[字]ETV特集 アンコール「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」 2017.01.21【Mediacrit】

これだけ評判を呼んだ番組、そのうちyoutubeかデイリーモーションに上がると思う。

番組最後に故高野先生へ御冥福をお祈りいたしますと追悼の言葉がテロップで流れたが、このMediacritは番組の音声を拾っているらしいので、ここには書かれていないのが残念。
報道写真でしか存知あげなかったが初めて動画で、ありし日の高野先生のお姿を拝見することが出来た。

高齢で孤軍奮闘なさっていた高野先生にだけに医療をおしつけて、県は医師の派遣を病院で独自にしろと冷たい対応だったと番組で分る。ひどい話だ。

先週末行った近江八幡の休暇村で温泉から上がったらこの番組だった(もうすこしで「3月のライオン」になるところだった)。 私は日頃TVのない生活をしているが、旅先では時計代わりにTVをつけることもある。

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NHKの同番組サイトより

福島第一原発から22キロ離れた双葉郡広野町の高野病院。院長の高野英男さん(81)は現役の医師として診療を続けている。5年前の原発事故で、病院を取り巻く環境は大きく変化した。原発周辺の病院が休止しているため、救急車が殺到。地域医療が崩壊する中、除染など復興作業に携わる“新たな住民”や、原発事故によって居場所を失ったお年寄りたちの最後のとりでとなっている。孤軍奮闘する老医師、その2000日を見つめる。

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ETV特集 アンコール「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」 2017.01.21

【Mediacrit】2017/1/21
http://o.x0.com/m/423061

 

毎朝6時半きっかり。
ログハウスから出てきた男性が向かう先は隣にある病院です。

(取材者)おはようございます。
(高野)おはようございます。
高野英男さん御年81歳。
この病院の院長です。
今も100人の入院患者を診て回ります。
おはようございます。
お相手は平均84歳。
みんな長いつきあいです。
高野病院を取り巻く環境を大きく変えたのは5年前の原発事故でした。
病院は原発から南に22キロの場所。
双葉郡広野町にあります。
ここがこの地域で診療を続けるただ一つの病院となりました。
(救急車のサイレン)他の病院が休止しているため救急車が次から次へとやって来るようになりました。
探してはいるんでしょ?ここで診きれないから。
(救急隊員)了解です。
(患者)あっ…あぁ〜足が…。
復興作業に携わる「新たな住民」。
居場所を失ったお年寄り。
あ〜…あ〜…。
病院はその最後のとりでです。
この5年半一人ふんばってきた老医師。
その日々を見つめます。
36年前に広野町に根を下ろし診療を行っている高野院長。
専門は精神科ですが地域の人たちのあらゆる声に応えてきました。
(看護師)診察の方になりますね。
今も注射やレントゲン撮影を自ら行います。
おはようございます。
・おはようございます。
おはようございます。
いつものとこ。
なじみの患者さん痛みも苦しみも知っています。
よしっ…。
はいそうです。
ここね。
ありがとうございました。
どうもね。
はいどうもね。
院長がいつも座る席。
ん?ぽつんと何か書いてありますよ。
思えばあの日から何もかも一変しました。
事故によって原発周辺の町に避難の指示が出されます。
その中でいち早く戻ってきたのが病院のある広野町でした。
続いて少しずつ避難指示は解除されていきますが双葉郡に6つあった病院のうち5つが今も閉鎖されたままです。
高野病院だけが診察を続けてきました。
「復興の前線基地」と呼ばれる広野町。
早朝原発に向かう国道は出勤する作業員の車で埋め尽くされます。
この地域で除染などを行う…広野町で暮らす作業員の数は住民を上回っています。
作業員が急増した町で高野病院はこれまでにない対応に追われています。
・はい高野病院です。
はいお世話になります。
はい。
分かりました。
ではですね一度ですね担当の医師におつなぎしますのでちょっとお待ち頂いてよろしいでしょうか?はい。
原発事故前までほとんど受け入れていなかった救急搬送。
今は院長を支える非常勤の医師を中心に対応しています。
作業員宿舎から来た2人の男性。
大事には至りませんでした。

はい高野病院です。
初めてですかね?今…。
少々お待ち下さい。
もう一件別です。
これとは。
(患者)ここでいいかな?
(事務員)大丈夫ですよ。
こっちで点滴とりながらだけどさ多分検査できないから。
隣町にある宿舎でおう吐して倒れたという作業員です。
あ〜…。
(看護師)ちょっと待って下さい。
熱中症でした。
炎天下マスクをつけて長時間働いていたそうです。
(患者)あ〜ああ足が。
あ〜…。
(患者)ああ…あ〜!足が。
(得津)つるんだよね。
(看護師)つるのね。
(患者)ああ…もう俺に触らないでくれ。
あ〜。

症状が重い事から双葉郡の外にある大きな病院に転送する事になりました。
住民の方々も深刻な体調不良を訴えています。
環境の変化によるストレスが心と体をむしばんでいました。
…分かんねえんだな。
忘れっぽいです。
避難生活を続けてきた男性。
物忘れがひどくなっている事に不安を感じていました。
あれはね…う〜ん…。
ではお大事になさって下さいね。
ありがとうございました。

震災後脳梗塞やうつに苦しむ住民が増えているそうです。
避難生活に耐えきれなくなった人たちもいます。
他の病院が休止しているため請け負う事になった死体の検案。
死因の半数は自殺です。
立ち入りが制限される自宅に戻り命を絶つ人が後を絶ちません。
震災と原発事故が影響したとみられる自殺。
その数は福島県で85人に上ります。
毎週水曜日は院長が入院患者を診て回る日。

早朝91歳の入院患者が院長を待ち構えていました。
おはよう。
はいどうも。
これもか。
はい。

——— ちたりた注 —-

毎週この入院患者さんが院長先生にヤクルトとお菓子(立ったと思う)を手渡されていたそうです。


回診の時間です。
この夏内科に60人精神科に48人が入院していました。

おはようございます。
他の病院が休止しているためいつもいっぱいです。
(看護師)いくつになったっけ?ちょっとごめんね〜。
(看護師)「大丈夫」って。
どうも。
患者さんに比べれば院長はまだまだお若いはず。
おはよう。
飲んだり食べたりできてる?原発事故後最も必要とされているのがこうした入院患者の受け入れだといいます。
優しい先生はねこの5年盆も正月もなく働いてきました。
病院の歴史は36年前に始まります。
医療空白地だったこの地域を支えたいという思いからでした。
目指したのは地域の人たちに必要とされる病院。
何よりも患者に寄り添う事を理念に掲げていました。
(音声)ああ津波ですね。
ずっと津波ですねこれね。
福島防災機です。
いわき市周辺高度1,200偵察中。
ちょうど今上がってるところですね。

未曽有の大災害に襲われた5年前。

「患者に寄り添う」というその理念が問われる事になります。
福島第一原発の周辺では避難指示の範囲が半径20キロに拡大されています。
広野町では念のため全ての住民に対して町外の安全な地域に出るよう防災無線を使って呼びかけたという事です。
町では避難先が見つからないため南の地域に避難するようとりあえず呼びかけているという事です。
全町避難を呼びかけた広野町。
町から人がいなくなりました。
この時入院患者101名を避難させるかとどまらせるか難しい判断を迫られたのです。
当時の状況を記録したメモです。
県の医療チームや警察などから患者を全員避難させるように何度も迫られました。
しかし院長は患者たちの容体を見て病院にとどまるという判断を変えませんでした。
その結果病院にとどまった患者は一人も亡くなりませんでした。
しかし原発事故は深刻な爪痕を残しました。
避難のため職員の退職が相次ぎ33人いた看護師が5人にまで減ってしまったのです。
更に大きな打撃となったのは当時もう一人いた常勤の医師の退職でした。

(扉の開く音)おはようございます。
おはようございます。
ただ一人常勤の医師となった院長の負担が格段に重くなりました。
去年は夜間の救急に対応する当直を年130回も務めてきました。
ああご自分の体調には無頓着な院長。
(看護師)あっ先生…。
大丈夫ですか?先生。
椅子がずれちゃいましたね。
大丈夫ですか。
大丈夫です。
押さえてます。

-- ちたりた注 椅子に着席おできになれなかった--

81歳になった今年急激に体調が悪化しています。
回診のあとの午後。
看護師から報告を聞く時間ですが院長の姿がありません。
そうですね。
一応15分ぐらい。
俺連絡?分かりました。
お願いします。
10分後。
寝過ごしていたようです。
本来時間に厳しい院長。
今年に入るまでこうした事はありませんでした。

おはようございます。
おはようございます。
高野院長の娘己保さん。
病院の事務長です。
今年に入って当直を月2回まで減らすなど負担を軽くしようと努めています。
掃除や洗濯など一人で暮らす院長の身の回りの世話も引き受けてきました。
己保さんは物心ついた時から父と暮らした記憶がありません。
家族より患者あくまで医師として生きる姿。
それが父でした。
現在は病院が独自に集めた9人の非常勤の医師に救急や当直などを日替わりで任せています。

精神科にちょっと行ってくるんで…。
すぐ帰ってきますので…。
もう休んで下さい。
お疲れさまです。

今も求人を続けています。
苦境を知って来てくれる看護師なども現れました。
震災の翌年から再開した広野町の花火大会。
投げキッス!わっ!今年は震災後最も多い6,000人が参加。
若い人たちの姿も数多く見られました。
しかしその多くは一時的な立ち寄りです。

(花火の音)住民が戻ってこないのは放射線への不安だけが理由ではありません。
コミュニティーが壊れ買い物など生活する環境が整わない事も帰還を躊躇させています。
(花火の音)一方で家族では支えられないお年寄りがふるさとの病院に帰ってきます。
病院内を徘徊する入院患者。

(看護師)どこ?
(看護師)ねっ行くべ。
ほら…よし。

この日病院を訪れたのは医療計画を取りまとめている県の幹部です。
地域医療課の平と申しますがお世話になっております。
事務長さんいらっしゃいますか。
どうぞおかけになってお待ち下さい。
今後の体制について現場の意見を聞きに来ました。
いつもお世話になってます。
県の地域医療課の平です。
今日ちょっといろいろお話をお聞きしにお邪魔しました。
今日どういうお話でいらしたんですか?それができればオープンにできるんですよね逆に言えばね。
そうそう。
世間話だけだったらねみたいな。
はいすいません。
申し訳ない。
すいません。
申し訳ないです。
あっすいません。
住民の帰還が見通せないとして病院への支援は遅れていました。
院長は診察があるため話し合いを途中で退席。
事務長は福島県立医大から常勤の医師を派遣してもらえないかと訴えました。
どうもご苦労さまです。
ちょっと…はい。
医師の派遣について県からは病院が独自に交渉してほしいと言われたといいます。

入院中の患者の容体が悪化しました。
避難のさなかに倒れ病院を転々としてきた女性です。
近頃おしっこの量が減って体がむくんできたため確認する事にしました。
肺に水がたまり呼吸しづらい状態になっていました。
家族に連絡を取るよう指示を出します。
はい分かりました。
高齢患者を受け入れる高野病院では最期の時間に立ち会う事も少なくありません。
2時間後隣町に住む娘が仕事を抜けて駆けつけました。
ごめんなさいね。
(看護師)ちょっとチクッとね。
(看護師)ごめんごめん。
ごめんね。
ああ…ああ…ああ…ああ…。
水を抜き過ぎると状態が悪くなる事もあります。
(患者)ああ…ああ…。
(看護師)ごめんね。
終わりね。
よしっ…。
(患者の娘)ありがとうございました。
(事務員)院長先生すいません。
命をどう重く見るか…。
(せみの鳴き声)
(鳥の鳴き声)水曜日院長回診の日。
はいおはよう。
長生きですね。
(看護師)「心配ないよ」って。
肺に水がたまっていた女性です。
容体は悪化していました。
(看護師)セツ子さん先生の診察です。
心臓に近い左側の肺から水を抜く事が難しく手の施しようがなくなっていました。
命の輝きと厳しさを見つめ続けてきた日々。
震災後この病院で退院した患者は289人。
命を全うした患者は170人に上ります。
ええ。
(犬の吠え声)
(吠え声)

2017/01/21(土) 23:00〜00:00
NHKEテレ1大阪
ETV特集 アンコール「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」[字]

原発に最も近い高野病院。復興作業に携わる“新たな住民”や居場所を失ったお年寄りの最後のとりでです。奮闘する院長の高野英男さん(81)の2000日を見つめます。

詳細情報
番組内容
福島第一原発から22キロ離れた双葉郡広野町の高野病院。院長の高野英男さん(81)は現役の医師として診療を続けている。5年前の原発事故で、病院を取り巻く環境は大きく変化した。原発周辺の病院が休止しているため、救急車が殺到。地域医療が崩壊する中、除染など復興作業に携わる“新たな住民”や、原発事故によって居場所を失ったお年寄りたちの最後のとりでとなっている。孤軍奮闘する老医師、その2000日を見つめる。
出演者
【語り】樹木希林

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸

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