3/8電気代O円生活 都営住宅で電力自給自足 5年半【東京新聞・特報】

電気代O円生活

都営住宅で電力自給自足 5年半

 天気見ながら「不便も楽しい」

2018年3月8日【東京新聞・こちら特報部】

 

東京電力による「計画停電」からまもなく7年になる。首都圏が真っ暗になった日々が突き付けたのは、都会の電気がどこから来ていたかという問いだ。多くの人々やときに企業も、自問を続け、足元の暮らしを見直してきた。2012年9月から、「電気代ゼロ円生活」を続けている東京都国立市の染織作家藤井智佳子さん(57)も、そんな一人だ。「あの日々」から私たちは前に進めているのだろうか。(白名正和、橋本誠)

 

都営住宅で暮らす藤井さんの3LDKの自宅兼仕事場を訪れると、玄関口の電気メーターから、むき出しの配線コードが飛び出ていた。「もともとコードはメーターの内部に接続されていたんです。でも東京電力と契約を解除した時、こうなりました」

電力会社に頼らない「電気代ゼロ円生活」ももう五年半になる。ただ、最初から電力会社の送電網から離れる「オフグリッド」と呼ばれる生活スタイルを目指していたわけではない。

きっかけとなったのは、3・11直後の「計画停電」だ。国立市も対象になり、節電を心がけた結果、徐々にたどりついた暮らしだった。

まず、二O一一年六月、電気の契約容量を三十アンペアから十五アンペアに変更し、使う家電を減らしてみた。すると、月あたりの電気代が四千円台から二千円台へと半減した。「安くなるのが驚きだったし、すごく面白かった」

もっと安くしようと、その年の八月にソーラーパネルやバッテリーを十数万円かけて設置し、発電を始める。夏を乗り越えて以降は、冷蔵庫や加湿器などを使うのもやめた。

「以前はスリードアの冷蔵庫を使っていたんです。でも、必要なものしか買わないようにした。保管する必要があるものは玄関などの冷暗所に置いておけば大丈夫。十分に用が足りました」。これで電気代は八百円にまで下がった。

「ここまで来たら、ゼロ円も可能じゃないか」と考え、一二年九月、東電に契約解除を申し入れた。担当者から「前例がない。何かあったらどうする」と言われたが「ダメならまた契約すれば良いと思って、やりました」。

室内で見かける家電製品はLED照明や洗濯機くらい。夏にはこれに扇風機も加わるが、冷蔵庫はもとより、テレビもエアコンも電気ポットもない。仕事で使うミシンは足踏み式で、アイロンは、内部に炭を入れて使う木炭アイロンに変えた。暖房は火鉢を使うほか、使用済みのてんぷら油を使った「植木鉢ストーブ」を自作している。

南に面したベランダには三枚のソーラーパネルを設置、北側にも一枚備え、四枚の発電量は計三百ワットになる。この電気をバッテリーに充電し、夜間の照明や染色の仕事で使う洗濯機、パソコンなどに使っている。

ベランダではほかにも太陽熱を使い、市販のレジャーシートや鉄鍋を使ってパンを焼いたり、ガラス製の専用調理器具でイモをふかしたり。まるで屋外の台所だ。できたてのふかしいもをいただくと、びっくりするほど軟らかく甘い。藤井さんは「太陽の力って強いんですよ」としみじみ話した。

ちなみに悪天候が続くときは、リビングにある自転車型の発電機の出番だ。知人から譲ってもらった試作品で、急いでメール送信しなければいけない時にバッテリーが空で、必死に自転車製の発電機をこいでパソコンを操作したことがあった。

 

地産地消一歩ずつ

    計画停電が意識変えた

 

電気の使い方や生活スタイルを見直した先にたどりついた「電気代ゼロ円生活」は、工夫の連続だ。

「不便も楽しいんです」と藤井さん。「電気はあっても当たり前だと思っていたけど、そうじゃなかった。天気を見ながら生活し、日々、電気を生み出していくことに楽しさを感じています。それに自分で作った電気はかわいく、いとおしい」と話す。

「今は一人ですが、いつか地域で自前の電気を融通し合うような仕組みが、実現したらいい。それが私の夢です」

東日本大震災で意識や暮らしが変わったのは、究極の「地産地消エネルギー」に取り組む藤井さんだけではない。

東京電力が震災三日後の三月十四日から始めた「計画停電」が都会のもろさを顕在化したからだ。

数時間ずつ対象地域を指定する輪番方式で行われ、コンビニや家電量販店の看板の照明が消え、百貨店のエレベーターが止まった。

群馬県安中市と神奈川県厚木市では、信号が消えた交差点で起きた交通事故でそれぞれ一人が死亡した。

病院で電子カルテが使えなかったり、長時間の手術が困難になるケースもあった。計画停電の地域や時間帯が直前まで発表されず、被災地の茨城県でさえ強行された。

こうした首都圏の経験から、多くの市民電力が生まれている。

国際環境団体「FoEJapan」理事の吉田明子さんは「固定価格買い取り制度(FIT)の後押しもあり、市民共同発電所は千カ所以上に増えた。新電力のシェアも増え、選択肢も広がってきている」と話す。

計画停電の対象となった神奈川県小田原市は二O一五年のエネルギー計画で、市内で再生可能エネルギーで作られた発電量が市内の電カ消費量に占める割合を、一0年度の0・4%から二二年度に10%に引き上げる目標を掲げている。今年二月には、地元企業が出資して設立した発電会社「ほうとくエネルギー」(小田原市)や、地元の小売会社「湘南電力」(同)と協力し、市立小学校七校に太陽光パネルを設置した。

担当者は「地球温暖化対策に加え、地元経済の活性化にもなる」と説明する。

自治体が関与した再生可能エネによる地産地消の動きは、群馬県中之条町や福岡県みやま市でも広がっている。NPO法人市民電力連絡会理事長の竹村英明さんも「再生エネ住宅を広げる建築家の動きや、空き家をオフグリッドの集会所に改造した所もある」と指摘する。再生エネによる環境破壊などを主張する意見もあるが、竹村さんは「山を削るようなメガソーラーを造っているのは大企業で、巨大開発にルールがないことが問題。コストは施設の耐用年数の取り方で変わり、太陽光や風力もそれほど高くない」と指摘し、エネルギー転換の流れは止まらないとみる。

ただ、地産地消エネルギーの普及は進んでいるものの、まだ一部にとどまっているのも確かだ。竹村さんは「電力自由化後に設立された地産地消型の新電力は二十~三十に上っているのに、大手電力会社の送信網が壁になっている。送電網は空いているのに、大手電力会社は原発や石炭火力発電を優先し、再生エネの接続を拒否している」と批判する。

経済産業省は一六年、送電線の利用料に福島第一原発の事故対応費用を上乗せする方針すら決めた。国のエネルギー政策と国民意識の隔たりは広がるばかりだ。前出の吉田さんは「日本は今も原発と石炭火力をベースロード電源として優遇しているが、ドイツなどは再生エネを最優先することを決めている。エネルギー基本計画で、再生エネの最優先と脱原発、脱石炭を決めるのが大前提だ。市民は計画停電を忘れていない」とくぎを刺した。

((((デスクメモ))))
3・11で疲弊したのは東京も同じだ。震度5強の揺れに続いたのは、いつ原発が暴走するか分からない不安と「計画停電」の混乱。東北の辛苦を思ってこらえ、自問した日々が脱原発のうねりを生んだ。簿暗い都心で、誰かに犠牲を押しつける原発政策の間違いがくっきり見えた。(洋) 2018・3・8

▲電機契約やめ配線外す 足こぎ発電も
上)配線が外れている電気メーター
下)日照時聞が少ない時間帯は発電機をこいでしのぐ

▲炭アイロン
アンティークショップで購入した「炭アイロン」を愛用する藤井智佳子さん=東京都国立市で

(左)2011年3月、福島第一原発事故直後、節電のためネオンや照明が消えた街並み=東京・銀座で
(右)自宅ベランダに設置したソーラーパネルで電力を調達している藤井さん=東京都国立市で

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