市民のための自由なラジオ(2018/1/​18) 原きよの教えて!小出先生第1回 核の世界に足を踏み入れて、核の正体を知り​、核と闘うようになったわけ

永岡です、市民のための自由なラジオLight up! 第95回、今週はひとりの生活者、ひとりの女性、ひとりの母親、ひとりの朗読家の原きよさんが、東日本大震災、福島第一原発事故の7年を前に、小出先生に核・原発のことを聞かれる3回シリーズの1回目です。原さんはこの番組のナレーションをされて、今回は原さんが司会者として小出先生にインタビュー、専門家でもない立場から聞かれて、福島第一原発事故、戦争と平和のこと、原さんはリスナーとして自由なラジオを聞かれて、12月27日に、長野県松本市に行かれて、原さん小出先生と初めて会われて、雪のちらつく日に、小出先生の言葉に反応するものをお互い探るというのです。

小出先生、京都大学定年から3年、即刻松本市に来られて、終の棲家、期待以上の町、仕事で縛られず、行きたい町、100%どころか150%よかった、小出先生暑いのが苦手で涼しいところを選ばれて、生まれたのは東京、しかし64年のオリンピックで雑多になった東京を見切り、東北大学に行き仙台市はいいところ、ところが小出先生を雇うところがなく、京都大学の原子炉実験所、猛烈に暑いのにそこしか雇ってくれず41年、こんな暑いところでいたと感心して(笑)、定年退職後、自分が行きたいと思える街で、涼しい町、山のある町、大都会は嫌、新幹線が来るとミニ東京になるので新幹線のない、小さな町に行きたく、しかし歳を取るので田舎だと困難で、ライフラインのある町を選び、結局松本市が基準に一番合って、本当にいい町だと思い、収録は松本城の近く、しかし自宅は松本の市街地の外れ、裏が山、小屋におられて、アルプスが見えるところにつれあいさんと住んで、野菜を作られて、自立して行きたい、家の敷地に畑を作り野菜を育てて、電気は太陽光発電、お湯も太陽光、薪ストーブ、雨水をためて、一歩ずつ仙人になりたいと言うものの、しかし世の中はエライことで、なぜ仙人になるか、力のあるリーダーやカリスマについて行くのは問題、福島事故以来、小出先生でないとできないものもあり、しかし一人一人が自分の頭で考えて自立すべき、退職は京都大学との契約が切れたのみ、歳も取り衰えたものもあるが、集中力も落ちているものの、福島事故はまったく収束しておらず、核推進の旗は振らなかったが責任はあり、どうしても小出先生でないとできない仕事を厳選して立ち向かいたいと言われて、原さんも小出先生に頼ったものの、福島第一原発事故から7年。

小出先生は1949年に東京の下町に生まれて、戦争を知らない世代、なぜ核を勉強したか、中学・高校の際に地質の部活動をされて、石を拾って調べて、街中にいるより、石を拾うのが好きでそういう部活動をして、大学に地質学に行こうと思ったが、60年代の中学・高校時代、鉄腕アトムというマンガ・アニメがあり(63年に日本初のテレビアニメとして製作されて、その後77年(ジェッターマルスと名前を変えて)、80年、2003年に新作テレビシリーズが作られている)、核の力で動く(私は問題を起こしている神戸製鋼にいて、そこの原子力事業部から、核というと聞こえが悪いから原子力といえという通達が出たことがあり、要するに原子力マフィアは核と言われるのが嫌なので、核と表現します)、妹はウラン、兄はコバルト、これからは核の時代だと思い、広島・長崎の核被害のことも知られて、東京で原爆展もあり、核のひどさを知る反面、鉄腕アトム、これからは核の時代だと喧伝されて、1967年に東海の原子炉稼働、原爆はアカンが、核のエネルギーを平和のために使ったら素晴らしいと思い、大学は原子核工学を選び、小出先生の人生最大の過ち?

(永岡補足:実はこの私、永岡も、小出先生が東北大学で学ばれていた72年に、小学校の国語の教科書で、核がいかに素晴らしいかを見て、今思うと、要するに読売巨人軍は紳士で汚いことを絶対しないと、事実に反することばかり書いてあった(笑)のですが(さすがに大学は核ではなく、化学が専門)、これを信じてしまい、大学に入るまでは核はいいものだと(もちろん核兵器はアカンが)思っていて、しかし大学に入り、核兵器反対運動に入ると、先輩から核兵器だけでなく、原発は危険だらけと知らされて、中でも一番のポイントになったのは、100万kwの原発は1年運転したら広島型原爆の1000発分の放射能があるということで、要するに原子炉一つで日本人を全滅させられると知り、それであらゆる核に反対するようになり今年で39年です)

68年に東北大学に入り、大学闘争の時代、東大で大変なことになり、小出先生は4月に東北大学に入り、大学闘争もあったが、核の勉強をしたく、大学1年は授業を1回も欠席せず、69年1月に東大の安田講堂の攻防で学生が機動隊にやられて、小出先生はテレビが嫌いであったが、大学の生協のテレビで安田講堂陥落を見て、同時期に、東北電力が女川原発を建てることになり、しかし東北電力なのに仙台市ではなく、僻地の女川に建てる、電気を一番使うのは仙台市なのに、なぜ仙台市に建てないか?女川の方も核を押し付けられて疑問、大学で教員に尋ねても、東北大学の原子核工学科は原子力マフィアの一部で教えてくれず、他方当時アメリカで核の技術者たちが核の問題点を指摘して、小出先生も意見交換して、たどり着いた結論は、原発はあまりに危険で都会に建てられず、都会から外れたところに建てるしかなかった=小出先生は核を止めさせるしかないと決意し、核を止めさせるための選択、小出先生の友人は、原子核工学科にいたら原子力マフィアの一員になる、給料もいいので、原子力マフィアが小出先生たちと論争して、自分には妻も子もいると言い訳して、しかし小出先生の友人は生活を言い訳にしたくないと、大学をやめて、とび職になり、それで小出先生はそういう選択もあるが、核の現場で専門性を身に着けて、専門性を武器に核と闘うとして、この友人と違う道に行くことになり、この友人はその後も核と闘い人権の賞をもらい、小出先生は大学の核の現場に残り、大学では核の、負のことは教えられず、しかし大学の先生にも小出先生に理解のある人もあり、研究室に迎えてくれた方もあり、大学院もそこに入れてくれて、最後は京都大学に入れてもらい、原さん、核の専門知識が核に反対するのに必要、福島第一原発事故でも東電の原発が東北にあるのはおかしい、核廃物を押し付けるのもおかしいと指摘されて、小出先生の選択は正しく、小出先生が核の専門性を活かして核と闘い、3・11の後、小出先生はたね蒔きジャーナル他に出られて、しかし福島第一原発事故から7年近く、原発事故の報道も少なくなり、小出先生、皆さん気づいておられないが、3・11の福島第一原発事故で、原子力緊急事態宣言を政府が出して、その宣言により、日本の被曝に関する法律が機能を失い、緊急事態は7年近くたっても解除されず、日本は原子力緊急事態の元の異常にあり、マスコミは毎日これを報じるべきなのに、マスコミはまったく言わず、原さん、外国に家族がいたら、日本にいたらいけないというと指摘されて、小出先生、緊急事態宣言の解除は日本政府も出来ず、原子力緊急事態宣言は100年経っても解除できない、膨大な放射性物質が噴き出て福島を中心に膨大な汚染になり、放射能汚染は、人間の手で放射能を消せず、放射能の寿命を待つしかなく、しかし汚染の主成分のセシウム137は30年経たないと半分にならず、100年でやっと1/10になるほど、しかし被災者が棄てられている場所は、日本の法律を適用したら人が住んだらダメ、原子力緊急事態宣言を停止するのには100年経ってもアウト、事故が続いているのをマスコミは言うべきなのに、マスコミは言わず、だから自由なラジオは必要で、原さん、女性で子供もいて、子供の亡くなる事態に心を痛めて、しかしニュースが続くと麻痺してしまい、小出先生のお話でようやく思い出して、電気なしでやれる、電気も核ではなく自然エネルギーでできると言われて、小出先生、電気のために核を使う必要はなく、自然エネルギー、火力もあり、核を使うのはお金のため+核武装のため、日本で核をやったのは電力会社が必ず儲かるのが最初、三菱重工、日立、東芝、ゼネコン、その労働者が核に参加して、日本が全体として核に落ちて行った。

福島第一原発事故を経て、国民も核の恐ろしさを実感した、チェルノブイリ原発事故は、ソ連だからあんなことになった、日本はソ連と違う、ソ連はアホだから事故になったと嘯く人もあり、しかし日本国内でチェルノブイリ事故は運転員のミスで、原発そのものには問題なしとされて、もちろん原子炉の構造的な欠陥、制御棒で原子炉を止めようとしたら、場合によっては核暴走になってしまい、構造的な欠陥を運転員は知らず、一番の問題点は原子炉の構造的な欠陥、これは最初からわかっていたのに、そんなことは起こらないだろうとして、しかし専門家は知っていたと国際的報告もされて、しかし日本だと運転員のミスとして報じられて、日本も、福島第一原発事故があり、日本は安全と喧伝しても、危険性は原子力マフィアは知っていて、人間は神でなく過ちを犯す、機械はトラブルを起こす=原発事故は起こる、しかし原子力マフィアは事故など起きないと高を括り、それでも原発は怖いので、原発を都会に建てなかったのです。今回の小出先生のお話はここまでです。

(永岡注:核以外のことでは、現場では事故が起こることを想定して、事故が起こっても対処できるようにしているのですが、核関係はあまりに危険で対策できず、スリーマイル、チェルノブイリ、福島第一原発事故はそれで起きてしまったのです、事故対策の立てられないものを動かしたらアカンのに、金儲けと核武装のためにこれらが無視されたのです)

原さん、小出先生のお話を2時間ほど聞いて、私たちのやるべきは、と問うと、それは自分自身で考えてほしいと言われて、原さん家に戻り、思いを整理して、詩人の八木重吉さん、29歳で亡くなった方、24歳で詩を書き始めて、5年で亡くなり、詩の中に力があり、小出先生に会われて、答えを考えないといけないとして、八木重吉さんの詩を紹介、タイトルのないものもあり、しなければならないことはいつも心を耕しておくこと、粘土を握りつぶして柔らかくすること、自分が生々しく生きること、自分に素直になり、すべきこと、そして小出先生と会われて、八木重吉さんの詩集を見て、くれたくないものをくれるもらいたくないものをもらう、やむを得ないとは言うものの、寂しい世の中だと、悲しいこととして、この詩集の中にこの言葉を見て、八木さんだけでなく、核のこと、戦争のことをしっていたのか?なぜ核を持たないといけないかったのか、もらいたくないが、もらわないと生活が成り立たないというのは、やむを得ないとしても悲しいことで、八木さんだけでなく、多くの作家が核や戦争のことを知っていたのかと思い、八木重吉さんのことを原さん深く知られたのは3・11の後、2012年の年賀状を書く際に、あけましておめでとうと書けず、震災で多くの方が亡くなり、原発事故で多くの人々が故郷を追われて、つらい気持ちで言葉にできず、その際に朗読家として、八木重吉さんの詩を取り上げられて、「心よ、心よ、行っておいで、また戻っておいで」、は原さんの思いそのもの、心よ、震災で亡くなった方の思い、そして戻ってきてほしい、自分の気持ちを断ち切り、これをハガキに描いて、毎年年賀状の季節に、八木さんの詩集に頼り、毎年詩を選び、不思議があったら、ためらわずひょいとまたいだ方がいい、振り返ったら分ることがある、何かが見つかるかもしれない、「成すべきことは何か、結局素直な心は惚れ惚れとさせられる」、素直な心で、何物にも左右されず行きたい、生まれてきたことに意味があり、生まれた土地により長く生きられない、小さいことで幸せを願うものであり、原さん、八木重吉さんの詩を紹介されて、専門家でも、運動家でもなく、しかし母として発進させられるものがあると言われて、ここで一曲、一青窈さんの糸です。これはYouTubeにありました。

今週の自由なラジオ、原きよの教えて小出先生の1回目、原さん、ラジオに出るのも久しぶり、ラジオのリスナー一人一人とお話するもので、今回の続きは2月に放送されます、以上、今週の自由なラジオでした。来週は大阪から新聞うずみ火代表の矢野宏さんの司会で放送されます。

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