1/9東京新聞の井上能行さんによる高野病院院長の高野英男さんの記事/原発事故当時の病院 移送の難しい患者抱え「美談なんかじゃない」【東京新聞・社会】

[字]ETV特集 アンコール「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」 2017.01.21【Mediacrit】

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中日メディカルに載った「福島原発22キロ 高野病院の奮戦が本に」を覚えている。
悲報「高野病院を助けてください!!!」というWeb上のMLを読んだのは、先週のことだった。思わず涙してしまった。

福島原発22キロ  高野病院 奮戦記 がんばってるね!  じむちょー』の著者井上能行さんと片山夏子さんの追悼文が、昨日1/9に掲載されていた。
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原発事故当時の病院 移送の難しい患者抱え「美談なんかじゃない」

2017年1月9日 朝刊【東京新聞・社会】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017010902000124.html

高野英男院長を初めて取材したのは、福島特別支局在任時の二〇一三年十一月。原発事故後、避難せずに診療を続けた行為を「美談なんかじゃない」と言ったのが忘れられない。

やむにやまれぬ判断だった。一一年三月十一日の震災当時、精神科と内科に約百人の入院患者がいた。寝たきりで、移送に耐えられそうにない高齢者もいた。

病院は海岸に近い丘の上にある。震災の日、津波で停電、断水も起きた。その夜、がれきで埋まった真っ暗な道を夜勤の看護師四人が出勤した。

広野町は十三日に全町避難を決めた。給食の作り手がいなくなると、入院患者の家族らが手伝った。隣町のスーパーの経営者は、店の裏口の鍵を渡してくれた。非常勤医師を派遣していた杏林大は、跡見裕学長が先頭に立って支援した。消防団、自衛隊、東北電力の社員…。多くの人が支えた。

亡くなった高野英男院長(右)と、一緒に病院を支えてきた次女の己保(みお)さん=福島県広野町の高野病院で(2013年11月撮影)

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◆死去の院長患者第一 3・11後、夜も病院に

高野英男院長は東北大理学部に進学したが、在学中、人間への関心が強くなり、精神科医に転身した。若いとき、内科も学び、外科手術も経験した。「患者と長く接するために」一九八〇年、高野病院を開院。「地域の無名の臨床医としてやっていく」つもりだった。

原発事故後もとどまるのは、いばらの道だった。地域は崩壊し、子どものいる職員も避難した。

普段は仕事が終わると病院の敷地内にある自宅に戻っていたが、3・11後は夜も病院にいた。

「ロビーにスタッフが集まった。昔話をしながら様子をみた。それほど不安が強い人はいなかった」

双葉郡の北にある南相馬市で生まれた院長は、放射性物質はこの地域でよく吹く南風に乗り、病院への影響は小さいと考えた。町役場から借りた線量計で繰り返し放射線量を計測した。医学的、科学的にリスクを考えた。

震災で病院を取り巻く環境は大きく変わったが、患者第一の院長の姿勢は揺るがなかった。

「朝六時には病院に入る。夜勤者の申し送りを聞き、必要があれば患者を診る。昔から朝食は食べない。コーヒーを一杯と半熟のゆで卵を一個。コーヒーをいれるのが楽しみ」

「病棟をまわるとき、私を見ても患者の表情が変わらなかったり、声を掛けても返事がなかったりすると、少し具合が悪いかなと。そんな見方をする」

楽しみは仕事の後、自宅に戻って飲むビール。「ピッチ(PHS、簡易型携帯電話)は手の届く所に置く。風呂に入るときも、シャワーを浴びるときも。哀れだなあ、と思います」。「酔うことはない」とも言っていた。

悲報を聞き、一月に入って病院を訪ねると、事務長室に遺影が飾られていた。缶ビールの六本パックを置いて合掌した。

「病院を守ろうとたくさんの人が力を合わせています。もう、酔っても大丈夫ですよ」 (論説委員・井上能行)

 

福島・広野町 避難指示後も診療…81歳院長の死 被災地医療の灯消すな

2017年1月9日 朝刊【東京新聞・社会】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201701/CK2017010902000125.html

「調子はどう?」。入院患者の大和田チカ子さんに話し掛ける南相馬市立総合病院の嶋田裕記医師(左)=5日、福島県広野町の高野病院で(片山夏子撮影)

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東京電力福島第一原発事故で避難指示が出た後も福島県広野町に残り、患者の診療を続けた高野病院の高野英男院長(81)が昨年末、自宅の火災で亡くなった。第一原発から二十二キロ。双葉郡八町村で唯一診療を続けた病院で、高野さんはたった一人の常勤医だった。「院長が残した地域医療の灯を消すな」と残された職員やボランティア医師らの奮闘が始まっている。 (片山夏子)

「『どんな時でも自分のできることを粛々と』という院長の言葉は遺言になってしまったけれど、この地域の医療を守るのには皆さんの力が必要です」

元日の朝、高野さんの次女で病院理事長の己保(みお)さん(49)は出勤した約三十人の職員に呼び掛けた。

高野さんが亡くなったのは先月三十日。いつものように病院で診察し、夕方、隣接する自宅に戻った。一一九番通報があったのは午後十時半のことだった。

緊急事態に、広野町と南相馬市立総合病院の医師らはすぐさま支援する会を立ち上げ、協力医師を募った。全国からボランティアで集まった医師二十人と、震災前から病院を支える杏林大(東京都)の非常勤医師らで急場をしのぐ態勢はできた。県や国も支援の動きをみせているが、医療法などで病院存続に必要な常勤医確保のめどはたたない。

病院には約百人の入院患者がいて、原発作業員らの救急医療も担ってきた。避難区域が解除される中、故郷に戻る人々の診療も期待されている。支援する会の坪倉正治医師(35)は「地域が高齢化する中で高野病院は必要。事故後も地域医療を守ってきたほかの医師の士気にも関わる」と話す。病院の看護師清水みさえさん(53)は「患者第一に考え、どんなに休んでと言っても休まなかった」という高野さんの遺志を継ぎ、働き続ける決心をした。

三年前から入院する大和田チカ子さん(85)は「先生はいなくなっちゃったけど、ここにいたい」とタオルで涙をぬぐう。己保さんは「院長の心残りは何よりも患者さんやスタッフ、この地域の医療の行く末だったと思う。それだけは何としても守りたい」と力を込めた。

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以下、東京新聞以外で目にした高野病院のこと。

1/2高野病院を助けてください!!!(全国の医師の皆様へ)

高野病院を助けてください!!!

http://ameblo.jp/1130gokusen/entry-12234234006.html
2017-01-02 12:09:32

信じられないことが起こりました。
福島第一原発から22キロに位置し、震災後も休業も移転もせずに、孤軍奮闘してきた高野病院の高野英男院長が火災にあい、お亡くなりになったと連絡が入ったのが年末。さあ、新しい年を迎えようと意気込んでいた大晦日、日付が変わった深夜です。

高野院長は、南相馬市原町区出身の医師です。
眼科医の家庭に生まれ、数学家を目指して勉強していらっしゃいましたが、人間が好きとのことから、哲学的に精神を診る医師になられたという、 頭脳明晰な温厚柔和で、人徳のある先生でした。
震災後も、入院患者さんのために、少しの休憩もなく、病院を開け続けていらっしゃいました。
お疲れはピークをとうに過ぎていたと思います。
その混乱ぶりは、東京新聞福島特別支局の井上能行氏が、克明に「福島原発22キロ高野病院奮戦記」に記されています。

常勤医が高野院長しかお出ででなかった高野病院。本当に混乱しています。

お嬢さんの高野理事長は、広野町などの関係者に「住民を守って下さい。従業員を守って下さい。私はどうなってもいいです。 病院を、そのまま寄附します」と困窮を伝えたそうです。

その訴えに対して、 福島県の職員は「正月休みがあけ、関係者がでてきたら、検討しましょう」と回答したそうですが、これは福島県民として事実であって欲しくない話です。

「人ひとり亡くなって、入院患者がいるのに、県の対応はお粗末過ぎます。命をなんだと思ってるんでしょう、、、 対応した職員の名前を公表したら良いと思います。」

「人様の命に、盆暮れ正月などありません。今しなければならない救命の話は、あの大震災を体験した福島県民なら、誰もが経験したことで、福島県は他の県の見本とならなければなりません。」

高野病院は広野町にある個人病院ですが、南相馬市原町区出身の高野院長を思い、南相馬でも世論が静かな怒りと化しています。

高野院長が浜通りにある他の病院に遠慮して、医療過疎の広野町に1980年(昭和55年)に開業されたことも、高野院長らしい選択と胸を打つものがあります。
ただでさえ医療の困窮している広野町に、多大な貢献をしてきた高野病院。福島県、福島県立医大に、心からの救援要請を一県民としてお願いします。

広野町から南相馬市に応援要請があり、
先日ベテランママの会より感謝状を贈呈させていただきました南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長が快諾してくださり、
31日の大晦日には院長自ら宿直を引き受けてくださったとか。医師としての鑑であると思います。

金澤院長のご決断に触発されたのか、南相馬市立総合病院の若手医師たちも、立ち上がりました。

以下、南相馬市立総合病院医師尾崎章彦先生より
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高野病院の窮状は各種メディアで報道されている通りです。
私自身は直接高野医師と面識はありませんでしたが,震災後も懸命に双葉郡の医療を支えて来られたことは存じ上げていました。また,本日ご縁があって,高野医師の最期に立ち会う機会にも恵まれました。それだけに,微力ながら高野病院の入院患者様や双葉郡の住民の方々の健康を守る手助けをできればと考えています。
今回,この急場を防ぐために,高野病院と南相馬市立総合病院の有志が中心となり,高野病院を支援する会を立ち上げました。(http://digital.asahi.com/articles/ASJD05G
0KJD0UGTB009.html)
みなさま,年末のお忙しい時期で恐縮ですが,以下文章の拡散をお願い出来ないでしょうか?
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全国の医師の皆様へ
初めまして。
私、高野病院を支援する会代表の尾崎章彦と申します。
この度、福島県双葉郡広野町高野病院院長である高野英男先生が、12月30日深夜に亡くなられました。
高野病院は、福島第一原発事故の避難区域である双葉郡で唯一診療を続けておられた病院です。
唯一の常勤医であった高野院長が亡くなられた今、高野病院に常勤医はおりません。
このままでは、入院患者さんはもちろんですが、外来に来られていた患者さんや周辺の住民の皆様の命が危ぶまれることになりかねません。
そこで、ボランティア医師として外来や当直業務をご協力いただけないでしょうか?
もちろん、常勤医として勤務して下さる先生方も募集させていただきます。
ご協力いただける方は、以下のアドレスにご連絡いただけますと幸いです。
takanohospital.volunteer.dr@gmail.com
どうか皆様のお力をお借りいただきたく存じます。
何卒宜しくお願い申し上げます。

2016年12月31日
高野病院を支援する会代表  尾崎章彦
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https://external.xx.fbcdn.net/safe_image.php…

火災の高野病院、南相馬市立総合病院の医師らサポートへ:朝日新聞デジタル

福島県広野町の高野病院敷地内で起きた火災を受けて31日、双葉郡医師会や町、県の幹部らが今後の対応を協議した。(朝日新聞DIGITALより転載)
asahi.com
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応援をよろしくお願いします。
1/21にはNHKで『原発に一番近い病院』の再放送が決定していました。生前の高野院長のお姿が、涙で霞みそうです。
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/x/2017-01-21/31/66099/2259551/

これが被災地の医療の実態です。皆様、御支援下さい。
そして、福島県、福島県立医科大に、心からの救援要請を一県民としてお願いします。
命は待ったなしです。

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(火災)遺体は高野病院の81歳院長 福島・広野

http://mainichi.jp/articles/20170104/k00/00m/040/052000c
【毎日新聞・福島県】2017年1月3日 19時12分(最終更新 1月4日 09時46分)

火災で亡くなった高野病院の院長、高野英男さんを追悼するメッセージ=同病院のホームページより

福島県広野町下北迫の「高野病院」院長、高野英男さん(81)方で昨年12月30日に発生した火災で、県警双葉署は3日、焼け跡から見つかった男性の遺体はDNA鑑定の結果、高野さんと判明したと発表した。死因は焼死だった。東京電力福島第1原発が立地する双葉郡で唯一診療を続ける病院で、高野さんは原発事故後も避難せず入院患者らの診療を続けていた。

高野病院は現在、帰還した住民や原発の廃炉作業に携わる人たちの診療も担っているが、町によると、同病院の常勤医は高野さんだけで、死去により医師の人繰りが難しくなったという。

このため町は3日、入院患者約100人の対応や外来診療をするため、9日まで同県南相馬市立総合病院などから医師派遣を受けると発表。同病院に勤務する有志の医師たちも「高野病院を支援する会」を発足させ、フェイスブックなどで医師派遣などの協力を呼び掛け始めた。

町は医療体制を維持するため全国からボランティア医師を募り、交通費や宿泊費を町が負担する方針。町の担当者は「高野病院の患者は双葉地方広域にわたっている」と国や県に支援を求める考えを述べた。

高野病院も3日、インターネットのホームページで地域医療に身をささげてきた院長を追悼し、「院長の意志を受け継ぎ、職員一丸となり、これからも地域の医療を守っていく」と決意を記した。【高井瞳】
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