12/27「見捨てられるのでは…」 飯舘村長泥地区の除染問題【東京新聞・ふくしま便り】

もどれない故郷ながどろ(芙蓉書房出版)
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「見捨てられるのでは…」 飯舘村長泥地区の除染問題

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2016122702000189.html
【東京新聞・ふくしま便り】2016年12月27日

自宅の前で「故郷は心のよりどころとして守っていく」と話す鴫原さん=福島県飯舘村で

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福島第一原発の事故で全村避難となった飯舘村。来年三月末に大部分の区域で居住制限が解除され、帰村がスタートする。祝賀ムードも漂う中、かやの外に置かれているのが長泥(ながどろ)地区だ。村の二十行政区の中で、ここだけが帰還困難区域に指定されており、立ち入り制限は来春以降も続く。除染の見通しもたっておらず、住民から「このまま見捨てられるのではないか」と不安な声が聞こえてくる。

「ここに来ると心が休まるんだ。避難先の福島市で、こんな気持ちになったことはないなあ。いつも周りの住民から白い目でみられているようで、小さくなって暮らしているんだ」

長泥区長の鴫原(しぎはら)良友さん(66)は、久しぶりに戻った自宅の玄関先に腰を下ろし、目を細めて話し始めた。家の前には雑草が茂る棚田が広がる。母屋の横の牛小屋には、震災前まで飼っていた六頭の和牛の名前が壁に書かれている。風の音と鳥の鳴き声以外には何も聞こえない。

この日も福島市内のみなし仮設住宅から車で約一時間をかけてやってきた。飯舘村に入ると、役場などがある一帯は活気に満ちていた。大部分の区域は夜の宿泊に制限があるが、往来は自由。来年三月の解除に向けて豪華な公民館が完成するなど華やいでいる。

だが、長泥地区の入り口に来ると、震災直後に引き戻された気分になる。ゲートがあり、住民以外は特別な許可がないと立ち入りできない。

震災前、長泥地区には約二百七十人が住んでいた。

「明治の初めのころに五軒の農家が入植した。苦労して農地を開き、七十軒ほどに増えたと聞いている。結束が固く、祭りの時は田植え踊りで盛り上がった。女装をしたり、顔にひげを描いたりと楽しい踊りだ」

そんな住民が原発事故で避難を強いられた。鴫原さんは、散り散りになって暮らす住民の心をまとめる努力を続けてきた。恒例だった盆踊りを絶やすまいと、毎年秋に飯坂温泉(福島市)で住民が集まる祭りを始めた。今年は、原発事故から五年間の記録を「もどれない故郷ながどろ」という本にまとめた。

「現実には誰もが避難先で新しい生活を始めている。俺だって福島市に中古住宅を買った。そういう生活があるのは先祖がいたから。それを忘れたら心が荒れる。都会の暮らしも、いずれ破綻してしまう」

今、心を砕いているのは、長泥地区の除染を実現することだ。ほかの十九の行政区では民家周辺の除染はほぼ終了。これが帰村の前提ともなっている。だが長泥地区は手付かずで、平均して毎時二・〇~三・〇マイクロシーベルトほどの高い線量がある。

「除染をしないのは、この土地はいらないと、見捨てるのと同じ。長泥の人は、これは差別だと心底怒っている」

政府は今月二十日、新たな福島復興指針を閣議決定した。帰還困難区域の除染やインフラ復旧を国費を投入して実施、五年後をめどに避難指示の解除を目指すという。しかし自治体ごとに「特定復興拠点」を定め、この周辺から除染などを始めるという考え方は、大熊町や双葉町など町の中心部が帰還困難区域になった自治体を想定しているように思える。長泥の場合は、飯舘村のごく一部として忘れ去られるのではないか。そんな恐れを拭い切れない。実際に国も県も村も「長泥を除染する」と明言したことは一度もない。

住民の信仰を集めた白鳥神社に案内してもらった。意外に荒れていないのは、震災後も避難先から通い、倒れた灯籠を直し、木を刈るなど、手入れを続けてきたからだという。鴫原さんが、こう話した。

「安倍(晋三)首相は、山奥の農業なんか必要ないと考えているんだろう。一言、言ってやりたい。こんな山奥の土地でもわが故郷だ。元通りにして返す義務が国にはある。それをせずに、農業や農民をばかにしていれば、きっとこの国は滅びるよ」 (福島特別支局長・坂本充孝)

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