【6/24東京新聞・特報】6.23「慰霊の日」沖縄の声を聞く 沖縄は復帰できたのか/「誓い~私達のおばあに寄せて」上原愛音さんの詩【沖縄タイムス】

慰霊の日の翌日(6/24)が上牧でのパレード。
残念ながら当日欠席された方々は、前日沖縄の集会に参加されていたから。

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6.23「慰霊の日」沖縄の声を聞く

 沖縄は復帰できたのか

  式典行かず「辺野古で考えたかった」

2017年6月24日【東京新聞・こちら特報部】

「フェンスを飛びこえて 締め殺されゆく大海を泳いで」。二十三日の沖縄全戦没者追悼式で高校三年生、上原愛音-ねね-さんが読んだ詩の一節だ。縄戦終結から七十二年、日本復帰から四十五年。本土の「捨て石」という沖縄の位置は、現在も変わっていない。日本は帰るべき祖国だったのか。現地に漂う疑問に、本土の私たちはどう向き合うのか。慰霊の日に沖縄を歩いた。(安藤恭子、橋本誠)

梅雨が明けた沖縄。名護市辺野古の米軍新基地の建設現場にも、早朝から強い日差しが照り付けた。

普段、抗議する市民には慰霊に出掛けた人が多かったが、おばを沖縄戦で亡くし読谷村議の国吉雅和さん(六四)は例年出席している県の式典に行かなかった。

「戦後七十二年というより戦前の状況に近い。通っている辺野古で、しっかり考えたかった。国防の負担の大半を負わされている沖縄は、日本国憲法の下に復帰できたと言えるのか」

前日まで砕石を重機で海に落とす作業が続いていた護岸工事現場も、この日は静かだった。工事車両の出入りこそなかったものの、隣接する米軍キャンプ・シュワブからは、迷彩服を着た米兵を乗せた軍用トラックが続々と出てきた。

この日、地元のへリ基地反対協議会の仲本興真事務局長(六九)=名護市=は、福岡県の労働組合OB団体の求めで見学船を出した。

仲本さんはおじが先の戦争で徴兵され、戦死している。「海上保安庁のゴムボートに向け、『今日は慰霊の日です。キャンプ・シュワブには今も収容されていない犠牲者の遺骨があるのに、工事をするのは死者への冒瀆-ぼうとく-だ』と呼び掛けた」

政府は四月、新基地建設のための埋め立ての第一段階となる護岸工事を強行した。地元関係者によると、工事車両は当初、一日三十~四十台だったが、六月からは百台を超えている。既成事実の積み重ねで「抗議の心」を折ろうという政府の意図がうかがえる。

さらに政府と対決姿勢を示してきた翁長雄志知事の求心力に、陰りが出てきたという指摘もある。一月に教員採用試験を巡る口利き疑惑で、基地問題を担当していた副知事が辞織。今年、宮古島、浦添、うるまの三市長選でいずれも翁長氏が支持する新人が敗れた。

だが、へリ基地反対協議会の安次富-あじとみ-治共同代表(七一)=名護市=は「埋め立てが始まっても抗議に集まる人数は減らず、誰も諦めてない。三つの市長選は私たちの運動不足。副知事の問題は個人の問題で、私たちの運動はつぶれていない」。

実際、琉球新報が実施した四月の県民世論調査では「翁長知事を支持する」は67%。30%台だった歴代知事と比べても、はるかに高い支持率を維持している。

安次富氏は「翁長知事は埋め立て処分を取り消すなど、約束を果たして頑張っている。親が沖縄戦を体験し、自ら遺骨収集も体験しているからだ」と語る。

一方、県民の民意を警察力も動員して押しつぶそうとする本土の政府に対し、「本土復帰」という四十五年前の選択自体を問い直す空気も漂い始めている。

琉球新報が今年元旦に報じた県民意識調査では「日本の一地域(県)のまま」としての沖縄を望む人が半数を割り、内政、外交面での権限強化を望む人が、計36%にも上っている。

 

犠牲強いられ 平和の願いかなわず

 私たちは「捨て石」のまま

    物言えぬ時代に戻りそうで怖い

沖縄戦の激戦地で「鉄の暴風」と称される米軍の猛攻を受け、多数の住民が亡くなった糸満市摩文仁の平和祈念公園。二十三日午前五時十分、沖縄を守備した第三二軍の牛島満司令官らがまつられている「黎明-れいめい-之塔」を、深緑の制服を着た陸上自衛隊第一五旅団の約二十人が訪れた。

市民らがじっと見守る中、代表の隊員らが花を手向け、無言で引き返した。

公園内の「平和の礎」。国籍や宗派を問わず、軍人と民間人の区別なく、沖縄戦の犠牲者二十四万人余の名が刻まれており、沖縄の鎮魂の祈りの象徴だ。

「これが、おじいちゃんのお母さんの名前だよ」。八重瀬町の徳元信益さん(八三)は、小学生から二歳までのひ孫五人と訪れ、亡くした両親やきょうだい四人の名前を指でなぞった。

摩文仁の南端の断崖で米軍の爆撃に遭い、両親を亡くした。「ここは特別な場所。自分が死んだ後も、ひ孫たちには知っていてほしいから」と願う。米軍基地問題に心を痛める。「住宅に近い米軍普天間飛行場だけでも早くなくしてほしいが、危険な基地を他に持っていくことになる・・・」

那覇市の沢岻-たくし-正喜さん(七八)は沖縄戦で祖父母や両親ら家族九人を亡くし、孤児になった。「摩文仁の海岸で投降した日もこんな晴れだった」と空を見上げた。

「本土復帰後、確かに経済や人権の面は向上した。でも、なぜ、二百年続くと言われる辺野古新基地を強権的に建設し、沖縄を再び戦場にしようとするか。これほど多くの犠牲を強いてなお、平和への沖縄の根源的な願いはかなわず、私たちは『捨て石』にされたままだ。悲しくて許せない」

園内には大小さまざまな碑が立ち並ぶ。午前十時、「鉄血勤皇隊」として動員され、犠牲となった沖縄師範学校の職員、生徒ら三百人余りがまつられている「沖縄師範健児の塔」で、慰霊祭が営まれた。平和の礎建立に尽力し、今月十二日に九十二歳で亡くなった元知事の大田昌秀氏も隊員の一人で「血にあがなわれた生」と自らを記した。

鉄血勤皇隊の三歳後輩で大田さんと寮で同室だった長田勝男さん(八九)は「厳しくもかわいがってくれた。あと二、三年は生きて、今年もこの地に来てほしかった」と悼んだ。

公園入り口にある交差点では、安倍首相の戦没者追悼式出席に抗議する数十人が、首相が乗っているとみられる車列に「帰れ」と横断幕を掲げ、一時騒然となった。式典が始まった会場の外でも、首相のあいさつ中に「戦争屋」と声を上げた男性(八四)が警官らに囲まれる場面もあった。

南部の防空壕-ごう-で母と死に別れた那覇市の金城光子さん(七八)は「戦争体験は私の世代で最後にしてほしい。慰霊の日に、安倍首相には来てほしくなかった」。

午後二時、糸満市伊原の「ひめゆりの塔」の慰霊祭には約四百人が訪れた。「もう七十二年になるけれど、思い浮かぶ貞ちゃんは今も十六歳のまま。夢も希望もあったのに」。那覇市の翁長安子さん(八七)は、同じ村の親友でひめゆり学徒隊の一員だった金城貞子さんを思い、涙をぬぐった。

貞子さんは塔のそばの地下壕で亡くなった。翁長さんも、かつて自ら郷土部隊に志願した「軍国少女」だった。「お国のために働くよう教育されていた。自分のために生き、個人の思いが尊重される世の中こそ、素晴らしいのに」

共謀罪の強行成立に「物言えぬ時代に戻りそうで怖い」と感じている。「私も生ある限り、悲惨な戦争を語り継いでいくよ。使命と思って頑張るから、貞ちゃんも『平和の守り神』として見守っていてください」

(((デスクメモ)))
米軍基地建設への抗議活動で逮捕、五カ月間拘束された山城博治さんは取り調べで「あなたガンなんでしょ。早く出たいんだったら、素直に取り調べを受けて罪を認めればいいじゃないか」と言われたという。この脅迫は基地と地域振興というアメとムチの政府の政策と酷似している。(牧) 2017・6・24

抗議のテント村で「埋め立てが始まっても、誰も諦めていない」と語る安次富浩さん=23日、沖縄県名護市辺野古で

(上)沖縄全戦没者追悼式で安倍首相のあいさつに抗議し、関係者に囲まれる男性
(中)「ひめゆりの塔」での慰霊祭に三課する翁長安子さん(中央)
(下)沖縄戦の犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎」を訪れ、名前を指さす遺族ら=いずれも23日、沖縄県糸満市で

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誓い~私達のおばあに寄せて

 宮古高校3年 上原愛音

【沖縄タイムス】
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/101510

今日も朝が来た。

母の呼び声と、目玉焼きのいい香り。

いつも通りの

平和な朝が来た。

七十二年前

恐ろしいあの影が忍びよるその瞬間まで

おばあもこうして

朝を迎えたのだろうか。

おじいもこうして

食卓についたのだろうか。

爆音とともに

この大空が淀んだあの日。

おばあは

昨日まで隠れんぼをしていたウージの中を

友と歩いた砂利道を

裸足のまま走った。

三線の音色を乗せていた島風に

鉄の臭いが混じったあの日。

おじいはその風に

仲間の叫びを聞いた。

昨日まで温かかったはずの冷たい手を握り

生きたいと泣く

赤子の声を抑えつけたあの日。

そんなあの日の記憶が

熱い血潮の中に今も確かにある。

決して薄れさせてはいけない記憶が

私の中に

私達の中に

確かに刻まれている。

少女だったおばあの

瞳いっぱいにたまった涙を

まだ幼かったおじいの

両手いっぱいに握りしめたあの悔しさを

私達は確かに知っている。

広がりゆく豊穣の土に芽吹きが戻り

母なる海がまた

エメラルドグリーンに輝いて

古くから愛された

唄や踊りが息を吹き返した今日。

でも

勇ましいパーランク―と

心臓の拍動の中に

脈々と流れ続ける

確かな事実。

今日も一日が過ぎゆく。

あの日と同じ刻ときが過ぎゆく

フェンスを飛びこえて

締め殺されゆく大海を泳いで

癒えることのない

この島の痛み

忘れてはならない

民の祈り

今日響きわたる

神聖なサイレンの音に

「どうか穏やかな日々を」

先人達の願いが重なって聞こえる。

おばあ、大丈夫だよ。

今日、私達も祈っている。

尊い命のバトンを受けて

祈っている。

おじい、大丈夫だよ。

この島にはまた

笑顔が咲き誇っている。

私達は

貴方達の想いを

指先にまで流れるあの日の記憶を

いつまでも

紡ぎ続けることができる。

誓おう。

私達はこの澄んだ空を

二度と黒く染めたりしない。

誓おう。

私達はこの美しい大地を

二度と切り裂きはしない。

ここに誓おう。

私は、私達は、

この国は

この世界は

きっと愛しい人を守り抜くことができる。

この地から私達は

平和の使者になることができる。

六月二十三日。

銀の甘蔗(かんしょ)が清らかに揺れる今日。

おばあ達が見守る空の下

私達は誓う。

私達は今日を生かされている。

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