1/12シリアルポ 40万人の街 廃虚に 入れ替わる武装勢力 ほんろうされ【東京新聞・特報】なつかしい!牧デスクのルポ

シリアルポ 40万人の街 廃虚に 入れ替わる武装勢力 ほんろうされ

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2020011202000155.html
2020年1月12日【東京新聞・こちら特報部】

二〇一一年に「アラブの春」が波及し、その後、内戦に陥ったシリア。一時は過激派「イスラム国」(IS)が跳梁(ちょうりょう)し、諸外国も介入しての争いは内戦の枠を超えた。昨秋、介入各国の「陣取り」が定まり、激戦区は北西部イドリブを残すのみとなった。だが、内戦に加え、欧米の経済制裁などによる疲弊は大きく、国外避難民の帰還や復興にも影を落としている。 (ダマスカス、アレッポで、田原牧)

40万人の街 廃墟に

 首都近郊 取り残された貧民層

 入れ替わる武装勢力 ほんろうされ

ダマスカス南郊のヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ。「難民キャンプ」という名称だが、シリア人を含めて四十万人弱が暮らす街だった。ヤルムーク、パレスチナの二つの大通りの両側には黒ずみ、屋根が崩れた建物が並んでいた。

「建物には入るな。地雷や爆発物の仕掛けが残っている。地下トンネルも随所にあって、建物は倒懐しやすい」。随行した政府軍兵士がそう注意した。

一二年に反政府武装勢力が入り、イスラム武装勢力のヌスラ戦線(シャーム解放機織と改称)、さらに過激派のISが台頭。一八年五月まで立てこもった。現在は三百六十家族のみが残っている。多くは経済的に避難できなかったか、家賃などが払えずに戻ってきた貧困層の住民だ。

その一人でパレスチナ人のオマル・ハティーブさん(55)は「武装勢力はよそ者だが、キャンプの住民がヌスラやISに加わったケースもあった。最初に来た自由シリア軍は月に百五十ドル(一万六千円余)、ヌスラは二百ドル、ISは三百ドルの給与。そのつど所属組織を変える者もいた」と語る。

「最初に食料品店が接収され、配給制になった。トンネル掘りのために動員され、断れば配給はない。ISは喫煙や音楽、テレビを禁止した。子どもはISの学校に通わされ、女性はニカーブ(顔を覆う布)を強いられた。最大の問題は、パレスチナ解放機構(PLO)の諸組織からの脱退を迫られたこと。自分は(主流派の)ファタハだったが『不信心者の集団』だから辞めねば殺すと脅された」

国連も交えてキャンプ再建の計画はあるが、ハティーブさんは「無理だ。すでに家具を持ち出し、移住した者も多い」と話した。

このキャンプや首都東郊の東グータ地区はがれきと化したが、ダマスカス中心部はにぎわっていた。国内避難民が殺到し、人口は倍増。車が渋滞していた。

内戦前と比べて、喫茶店が増えた。ほぽ四時間ごとに二時間の停電があり「仕事にならない間の暇つぶしや避雛民の情報交換の場」(知人のシリア人)のニーズが増加の理由だという。

一見、街は落ち積きを取り戻したように見えるが、人びとの生活は厳しい。内戦前に比べ、現地通貨のシリアポンドは対米ドルレートで十五分の一以に下落。米や砂糖、調理用ガスなどの価格は約十倍になった。給与も段階的に上がったとはいえ、公務員の大卒初任給の上げ幅は五倍程度(ともに現地通貨)。物価高に追いつかない。副業の機会が減り、給与のいい私企業も海外に移転しがちだ。

加えて、多くの市民が利用する隣国レバノンの銀行は現在、政情不安から週一回数百ドルしか下ろせない。泣きっ面にハチの状態だ。

国内避難民 首都に殺到

 制裁下、物価高騰「商売にならない」

  教員帰国せず 学校再開の足かせに

ただ、敗戦直後の日本と同様、こうした庶民の窮状を逆手に取る者もいる。

現在のシリアは統制経済下にある。例えば、ガソリンは月百リットルまで一リットル二百二十五シリアポンド。足りなければ、それ以上は闇市場で調達するしかない。価格は二倍だ。そうした闇取引で財をなす者もいる。知人の一人は「SAKE」という店名の高級日本料理店を指さし「そういう連中があそこにいく」と苦笑した。

ただ、こうした人びとは限定的だ。北部の商都アレッポは網状に広がったアーケードの市場で有名だが、布商人のユーセフ・ターイフさん(58)は「売り上げは内戦前の十分の一。客も減ったし、うちはトルコルートで輸出していたが、クルド人の自治区ができて、そこで新たな関税をかけられるのが重荷」と語った。

香辛料店のヤシ―ン・ァダ―ンさん(57)も「シリアの通貨が下落し、輸入する原料や缶の値段が跳ね上がった。実際、商売にならない」と表情を曇らせた。

こうした経済的苦境は社会に影響する。特に五百六十万人といわれる国外避難者は帰国に二の足を踏む。

「兵士だが、いまはアルバイト中」と話したタクシー運転手は「兵員不足で、本来は二年前後の徴兵期間が極端に長引いている。本当は自分も欧州に出て稼ぎたい。そうでないと結婚もできない」と愚痴った。

ただ、代表的な避難先のドイツの場合、一時でも帰国すれば、難民認定が取り消される。経済的理由に加え、自国民同士の戦闘を嫌い、徴兵忌避のために海外にとどまる人も多い。

政治的な障害についてはどうか。ドイツ在住のシリア人の友人は「帰国すれば逮捕される」と恐れる。四年前にエジプトで会ったシリア入学生は腕に残る治安機関の拷問痕を示した。

だが、実態は不透明だ。というのも別の知人は「アラブの春」当時、反政府デモに参加して逮捕され、五十日間拘束された。その後レバノンに出国。二年前に帰国したが「何のおとがめもなかった」と話した。

滞在中、随行した情報省職員は、海外で現在、反政府派として活動する大学教授の名を挙げ「彼の学生だった。早く戻ってくればいいのに」と平然と言った。

反政府派は依然、反政府活動に関わった者への事後弾圧を強調する。「和解と帰還」の基準がどこにあるのかは判然としなかった。

いずれにせよ、帰還の遅れは公教育にも深刻な影響をもたらしている。少なくない教員たちが海外に出国したままで、教員不足が小中学校の再開の足かせになっている。残った教員たちも給与のよい私立学校での就労を望み、生活苦の国内避雛民の子どもたちは学校より労働優先の状況だ。

元教員のファル―ク・アクビクさん(82)は「内戦前のシリアは識字率の高さを誇っていた。しかし、字が読めない子が増えている。こうした子は将来、再びISのような組織に利用されかねない」と憂慮した。

八年間の内戦の発端は民主化運動だった。だが、アサド政権は生き残った。いま、民主化に携わった若者らは何を思っているのか。

息子がこうした若者たちの一人だった知人がこう代弁した。「多くは失望し、政治的関心を失った。彼らが当初望んだ闘いと、ISなどが跋扈した状況があまりに違いすぎたからだ」

知人も政権には批判的だが「この地域では誰も民主主義を見たことがない。それがふさわしいかも、いまでは疑問だ。民主派知識人の一部には敬意を抱くが、ほかの多くは海外で国内の民衆の痛みとは無縁なおしゃべりにふけっている。そうした人びとには到底、共感できない」と語った。

2018年まで「イスラム国」(IS)などが支配していたヤルムーク・パレスチナ難民キャンプ。廃墟と化していた=ダマスカス南郊で

(右)ダマスカス随一のハミディーヤ市場にある有名アイスクリーム店に詰め掛けた市民たち
(左)政府軍が支配していたアレッポ城の一角には、飛来してきた迫撃砲弾の残骸が残っていたーアレッポで

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シリア内戦の主な経緯

2011年
3月 シリアに「アラブの春」が波及し、各地で反政府デモ
4月 アサド政権が非常事態令を解除
9月 反政府武装組織、自由シリア軍結成
12年
1月 アルカイダ系イスラム武装組織「ヌスラ戦線」結成
7月 反政府派が北部アレッポの東部を制圧
13年
8月 政府軍による化学兵器使用疑惑で国連調査団がシリア入り
14年
8月 イスラム国(IS)が北部ラッカを制圧
15年
1月 クルド人勢力の人民防衛部隊(YPG)がアインアルアラブ市からISを掃討
9月 ロシア軍が軍事介入
16年
12月 政府軍がアレッポ東部を奪還
17年
3月 米トランプ政権が主敵をアサド政権からイスラム過激派に方針転換
18年
5月 政府軍がダマスカス南郊からISを駆逐
12月 トランプ政権が米軍のシリア撤退を発表
19年
10月 トルコ軍がシリア北部侵攻
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(((デスクメモ)))
一昨年四月、シリアからドイツに逃れたピアニストの青年が広島市に招かれ、被爆ピアノを弾く演奏会があった。内戦のさなかに街頭でピアノを弾く「戦場のピアニスト」として有名だった彼の出身地が、ヤルム―ク・パレスチナ難民キャンプ。もう一度「故郷」の地を踏む日は来るのか。(歩) 2020・1・12

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