小林圭二さんと不思議な紙、炒飯のこと

五月に不思議なことがあった。

奈良の友人から小林さんの訃報をメールで教えて貰ったのが、亡くなられた翌日の5/28(火)夕方で、ロッカールームで思わずへなへなと座り込んでしまった。

というのも5/26(日)に、たまたま本を整理していたら、一枚の紙がヒラヒラと出てきて、その紙には
「和泉市XXXX  小林圭二」と、コバケイさんの住所が印字されていた。
それは、新聞うずみ火の伊藤宏さんに住所を教えていただいた時のメール。

確か2013/11/22(金)「熊取六人衆講演会 in 京都大学」で、小林さんがご病気だと知り
「小林さんにEM-Xをお送りしたいのでご住所教えて下さい」
と、多分11月のうずみ火講座で伊藤さんにお願いした時のメールのお返事だった。

「何故この紙が出て来たのか?と不思議な気がしていたのが、亡くなられた日の前日のことでした」
と、先日の偲ぶ会で伊藤さんにお会いした時、一笑に付されるかと思いながらこの話をしてみた。

「そんなこともありますよ。反対に僕は小林さんの住所が分からなくなって困ってました」
と伊藤さん。

たしか2016年に廃炉が決まってご自宅にお電話をおかけしてもお出にならないので、携帯電話の番号を今中さんに教えて頂いたと、新聞うずみ火7月号の伊藤さんの追悼記事で読んだ覚えがあるし、当日のお別れのことばで津村健夫さんも仰っていた。

それは虫の知らせだったのかもしれないし、多分偶然に過ぎないことかもしれない。

それから、私にとって小林さんといえば「餃子」ではなく、思い出すのは「炒飯」。

2012年12月8日、敦賀のもんじゅ集会の後の集会2012年12月8日(土)(たしか翌日の12/9にモジモジ先生が不当逮捕された日だ)
福井県敦賀市で開催された「’12 もんじゅを廃炉へ!全国集会」の後のたんぽぽ舎・再稼働阻止ネットの集会で、小林さんのお隣に侍らせて頂いたことがあった。

「うちの両親は大連の満鉄中央試験所の技術者だったので中国共産党に残ってくれと頼まれ、そのまま黒竜江省の方で働いて、帰国したのが小林さんと同じ昭和28年だったんです」
などとおしゃべりをした。

そのあと夜食に「皆で何か食べに行きましょう」ということになり、敦賀の商店街のラーメン屋で、私は小林さんのお隣でラーメンを、小林さんは炒飯を美味しそうに召し上がられていたのを覚えている。

その店に餃子も焼きそばもなかったのが、今思えばとても残念だ。

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