12/23原発事故被害「見えない化」のカラクリ 隠される避難者 復興庁の統計に入らず 進まぬ汚染調査【東京新聞・特報】

原発事故被害「見えない化」のカラクリ

  隠される避難者 復興庁の統計に入らず

   帰還の意思なし、持ち家・賃貸へ転居

2019年12月23日【東京新聞・こちら特報部】
https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2019122302000138.html

復興庁の統計によると、東日本大震災や東京電力福島第一原発事故に伴う福島県の避難者が4万人程度まで減った。ピーク時の4分の1に相当し、「2020年度の避難者ゼロ」という県の目標に近づいた印象を受ける。ただ、この統計にはカラクリがあり、「消えた避難者」が少なからずいるのだ。原発事故の被害は発災直後から曖昧にされてきた。被害者が「いないこと」にされかねない悪弊を放置していいわけがない。 (榊原崇仁)

「避難する方は減ったと言われますが、実態はよく分からないんです。行政の手で「見えない化」されているのが現状です」。国際環境NGO「FoE Japan」の満田夏花事務局長はそう嘆く。

復興庁は毎月、震災や原発事故で福島県から県外に避難した人の数や県内で避難する人の数を発表している。十一月現在では計約四万一千人。ピークだった発災一年後の十六万人から大幅に減った。二0二一年末に改定された県総合計画には、恒終年度の二0年度の目標として「県内・県外避雛者数0人」とあり、そこに迫ったように思える。

確かに、避雛指示区域があるのは事故後の十一市町村から七市町村まで減った。しかし帰還の動きは鈍い。避難指示区域外から自主避雛を続ける人もいる。それでも統計上、避難者が激減しているのは、「減る仕掛け」があるからだ。

復興庁が発表する避難者数は、受け入れ先の都道府県がカウントする分を集約した形になっている。避難者に骸当するかどうかは、同庁による避離者の定義を踏まえて判断されるが、その定義は「霞災で住宅を移転した人」で、なおかつ「前の住居に戻る意思がある人」と限定されている。

戸別訪問を受けた際などに「帰還しない」と意思表示した避難者については、同庁の小町元彦参事官補佐は「移住という整理になる」と話すが、その教は把握していないという。
「消えた避難者」が生じるケースは他にもある。

福島県内への避離者をカウントしているのは福島県だが「帰還の話はデリケート。意思確認は困離」として避難者を独自に判断している。県が住宅の無償提供を行う人、親戚宅や知人宅に身を寄せる人らを避難者と見なす一方、県災害対策課の角田知行課長は「避難先で住宅多購入した人や自費で賃貸住宅を借りる人は『安定した住まいを確保した』『そこで一定期間住む意思を持つ』と言え、避難生活の次段階に進んだと考える。避難者としては数えていない」と話す。

ただこの定義だと、県のさじ加減で避雛者数は大きしく変動する。復興庁の統計を見ると、一七年三月に三万七千人いた県内避難者は同年五月に二万三千人まで減った。これは一七年三月末、県が自主避雛者向けの住宅無償提供を打ち切ったことで、県内で無償提供を受けていた自主避難者が大挙、避難者とみなされなくなった結果という。

目を見張るべき数字もある。今も全町避難が続き、住宅無償提供の対象となる双葉町はホームページで「避難者数は六千八百五十五人」「うち県内避雛は四千五十人」と記す。県も県内避難する双葉町民をホームページで公表しているが、六百三十人しかいない。町が公表する県内避離町民の85%が「消えた」のだ。

双方に話を聞くとカラクりが見えた。町の数字は「町を離れて県内で暮らす全ての人の数」、県の方は「まだ安定した住まいがない人の数」「県内の避難先で住宅を買った人らは多くいたとしても除外」ということだ。双葉町以外でも似た状況があるのだろう。

進まぬ汚染調査 ないことにされれば支援失う

 モニタリングポスト撤去や甲状腺調査縮小検討

「見えない化」されるのは避難者数だけではない。

福島県は二0二二年度から三年間、住宅の無償提供を受ける人らを対象に意向調査を行った。避難生活の課題を「見える化」する試みで、半数前後が「自分や家族の健康が心配」「生活資金が不安」と答えた結果が公表された。

しかし一六年度以降、この調査は行われなくなった。県避雛者支援課の吉野健一主幹は「避難する方々の声は各地のNPOの力も借り、個別に聞き取る方向に切り替えた」と釈明する。
「状況把握が進まない」という問題は、原発事故の発生以降、何度も繰り返されてきた。

震災が起きたのは一一年三月十一日。放射能汚染の拡散状況をつかむため、福島県があらかじめ設置していたのがモニタリングポストだが、政府事故調査委員会の報告書などによると、地震や津波で大半が使えなくなった。

広範囲にわたる汚染を把握するには航空機による測定が重要になり、文部科学省が職員を派遣することになった。しかし三月十二日午後、自衛隊のヘリコプターが合流場所に着いても文科省が派遣した職員はおらず、測定は見送られた。文科省が上空から広域的な測定を行ったのは同月二十五日になってからだった。

このころ、文科省は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の運用を担っていたのに、原子力安全委員会に役割を押しつけた。そんな状況もあってか、当時官房長官だった枝野幸男氏は政府事故調の聴取に「文科省は隠したりごまかしたりと不信感を持っていた」と語っている。

被災地の人たちがどの程度、被ばくを強いられたかもよく分からない。

一九八六年のチェルノブイリ原発事故後、子どもたちの間で甲状腺がんが多発した。原因は甲状腺内部被ばくとされたため、福島原発事故の被災地でも、どの程度の甲状腺内部被ばくがあったかが焦点になった。

しかし混乱の中、事故前に決めた手順通りに測定されず、甲状腺内部被ばくは千八十人を調べただけだった。福島県民は二百万人、十八歳以下は四十万人いるにもかかわらずだ。甲状腺内部被ばくをもたらす放射性ヨウ索は量が半分になる「半減期」が八日と短く、もう測ることができない。

最近でも行政側が被害の状況を詳しく調べたがらない傾向が目立つ。原子力規制委員会は昨年、福島県内で設置されるモニタリングポストの多くを撤去しようと検討を進めた。福島県は甲状腺がんの検査を県民向けに実施しているが、縮小輸がくすぶり続けている。

被害の状況が曖昧にされると、被害者側に大きな不利益をもたらすことになる。

原発事故で被災した人たちの調査を続けてきた宇都宮大の清水奈名子准教授(国際関係論)は「汚染や被ばくの記録をきちんと残さないと、被害者側が救済を申し立てようにも『被害を受けた』と証明することが難しくなる」と指摘し、「避難者が『いないこと』にされると、『もう避難は必要ない』という無理解が広まり、避難を続ける人に厳しい視線が向けられかねない」と続ける。

被災した人の中には、避難していること、被ばくしたことを明かしたくない人もいる。周囲からのいじめ、結婚や就職の差別などを心配して、という事情からだ。清水氏はそうした状況を理解しつつ「行政側は『差別を恐れる人がいる』という理由から、被害の状況を暖昧にしていないか」と語り、「改めなければいけないのは差別する人たちの意識」と述べる。

「被害はなかったことにできない。汚染が拡散したのは疑いようのない事実だから。必要なのは現状に即した支援であり、つらい立場に置かれた人たちの事情を社会全体で理解することだ」

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復興庁の会議資料 避難者数は大きく減っているが・・・

(右)手順が大幅に変更された被災住民の測定=2011年3月
(左)放射線量を調べるモニタリングポスト=いずれも福島市で

[[[デスクメモ]]]
原発事故直後に見送られた放射能汚染測定、手順に従わなかった被ばく調査、避難者数が少なくなる統計-。救済には被害の「可視化」が不可欠なのに、行政は真逆のことを繰り返している。あの事故から、まだ九年もたっていないのに…。黙認して忘却に手を貸してはならない。(本) 2019・12・23

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