7/8原発反対、最期まで 小林圭二(こばやし・けいじ)さん 元京都大原子炉実験所講師【毎日新聞・朝刊・悼む】膵臓がんなどのため、5月27日死去・80歳

じゃっくどんどん氏に記事画像を頂戴した。

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原発反対、最期まで

小林圭二(こばやし・けいじ)さん 元京都大原子炉実験所講師

 膵臓がんなどのため、5月27日死去・80歳

【毎日新聞・朝刊・悼む】2019年7月8日

写真は
https://mainichi.jp/articles/20190708/ddm/005/070/035000c

=大阪府熊取町の京都大原子炉実験所で2003年

 

原発の危険性を指摘してきた京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)の研究者「熊取6人組」の一人。当初は「原子力が未来を切り開く」と考え、埼玉県立熊谷高から京大工学部原子核工学科に入学した。学生運動をしたが、1964年の入所時も推進派だった。

しかし、60年代後半から学問のあり方を問い直す全共闘運動に触発され、原発開発に疑問を持つ。やがて住民が国を相手に伊方原発(愛媛県伊方町)設置許可取り消し訴訟を起こすと、支援に回った。

最も専門性を生かしたのは、核物質のプルトニウムを有効利用できると宣伝された原発構想「高速増殖炉」に対する批判だった。その原型炉「もんじゅ」が福井県敦賀市に建設される中、米国、ドイツ、英国が開発に挫折した複数の要因を研究した。実際にもんじゅで95年、この挫折要因の一つの冷却材のナトリウムが漏れて火災が発生した。

関西の市民団体「ストップ・ザ・もんじゅ」が国などを相手に公開討論会を10回以上開くと、市民側も登壇し「早く撤退を」と訴えた。「”えらい学者さん”ではなく、何でも聞けて教えてくれる仲間」と慕われた。取材も懇切丁寧に応じるのが常だった。

もんじゅでは、その後もナトリウム絡みの故障や不祥事が続き、政府は2016年12月、廃炉を決めた。膵臓がんの手術などをして闘病中の容体が急速に悪化したのはそのころだった。

だが、もんじゅと類似の原発の構想が浮上すると、声を振り絞った。「構想は、放射性廃棄物を都合良く減らせるとうたうが、現実的ではなく、だまされてはいけない」

著書に「高速増殖炉もんじゅ 巨大核技術の夢と現実」など。 【大島秀利、写真も】

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