3/9それでも「自主避難」なのか 月末に避難指示解除 飯館の苦悩【東京新聞・特報】

月末に避難指示解除 飯館の苦悩

2017年3月9日【東京新聞・こちら特報部】

福島原発事故で深刻な汚染をこうむった福島県飯舘村。一部の帰還困難区域を除いて、三十一日に避難指示が解除される。指示が解除されれば、避難を継続する被災者は原則「自主避難者」とされる。しかし、村には除染ゴミの入った大量のフレコンバッグが積まれたままだ。「この環境で避難しても『自主』避難なのか」。住民の一人は怒りを隠さない。復興への期待よりも、不条理への憤りが深まっている。 (橋本誠)

 

237万個 除染ゴミバッグ山積

 川や山 除染まだ「戻れない」

 

「汚染物質のフレコンバッグが山積み。全くもって帰れる状態じゃない」

飯舘村民の八十戸が暮らす伊達市の仮設住宅で、自治会長を務める佐藤忠義さん(七二)はそう話した。

同村は事故前には千七百世帯、六千二百人が住んでいた。「日本で最も美しい村連盟」に加盟。原発立地ではなく、高原野菜や牧畜で村おこしを進めていた。

だが、事故で放射性物質を含むブルーム(雲)に覆われ、汚染された。行政の動きは鈍く、事故一カ月後に計画的避灘区域に指定され、全村避難へ。二O一二年七月、帰還困難区域など三区域に再編された。

佐藤さんはコメやソバの兼業農家。事故の六年前、長男家族のために二世帯住宅を建て、母親と妻を含む九人で暮らしていた。震災五日後、四人の孫たちは東京へ避難。一一年八月、佐藤さん夫婦と母親は、近所の高齢者たちとともに仮設住宅に移った。長男は福島市内に単身赴任し、月に二回ほど妻子に会いに行く。

避難指示の解除後も、孫たちが帰る予定はない。事故当時、幼稚園児だった子は小学生に、小学生だった子は中学生になった。

「孫と一緒に暮らしたいのはやまやまだけど、また福島に帰ってきて転校するのも大変。子どもらは当分、向こうにいると思う」

自宅の周りの除染は終わったが、線量の高いホットスポットは残っている。村には一月末現在、約二百ニ十七万個のフレコンバッグがある。周辺町村と比較しても突出して多い。子どもを帰すには不安がある。

高齢者の帰還も簡単ではない。村内には、買い物先は仮設のコンビニ店以外にほとんどない。週二回、村の診療所に医師が来ているが、佐藤さんは一番心配なのは、お年寄りが病気になったときの病院。仮般の近くには大きな病院があって、バスで迎えに来てくれる介護業者もいる。村にも業者はいるが、スタッフが足りない」と懸念する。

山菜などを食べるかつての自給自足の暮らしには戻れない。仮設住宅の八十戸でも、すぐに村に帰る人は二戸だけという。佐藤さんたちも、解除後も一年は残るつもりだという。

二年とされた仮設住宅の耐用年数は過ぎ、屋根や床を修繕した家もある。「原発事故になったら除染にどのくらいかかるか、国も東電も何も想定していなかった。国も事故なんて起きないという安全神話の中でやっていたわけだから」

今回の避難指示解除をめぐっては、村を二分する議論があった。現在六選目の菅野典雄村長は事故後、村民の帰還を一貫して掲げてきたが、村民からは「村民投票などの形で避難解除の決定を」という声が上がった。だが、菅野村長は一六年三月、帰還困難区域を除いて、翌年三月末で解除するよう国に要望する考えを表明。結局、国は同年六月に解除を決めた。

補助金準備 帰還迫る村

 帰る住民7.8%だけ

県北部の町で、妻と幼稚園児と小学生の子ども二人と避難生活を続ける四十代の村民男性は「村には当初から村民を避難させる意識が弱かった」と話す。

例えば、避難先に村立の幼稚園と小中学校を開設したのは、事故から約一カ月半後。多くの子どもたちがその前に避難先の自治体の学校に転校していた。

村は当初、この春の避難指示解除と同時に、幼稚園と小中学校も村内に戻すとしていた。しかし、親たちは解除後三~四年は様子を見るよう抵抗。結局、村は来年四月に村内で再開することを目指している。

この男性も「何で保護者の声を聞けないのか」と不満を隠さない。村の幼稚園と小中学校に通う子どもは年々減り、一六年度は約二百三十人に。逆に避難先の学校に通っている子どもは徐々に増え、約四百十人。村内で急いで学校を再開すれば、逆転現象は一段と加速するとみられる。

先月の村と住民の懇談会では、村側が避難指示解除後も帰還しない住民について「扱いは自主避難者になる」と言明した。

避難先の自治体の学校に継続して通おうとすれば、村から住民票を移す必要が生じるという。男性は「放射線に対する考え方は人それぞれとはいえ、線量はまだ高い。川も山も除染されていない所に戻らないのが自主避難なのか」と憤る。

「今は住民票を移すつもりはないが、避難先の学校が受け入れてくれる現在の特例制度がなくなったら、住民票を移す。村よりも子どもが大事だから」

村内のある行政区での昨年十二月の調査では「(解除後)すぐ帰る」と答えた人は8・1%。そんな村民の心情を見通してか、村は帰還奨励策とも受け取れる政策を準備している。

帰村世帯に一律二十万円を支給する「おかえりなさい補助金」は三月議会で承認される見通しだ。引っ越し代名目だが、使い道は自由で、三年間限定となる予定だという。担当者は「二十万円があるから戻るという人はいない。あくまで支援事業だ」と説明する。

一方、福島市にある村の支所の住民票・印鑑証明の窓口も閉鎖され、四月からは村でしか手続きできなくなる。村は職員の育休など入手不足のためとするが、「分かっていたはず」といぶかる人びともいる。

福烏県内では二O一四年四月以降、五市町村で全域または一部地域の避難指示が解除されたが、解除区域内の住民登録者数に占める帰還者数の割合「帰還率」は12・4%にとどまる。

今春避難解除される飯舘村など四町村の帰還見通し者数を加えると、約7・8%と推定され、帰還が進まない現状が浮かび上がる。

最初に解除されたのは田村市の都路地区東部。県避難地域復興課によると、住民登録していた三百十六人の七割強、二百二十八人が帰還した。

その後、川内村と楢葉町の全域、葛尾村と南相馬市の大半が避難解除されたが、自治体ごとの帰還率はそれぞれ20・5%、10・4%、8・0%、12・4%。五市町村に住民登録していた計一万九千七百二人のうち、ふるさとに戻ったのは二千四百五十四人だけだ。

今月三十一日には飯舘村と浪江、川俣両町、四月一日には富岡町で、居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除される。帰還者数の目安は、事前の「準備宿泊」の登録者数だが、復興庁福島復興局が示した数値を遂に登録者数の人口割合をはじくと、それぞれ6・5%、4・9%、12・5%、3・3%にすぎない。

解除済みと今春解除予定を合わせた区域の住民登録者数は、計五万一千六百二十六人。帰還者数と単備宿泊鐙録者数の合計は、計四千六十九人だけだった。

富岡町の昨夏の住民意向調査では「戻らないと決めている」が半数を超え、三十代では引74・6%、四十代は60・0%を占めた。放射能の不安などを挙げる人が多く、町の担当者は「品避難先に生活基盤のある町民も多い。準備宿泊の登録だけしている人もおり、実際に戻る町民はもっと少ないのでは」とみている。  (池田悌一)

 デスクメモ

避難指示が解除された楢葉町の町長が、職員に「帰町しない場合、昇級・昇格させない」と発言したという。町民思いという解釈もあるようだが途うと思う。この論理はやがて町民に及ぶ。「模範町民」と「文句たれ町民」に分けられる。分断は住民の力をそぎ、復興は一段と遠のく。(牧) 2017・3・9

(写真)
「家族がばらばらにされた」と訴える佐藤忠義さん=福島県伊達市の仮設住宅で

無数に積み上げられた除染廃棄物が入ったフレコンバッグ=福島県飯館村で

 

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