前の原子力規制委員会の田中俊一委員長が飯舘村へ移住(報道ステーション[デ][字] 2018.01.11)【Mediacrit】

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報道ステーション[デ][字] 2018.01.11

≫このあとは3.11から伝えたい。

前の原子力規制委員会の委員長の覚悟。

≫退任後引っ越したのは福島県飯舘村。
≫5年間で240回。

原子力規制委員会の田中俊一前委員長はこのように記者会見を行ってきました。
最後に記者会見を行ったのが去年の9月でその後、田中前委員長は福島県の飯舘村に退任したあと引っ越しました。
新たな人生を歩み始めた田中前委員長の覚悟とは…。

≫うっすらと雪の積もった去年暮れ。

前原子力規制委員長の新たな人生が始まりました。

≫引っ越してきたのは福島県飯舘村。

去年、一部を除いて避難指示が解除されたばかり。

≫原発事故を受け、発足した原子力規制委員会で初代委員長を務めました。
≫歯に衣着せぬ物言いは東京電力に対しても…。
≫そもそも規制委員会は震災後に作られた規制基準を原発が満たしているかどうかを判断する機関です。

原発の再稼働を許可するわけではありません。
しかし…。

≫原発を推進してきた、かつての日本原子力研究所にいたためいわゆる原子力ムラ出身といわれ批判も浴びました。
≫そんな田中さんはなぜ福島の飯舘村に引っ越してきたのでしょうか。

実は、福島生まれの福島育ち。
震災直後には除染のため飯舘村の長泥地区に駆けつけました。
規制庁の職員にも福島への思いを語ってきました。

≫続投の誘いを断り5年の任期を終えた田中さん。

最後の会見で語ったのは飯舘村に住むことへの覚悟。

≫飯舘村では、今も至るところに大量の汚染土が置かれています。

避難指示が解除されたあとも戻ってきた村民はおよそ1割だけ。
田中さんがあえてそこに身を置くことを選んだのは震災後、除染に入ったときに生まれた縁がきっかけでした。
そのときに関わった村の人々と国のつなぎ役になろう。
そう考えたのです。

≫期待を寄せる村民もいます。

田中さんが最初に除染に入った長泥地区の鴫原区長です。

≫肩書も、週に一度の記者会見もなくなりました。

それでも73歳の田中俊一が今、思うこと。

≫その田中さんは今日後任の更田規制委員長を案内しまして福島第一原発周辺の自治体を回っていました。
≫地元からは溶け落ちた核燃料いわゆる、デブリを取り出す廃炉に向けた工程表、ロードマップについての要望が出てきました。
≫国が主導したロードマップでは3年後、2021年からデブリの取り出しを始めるなどとしていますが…。
≫とにかく住民の方の不安を取り除きたい心配させないようにしたいという思いが込められているように聞こえたんですけれども田中さんの覚悟、行動いかがですか。
≫やはり福島第一原発事故これを忘れてはならない。

VTRにもありましたが田中さんの強いメッセージが込められてるんだと思いますね。
原子力に関わった者としての責任あるいは自分の生き方として筋を通したい。
そういう思いがこもってるんじゃないかと思いますね、原子力規制委員会は退いても田中さんはやはりお目つき役として現地にとどまるという覚悟があったんだと思います。
それは確実に抑止力になると思いますね。
委員長をお辞めになっても原発の万人(番人?)であることは変わらないんだと思いますね。
いわば歩く規制委員会だとこういってもいいと思いますね。
そして、飯舘の人たちにとっても非常に心強い存在であることは間違いないと思いますよね。

≫確かに今日面会した田中さんと楢葉町の町長は田中さんが近くにいてくれることがありがたいと、専門家がね。

だからどんどんアドバイスをいただきたいと期待をしているようでしたね。

≫それで、これだけの専門家が現地にいるとなると今まで帰還に迷っていた人たちを促すきっかけになるかもしれないですよね。

そして今回非常に重要だと思うのは日本の原子力行政に欠けているものは覚悟と政策立案能力なんですね。
それについて、田中さんはある強いメッセージを出してとにかく覚悟を持ってやってほしいと。

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