1/21「背信の果て」(1) 消えた双葉町の「一〇〇ミリシーベルトの少女」/原発近くの子ども対象外/線量測定 わずか1080人(東京新聞・特報)

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11歳少女、100ミリシーベルト被ばく 福島事故直後 放医研で報告

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019012190065749.html
【東京新聞・社会】 2019年1月21日 06時57分

東京電力福島第一原発事故の直後、福島県双葉町にいた十一歳の少女が、喉にある甲状腺に推計で一〇〇ミリシーベルト程度の被ばくをしたと報告されていたことが、国の研究機関・放射線医学総合研究所(放医研)の文書から分かった。一〇〇ミリシーベルトは国などの資料で放射線の影響でがんの発症が増加し得る目安として使われてきた。しかし、国はこれまで「一〇〇ミリシーベルトの子どもは確認していない」と発表し、この報告は伏せられていた。 (榊原崇仁)

文書は、事故から二カ月後、二〇一一年五月二日の放医研の「朝の対策本部会議メモ」。本紙の情報開示請求で公開された。それによると、会議では、十一歳の少女の実測値が「頸部(けいぶ)5-7万cpm(GMで測定)」と示され、「取り込みが3日前として、甲状腺等価線量で100mSv程度」と報告があった。

甲状腺は首の部分にあり、放射性ヨウ素が集まりやすい。国や福島県の公表資料には「がんのリスクは一〇〇ミリシーベルト未満で検出困難」「チェルノブイリ事故では一〇〇ミリシーベルト以上でがん発症」と記されている。

メモや関連文書などによると、測定したのは県職員の放射線技師。県は事故直後から、避難者らの体についた放射性物質を調べ、除染する検査を実施しており、この技師は三月十三~十五日、派遣された同県郡山市の会場で、頭や衣服などの汚染を調べていた。検査機器として「GMサーベイメータ」が使われた。甲状腺の放射性ヨウ素の測定は通常、体内からの放射線を調べやすい「NaIサーベイメータ」を使うが、技師がいた検査会場にはなく、GMで代用したとみられる。

記録も混乱の中で書き残されなかったが、結果は一一年四月、検査応援のために福島滞在中の徳島大の誉田(ほんだ)栄一教授と佐瀬卓也講師(現・核融合科学研究所准教授)に伝えられたという。

佐瀬氏はサーベイメータで示された汚染の程度から、少女の甲状腺に取り込まれた放射線ヨウ素を「十数キロベクレル相当」と試算し、現地にいた放医研職員に連絡。この試算を基に、会議で「一〇〇ミリシーベルト」が報告されたとみられる。徳島大の二人によると、技師は「少女は爆発があった時、『(原発がある)双葉町にいて友だちと外で遊んでいた』と話していた」という。

政府の原子力災害現地対策本部は一一年三月下旬、NaIを用いて十五歳以下の子どもの被ばく線量を測定し、すべて一〇〇ミリシーベルトの基準を下回ったと発表した。しかし、対象は避難や屋内退避が指示されなかった原発の三十キロ圏外の地域で、調べたのも千八十人のみ。事故当時、双葉町の少女らは、この測定から漏れた可能性が高い。

放医研はこの値について「対策会議で出た情報を基にその場で簡易的に算出したもの。精密に検討しておらず、公表していない」とコメントしている。

<放射線医学総合研究所> 第五福竜丸事件を受けて1957年に設立。国の指針類では福島第一原発事故当時、「緊急被ばく医療体制の中心的機関」と位置付けられ、詳細な線量評価を担うほか、関係機関に対する助言や高度専門的な治療を行うと記されていた。所在地は千葉市稲毛区。

(東京新聞)
情報開示された「朝の対策本部会議メモ」(一部拡大)
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「背信の果て」(1) 消えた双葉町の「一〇〇ミリシーベルトの少女」

原発近くの子ども対象外

 線量測定 わずか1080人

2019年1月21日【東京新聞・こちら特報部】

東京電力福島第一原発事故後、福島県は子どもの甲状腺がんを調べる検査を始めた。対象者は約四十万人。通常より多く見つかり、疑いを含め二百六人に上る。国や県は、がんの原因となり得る被ばくの線量が少ないことを主な理由にして事故の影響を否定する。しかし国が被ばく線量を測った子どもは千八十人のみ。今回判明した「一〇〇ミリシーベルトの少女」は漏れた公算が大きい。被害の全体像から目を背けた裏に何があったのか。情報開示請求で入手した文書で「背信」の数々を明らかにする。 (榊原崇仁)

「被害隠したいのバレバレ」

 チェルノブイリ 30万人超調査

「100ミリシーベルトの少女」が福島県双葉町にいたとされる事故発生時、同県中通り地方で暮らす中学三年生だった女性。大学進学後、甲状腺がんが見つかった。二十代の今、「私の家系で甲状腺がんになった人はいない。被ばく以外に原因が考えられない」と語る。

甲状腺は新陳代謝に関わるホルモンを分泌する器官。事故で放出された放射性ヨウ素は呼吸などで体に入ると甲状腺に集まり、がんの原因となる内部被ばくをもたらす。一九八六年のチェルノブイリ原発事故で、特に子どもの甲状腺がんが多発した原因とされる。がんの検査を行う県の質料にも、同事故で「一O0ミリシーベルト以上でがん発症」とある。

ニO一一年三月、原発が次々と爆発し、大量の放射性物質が放出された。両親は「家の中にいて」と娘の身を案じた。それでも、進学する高校の手続きなどで外に出て、雨にも濡れた。四年後、大学生の時に福島県の超音波検査を受けた。その後、県立医科大に呼ばれ、詳しい検査の後、「甲状腺がんです」と宣告を受けた。「私は覚悟してたけど、母の泣きそうな顔を見るとつらかった」

医大の患者対応に信頼が持てず、手術は別の病院で受けた。転移はなく、今は東京都内の会社で働く。時々、再発しないか不安になる。そしてもう一つ、消えない思いがある。「事故のせいでは」

国、県はその思いを認めない。被災した人たちはそれほど被ばくしていないから、関連性は「考えにくい」という理屈だ。

根拠の一つとなる甲状腺の被ばく測定は、国が一一年三月下旬に行った。対象は、避難や屋内退避の指示が出なかった原発から三十キロ以上離れた地域。福島県いわき市と川俣町、飯舘村で十五歳以下の千八十人を調べて打ち切った。この結果などを基に「線量が少ない」としている。

だが、この数はチェルノブイリ事故の被災三カ国で測定した計三十万人以上と比べて少なすぎる。福島県が甲状腺がんの検査対象とした事故当時十八歳以下の県民約四十万人に占める割合も0.3%でしかない。

実は、車故時、すでにあった国の指針類や福島県のマニュアルでは、放射性ヨウ素による内部被ばくを想定し、対応を示していた。

チェルノブイリ事故後、子どもの甲状腺がんが多発したことも含め、国は当然甲状腺被ばくの危うさを知っていた。それなのに、国は大多数の被災者の被ばく線量を測定しなかった。放射性ヨウ棄の半減期は八日と短く、二、三カ月で消えてしまうため、今から測定し直すこともできない。

女性も測定を受げておらず、憤りを隠さない。「もうバレバレですよね。被害を隠したいっていう意図が。世界的に起きたことがないような事故だから、いろんなデータを取らないと何も分からないのに。結局、補償を払いたくないんでしょうね」

放医研部長 少女推計「記憶にない」

 会議メモ 理事長「影響少ない」

国や県は被ばくの状況をどう認識していたのか。なぜ測定はこの数にとどまったのか。この疑問から情報開示を請求した。入手した公文書は二万枚を超えた。判明した一つが放射線医学総合研究所(放医研)で報告された「十一歳の少女で一00ミリシーベルト」の推計結果だ。関連文書には徳島大の誉田-ほんだ-栄一教授(歯科放射線学)と佐瀬卓也講師(放射線計測)の名。佐瀬氏は今、核融合科学研究所(岐阜県土岐市)の准教授だ。

二人は事故翌月の一一年四月、福島県が行う住民らの体表面の汚染検査の応援で同県内にいた。出会った一人が県会津保健福祉事務所の男性放射線技師で、誉田氏は「高い値を示す子どもがいたと相談された」と話す。

技師は同年三月十三日~十五日、同県郡山市内の体育館で体表面の汚染を検査。一分間に飛ぶ放射線の数を調べる「GMサーベイメータ」で、髪や衣服の汚染程度を調べていた。検査の中に十一歳の少女がいたという。佐瀬氏は「技師が首元の髪を測ると高値が出た。『おかしいな』と近くにある喉も測ったようだ」と語る。放射性ヨウ素は体内に入ると、喉にある甲状腺に集まることが知られている。

首の皮膚表面に付いた汚染は先にウエットティッシュでふき取った。それでもGMの値は「五万~七万シーピーエム(cpm)」。

混乱の中で記録はなく、技師の証言だけだが、喉で出た高値として二人は強く記憶していたという。

佐瀬氏は人間の模型を使い、GMで喉を測った場合の値と甲状腺の放射性ヨウ素の量の関係を調べた経験があり、「五万~七万cpm」を基に、甲状腺の放射性ヨウ素の量を「十数キロベクレルだった可能性がある」と計算した。そして、福島にいた一一年四月中に放医研の職員へ伝えた。

その後、取材を進め、この技師が判明した。既に定年を迎え、今は入院中のため会うことはできず、少女の特定には至らなかった。

一方、開示された一一年五月二日の放医研の「朝の対策本部会議メモ」などにもこれらの値が確認でき、「山田部長」が十一歳の少女について「一OOミリシーベルト程度」と説明したと配されていた。

放医研は取材に「線量推計の値は、会識で報告された情報を主に出席者がその場で算出したと認識している」と文書で回答。当時の被ばく線量評価部長、山田裕司氏は「対策会議は幹部が集まり、情報共有と議論をする場。山田部長は私と思う」と認めつつも、100ミリシーベルトの推計は「記憶にない」。

国が千八十人の子どもの甲状腺被ばく線量を測ったのは一一年三月下旬。この会議の前、すでに「全員が一OOミリシーベルトの基準を下回った」と発表されていた。一方、専門家は当時「発がんリスクが明らかに増えるのは一00ミリシーベルト以上」と喧伝-けんでん-していた。この時期に少女の結果が知られていたら、衝撃が走ったはずだが・・・。

山田氏は、一00ミリシーベルト推計の基となったGMによる測定が問題観されたと推測する。甲状腺被ばく線量の測定は通常、体内からの放射線を調べやすい「NaIサーベイメータ」を使うからだ。技師の検査会場にはNaIがなく、GMで代用したとみられ、制度に問題があると考える。

しかし、文書からはこの点が議論された様子はうかがえない。一OOミリシーベルトに対する理事長コメントは「それなら影響は少ないでしょう」。少女の存在は以後、長く消えることになった。

開示請求で得た文書には、最初の爆発があった翌日、一一年三月十三日付の放医研対策本部名義の文書がある。「ハイリスク群」に自衛隊や消防と並んで双葉地区の住民が含まれ、「詳細なサーベイが必要」とあった。

徳島大の二人が技師から聞いた話だと、原発が爆発した時、十一歳の少女は双葉町で友だちと遊んでいたという。三月十三日の認識に従えば、「詳細なサーベイが必要」なはずだ。しかし、同月下旬に国が行った甲状腺測定は原発近くの子どもは対象ではなかった。

(((デスクメモ)))
今回、明らかになった「一OOミリシーベルトの女の子」。彼女を不確かな推計結果とみるか、氷山の一角とみるか。事の重大さを考えれば、後者とみて対応すべきではなかったか。同様に、原発事故は多様な局面で真実追求の道がゆがめられてきた。「背信の果て」は、その現場を検証する。(典) 2019・1・21

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