【3/12中日新聞・滋賀】原発ない社会を訴え 大津で「びわこ集会」/京都・福井・京都・岐阜・三重・・・各地の3.11デモ

びわこ集会へ行ってきた。大津からタクシーで膳所公園へ。なんと膳所駅にはタクシーがあるらしい。昔はなかったのに。
足をネンザしているからデモはパスするつもりだったけれど、講演会と映画を観てから湖畔のヴュルツブルグへタクシーを飛ばしWurst Platte でピルスナーとデュンケルを飲んだ勢いで、午後3時15分位に歩道でデモ隊に接近し、脱原発☆滋賀アクションの面々がマイクを握っておられるのを発見して合流、元パルコまで歩いて「義仲寺」から大津へタクシーで移動。

滋賀ヤサカ交通の運転手さん達は、3.11とかデモと聞くと「原発反対ってヤツですね!」「県庁前で時々座り込みされてますよなぁ」と嬉しい反応。

広河さんの講演はメモしているから、時間があれば文字おこしするかもしれない。

報道されていないので、大阪は開催されてなかったのかしら?っと毎年思うが、上牧行動主催者ご夫妻はエルおおさかへ行かれたらしい。

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原発ない社会を訴え 大津で「びわこ集会」

http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20180312/CK2018031202000004.html
【中日新聞・滋賀】2018年3月12日

原発のない社会を願い、デモ行進に出発する「びわこ集会」の参加者=大津市本丸町で
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福島第一原発事故の被災地に寄り添う「びわこ集会」が十一日、大津市本丸町の膳所城跡公園で開かれた。参加した一千人が市内をデモ行進し、原発のない社会の実現を願った。

集会では、福井県の関西電力高浜原発などの運転差し止めを裁判で主張する住民側弁護団長の井戸謙一さんが基調講演した。世論調査で原発再稼働の反対が七~八割に達していることを紹介し、「原発はいらないという市民の意識は定着している」と力を込めた。

事故後、福島県南相馬市から大津市に避難している青田恵子さん(68)は、避難者の置かれている苦しい心境を詩にして朗読。「避難者ではなく『難民』となった」と切実に訴えた。

集会後は、公園から旧大津パルコまでの二キロを歩き、「再稼働反対!」「琵琶湖を守れ!」とシュプレヒコールを上げた。

(角雄記)

 

 

大飯原発 3、4号機の再稼働中止訴え 5市町で110人デモ行進 /福井

https://mainichi.jp/articles/20180226/ddl/k18/040/105000c
【毎日新聞】2018年2月26日 地方版

デモ行進しながら大飯原発再稼働中止の必要性を記したビラを郵便受けに投函する参加者=福井県おおい町で、高橋一隆撮影

関西電力が来月以降に再稼働を予定している大飯原発3、4号機(おおい町)の再稼働中止を求めて、脱原発を目指す住民ら約110人が25日、敦賀、小浜、おおい、美浜、高浜の計5市町に分かれてデモ行進した。

参加者は「事故が起こってからでは遅すぎる」などとハンドスピーカーで訴え、各市町を回った。住宅地では、重大事故に備えて考えておくべきことや使用済み燃料がたまり続けることの危険性などを解説したビラを各家庭の郵便受けに入れた。

また同日、デモを呼びかけた「ふるさとを守る高浜・おおいの会」(東山幸弘代表)など県内外7団体は、再稼働中止を求めた要請書を原子力規制庁の西村正美・地域原子力規制総括調整官(福井担当)に手渡した。要請書では「(規制委と関電の)火山灰降下量の評価は過小。(再稼働)審査のやり直しの必要が生じている」などと主張した。【高橋一隆】

福島避難女性福井で訴え 原発のない社会

http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2018031202000199.html
【日刊県民福井】2018年3月12日

原発の事故が「起きてしまってからでは遅い」と訴えた木田節子さん(左)=11日、福井市のハピテラスで
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原発のない社会づくりを考える集会が十一日、福井市のJR福井駅西口にある屋根付き広場「ハピテラス」であった。東日本大震災の原発事故で、福島県富岡町から水戸市に避難している木田節子さん(63)が登壇し、関西電力大飯原発(おおい町)の3号機が十四日にも再稼働をすることに「福島のような大変な事態になっても、事故が起きてしまってからではもう遅い」と呼び掛けた。

木田さんは、毎年三月十一日に合わせて福島を伝える報道に関して、原発事故の爆発現場の収束状況や将来の見通しが中心になっているとする一方、「全国の原発が次々に再稼働されようとしていることは触れない」と指摘。「福島の避難者としては『あの日が繰り返されてしまう』と気掛かりでならない」と訴えた。

元京都大防災研究所助教授の赤松純平さん(74)=神戸市=も講演。大飯原発の基準地震動(地震の最大の揺れ)について、関電が敷地地盤の調査データを恣意的(しいてき)に解釈しているなどとして「原発の耐震安全性が担保されない」と述べた。

集会は、県内で脱原発を訴える団体などでつくる実行委員会が、震災翌年の二〇一二年から毎年開いている。この日は、三百五十人が参加した。 (鈴木啓太)

 

 

原発事故「避難する権利認めて」 京都で市民ら集会

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20180311000102
【京都新聞】2018年3月12日

集会で「バイバイ原発」などと書かれた紙を掲げる市民ら(11日午後2時55分、京都市東山区・円山公園音楽堂)

東日本大震災の発生から7年を迎えた11日、原発のない社会の実現を求める集会「バイバイ原発3・11きょうと」が京都市東山区の円山公園一帯で開かれた。東京電力福島第1原発事故の避難者のスピーチやデモ行進があり、「原発再稼働反対」「避難する権利を認めて」などと声を上げた。

脱原発を目指す市民や避難者でつくる実行委員会の主催で、約2500人(主催者発表)が集まった。福島県南相馬市から木津川市に避難している福島敦子さん(46)をはじめ、15日に京都地裁で判決がある原発避難者訴訟の原告9人が登壇。避難生活の苦労や子どもの健康被害への恐怖について次々に語り、「何が大事か。命です」「避難の権利と人権が認められることを願う」とスピーチした。

福島県浪江町から兵庫県に移り住む菅野みずえさん(65)も駆け付け、関西電力が表明する大飯原発3号機の再稼働が間近に迫ることに触れて「黙っていてはいけない。私たちが動かなければ、なじょすっぺ(どうするんだ)」と訴えた。

福島県出身のミュージシャン遠藤ミチロウさんらが結成したバンド・羊歯(しだ)明神によるライブもあった。集会後には「守ろう!子どもの未来」などと書かれた横断幕を掲げながら、中京区の市役所まで練り歩いた。

 

 

被災者に思いよせ、各地で催し 東日本大震災7年

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20180312/CK2018031202000021.html
【中日新聞・岐阜】2018年3月12日

東日本大震災の発生から七年がたった十一日、現地の復興を願うさまざまな催しが、県内各地であった。参加した人々は、被災者の声に耳を傾け、黙とうをささげて犠牲者の鎮魂を祈った。被災者に思いを寄せ、風化させまいと誓う人々の姿もあった。

◆「原発ゼロ」訴え200人が行進 岐阜

「原発いらない」などと呼び掛けながら練り歩く参加者=JR岐阜駅前で

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JR岐阜駅南側の清水緑地公園では十一日、「原発ゼロ」を訴える集会が開かれ、参加者約二百人(主催者発表)が市中心部をデモ行進した。

市民団体「さよなら原発・ぎふ」の主催。集会では、二〇一一年三月に福島県南相馬市から高山市へ避難してきた主婦小野久美さん(46)が、被災者の現状を伝えた。

小野さんは、長女が避難後に中学校でいじめに遭い不登校になったことや、高校生の長男が最近、甲状腺がんを心配していることなどを明かし「岐阜に(原発をつくるための)海はなくとも、原発には大反対だという意思表示をお願いしたい」と語った。

のぼり旗などを掲げた参加者は「さよなら原発、命が大事」などのシュプレヒコールを上げながら、市内を練り歩いた。

(北村希)

◆「勿忘の鐘」響く 本巣・光明寺

鐘を突く参拝者ら=本巣市政田の光明寺で

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本巣市政田の光明寺では、犠牲者の追悼や復興支援を目的に、鐘を突く催し「勿忘(わすれな)の鐘」が行われた。

二〇一二年から毎年開いている。地域住民ら約八十人が参加。発生時刻の午後二時四十六分に、東北地方の方角を向いて黙とうした。その後、復興への願いを込めながら、一人ずつ鐘を突いた。

門徒総代の若原一美さん(78)は「多くの人が来たのは、震災を忘れてはならないという思いからだろう」と話した。

震災後、毎年東北を訪れてボランティア活動に取り組んでいる、瑞穂市牛牧の円龍寺の若院(副住職)、鹿野映龍(えいりゅう)さん(44)による講演もあった。

(下條大樹)

 

さようなら原発 津で1000人パレード

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20180312/CK2018031202000018.html
【中日新聞・三重】2018年3月12日

「原発いらない」と声をあげる参加者たち=津市本町で
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反原発を訴える「さようなら原発三重パレード」が十一日、津市内であり、参加者約千人(主催者発表)は「私たちの未来に原発いらない」と書かれたプラカードを掲げて市街地を練り歩いた。

市民団体や労働者団体が主催。午後二時半ごろ同市本町の津球場公園を出発し、津市役所前までの約一・二キロを歩き「原発いらない」「再稼働反対」と声を合わせた。

同公園では福島第一原発事故で被災し、現在は大台町で暮らす日本人初の宇宙飛行士で元TBS記者の秋山豊寛さん(75)が講演。「原発はいらないという考えを広めていこう」と呼び掛けた。

秋山さんは一九九五年にTBSを退職後、福島県でシイタケ栽培をしていたが、原発事故を受けて京都に避難。昨年四月から大台町で暮らしている。

六歳の長女を連れてパレードに参加した名古屋市の主婦斉藤紀子さん(39)は「子どもを守りたいという思いがある。原発のない社会を目指したい」と話した。

(佐藤裕介)

 

原発なくても暮らせる社会を 各地で集会

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180312/KT180311SJI090018000.php
【信濃毎日新聞】 (3月12日)

「原発再稼働を止めろ」などとシュプレヒコールを上げながら市街地をパレードする参加者=伊那市

東京電力福島第1原発事故も発生から11日で7年となり、県内各地で原発ゼロや脱原発などを訴える集会や街頭での行進があった。

伊那市の中心部では「フクシマを忘れない!3・11上伊那アクション」があった。約230人が参加し、原発ゼロを目指して取り組むなどとするアピールを採択。約3キロを行進し、「子どもを放射能から守れ」などとシュプレヒコールを上げた。福島県南相馬市から十数年前に伊那市西箕輪に移住した主婦の荒(あら)恵子さん(75)は「原発がなくても暮らせる社会の実現を訴える輪を広げたい」と話した。

佐久市佐久平駅南の市民交流ひろばでは、佐久地域の有志団体「3・11佐久ネット」が脱原発を訴える集会を開催。約170人が集まり、バンド演奏などで訴えた。団体代表の半田小百合さん(佐久市)は「原発NOを胸に刻んで生きていく」と話していた。

長野市では、市民有志企画の「フクシマを忘れない!ひろげよう脱原発!3・11長野行動」に約300人が参加。集会や行進で脱原発を訴えた。実行委共同代表を務める同市の田沢洋子さん(62)は集会で「少しでも早い原発からの撤退を望む」と訴えた。

上田市では脱原発を訴える集会とパレードがあった。市民有志らでつくる「つながる会」が主催。集会で同会の大村忠嗣さん(71)は「再び事故が起きたらどうなるか。想像力を働かせなければいけない」と呼び掛けた。集まった約50人は市内を行進した。

松本市街地では県内有志の「脱原発信州ネットワーク・松本」が集会や行進を行い、約600人(主催者発表)が参加。代表で元高校長の西村忠彦さん(88)=松本市=は「原発災害に苦しむ福島の苦悩をよそに、原発・核廃絶への願いに反し、理不尽な核依存への動きが容赦なく進められている」と語った。

諏訪地方の有志でつくる「脱原発すわ連絡会」は諏訪市文化センターで集会を開いた。JR上諏訪駅前で毎週末に原発反対を訴えているグループの会員、薮内幸子さん(68)=諏訪郡下諏訪町=は「3月末で300回の節目。命を守るため、こうした活動が必要なくなるまで続ける」と話した。出席者70人ほどがセンター近くを行進した。

 

塩尻市民有志ら脱原発訴えデモ

http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180311/KT180310FTI090007000.php
【信濃毎日新聞】 (3月11日)

原発再稼働反対を訴えデモ行進する参加者たち=10日、塩尻市

塩尻市民有志でつくる「脱原発社会をめざす塩尻の会」は10日、原発再稼働反対や脱原発を訴える集会を塩尻駅前で開いた。約70人が参加し、集会後は「原発なくても電力足りる」などと声を上げながらデモ行進をした。

集会で、東日本大震災後の2011年5月に福島県西郷村から自主避難した森永敦子さん(58)=松本市=は、「『3・11』は今何が起きているのかをもう一度議論する日であり続けてほしい」と訴えた。

同会は震災後から脱原発を求めるデモ活動を始め、今回が8回目。世話人の鈴木明子さん(68)=塩尻市=は「原発を無くすという目標を達成するまで塩尻から声を届け続けたい」と話していた。

 

岡山からも「3・11」へ祈り 犠牲者弔い、脱原発訴える集会

http://www.sanyonews.jp/article/681378/1/?rct=chiiki_syakai
(2018年03月11日 08時33分 更新)【山陽新聞】

震災犠牲者を悼み、黙とうをささげる参列者

東日本大震災の犠牲者を弔い、脱原発を訴える集会「3・11への祈り」が10日、岡山市中心部で行われた。岡山県内の被災者支援団体や宗教関係者などによる実行委が開いた。

岡山バプテスト教会(同市北区田町)では、約100人が参列して追悼の祈りをささげた。犠牲者の供養を続けている長泉寺(同市)住職の宮本龍門実行委員が「亡くなった方の声なき声を聴き、その人の分まで生きていく責任が私たちにはある」とあいさつ。震災発生時刻の午後2時46分、全員で黙とうし、失われた多くの命をしのんだ。

福島県から岡山県に移り住んだ男女2人がそれぞれの体験と今の思いを発表。エネルギーをテーマに講演会もあり、木質バイオマス発電に取り組む真庭市、自然エネルギーの普及を進める「おかやまエネルギーの未来を考える会」(岡山市)などが事例報告した。

約300人が脱原発を呼び掛けるウオークもあった。

 

高知市で伊方原発の再稼働反対訴え 脱原発の市民団体デモ

https://www.kochinews.co.jp/article/166863/
2018.03.12 08:40【高知新聞】

のぼり旗などを示して訴える参加者(高知市本町3丁目)

脱原発を訴える集会「3・11を忘れない! こうちアクション」が11日、高知市内で開かれた。約230人が参加し、デモ行進で四国電力伊方原発(愛媛県伊方町)の再稼働反対などを訴えた。県内の市民団体などでつくる「原発をなくし、自然エネルギーを推進する高知県民連絡会」の主催。

丸ノ内緑地で開かれた集会では、昨年12月に広島高裁が伊方原発3号機の運転を今年9月末まで差し止める決定をしたことに触れ、参加者が「国民の大半が原発事故を恐れている。これからも諦めずに原発はだめだと意思表示をしないといけない」「次の世代に思いを伝え、危機感を共有しないといけない」と訴えた。…

 

さよなら原発パレード 集会とデモ行進 久留米 /福岡

https://mainichi.jp/articles/20180311/ddl/k40/040/240000c
毎日新聞2018年3月11日 地方版

東日本大震災の原発事故を受けて脱原発をアピールする市民らの集会とデモ行進「さよなら原発パレード」が10日、久留米市東町の東町公園であった。

市民ら約100人が参加。集会であいさつに立った実行委員会の共同代表、馬奈木昭雄弁護士は「今の政府は命よりカネもうけが大事と原発の再稼働や輸出を進めている」と政権を…

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脱原発、諦めない 国会前集会

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201803/CK2018031202000119.html
【東京新聞・社会】2018年3月12日 朝刊

脱原発集会で登壇者に声援を送る参加者ら=11日午後、東京・永田町で

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脱原発を訴える大規模な集会が11日、国会周辺であった。約5000人(主催者発表)が「福島の事故を忘れない」「原発やめろ」と声を張り上げた。

毎週金曜日に首相官邸前で脱原発を訴え続ける「首都圏反原発連合」が主催した。国会正門前に設けたステージでは、認定NPO法人「いわき放射能市民測定室たらちね」(福島県いわき市)の鈴木薫事務局長が登壇。東京電力福島第一原発事故の直後から被災地の放射線量の調査などを続けており、「子どもたちの心と体の健康不安が続く。電気は必要だが、原発でなくていい」と訴えた。

野党の国会議員も次々とマイクを握り、立憲民主、共産、自由、社民の4党で「原発ゼロ基本法案」を衆院に提出したことが報告されると、拍手がわいた。

新潟市から駆けつけた主婦五十嵐ノブ子さん(69)は、地元で東電柏崎刈羽原発の再稼働に反対し、「脱原発へ、福島の皆さんと一緒に諦めず頑張りたい」。東京都八王子市の大学生尾林哲矢さん(20)は、「今も避難者は多く、原発再稼働はとんでもない」と話していた。 (山本哲正)

 

「原発のない未来を」小田原で脱原発パレード

神奈川新聞2018年03月12日07時01分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kanagawa/region/kanagawa-106226134

「原発のない未来を」小田原で脱原発パレード

脱原発を訴える「さよなら原発小田原パレード」が11日、小田原駅東口周辺で行われた。原発事故でふるさとを追われ、7年が過ぎても人生を狂わされたままの避難者に思いをはせ、「原発はもういらない」と声を上げた。 パレードは、脱原発を目指して活動する市民グループなどでつくる実行委員会が、東日本大震災が起きた11日に合わせ、2013年から実施している。 実行委の小林恵二共同代表(71)は参加者約180人(主催者発表)を前に、「東日本大震災から、私たちは放射能の怖さ、自然エネルギーの大切さ、原発と人とは共存できないことを学んだ」と指摘。「にもかかわらず、あくまで原発にしがみつき、危険な未来を押し付けている」と再稼働に突き進む国の姿勢を批判し、「原発のない、正常な未来を求めていこう」と呼び掛けた。 参加者は「原子力より愛の力を」「原発いらない」などのメッセージが書かれたボードや、赤やピンク、白色の風船などを手に、音楽に合わせて行進。約1時間かけ、同駅東口周辺約1・6キロをパレードした。

 

「放射線は今も出続けている」 厚木で「さよなら原発パレード」

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201803/CK2018031202000136.html
【東京新聞・神奈川】2018年3月12日

「原発なくそう」と本厚木駅前を行進する二階堂さん(手前)=厚木市で
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東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から、十一日で七年を迎えた。県内では、津波などで亡くなった犠牲者の冥福を祈り、復興を願う催しや、「原発なくそう」と呼び掛けるデモ行進などがあった。

厚木市の本厚木駅周辺では「さよなら原発パレードinあつぎ」があった。福島県浪江町から愛川町に避難中の二階堂政博さん(87)は「何もなくなったむなしさでいっぱい」という思いを抱え、約百三十人の行進に加わった。

高級魚ヒラメの産地で知られる浪江町請戸(うけど)地区で、一人暮らしをしていた二階堂さん。海沿いの自宅は高さ十五メートル近い津波にのまれた。福島第一原発から北に約五キロ。放射線の影響を巡る情報が錯綜(さくそう)する中、四つの避難所を転々とし、一カ月後に息子のいる厚木市に近い愛川町に身を寄せた。

故郷では、自宅から約四キロ離れた実家の畑で稲作をする悠々自適な日々だったが、一転した。避難先でやることもなく、「しばらく何も考えられなかった。時間がくれば三度の食事をするだけ。まるで家畜のようだと感じた」と振り返る。

「七年たって、ようやく精神的に少し安定してきた」というが、故郷の友人らは既に散り散り。避難先に自宅を構えた知人もいる。避難指示は解除されたが、「帰っても何もない。帰れる状況じゃない」という。

実感をこめて言葉を継いだ。「地震と津波だけならこれほど避難は長くならなかったと思う。目に見えず、においもしない放射線は七年たっても出続けている。原発の怖さです」 (井上靖史)

 

「原発ゼロへ」県内からも 中原平和公園 市民集会に1100人

http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201803/CK2018031202000128.html
【東京新聞・神奈川】2018年3月12日

集会で「原発ゼロ」などと書かれたカードを掲げる参加者=中原区で

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東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から、十一日で七年を迎えた。県内では、津波などで亡くなった犠牲者の冥福を祈り、復興を願う催しや、「原発なくそう」と呼び掛けるデモ行進などがあった。

川崎市中原区の中原平和公園では、市民集会「原発ゼロへのカウントダウンinかわさき」が開かれ、脱原発を願う約千百人が参加した。

弁護士や元教員らでつくる実行委員会の主催で二〇一二年三月から毎年開いており、七回目。

メイン集会では、福島県北農民連の服部崇事務局長が、県内各地の使われていない農地に太陽光発電所を造る取り組みを紹介。「原発ゼロを実現するまで闘い続ける」と宣言すると、聴衆から拍手がわいた。原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の三上元(はじめ)幹事は、野党四党が衆院に提出した「原発ゼロ基本法案」の可決に向け「国民運動にしなくてはならない」と訴えた。

その後、参加者らは「原発なくそう 未来のために」「再稼働やめよう 安心したい」などと声を上げながら、会場から武蔵小杉駅までデモ行進した。

高津区から参加した無職森ちづ子さん(69)は「震災から七年たってもふるさとに帰れない人がたくさんいる。原発に頼らないエネルギー政策にどう取り組むかは地球全体の課題」と話した。 (小形佳奈)

 

独ベルリンで  震災と福島原発事故から7年で

http://www.shinmai.co.jp/news/world/article.php?date=20180311&id=2018031101001195
【信濃毎日新聞】 (3月11日8時52分)

10日、ベルリンで原発の即時停止や核兵器の廃絶を求め、デモ行進する市民ら(共同)

【ベルリン共同】ドイツの首都ベルリンで10日、市民や現地在住の日本人が東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で7年となるのを前に、再生可能エネルギーを象徴する紙製の風車を掲げてデモ行進し、原発の即時停止や核兵器の廃絶を求めた。

ベルリン中心部のブランデンブルク門前を約200人が出発し、観光名所となっている並木通りを「フクシマはどこでも起こり得る」などと連呼しながら練り歩いた。参加したベルリンのハンスウルリヒ・クーリシュさん(76)は「これからの世代のためにも、福島の事故を決して忘れてはならない」と話した。

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