3/14<浜通りの片隅に 東日本大震災6年>(4) 診療の枠を超え【中日新聞・暮らし】高野病院を支援 尾崎章彦さん

<浜通りの片隅に 東日本大震災6年>(4) 診療の枠を超え

http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2017031402000001.html
2017年3月14日【中日新聞・暮らし】

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◆高野病院を支援 尾崎章彦さん

福島県の南相馬市立総合病院の外科医・尾崎章彦さん(32)は、昨年末の当直の際、自宅の火災で亡くなった高齢者の死体検案書を作成した。同県広野町の高野病院の前院長高野英男さん=当時(81)。唯一の常勤医として病院を守り、医療の乏しい地域を支えてきた名物院長だった。

遺体から、高野さんの無念が伝わってくる気がした。翌日、市立総合病院内の若手メンバーとともに「高野病院を支援する会」(会長・遠藤智広野町長)を設立し事務局長に就いた。

被災地に根ざした研究をと、データ整理に励む尾崎章彦さん=福島県南相馬市の市立総合病院で

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高野病院の存続の危機をインターネットなどで訴え、医師を募集したり、寄付を呼び掛けたり。次々と訪れる報道陣にも対応した。「全国に知ってもらえたのは成果。でも、地元住民に活動に参加してもらうのはうまくいかなかった」と振り返る。当面の病院継続のめどが立ち、二月からは同病院が地域で果たしてきた役割を後世に残す論文作りに取り組む。

尾崎さんが福島に来た目的は「震災後の地域に向かい合うこと」。千葉県などの病院での研修医生活を経て、二年半前に南相馬に来た。間もなく「ハチに刺された」と外来を受診する人の多さに驚いた。除染作業員や農作業の人などが中心だった。震災後、空き家や耕作放棄地が増え、ハチの生息域が広がっているのではないかとハチ被害の発生場所、時間帯などをデータ化して論文にまとめた。人口減が進む被災地を理解するうえで意味のある臨床研究だ。被災体験ががん患者に及ぼした影響についても研究を続けている。

四月からは南相馬市立総合病院に籍を残したまま、東京のがん専門病院で半年間、乳腺外科の研修をする。「専門性を高めて戻ってきたい」と意欲を燃やす。

出勤前に馬の世話をするのが小鷹昌明さんの日課=南相馬市で

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◆伝統行事に参加 小鷹昌明さん

南相馬市立総合病院は震災直後、十四人の常勤医が四人にまで減った。各地から駆けつけた支援医が常勤医となったり、被災地医療を志す研修医が県外から集まったりして現在は三十人に。診療だけでなく、地域に目を向ける医師も多い。

エッセイストとしても知られる神経内科の小鷹昌明さん(49)は、独協医科大(栃木県)の准教授の職を辞して南相馬市に来て五年。最も地域に溶け込んだ医師だ。出勤前の日課は、市内の乗馬センターでの馬の世話や乗馬。厩舎(きゅうしゃ)の掃除をし、馬の体をブラシで入念に手入れする。

七月末に行われる相馬地区の伝統行事「野馬追(のまおい)」。五百余の騎馬武者が繰り広げる戦国絵巻に魅せられ、小鷹さんは三年連続で騎馬武者として出場している。そのために厩舎に通って馬を世話してきた。「地域の文化、伝統に触れ、住民と一緒に楽しむことの大切さを学びました」と言う。

神経難病患者の在宅診療を始めるなど患者のニーズを大切にする一方、オフには地域を元気にするさまざまな活動を仕掛けている。

自宅に引きこもりがちなお父さんたちを元気にしようと、毎週日曜日には「木工教室」を開く。工務店を借り、プロの指導を得て作った作品を小学校などに寄贈している。水曜夜はランニングクラブ。地域の防犯パトロールを兼ねることもある。市内のほぼ全域で避難指示が昨年解除されたことを祝って、十九日には市内縦断の駅伝大会を開く。

住民向けのエッセー教室、学習塾での面接、作文の指導なども。無理せず、自分も楽しめる形で活動することがモットーだ。

「最初は、地域のお役に立ちたいという意識だったけれど、だんだん住民の視点になってきました。答えの見えない課題は多いけれど、一緒に活動することが、地元の皆さんの勇気につながっていけば」と話す。

小児の内部被ばく検査用のホールボディーカウンターを説明する坪倉正治さん=南相馬市立総合病院で

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◆若手の意欲創出 坪倉正治さん

血液内科医として東京都内の病院に勤務していた坪倉正治さん(35)は、震災の翌月から支援に駆けつけた。福島県内の三つの病院で診療や検査をしており、南相馬市立総合病院では非常勤の立場だが、放射線被ばくの検査の仕組みを築き、住民の説明会も精力的に開いてきた。

今、力を入れているのは、若手医師たちが「ここで仕事をしたい」と思える環境をつくること。震災後の放射線被ばくや住民意識に関する勉強会を開き、そこから研究論文が生まれるなど、いい循環ができつつあると言う。「研究者の国際交流も生まれてきました。福島で起きたことをきちんと研究することが、若手のやりがいになるし、社会の役に立つ。地域に出なければ」と話す。

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