9/12「伊達もんもの家」の取り組み 帰還した母子に寄り添う【東京新聞・ふくしま便り】4/25<自主避難>母親の苦悩、感謝 体験記に  自主避難者の体験記【河北新報】

「伊達もんもの家」の取り組み 帰還した母子に寄り添う

2017年9月12日【東京新聞・ふくしま便り】
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/fukushima_report/list/CK2017091202000175.html

「伊達もんもの家」のスタッフ。半田さん(左)、新井さん(中央奥)、高橋さん(同手前)、佐藤さん(右)=福島県伊達市で
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東京電力福島第一原発事故の直後、幼い子どもの手を引いて福島県外へ避難した母子がたくさんいた。あれから六年半。今でも県外にとどまる母子がいる一方で、故郷へ戻り、新しい暮

らしを始めた母子もいる。帰還した母たちは、かつての平和な暮らしを取り戻したのだろうか。避難体験者が集まる伊達市の交流サロンを訪ねた。

伊達市は人口約六万人ののどかな街で、第一原発の北西約六十キロの内陸部に位置する。原発事故後は避難区域に指定されなかった。しかし、部分的に放射線量が高い地域もあり、約

九百人が県外に自主避難した。現時点で四百人弱が帰還し、残る五百人ほどは避難を続けている。その多くは母子である。

住宅街の一角に、昨年九月にオープンした「伊達もんもの家」がある。「もんも」は特産のモモの意味。看板には「子育て世代と高齢者交流サロン」。さらに「おしゃべりと学びの場」と書いてあ

る。

開設の目的を運営責任者の半田節彦さん(76)が説明してくれた。「避難先から帰って来たお母さんたちが直面する問題はたくさんあります。放射能は本当に大丈夫なのか、離れていた地

域の人々や家族と人間関係を再構築できるのかなど、不安におののいている。そんなお母さん方が心を開いて話し合える場所が必要であると考えたんです」

母体は、原発事故前の二〇〇〇年に設立されたNPO法人「りょうぜん里山がっこう」。自然豊かな農園で子どもの体験教室などを企画してきた団体だ。事故後も、県外への疎開ツアーなど

を実施する一方、体験教室を再開した。

だが、避難先から県内に戻った母親には、体験教室に複雑な思いを抱く人もいたという。

「伊達市の場合、除染が十分ではない区域もある。それなのに、安全ですと一方的に言われると、拒否反応を起こしてしまうんです。子どもを外で遊ばせるなんてとんでもないとか」

夫や親に説得されて意に沿わぬまま帰還した人もいる。そんな人は「外にいるだけで呼吸ができなくなる」と訴えた。「故郷に残って元気にしている人々を目の当たりにすると、逃げた自分は

悪かったのかと思えてしまう」と漏らした人もいた。

そうした母親たちに、どこまでも寄り添う。そんな目的で「もんもの家」は始まった。

スタッフは半田さんを除く三人全員が女性で、県外へ避難した経験を持っている。

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佐藤真由美さん(42)は、昨年十一月までの五年半、二人の子どもと一緒に静岡県伊東市で過ごした。高橋寛子さん(38)と新井芳美さん(34)は山形県から帰ってきた。三人は今年三月

にまとめた冊子「避難体験記録-原発事故に揺らぐ自主避難者の想(おも)いと決断」の中で、それぞれの体験を語っている。

共通するのは、避難する時も帰る時も、身を引き裂かれるようなつらい選択を強いられ、苦しんだ経験だ。地域社会や親族との間にできた空白を、いまだに埋めきれないという悩みも抱えて

いる。

佐藤さんはこう話す。

「来所する方に『もう安全だから』とか『帰って来てよかったでしょ』などという言葉は決していいません。コンピューター教室や放射線測定会、子育てサロンなどをしながら、普通のおしゃべり

をする。そうして心を開いてもらい、支え合うのが大切だと話し合っています」

女性たちの話に、原発事故から人々が受けた心の傷の深さを、改めて思い知らされる。

×  ×  ×

「伊達もんもの家」の連絡先は=電080(3339)0657=へ。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

 

<自主避難>母親の苦悩、感謝 体験記に  自主避難者の体験記

http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201704/20170425_63013.html
【河北新報】2017年04月25日火曜日

体験記を作ったNPO法人が運営する帰還者向け交流施設=伊達市

東京電力福島第1原発事故後、避難者支援などに取り組む伊達市のNPO法人「りょうぜん里山がっこう」は、自主避難を経験した母親の手記を集めた体験記を作った。母子避難の苦悩と

、家族や避難先に対する感謝の気持ち、帰還後も拭えない放射線への不安などが率直につづられている。

タイトルは「避難体験記録 原発事故に揺らぐ自主避難者の想(おも)いと決断」。同法人が伊達市内で運営する帰還者向けの交流施設とつながる14人が、匿名で手記を寄せた。

<「放射能の心配がない当たり前の日常を」と避難を選んだのに、子に父のいない非日常を過ごさせている矛盾に気付いた>

長男と福島県外に避難した母親は、避難先に通う夫との別れ際、泣き叫ぶ子の姿に途方に暮れた。

避難先で新たな出会いに感謝する記載は多い。<迷いながらも自分で考えて選択し、主体性を持って生きられるようになった><後悔したことは一度もない>など、複数の母親が避難した

ことを前向きに捉える。

帰還は子どもの入園、入学に合わせた例が目立ち、一人は<考えに考えた末、決断した>と記した。それでも放射線に対しては<帰還を決めてからは不安に駆られ、(決断が)本当にこれ

でいいのか悩んだ>という。一方、別の一人は<話を聞いたり勉強会に参加したりして(今は)不安なく暮らせている>と書いた。

<夫がずっと味方でいてくれたからこそ成り立った>。改めて避難生活を振り返り、家族の絆の大切さを再確認した文章もある。

体験記は交流施設相談員の半田節彦さん(75)と避難経験者の母親3人が編集を担当した。半田さんは「体験記を通じて、考えや決断の背景を知り、自主避難者への理解を深めてほしい

」と話す。

A4判で56ページ。印刷した200部は県内の自治体や各県の支援団体に配り、希望者には無料提供する。連絡先はNPO法人「りょうぜん里山がっこう」080(3339)0657。

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