3/7(中)シングルマザー 二重生活で溝・・・離婚≪選択 避難者の今≫【東京新聞・東日本大震災6年】

≪選択 避難者の今 東日本大震災6年≫

(中)シングルマザー 二重生活で溝・・・離婚

2017年3月7日【東京新聞・朝刊】

女性の自転車。汚れが目立ち始めた=東京都内で

この街に越してきた二O一一年に買った自転車。籠に浮かぶさびが六年の月日を物語る。福島では自転車に乗らなかったが、今は通勤のために駅まで毎日ペダルをこぐ。

「なんで私、東京でシングルマザーしてるんだろう」。東京都の多摩地域で小学生の長男(一O)と避難生活を続ける女性会社員(四一)は、東京電力福島第一原発事故で人生をめちゃくちゃにされたと痛感している。

一一年三月十四日、福島第一原発3号機が水素爆発を起こす。中通り地方にある自宅は原発から約六十キロ。「本格的にまずい」。避難区域外だが、危機感を抱き、当時四歳の長男と母とで都内ヘ避難した。

その後西日本の親戚宅ヘ移ったが、夫は仕事のため福島に残ったまま。長男は夜中に泣きわめくなど情緒不安定になり、「お父さん死んじゃったんでしょ」と言うようになった。福島の近くにいたいと東京に戻った。

少しでも安いところをと家探しを始め、掃除してもゴキブリがはい回る1Kの部屋に住んだこともある。民間住宅を仮設住宅として避難者に無償提供する制度が始まり、今の2DKのアパートに落ち着いた。

福島には母子ともに友達がたくさんいた。「いつか戻りたい」と悩み続け、長男の小学校進級時は特に迷った。しかし福島のママ友は「線量が高いし、まだ帰らない方がいいと思うよ」。外遊びが好きな長男を連れて戻れないし、転校もさせたくない。そう思い、避難継続を決めた。

しかし、夫との二重生活は往復の新幹線代や二世帯大きく、夫婦関係はぎくしゃくし始めた。「家計を支えなきゃ」と働きだしたが修復できず離婚した。

一五年六月、福島県が「自主避難者」の住宅無提供を打ち切ることを発表。「がーん」とショックを受けた。十万円近い家賃の負担は高額すぎる。結局、近隣市の都営住宅への引っ越しを選んだ。転校で仲間と別れる長男が寂しげに映る。「うまくなじめるか心配。苦渋の決断です」

インターネット上では、避難者に対する心無い言葉があふれる。「いつまで避難してんだ」「自立して働け」ー。原発事故さえなければ、三人で自立した人生を歩んでいたはずなのに。そう思うとやるせない。今の状況は「普通に生活していて、強盗に突然財産を奪われたような感じ」。それで、住宅を提供されることは、おかしいだろうか。

避難して六年。福島の友達からは、今も「放射線量が心配で公園に行けない」という声が寄せられる。「これから避難したいというお母さんの道しるべとしても、私たちが避難する意味はあると思う」

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