3/8(下)母子福島に帰還 迫られた決断 理不尽≪選択 避難者の今≫【東京新聞・東日本大震災6年】

3部作、本日で完結。やっぱり片山夏子記者だった。
ほんとうに理不尽でなんて残酷なんだろう。泣きそうになるわ。
福島の子どもたちとこれから都市クリエイトの産業廃棄物焼却炉のせいで、これからどれだけに子どもたちやら病人がどんどん死んでいくのかと思うと。
今の福島のことはこれからの上牧や高槻のことに置きかえられるわね。
上牧行動なんて駅前で倒れるだろうから、まず最初に死ぬのは私だと思うわ。

今日は焼却炉反対協議会さんのサイトで署名用紙産廃炉の恐怖ができていた。宛先は本澄寺で期限は「3月20日」
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≪選択 避難者の今 東日本大震災6年≫

(下)母子福島に帰還 迫られた決断 理不尽

2017年3月8日【東京新聞・朝刊】

滑り台の下に潜ったり、アスレチック器具の下で遊ぶ子どもたちの歓声が響く。福島県いわき市の公園。子どもたちの様子を見ていた女性(三六が「遊具の下や地面に近い所は放射線量が高いんですよね」と心配そうな表情を見せる。

女性は、東京電力福島第一原発事故後に娘(九つ)と埼玉県に避難したが、一四年春にいわき市の自宅に戻った。子どもがいる環境が気になり、通学路や公園などさまざまな場所の放射線量を測るなどして情報を集めた。

二世帯住宅の自宅は海から二キロ。東日本大震災後、津波から逃れ、原発の状況が刻々と悪化する中、みんなで市南部の女性の実家ヘ。「娘のために、もっと遠くに逃げたい」。嫁の立場で自分たちだけ逃げたいとは言えなかった。しかし、実母の「娘を守れ」という言葉で避難を決意。静岡の親戚宅に身を寄せた後、いわきに戻り、避難先を探した。

六月半ば、娘と二人で埼玉県の雇用促進住宅に入居した。築四十年の古い住宅で、娘と二人の生活は心細かった。仲の悪い住民同士が昼間から酒を飲みけんか。真夜中にも壁をたたく大きな音や、言い争う声が響いた。枕元や玄関に護身用の棒を置いた。

引っ越したかったが、一度転居すると避難が終了したとみなされ、住宅の無償提供は受けられなくなる。息をひそめるようにして暮らした。

夫は週末ごとに埼玉に来て、日曜日の夜、娘が寝た後に帰る。疲労で事故に遭わないか心配だった。家業を継いだ夫が転職して福島県外に出ることはできない。「いつかはいわきに戻る」と思っていても、なかなか決心できなかった。夫の両親から、母子避難中の家族に会うために長野県といわき市を往復していた男性が交通事故死した新聞記事を見せられ、「いつまで避難を続けるのか」と問われたこともあった。

娘の小学校入学前に夫と何度も話し合った。放射能の影響は気になる。でも夫の一人暮らしも限界だった。ぎりぎりまで悩み、三年前にいわきに戻った。

それから半年間、家にこもった。子どもがいても避難できなかった人もいれば、賠償金を巡って避難者を悪く言う人もいた。放射能への不安も人によって違う。何か言われて傷つきたくないという自己防衛の気持ちもあったかもしれない。自分の気持ちを正直に伝えるのは難しかった。

将来、娘に放射能の影響は出ないだろうか。小学校の通学路の放射線量を測り、何かあればいつでも逃げられるよう準備するなど、娘を守るためにできるだりのことをしているが、不安は尽きない。

「原発事故で人生を変えられた人が大勢いるのに誰も責任を取らない。親に選択をさせ、その結果、子どもに何か起きたら責任を負わせる。原発事故は理不尽だし、ひどく残酷」

災当時3歳だった娘が、母子避難の間ずっと持っていたぬいぐるみ。「娘が不安な時にずいぶん助けてもらった」=福島県いわき市で

(この企画は中山高志、片山夏子が担当しました)

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