3/13「福島の女たち」 微力でもあらがう/3.11「原発いらない」 デモ続く/「事故なかったことにしないで」【東京新聞・特報・右】

「福島の女たち」 微力でもあらがう

3.11「原発いらない」 デモ続く

「事故なかったことにしないで」

2017年3月13日【東京新聞・こちら特報部・右サイド】

11日脱原発を訴えて福島市内をデモ行進する女性たち

東日本大災から六年となった十一日、福島県在住や県出身の女性たちでつくる市民団体「原発いらない福島の女たち」が、福島市中心部をデモ行進して脱原発を訴えた。原発事故後、子どもたちを守るため、真っ先に立ち上がったのも福島の女性たちだった。事故がなかったかのような動きにあらがい、声を上げ続けている。(佐藤大)

「福島では何もなかったことにしたい、としか思えない」

「原発いらない福島の女たち」の一人で、パート職員黒田節子さん(六六)=郡山市=が、震災から六年の現状にこう憤った。

三月十一日のデモは、事故翌年から毎年呼び掛けている。今年は約百二十人が参加し、自主避難者への支援継続を訴えたほか、全国で進む原発再稼働への動きに反対した。

同団体は二O一一年十月、東京・霞が関の経済産業省を取り囲んだことをきっかけにできた。デモ経験がない女性たちも多かったが、原発の廃炉や子どもたちの避難、補償などを求め三日間座り込んだ。

孫が三人いる黒田さんもその一人。当時はまだ二人だった孫たちの食べ物が心配だった。実際、福島や郡山には空間線量が高い地域も点在したが、国は福島県の子どもの被ばくを「年二Oミリシーベルト」まで許容。多くの保護者の怒りを買っていた。「周囲に困っているお母さん方もたくさんいて、全く人ごとではなかった。子どもを守らなければならない。黙っていられなかった」と振り返る。

現在の中心メンバーは二十人ほど。仕事や生活を抱えながらも「できることをやっていこう」と、その後も活発に活動を続けている。「男性社会の政治がこのような結果を招いた」との悔いから、国政に脱原発の女性議員を送り込んで政治を変えようという「一票一揆」という行動も。

この日、デモに先立って行われた集会には、県外に移住した仲間も駆け付けた。会津若松市出身の垣内成子さん(六五)は昨年五月から、沖縄に移住した娘たち家族と暮らしている。「負担軽減というまやかしで新基地建設が進む沖縄も、東京五輪のために帰還が強行されている福島も、どちらも国策の犠牲者」と訴えた。

昨年、堺市から会津若松市に移住し、活動に加わる会社員堅田恵さん(ニ五)は、女性たちの活動ぶりに「仕事も生活もあるのに、めっちゃタフ」と舌を巻いた。

全国の女性たちとの交流も続く。四国電力伊方原発の再稼働に反対する「脱原発アクションin香川」共同代表の溝渕裕子さん(四四)は「女性が元気でやっていかなければ。私たちもどんどん発信していきたい」とれ決意を新たにした。

事故から六年、女性たちの声はなかなか行政に届かない。避難区域外からの避難を強いられている「自主避難者」の住宅無償提供は三月末に打ち切られる。子どもの甲状腺がんの患者は増えているが、国も県も事故との関係に否定的だ。

「国が、被災者の訴えを真剣に受け止めているかは甚だ疑問に感じる」という黒田さんの原動力は「怒りと悲しみ」だという。「ここで声を上げないでどうするんだ、という思いがある。一方で、福島だけで何とかなるという話ではないし、全国や世界ともつながっていきたい。私たちは微力でもあらがっていきたい」

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