のうち、原発関連の固定資産税や交付金、補助金が59%。一四年度決算では、固定資産税の約九割が九電の負担分だった。ただ、昨年四月に玄海原発1号機が廃炉になり、一四年度に十六億円だった電源立地交付金は、一六年度には十二億円ほどに落ち込む見込みだ。

ちなみに玄海原発3、4号機は現在、再稼働に向けた新規制基準に基づく適合審査中だ。町長の発言は再稼働への弾みとなると同時に、町財政の減収を補う新たな関連施設の誘致が狙いという見方が強い。

この点を聞くと、岸本町長は「お金に貧窮して、処分場受け入れを考え付いたと思われるのは心外だ」と不快感をあらわにした。

岸本町長に話を聞いた九日、東京でも最終処分場をめぐる動きがあった。

東京・大手町で、経済産業省資源エネルギー庁と電力会社が資金拠出する経産相の認可法人、原子力発電環境整備機構(NUMO)の共催で、「いま改めて考えよう地層処分」というシンポジウムが開かれた。東京を皮切りに、全国九カ所で開かれる予定だ。

最終処分場はNUMOが〇二年以降、候補地を公募したが、応募は〇七年の高知県東洋町だけ。しかも住民の反対運動から町長が辞職に追い込まれ、出直し町長選で反対派が当選したため、応募は撤回された。

その後、進展のない状況に業を煮やした国は昨年、自治体の公募方式から国が自治体に申し入れる方針に転換。シンポジウムはその「地ならし」に当たる。

あいさつに立ったNUMOの近藤駿介理事長は「安全性を最優先に調査を進めていく」としながら「処分場を受け入れていただければ、さまざまな事業インフラや生活インフラの整備を通じて、地域の持続的発展を実現させる決意だ」と利益誘導を忘れなかった。

質疑では、参加者らから「もし廃棄物の容器が壊れたらどうなる」「このシンポで同意を求めようというのか」といった声が上がった。それに対し、主催者側は「容器は頑丈」「ご理解をいただくためのシンポだ」と説明に追われた。

ただ、国が最終処分場の決定を急いでも、前提となる再処理はできる状態にない。青森県六ケ所村の再処理工場は二十回以上、完成予定を延期している。

今回の岸本町長の発言翌日、東洋町で最終処分場の応募を撤回した沢山保太郎前町長が、玄海町役場を訪れ、抗議文を提出した。

その沢山前町長は「もし地下で事故が起きれば、手が付けられない。地域住民の考えもよく聞かずに、町長が独断で判断するのは許されない」と憤る。

「当時の東洋町も財政はじり貧状態で、負債が予算額の二倍に膨れ上がっていた。元町長は数千億円の経済効果というアメに目がくらんだのだろう。だが、電力は都会で大量に使いながら、ごみはさびれた地域に捨てればいいという差別的な考えは通らない」

九州大の吉岡斉教授(原子力政策)は「原発マネーで潤うのは、地方自治体と建設業界。いずれの利権にも関わる玄海町長は、処分場計画が国主導に転換されたことで『取り残されてはいけない』と危機感を抱いたのだろう」とみる。

「使用済み核燃料は、このまま百年置いておいても問題はない。新たな置き場がなくなると言うなら、原発を再稼働させなければいい。政府は逆に最終処分場の整備を急ぐことで、再稼働の障害を取り除こうとしているのだろう。福島原発事故の対応という喫緊の課題にも十分に取り組めていないのに論外だ」

(((デスクメモ))) 子どものころ「自分の尻は自分でぬぐえ」と教えられた。言うまでもなく、責任の取れないようなことはするなという意味だ。が、それに反する現実がある。原発は典型だ。埋めた放射性廃棄物が無害化するのは十万年先。責任の取りようがない。原発に倫理なしというゆえんである。(牧)   2016・5・10

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カテゴリー: ちたりた, 再稼働, 最終処分場, 中日東京新聞・特報 パーマリンク