6/29 「反原発6人組」の静かな闘士【朝日新聞・惜別】原発研究者・元京大原子炉実験所講師 小林圭二さん【黙翁日録さんより】

毎日新聞の記事を頂いてから、朝日新聞と週刊金曜日にも小林さんの追悼記事があることを知った。
朝日は有料記事だったけれどWeb上に画像があった。黙翁日録さん、ありがとうございます。

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【惜別】 原発研究者・元京大原子炉実験所講師 小林圭二さん 「反原発6人組」の静かな闘士

(『朝日新聞』2019-06-29)

http://mokuou.blogspot.com/2019/07/62019-06-29.html
【黙翁日録・画像より】2019年7月4日

 

【惜別】原発研究者・元京大原子炉実験所講師 小林圭二さん

「反原発6人組」の静かな闘士

京都大学で原子工学を学んだ後、大阪府熊取町の京大原子炉実験所(現・京大複合原子力科学研究所)に入った。同僚5人と反原発の専門家集団として、市民活動を支えた。

知人の大島茂士朗-もしろう-さん(65)は「大学時代は安保闘争に関わった。最初は原発容認派だったがしだいに反原発に変わった」と話す。「研究すればするほど、危ないものだと感じるようになった」と聞いた知人もいる。

1973年に始まった四国電力伊方原発(愛媛県)の原子炉設置許可取り消しを求めた訴訟では、原告住民を支援。80年には原発の安全をテーマに市民も参加できる自主ゼミを始めた。

「熊取6人組」。人々は彼らを、こう呼んだ。

6人組の中でも原子炉物理に精通していた。炉内でプルト二ウムを増やす高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県)の反対運動に力を入れた。94年に「高速増殖炉もんじゅ 巨大核技術の夢と現実」を刊行し、高速増殖炉の危険性や技術的な問題点を指摘した。反対運動を技術面で支える大きな存在だった。

6人組のうち最後まで実験所に残っていた今中哲二さん(68)の退職を機に、2016年に開かれた自主ゼミ。パーキンソン病や膵臓-すいぞう-がんを患いながあ、難病の妻の介護に追われる日常を明かした。続けて「反原発に引き続き貢献していきたいが、事情をくんで、きつい要求はなさらぬように」とちゃめっ気たっぷりに諦めて笑いを誘った。

あまり知られていないが、登山愛好家だった。山仲間からは「ケイさん」と呼ばれた。

「画壇の仙人」と呼ばれた熊谷守一の次女で画家の熊谷榧(かや)さん(90)も仲間の一人。葬儀では、榧さんが2年ほど前に「ケイさんと会うのは最後になるかもしれない」と思いながら描いた肖像画が飾られた。親交の深かった陶芸家の森岡由利子さん(64)は、「山に行くときに着る丸首の水色のウェア姿で、優しそうなケイさんが描かれていた」という。物静かで誠実。生前の姿そのままだった。

だが、森岡さんは「実は、一度だけケイさんの『本質』を見た」と明かす。30年近く前、北アルプスの剣岳-つるぎだけ-を眼前に突然、遭難して亡くなった知人の名前を何度も絶叫し、涙した姿だ。

淡々とした表情の裏に、常に熱い思いを秘めていた。それが本質だ。反原発の静かな闘士だった。   (服部尚)

写真
https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190629001384.html
2016年に集まった「熊取6人組」。右から小出裕章さん、小林圭二さん、川野真治さん、今中哲二さん、海老沢徹さん。遺影は瀬尾健さん=大阪府内

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