10/7<除染土の行方>帰還困難区域 福島・飯舘村 苦渋の選択、長泥地区【東京新聞・特報】

<除染土の行方>帰還困難区域 福島・飯舘村

  苦渋の選択、長泥地区

   再利用、除染の条件

     農地造成に→復興拠点広く

2018年10月7日【東京新聞・こちら特報部】

東京電力福島第一原発から北西におよそ三十キロ離れた福島県飯舘村長泥地区。多くの放射性物質が降り注ぎながら避難指示が遅れ、今も帰郷がかなわない帰還困難区域に指定される。不条理はこれにとどまらない。ほかの地区から持ち込まれた除染土を使って農地造成する事業が計画されているためだ。さらなる負担を強いられるのはなぜか。元区長の杉下初男さん(68)=同県伊達市=と現地を訪れながら背景を探った。 (榊原崇仁)

秋雨の合間に青空がのぞいた先月二十六日。軽トラックが阿武隈山系にあるゲート前に着いた。「この先 帰還困難区域につき通行止め」と書いた看板が見える。運転席の杉下さんは通行証を警備員に示し、長泥地区へ車を進めた。

道路脇ではススキが伸び、イノシシが土を堀った跡も目立つ。坂を下ると、何台ものダンプカーとすれ違う。やがて見えたのは除染土入りのフレコンバッグ。かつて水田だった場所で何段にも山積みされる。

「長泥で除染した土でねえど」。杉下さんが教えてくれる。「村のよその地区から持ってきてて。再利用に使うやつを。さっきのダンプは袋運んだ帰りだべ」

さらに進み、再利用の予定地に向かう。地区を東西に流れる比曽川沿いだ。そばの道路から一段低い。以前は田畑だったというが、やぶが広がっている。

今の計画では、村内のほかの地区から持ち込んだフレコンバッグ手を開き、放射能濃度が比較的低い除染土を選別して盛り土にした上、覆土をかぶせて新たな農地を造成する。広さは三十四ヘクタールに及ぶ。荒れた田畑を一新し、区画を整理できる利点があるが、地元が再利用を求めたのではない。「こっちの願いは除染。長泥が汚されたままの土地じゃ困る。広くやってくれって言ってたら環境省や村から話が来た」

「除染のために除染土を引き受ける」という矛盾したような状況は、ある仕組みから生じた。

避難区域のうち居住制限、避難指示解除準備の両区域は全域的に除染を実施し住民帰還を広く促そうとした一方、汚染が深刻だった帰還困難区域は「効果的な手法を検討する」として除肢が先送りされてきた。

事態が動いたのは二O一六年八月。政府は帰還困難区域のうち線量が比較的低く、農業や商業などの活動や住民帰還が見込めるエリアは復興拠点とし、五年後をめどにした避難指示解除に向け、除染とハード整備を進める方針を示した。つまり、市町村が国や住民と協議して決める拠点のエリアに入れば除染されることになり、拠点外の扱いは「今後検討」とされた。

長泥地区の人口は二百五十人程度で、村の中心から離れた最南端にある。帰還者数が見通しにくく、当初は集会所を中心にした二ヘクタールほどの拠点案が村から住民側に示された。

杉下さんらは話を聞くうちに不信感を募らせた。「拠点から外れると除染されないまま放置され、避難指示が解除されるんじゃねえのって。それじゃ、故郷に戻る意欲がなくなる」。改めて「この条件をのめば広く除染する」と提案されたのが再利用だったという。

住民「帰郷の希望に」

 計画書に「仮置き場早期解消」も

 「汚染物は東電が引き取りを」

環境省や村によると、次のような経過をたどった。

同省は二O一六年六月、除染土の最終処分の量を減らすために再利用の考え方をまとめ、市町村に再利用を呼び掛けた一方、復興拠点について飯館村などと協議。その中で除染土による農地造成が浮上した。営農再開の基盤を広く設ければ帰還の促進、さらに除線対象となる復興拠点の範囲も拡大できるとして住民側に提案した。

「地元としては苦渋の決断でのんだ。故郷がある以上、戻る希望を残したかったから」(杉下さん)

今年四月、拠点の構想が決まった。範囲は農地造成分を含む百八十六ヘクタール。地区内の約七十世帯のうち大半が除染対象になったという。計画書では「除染土の仮置き場の早期解消を実現」「国益に資する先駆的取り組み」と底意識が強調された。しかし、心配は残る。

長泥の住民代表と学識者が再利用について議論する協議会が八月に始まったものの、造成に使う土壌の基準値は示されなかった。委員でもある杉下さんは「本当に汚染の程度が低い土が使われるのか」と語る。

全村避難となった飯館村だが、長泥以外は除染がほぼ終わり、避難指示は解除された。「なんで長泥だけ条件をのまないと広く除染してもらえねえのかな」。帰還困難区域がある葛尾村にも自が向く。「小さな集落に復興拠点ができるんだけど、除染土を再利用しなくてもいい。それでも広い範囲で除染する」

杉下さんの自宅に着く。屋外の空間線量は毎時三・七マイクロシーベルトという。数十メートル先のモニタリングポストの値は一・八マイクロシーベルト近くだが「あそこら辺だけ、防火水槽があるから除染してある」。

石材加工業を営む杉下さんの工場も近くにある。休業中ながら時折、機械の調子を確認している。「六十歳を超えて余裕が出たとこで原発車故。楽しい人生が一瞬で終わった」。故郷の今後も思うままにならず、「住民の意見が大事にされないのはおかしいよ」。

長泥地区の中心部の西側にはフレコンバッグの除染土を選別するヤードが平らに整えられていた。今後、大型の機械が搬入される。奥にある数軒の民家は「もう住めないから」と解体される。本年度中には作物の試験栽培などが行われる。「長泥はたたき台。村外でもやるための」と感じる一方、「他の県で除染土を受け入れてくれるとこってないでしょ。よそに迷感もかけたくねえべ」と漏らす。

原発車故後から長泥地区で線量測定を続ける「飯館村放射能エコロジー研究会」の面々は現状を憂える。

「国は再利用を進めるため、除染を願う村民の気持ちを逆手に取って話を進めていないか」。日本大の糸長浩司特任教授(環境学)はそう疑う。

国のしたたかさは過去にも見られた。前出の再利用の考え方では当初、用途を道路や防潮堤などに限ったが、翌年以降、緑地や農地でも使えるようにした。

京都大複合原子力科学研究所の今中哲二氏は訴える。「除染土再利用の問題は廃炉で出る廃棄物やトリチウム汚染水にもつながる。汚染された物は原因者の東京電力が引き取るのが原則。除染や帰還は別の話であって、戻りたい希望があるなら国や自治体はきちんと向き合うべきではないか」

(デスクメモ)
放射性物質が降り注いだ故郷が汚されたままだなんて、大地を守る者のプライドが許さない。「元に戻して」という住民の願いがそのままでは聞き入れられず、新たに除染を引き受けさせられる。これが選択か。原発事故を起こした加害者の国や東京電力の開き直りには際限がない。(直)  2018・10・7

(写真)
他地区から運び込まれたフレコンバッグ。地区内の除染はこの2日後から始まった。(上)は帰還困難区域前のゲート。今も立ち入りが規制されている=福島県飯館村長泥地区で

▲故郷への思いを語った杉下初男さん

農地造成に使う除染土の選別ヤードの予定地 (左)は毎時1.8マイクロシーベルト近くを示すモニタリングポスト=福島県飯館村長泥地区で

広告
カテゴリー: 放射能汚染, 中日東京新聞・特報, 今中哲二 パーマリンク