8/27毎日放送「映像’17」宮武外骨と安倍政治~権力の嗤い方【日刊スポーツ・永岡さんメール・Mediacritの文字おこし】

寝てしまった。見損なってしまった。
お盆の頃の番組は津村健夫ディレクターだろうと見当つけていたのに、日曜は火事おこしてしまいそうになったりお腹くだして京都のあいんしゅたいんさんの勉強会にも高槻アクションにも行けずに散々な日曜だった。

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宮武外骨と安倍政治~権力の嗤い方

http://www.mbs.jp/eizou/
8月27日(日) 深夜0時50分~

宮武外骨(みやたけがいこつ)。明治・大正・昭和の時代を通じて活躍した反骨のジャーナリストで、大阪で創刊した「滑稽新聞」などを通して、政治家や官僚、行政といった権力を言論により
徹底的に追及した。また返す刀で政権に擦り寄る御用新聞も容赦しなかった。その生誕150年を機に、外骨を現代に甦らせようと試みる。

「平民主義」を信条とした外骨は明治22年に発行した「頓知協会雑誌」で大日本帝国憲法をパロディ化し、不敬罪で東京の石川島監獄に投獄された。以来、入獄3回。発禁処分は数知れず。しかし懲りずに、薩長の藩閥政治を忌み嫌って山県有朋らの元老たちをおちょくりまくった。

「武威に屈せず富貴に淫せず、ユスリもハッタリもせず、天下独特の癇癪(かんしゃく)を経(たていと)とし色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり」-外骨はこれをモットーに、時事批評だけでなく下世話な世相の話題まで扱い、「滑稽新聞」は現代の週刊誌に相当する内容を持っていた。当局の圧力で潰されるたび、装いを変えては新たな雑誌を作り続けた。

翻って現在の安倍政権は「秘密保護法」「安保法制」「共謀罪」などを、詭弁や奇論、頓珍漢な答弁などを駆使して実現してきた。その一方で、「森友・加計問題」ではその場しのぎのごまかしの論理で、正論に対して聞く耳を持たない。番組では、ユーモアや頓知、皮肉や諧謔を用いてすべてを笑い飛ばす、そんな外骨流ジャーナリズムがいま求められているのではないか。そんな視点から政治とジャーナリズムのあるべき関係を問い直します。

 

反骨のジャーナリスト宮武外骨 なぜ共感呼んだのか

【日刊スポーツ】2017年8月27日
https://www.nikkansports.com/entertainment/column/naniwa/news/1878291.html

宮武外骨(MBSテレビ提供) 宮武外骨(MBSテレビ提供)

入獄4回、罰金、発禁処分29回。明治、大正、昭和を生きた反骨のジャーナリスト・宮武外骨(みやたけ・がいこつ)がいま、注目されています。弾圧されてもひるむどころか、逆手にとってユーモアとしゃれで権力に立ち向かい続けました。

先日、この外骨を取り上げるドキュメンタリー番組を取材しました。MBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’17」では「宮武外骨と安倍政治~権力の嗤(わら)い方」と題し、27日深夜0時50分(関西ローカル)から放送します。

番組の冒頭シーンにはクスッと笑いました。「もりそば」と「かけそば」のアップの映像が出てきました。安倍政権を揺るがす「森友学園」と「加計学園」を連想させます。映像に使われた「もりそば」と「かけそば」はホンモノではなく、店の前に置いてあるメニューサンプル、つまり模造品です。

番組を手掛けたMBS報道局番組部の津村健夫ディレクター(53)のコメントがふるっています。

「外骨にならったしゃれです。あえてサンプルにしました。本物よりも模造品のチープさの方が、『もり』と『かけ』に合うのではないかと。大阪・中津のそば店から借りてきました」

外骨は明治維新直前の1867年、現在の香川県に庄屋の四男として生まれました。亀五郎と命名されましたが、文筆家として生きることを決意した18歳の時、外骨と改名。中国の古書に「亀は外骨内肉ノ者ナリ」にちなみ、外骨に硬骨の自負を込めたといわれています。

19歳で上京し、22歳のとき「頓智(とんち)協会雑誌」を発行。できたばかりの大日本帝国憲法をパロディー化した「頓智研法」では、外骨が骸骨から「研法」を授かるイラストを掲載。条文と王座の天皇を連想させるとして不敬罪に問われ、3年8カ月の勾留・服役を経験しました。

それでも外骨はメゲません。34歳の時に大阪に移り、1901年に雑誌スタイルの「滑稽(こっけい)新聞」を創刊。私腹を肥やす政治家や悪徳商人の不正をたたきました。モットーは「過激にして愛嬌(あいきょう)あり」。告訴されれば、取り調べの様子を紙面で報じ、庶民の感覚で社会を見て、ユーモアたっぷりに物事の本質を伝え続けました。当時、在阪の主要な新聞でも発行部数が10万部だったころ、「滑稽新聞」の発行部数は8万部に増えました。

今回のテレビ番組では、外骨の晩年を知る甥(おい)で文筆家の吉野孝雄さんへのインタビュー、外骨ファンでもあり「文春砲」の週刊文春・新谷学編集長への取材などを重ねています。

なぜ外骨の行動は共感を呼んだのか。同番組の澤田隆三プロデューサー(56)は言います。「正面からだけでは心に響かない。いま我々が生きている時代のジャーナリズムは、正面からだけではなく、ユーモアを持って批判していくやり方をもう1度見つめ直すことも必要ではないかと思います」。

今年で外骨は生誕150年。番組には外骨がユーモアたっぷりに掲載した山口県出身の総理大臣、桂太郎のイラストが登場します。なぜか桂太郎の顔はボコボコです。

「かけそば」「もりそば」。外骨の足跡を振り返るドキュメントですが、実は番組自体が愛嬌(あいきょう)たっぷりの風刺になっています。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

宮武外骨が創刊した「滑稽新聞」(MBSテレビ提供) 宮武外骨が創刊した「滑稽新聞」(MBSテレビ提供)

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毎日放送 映像’17(2017/8/28) 宮武外骨と安倍政権、権力の嗤い方、ジャー​ナリズムのあり方

永岡です、毎日放送の映像‘17にて、戦前のジャーナリスト、宮武外骨のことが取り上げられました。ディレクターは津村健夫さんでした。

モリとカケ、森友学園問題、国会でASS(abe Shinzo Shusho(c)想田和弘さん)はズブズブの関係と突っ込まれて、ASSはそれで民進党の支持率は上がらないと開き直り、そして東京新聞の望月さんの追及に菅氏はブチ切れであり、加計学園問題の疑惑、国有地値引と国家戦略特区のデタラメ、国民の怒りは収まらず、モリ・カケ問題、ASS政権はちゃんと対応せず、支持率低下、ASSは内閣改造、仕事人内閣とASSは嘯き、おごり、ゆるみの上から目線のASS政権に、この人が生きていたら、宮武外骨、明治、大正、昭和で活躍した反骨のジャーナリスト、風刺、過激でもユーモアあり、外骨の甥で作家の吉野孝雄さんは、当時の収賄事件、警察の問題を追及、告発して、面白いやり方であったと証言されます。

過激で愛嬌あり、生誕150年、宮武外骨の軌跡を問うのです。

難波の、水の都に外骨ゆかりの場所があり、外骨のパネルがあり、1901年に誕生した滑稽新聞、新聞と言っても月2回で雑誌に近いものの、主筆の外骨は社会の不正を追及して、結核の特効薬として偽の薬を販売した業者を糾弾、風刺の紙面であり、容赦ない紙面が外骨流の愛嬌で、不正に怒りを爆発させて、ユーモアもあり、糾弾した相手が謝るとこれもユーモアでやり、女性記者を変装させて、潜入ルポ、アートディレクターとしても非凡で、大阪・京都をアバンギャルドで今でも通じるやり方で紹介して、人をあっと驚かせて、読者も驚かせるもの、大新聞の新年の紙面を風刺、新年の付録は、読者が見たら、紙くず買いの大バカ者と風刺、6000部→8万部に増えて、外骨の専属ライターもいて、1904年に日露戦争時にも、言論統制で伏字は実質なく、今の軍事当局はつまらぬことを秘密と言うと当局を風刺、戦争で言論弾圧への、当局への風刺であり、外骨は記事の最後を、〇〇を飛ばしたら伏字なしと笑うものなのです。

外骨の伝記を書いた吉野さんは、今の新聞、週刊誌に欠けている愛嬌、滑稽さ、ユーモアを笑いとしてやっていて、外骨は真面目に、ストイックにやっていると、何者をも恐れぬ批判精神は、国家からの弾圧に原点があり、家は裕福な農家、小学校を出て、東大受験の予備校のようなものにいたのに、外骨は落ちこぼれになり、17歳の際に、父親からの大金を当時高価な自転車に乗った、今ならスーパーカーに乗るバカ息子、18歳で外骨と改名して、自由民権運動に触発されて、自由に展開できる雑誌を目指し、大日本帝国憲法発布、明治新政府誕生から20年、薩長に幕府が取って代わられただけとして、23歳の外骨は、発刊した雑誌に、大日本頓智憲法と風刺、12条の条文からなり、二つを比較したら、第1条、大頓智協会と風刺して、できたばかりの憲法を風刺するパロディ精神、政府を激怒させて、発行停止、外骨は不敬罪に問われて、吉野さん、外骨は人間平等の精神を持っていて、落語の世界で、人間にはみんな欠点も弱点もあり、その精神が明治になり建前でなくなったというものの、実質は残ったことへの異議を唱えたというのです。

外骨は有罪で3年拘束されて、しかし監獄の印刷機で雑誌を出そうとして、獄中で国家権力への対抗心を身につけて、人間は平等だ、それを主張するのが俺の生きる道だとして、外骨は東京に行き、滑稽新聞を発行、パロディと風刺を武器に闘い、今外骨が生きていたらどうするか?

森友学園問題の疑惑解明は進んでおらず、ASSと昭恵氏、そしてASSの腹心の友の加計学園問題もあり、吉野さん、特権で特定の人物に利益をもたらしたものは、森友学園問題、加計学園問題ともに総理の特権による不正と指摘されて、滑稽新聞には外骨のジャーナリズム感があり、過激で愛嬌あり、圧力に屈せず、金や地位に惑わされず、外骨のいた100年前も、ジャーナリズムは意義を問われていたのです。

外骨は当時、大阪で収監されて、しかし獄中の出来事を滑稽新聞に連載して、山登りに収監生活を喩えて、外骨は迫害は勝利と言い、そして、現在のジャーナリズム、大臣などのスキャンダルを告発する週刊文春、新谷学編集長は、MBSの取材にインタビューではなくコメントで回答して、ASSは上から目線であり、国民は怒っているというメッセージを届けたかったと語り、親ASSでも反ASSでもなく、親しき中にもスキャンダルと新谷さんはコメントし、政権中枢からの要請も断って記事を書いて、外骨について、過激で愛嬌ありは文春の目指すもの、愛嬌で人間のいい面、悪い面も描くと言うのです。

菅長官に突っ込む東京新聞の望月衣塑子記者、加計学園問題で望月さん鋭く突っ込んで、ちゃんと回答しないので繰り返し追及して、慣例を破った望月さん、官邸の中枢で何が起こっているか、ナンバー1には追及できず、ナンバー2の菅氏を追及して、余裕があった菅氏も追い詰めたと言われて、望月さんの取材の根本は、自分の取材の中で思い、怒りがあり、疑問を疑問として突き付けて、それが国民の関心事であり、国民を代弁して権力を追及するというのです。

望月さんには賛同もあるものの、反動系からは批判、東京新聞の上層部は望月さんの会見出席を検討したものの、望月さんは問題を追及する記者の使命、応援する声が圧倒的であり、初めの頃は何だと、他社のやっかみも感じられたが、そういうものが来て、新たに取材して出てくるものは、何としても聞かないとならず、おかしくないかと追及すべきであり、きついという時もあったが、政府のゴリ押しへの怒りがあり、これからも尽力するのです。

外骨は、迫害を恐れるのは偽物と言い、言論の自由の抑圧された時代に、外骨は滑稽新聞を一旦廃刊して、8年の滑稽新聞は筆を折ったのかとしたら、大阪滑稽新聞を創刊して、明治の元老、山縣有朋、薩長勢力の山縣氏に容赦なく切り込み、山縣氏の操り人形とする、桂太郎首相、民衆のための政治ではないと批判して、頭をたんこぶだらけにして掲載して、首相夫人にも批判は及び、外骨は同業者も批判し、特に国民新聞、徳富蘇峰の起こした国民新聞は国民の視点から、桂内閣の代弁者になり、そのような国民新聞を消え去るべきと批判して、そして、ASSが憲法改悪を載せた読売新聞、平和憲法はみっともない、9条改悪に執念を燃やして、自民党総裁の考えは読売新聞に書いたと言い、権力との距離の取り方はジャーナリズムの問題、メディアも二分された今、これは貴重です。

外骨は45歳、1915年に大阪を離れて東京に行き、東大の吉野さんは外骨の理解者、外骨の収集していた明治時代の新聞の資料性を認めて、外骨に協力して、明治新聞雑誌協会、外骨の滑稽新聞を始め、記録が残っており、低能屁下万歳と、太平洋戦争開始、外骨75歳、東京を離れて多摩川で疎開生活、1945年の敗戦の翌年に外骨の本が出版されて、民主的な国がアメリカのおかげで実現した、みんなアメリカのおかげと皮肉り、外骨の最後に住んだ家があり、吉野さんの母の姉、叔母が外骨の妻、晩年の外骨を吉野さんは見ており、ある日、学校から帰り、狭い家で、叔母を呼んで、叔父さんを呼ぶと怒られて、正座させられて、親代わりの人に何か、お前は家に置いておけないと言われて、母が呼ばれて、息子がとんでもない奴であり、母は働いており、連れて帰れず、しつけが悪かったというと、外骨は泣き出して、許すから泣くなと許してくれて、外骨はかんしゃく玉を破裂させながら、滑稽新聞で不正を告発した意味を吉野さん言われました。

戦後、高齢の外骨は床に臥せることが多くなり、吉野さんは外骨の亡くなった日の事を作文で記録しておられます。

毎年、外骨の命日に近い週末の日に外骨忌が開かれて、外骨のゆかりの人たちや、外骨のファンが集まり、今年は8月5日に行われて、お酒もふるまわれて、外骨は変な名前をいやと思いつつ、それで有名になり、今外骨が生きていたら何に怒るか、世の中の仕組みなどに批判したと指摘される声があり、あらゆることに怒る声もあり、外骨の本の編集をされた松田哲夫さん(元筑摩書房編集者)、あらゆることに怒りまくり、外骨は危ないと言われたが、付き合うと愛嬌があり、逆に愛嬌ばかりふりまく政治家は本物ではないと言われます。

…で、ASSは国会終了後にうわべだけ謝罪して、そして、外骨の墓標があり、明治時代に希望を持ち、言論の自由の制限される中、ジャーナリズムを追及した外骨、滑稽新聞を始め、120余りの雑誌、書籍を発行、投獄4回、発禁、罰金は24回、生きるために筆を振るったのではなく、筆を振るうために生きた、 反骨ジャーナリズムは100年を経て、現在のジャーナリストに多くの事を問いかけているのです。

言論の自由の制限された中で、こういうジャーナリストのいたことは驚きと希望であり、外骨の精神を、全てのジャーナリストに追ってほしいです、以上、映像’17の内容でした。

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映像’17「宮武外骨と安倍政治〜権力の嗤い方」 2017.08.28

【Mediacrit】
http://o.x0.com/m/564686

昭恵夫人はですね森友学園が財務省と厳しい交渉を行っているということを認識しながら名誉校長に就任してるんですよ。
単なる名誉職というよりは言ってみたらずぶずぶの関係ですよ。
ずぶずぶの関係とかいう品の悪い言葉は使うのやめた方がいいですよ。
それが民進党の支持率に…民進党の支持率に表れているんですよ。
(ナレーション)
疑惑の…
(望月記者)なぜこういう判断で…政治的な判断でこの部分を入れたのかここをしっかり政府として説明していただきたいんです。
国家戦略特区っていうのはそこでまず風穴を開けて必要なものは全国展開をしていくという。
そういうなかで私ども行ってるわけでありますからその手続きに従ってやってる。
まったく問題ないと思いますよ。
これまた疑惑の…
安倍総理への忖度から国有地が不当に安い価格で払い下げられたとされる森友学園の問題と国家戦略特区で獣医学部新設が決まり多額の公費が注がれる加計学園の問題
真相解明を求める国民の声は届かず問題は一向に収まりそうにありません
このモリ・カケ問題について安倍政権が正面から論じる姿勢を見せずきちんとした調査を行わなかった結果政権の支持率は大幅に下落
慌てた安倍総理は内閣を改造してこう言いました
この内閣はいわば結果本位の仕事人内閣であります。
はあ?結果を出す前から「仕事人」ってねぇ…
おごり緩みの目立つ上から目線の政権に対しもし今この人が生きていたらどのように怒り誌面で疑惑を追及したでしょうか

宮武外骨
明治大正昭和の時代を生き「滑稽新聞」など数多くの雑誌を発行した反骨反権力のジャーナリストです
「威武に屈せず富貴に淫せず」
「ユスリもハッタリもせず」
「天下獨特の肝癪を経とし色氣を緯とす」
「過激にして愛嬌あり」
当時の収賄事件だとか誇大広告だとか警察の不祥事だとかそれから僧侶の不始末とかねいわゆるそういうものをいろいろ次々に誌上で告発し続けたんですね。
そのやり方がまた非常に面白いやり方していると。
そこでびっくりしましてこれはまあなんか新しいすごいものを発見してしまったと。
「過激にして愛嬌あり」をモットーに言論弾圧の時代に筆を取り続けた宮武外骨
彼の生誕から150年こんな時代だからこそその存在を改めて世に問います

かつて浪華の八百八橋と呼ばれた水の都・大阪
その中心地に宮武外骨ゆかりの場所があります

(スタッフ)この後ろのおっちゃん知ってる?いつも見てます。
・いつも信号待ちで見てますよ。
(スタッフ)いつも見てんの?よく見てます。
(スタッフ)そうか。
なんやと思ってる?この人。
偉い人。
(スタッフ)偉い人?なんで?なんで偉い人やと思うん?「宮武外骨ゆかりの」…。
外骨?
20世紀の幕開けとなる1901年明治34年に誕生した「滑稽新聞」
新聞…といっても月2回の発行なのでどちらかといえば雑誌に近いかもしれません
その誌面で主筆・小野村夫を名乗った外骨は社会にはびこる不正や悪行を徹底的に批判追及しました
例えば結核の特効薬と称して偽の薬を販売して大もうけしていた業者野口茂平を庶民の敵として糾弾しました
その中で野口茂平は名前から連想した野グモとして描かれ…
次には打ち首さらし首になり…
カラスにつつかれ…
挙句の果てには「野口茂平」の字を使って情けない顔に描かれてしまいます
容赦のない攻撃ですがそこには不思議と陰湿さはありません
これが外骨流の愛嬌なのです
外骨は不正に対して怒りを爆発させる一方情にもろい一面も見せます
偽薬の販売業者・野口茂平が自ら非を認めて謝罪許しを乞うと自分もやり過ぎたと誌面で恩赦すると言って彼を許してしまうのでした
色気の要素も大事にした「滑稽新聞」
元浮世絵師だった絵師たちによる美人画がなまめかしく表紙を飾ります
この記事は女性記者を変装させて取材先に潜り込ませる特集
大金持ちや遊郭の実態を暴露するのですが潜入ルポの先駆けと言える試みでした
更にアートディレクターとしても非凡な才能を持つ外骨
限られた線と記号による大阪や京都の名所案内はとことんアバンギャルドで現代にも十分通用するセンスです
人をあっと驚かせる奇抜さも外骨の真骨頂
時には読者さえ巻き込んでしまいます
ページいっぱいに「新年附録」と書かれた傍らにこんな説明文が載っています
それでは新年附録とはどんなものだろうと読者がページをめくると…
とつい欲を出した読者は一喝されてしまうのです
「滑稽新聞」の面白さは大阪の庶民の喝采を博し創刊時6000部だった部数はやがて8万部に跳ね上がりました
外骨の自宅も兼ねた「滑稽新聞社」には数人の専属ライターと挿絵を描く絵師たちが忙しく出入りしました
1904年明治37年2月に日露戦争が始まった直後当時としてはしばしば見られたこんな伏せ字だらけの論説記事が掲載されました
言論統制が強まっていくこの時代のこと「滑稽新聞」は書くべきことを書けなくなったのかと思って読者が目を凝らしてみれば実はこの記事には伏せ字など1字もないのです
○○の記号を飛ばして字だけを追って読めばこうなります
日露戦争が始まり言論弾圧を強める政府や軍当局に対するこれはユーモアを交えた痛烈な風刺なのです
言論統制や検閲制度そのものに挑戦する姿勢
外骨はこの記事の最後をこう締めくくっています
宮武外骨の甥で伝記など外骨に関する数々の著作がある作家の吉野孝雄さんはジャーナリスト・外骨の真骨頂をこう話します
「過激にして愛嬌あり」っていうのが「滑稽新聞」のキャッチフレーズだったんですけどもその愛嬌のある部分っていうのがまあ今の週刊誌新聞に欠けている部分かなと思うんですね。
いわゆる愛嬌っていうのは何かっていうのは非常に難しいんだけどもまあ簡単に言えば滑稽さであるとかユーモアであるとかそういう笑いの要素っていうものが含まれてるってことなんですよね。
その笑いっていうのが外骨が極めて真面目にストイックに事件と向き合えば向き合うほど面白さが際立ってくるっていうそういう類いの面白さなんですよ。
何者も恐れない批判精神
古今無類のジャーナリストの原点は国家から受けた弾圧にあったのです
外骨は今からちょうど150年前の1867年慶応3年の冬に讃岐の国今の香川県綾川町にある小野という村で生まれました
幼名は亀四郎
男4人女1人の5人兄弟の末っ子で家は土地の庄屋を務める裕福な農家でした
小学校を出たあと外骨は高松や東京に出て儒学や漢学を学びました
今で言えば東大受験のための予備校みたいな所に通っていたんですが外骨は戯作本と呼ばれる江戸時代の本を毎日読みふけり落ちこぼれになってしまいました
これは17歳のときの写真
父親から投資してもらった大金を当時は珍しくて高価だった自転車の購入につぎ込み高松の町で乗り回したといいます
今の世ならさしずめスーパーカーを乗り回すバカ息子といったところでしょうか
18歳のとき幼名の「亀四郎」を「外骨」と改名
中国の古い辞書に「亀」の説明として…
と書かれてあったのにちなんで自分自身で改名してしまいました
その当時外骨は憲法の制定や議会の設立などを要求して広がりを見せていた自由民権運動や平民主義の思想に大きな刺激を受け自由な言論を主張できる雑誌の出版を志すようになりました
明治22年2月11日大日本帝国憲法が発布されました
これはそのときの錦絵で明治天皇が総理大臣に憲法を記した巻紙を与えています
明治新政府が誕生してから20年余り
天皇は伊藤博文をはじめとする薩長二藩の出身者を重用して政治に当たっていました
明治政府は結局薩長二藩が徳川幕府に取って代わっただけだと感じていた外骨
期待した憲法は理想としていた平民主義とは程遠いものだったことに大いに失望しました
そこで外骨はこんなことをやらかします
憲法発布の年の3月当時23歳で外骨が発行した「頓智協会雑誌」にこんな挿絵を掲載したのです
玉座にいる1体の骸骨が与えているのは大日本帝国憲法ではなく…
外骨自らが作った大頓智協会の大方針を「頓智研法」と名付けました
雑誌に載せた大日本頓智研法は大日本帝国憲法にならって12条の条文からなっていました
2つを比較してみると…
出来たばかりの憲法をこき下ろそうというパロディー精神の極みとも言える挿絵と記事
しかしこれは政府を激怒させました
天皇と帝国憲法を愚弄するものだとして「頓智協会雑誌」は即座に発行停止
外骨は不敬罪に問われました
まず1つはね外骨の根本にあったのは人間平等の精神だと思うんですよ。
人間平等の精神。
でこれがねおそらく僕が知るかぎりにおいては江戸時代の戯作文学を…戯作をまあ教養としてるわけですね外骨が。
その中からね身に付けてたものだと思うんです。
ああいうものの根底を貫いてるのはやっぱり落語なんかと同じような世界で人間がみんな欠点も弱点も醜い部分もいっぱい持ったみんなおんなじような存在なんだっていうことなんですよね。
その精神っていうものがやっぱり明治になって四民平等っていうことに一応建て前としてなった。
その社会の中で実はそうでもないんじゃないか。
もっとひどくなったっていうふうに考えたんじゃないですかある意味。
それが最初の不敬罪の問題だと思うんですよね。
四民平等の社会でなぜ不敬罪があるかってことですよね。
有罪となった外骨は東京・隅田川の河口に浮かぶ石川島にあった監獄に3年間収監されました
しかし甘んじて刑に服するつもりなどない外骨は大胆にも監獄にあった印刷機を使い獄中で雑誌を発行しようと試みたのです
最後は当局にバレて計画は頓挫してしまいますが投獄の体験は国家権力への対抗心に火をつけたようでした
人間は平等なはずだ
頓智とユーモア風刺と諧謔で人間の平等を主張するのだ
それが俺の生きる道だ
出獄後外骨は東京から大阪に本拠を移し満を持して「滑稽新聞」を発行しました
キレのいい口調と決めゼリフそして権力をからかうパロディー精神で社会にはびこる不正を徹底的に追及する外骨流ジャーナリズム
今の時代なら外骨はどんな問題をターゲットにするでしょうか

もともとは安倍晋三記念小学校として計画され安倍総理の夫人が名誉校長だったこの小学校
総理への忖度から森友学園に国有地が不当に安く払い下げられたのではないかという疑惑の解明は進んでいません
役所の中で陳情を受ける答えるということは一切ない関係できたわけでありました。
一方安倍総理自ら腹心の友と呼ぶ加計学園の理事長が進める獣医学部新設計画に対しいわゆる総理のご意向がどのように働いたのかについても疑惑は解消されないままです
やはり特権を利用して…特権を使ってですねそして利益を…ある特定の人物に利益をもたらしたっていうような事件。
これは最近の森友学園の問題とかそれから加計学園の問題とかっていうのはいわゆる総理という特権を利用して行われた不正であるという疑惑が極めて強くなってますね。
だからあれは絶対にやるんだろうと思いますね。
「滑稽新聞」に掲載されたキャッチフレーズ
そこには外骨のジャーナリズム観がよく表れています
圧力に屈せず金や地位にも惑わされないそんな覚悟を持つ
外骨が生きた100年前もジャーナリズムがその役割を果たせるかどうかが問われていたのです
明治37年の「滑稽新聞」は大阪水上警察署長荻欽三の収賄容疑事件の追及に明け暮れました
本来不正を取り締まる側の警察や検察当局に「滑稽新聞」は一層厳しい目を向けたのです
この汚職疑惑でメンツを潰された当局は「賄賂の品は返したから贈収賄にはあたらない。
記事は事実無根だ」と主張
逆に官吏侮辱罪で外骨を告訴しました
裁判で有罪判決を受けまたも監獄行きが決まった外骨
しかし彼のことなんとその前夜に入獄送別会なるものを開いて飲めや歌えの大騒ぎをしたのです
外骨が入獄したのは今の扇町公園がある場所にかつてあった大阪の堀川監獄でした
しかし黙って収監されるはずもなく囚人服を着て日課の労働をさせられる監獄の中での出来事を在獄日記として「滑稽新聞」に連載してしまうのです
入獄の期間を山登りに例え頂上を目指す外骨の姿が明るく滑稽に描かれます
監獄暮らしのつらさ苦しさをみじんも出しません
外骨はこう言っています

時代は飛んで現代のジャーナリズム
大臣や政治家のスキャンダルを次々とすっぱ抜き文春砲と呼ばれるスクープを連発する雑誌「週刊文春」
その編集部を訪ねました

編集長の新谷学さんは編集長はあくまで雑誌の後ろにいるべきとしてコメントのみの取材に応じました
反安倍でも親安倍でもないと前置きしたうえで最近の安倍政権への批判記事のねらいについて語りました
私や妻が関係していたということになればこれはもうまさに私は総理大臣をもう…それはまあ間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるっていうことははっきりと申し上げておきたい。
「文春」のモットーは…
政権中枢から記事に対する要求などが来てもすべて断っているといいます
たとえ人間関係があっても書くべきことは書く
それが「親しき仲にもスキャンダル」なのだそうです
そして外骨についても聞きました

一方新聞の世界ではこんな記者が現れました
(望月記者)今や前川さんだけじゃなく複数の方からの告発が報道等でいっぱい出ております。
もう一度真摯にお考えになって文書の公開第三者による調査というのはお考えじゃないですか?法律に基づいて適切に対応してる。
(望月記者)第三者によって適切に調べていただきたいと…。
調査を行う必要がないと判断をしたとそういうふうに報告受けてます。
(望月記者)
官房長官会見の慣例を破った「東京新聞」社会部の望月衣塑子記者です
政権の中枢部で何が起きてんのかっていうことについてもう単純に官邸番の番記者だけに聞いてもらうんじゃなくって自分自身が直接こういろいろ湧き起こってくる疑念と怒りみたいなのを直接ナンバー2…ナンバー1にはなかなかインタビューできないのでナンバー2である菅さんが毎日会見を開いてるってことでちょっと聞いてみたいなって思いがどんどん募って6月6日ですね初めて官邸に入ってったっていうのがきっかけなんですけど。
確か1日目のあとはなんかもう「また来てって言っといて」ぐらいの余裕をちょっと見せてたって話も聞くのでまさかこんなにどんどんしつこくなっていくっていうのは想像してなかったかなっていう気もするんですけどね。
(スタッフ)望月さんのその取材や質問の根本にあるものって何なんですかね?そうですね。
やっぱり取材の中で自分の中の…心の中に湧き起こってくる思いとか怒りはそれは絶対揺るがない事実だなと。
自分の中のこう何を取材して何を感じてどう思ったか。
きっちりとですね疑問は疑問であるということを相手に突きつけて答えを引き出すっていうのが今回のことで分かったんですけど巡り巡ってやっぱりそれが国民の関心事でもあるっていうんですかね。
やっぱり政権政治を見てる日本の国民が今何を思ってるか何を感じてるかってことは自分の中に湧き起こってくる心の中の思いとたぶん非常に近しいものがあるのかなと。
官房長官の会見に初めて出席して以降菅長官に繰り返し質問を浴びせる望月記者に対し多くの賛同の声が上がる一方で主に保守系の側から激しく批判され同業他社からも厳しい目が向けられました
組織に所属する身としては微妙な立場です
「東京新聞」の上層部は望月さんを会見に出席させるかなどその扱いを協議したといいます
もしかしてこれ今まであったそういうオフレコ会見を含めもしくは表の会見含め非常に短い時間だとか1社1問だけですとかいろんなことが制限されんじゃないのかっていうここの危機感みたいなものがちょっとあったんだと思うんですよ。
だから例えば記者クラブで「東京新聞」外しとかがあってもしっかり…でもやっぱり聞かせてく。
今はやっぱりここは問題でありそのためにそれを質問するためには私が行って聞くってことを止めるべきではないという応援してくれる声の方が圧倒的だったんですね。
(スタッフ)いわゆる政治部的な自社であれ他社であれそういうとこからのいわばプレッシャーなりっていうのはいかがですか?たぶん初めの頃は何なんだ?っていうのもあったし他社さんから会社宛てに「どういう意図で質問してるのか」とか質問がちょっと長いことが多いんで「長いと言われることに問題ないのか」とかまあちょっと半分これで圧力をかけたいんだなというような感じのものもいくつかありましたけど結局そういうの来てまあ怒ってるんだなと思ってもそれ以上に新たにですね取材して出てくる出てくる話がこれはもうさすがにねなんと言われても聞かざるをえないなっていう。
やっぱりそういう圧力とかなんとない空気よりも自分がやっぱりきっちりこれはおかしくないですかって伝えなきゃいけないなって気持ちの方がやっぱり常に上なのでだからそこは…ちょっときついなっていうときも一時はありましたけどでもなんかそれ以上に今やっぱり政府がねなんとか推し進めようとしてる隠ぺいとかね改ざんまがいのことに対する怒りっていうことの方が先に…先行してるんでそこはあんまりだから気にならなくなってきたかなっていう感じはありますね。

外骨はこうも言います
自由な言論活動が制限された外骨の時代
「滑稽新聞」は権力からの圧力と戦い続けました
度重なる発行禁止や罰金などに憤慨した外骨はこんな最終手段に出ます
第173号を「自殺号」と銘打ち廃刊したのです
権力によって命を絶たれるのではなく潔く自ら死すという外骨なりの美学もあったのでしょうか
こうして8年間にわたる「滑稽新聞」の歴史は幕を閉じたのです

ジャーナリスト・外骨は筆を折ったのか…と思われた翌月外骨自らは編集人には名を連ねず「滑稽新聞」の名前を改めた「大阪滑稽新聞」が創刊されたのでした
ページをめくると現れたのは明治の元老の一人である山縣有朋
薩長出身者による藩閥政治政権のたらい回しを憎んだ外骨は山縣を政権を陰で操る黒幕的存在であるとして容赦ない筆誅を加えます
その山縣の操り人形であるとして外骨が殊に厳しく批判するのが同じく長州出身で時の首相である桂太郎でした
もはや民衆のための政治ではないと「大阪滑稽新聞」は桂首相を批判
その頭をたんこぶだらけにして掲載しました
そしてその批判は桂だけではなく夫人にも及びました
外骨は同業者も容赦しませんでした
とりわけ手厳しかったのが「国民新聞」への批判です
徳富蘇峰が起こした「国民新聞」は当初は平民主義を唱えていましたがのちに変節しこの当時は桂内閣の宣伝機関と言われるようになっていました
外骨は民衆の側に立っていない御用新聞と断じそのようなものに成り果てた「国民新聞」は消え去るのみと表現したのです

自由民主党総裁の安倍晋三です。
憲法改正は自由民主党の立党以来の党是です。
平和憲法といわれる現在の日本国憲法はみっともない憲法であるとしている安倍総理
特に憲法9条を改正することに意欲を燃やしています
繰り返しになるんですが私はここは内閣総理大臣として立っておりですね自民党総裁としての考え方はですね相当詳しく「読売新聞」に書いてありますからぜひそれを熟読して…。
・そんなひどいの…。
おいちょっと。
・新聞読めって言うのかい?
権力との距離の取り方はいつの時代でもジャーナリズムの基本姿勢に関わる大きな問題です
政権に対して甘いか辛いかが物差しになりメディアが二分されてしまった感のある今の時代に何が必要とされているのでしょうか

外骨は49歳のとき16年間住んだ大阪を離れまた人生一からのスタートを切ることを決めました
1915年大正4年「照る日もあり、曇る日もあり大阪を夜逃にあらず晝去なり」という言葉を残し向かったのは東京でした
民本主義を提唱したことで知られる東大法学部教授の吉野作造は外骨の理解者でした
外骨が収集していた膨大な量の明治時代の新聞や雑誌に学術的な価値があるとみていた吉野は東大に明治新聞雑誌文庫を設立することを決め文庫立ち上げの仕事を外骨に任せました
今もあるこの明治新聞雑誌文庫には外骨が編集発行した「滑稽新聞」をはじめ自ら全国を巡って集めた当時の新聞雑誌の数々が保管されています

天皇陛下ばんざ〜い!
(一同)ばんざ〜い!
太平洋戦争が始まったのは外骨75歳のとき
空襲を避けるため東京郊外の疎開先に移り多摩川などで釣り三昧の生活を送ってひたすら戦争が終わるのを待ちました
(昭和天皇)堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す。
終戦の翌年に出版された外骨の本
明治以降自分たちがつくろうとしてつくれなかった民主的な国・日本がアメリカがやってきたことで一気に実現してしまった
みんなアメリカ様のおかげですという皮肉を込めたものでした

東大から程近いこの場所に外骨が最後に住んだ家があります
作家の吉野孝雄さんの母親の姉つまり伯母が外骨の妻でした
吉野さんは幼少期にこの家に預けられ小学校時代の数年間を晩年の外骨と共に過ごしました
ある日ですね学校から帰って来て狭い家だからすぐ外から大声で呼べば全部聞こえるような家なんですね。
それでうちの伯母を呼んだんですよ表玄関の外から。
大きな声で「伯母ちゃんいるの?いないの?」って。
「伯母ちゃんちょっと来て」みたいな呼び方したんですよ。
そしたらもう怒られたんですよね。
カンカンになって怒って。
「なんだ!そこへ座れ!」っつって正座させられるわけですよ。
当時はもう外骨の前に行くと正座ですから。
やっぱりそういうねしつけは厳しかった。
で正座させられてもう「なんだ!お前は自分の親代わりに育ててくれている伯母に向かってなんだ!自分が用事があるときは自分から伯母を捜しに行くべきだ。
外から呼びつけるとは何事だ!」ってわけですよ。
「お前みたいなやつはもう家に置いておけないから出ていけ!」って言われて。
ははははっ。
パン!パン!パン!パン!それで母親が呼ばれましてそのことで。
でお前の息子はこういうとんでもないやつだと。
だからうちに置けないからもうお前連れて帰れってわけですよね。
母親はちょっとその当時働いてましてそれで連れて帰るわけにもいかないし「私が至らないからしつけが悪かったためにこういう子になりました。
申し訳ありません」って謝ったわけですよ。
そしたら急に泣きだして。
僕はそこで見てたんだけども一緒にいたから謝るときに。
そしたら急に涙ポロポロこぼして「分かった分かった。
もういいから。
許すから。
もう泣くな。
謝らないでいい。
置いてやるからいい」って言って。
もうそれですぐ許されちゃったんです。
外骨は癇癪玉破裂させるけれどもすごく情にもろいところがあってそして悪いこと認めたときにはすぐ許してしまう。
まさに「滑稽新聞」の中で外骨が不正を攻撃しているときの姿勢そのものなんですよね。
だということがあとで外骨を調べているときにそのときのエピソード思い出してああ〜これだったのかと思いましたね。
はい。
昭和も20年代に入ると年齢が80を過ぎた外骨は床にふせる日が多くなりました
毎年外骨の命日に近い週末に外骨忌という催しが開かれ外骨ゆかりの人たちや外骨ファンが集まります
じゃあ献杯。
(一同)献杯。
(吉野さん)最初は変な名前のおじさんの家にいて嫌だなと思ってたんだけどはははっ。
そのおかげで皆さんとも知り合うことができてほんとによかったと思ってます。
ありがとうございます。
(スタッフ)今外骨が生きていたとしたら何にいちばん怒って批判したと思われますか?う〜んどうですかね。
僕には分かんないですけど。
まあいずれにしても当たり前には言わなかったと思うんですよね。
僕はそこのところが面白かったんで。
まあ新聞が批判したりとか新聞が書いたりすることとか週刊誌もそうだけどそういうようには言わなかっただろうなっていうことは確かですよね。
そこのところが面白いんですよ。
なんかあらゆることに怒りまくるんじゃないかと思いますけどね。
だから外骨さんみたいに癇癪玉破裂させてるとなんかあの人キレて危ない人ねって言われちゃう。
だけどちゃんとつきあうと愛嬌のある…ただ過激なだけじゃなくて愛嬌があって…。
逆に愛嬌ばっかり振りまいてる政治家みたいなの見てると愛嬌って…ほんとの愛嬌はそんなんじゃないぞって。
過激にしても愛嬌にしても今の時代の人は勘違いしてんじゃないかって怒られそうな気がしますね。
森友学園への国有地売却の件加計学園による獣医学部の新設防衛省の日報問題などさまざまな問題が指摘され改めて深く反省し国民の皆様におわび申し上げたいと思います。
パン!
(癇癪玉の音)パン!パン!
明治という新しい時代に希望を求め言論が制約される中にあって平民主義に根ざした自由な社会をジャーナリズムの力で実現しようとした宮武外骨
「滑稽新聞」をはじめ120余りの雑誌や書籍を発行
筆禍による入獄は4回罰金発禁処分は29回に及びました
生きるために筆を振るったのではなく筆を振るうために生きた外骨
外骨ジャーナリズムが100年の時間を経て今この時代のジャーナリストたちにあまりにも多くのことを問いかけています

2017/08/28(月) 00:50〜01:50
MBS毎日放送
映像’17「宮武外骨と安倍政治〜権力の嗤い方」[字]

明治・大正・昭和を生きた反骨のジャーナリスト宮武外骨…生誕150年「今、外骨が生きていたら何をどう批判するのか」▼週刊文春の編集長・東京新聞記者などにも取材する

詳細情報
番組内容
宮武外骨(1867〜1955)は、明治〜昭和にかけて活躍したジャーナリストで、文筆家である。明治維新直前の幕末に讃岐国(香川県)の庄屋の息子として生まれ、漢学を学び、14歳で上京。反骨精神に富み、自ら新聞や雑誌を刊行して政治や権力批判を行った。34歳の時に大阪に移り、1901年「滑稽新聞」を創刊。政治家や官僚、行政機関、さらに新聞も含めた権力の腐敗を、言論を通して徹底的に追求したことで知られる。
番組内容2
今年、その生誕150年を機に、「現代に外骨が生きていたら、何をどのように批判・追求するのか」を考えてみる。外骨が発行した「滑稽新聞」は現代の週刊誌のようなものだったという。「文春砲」といわれ、さまざまなスキャンダルをスクープする週刊文春の新谷学編集長や、菅官房長官とのやりとりでも話題になった東京新聞記者などに、ジャーナリズムのあり方について取材、ジャーナリズムのあり方を考える。

出演者
【ナレーター】
松尾貴史

公式HP
【番組HP】
http://www.mbs.jp/eizou/
【番組フェイスブック】
https://www.facebook.com/MBS.eizou

おことわり
番組の内容と放送時間は、変更になる場合があります。

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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