2019年6月21日 関西電力株式会社 第95回定時株主総会は大阪国際交流センターで開催

https://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2019/0326_2j.html

2019年3月26日
関西電力株式会社

「G20大阪サミット」開催を踏まえた第95回定時株主総会の開催日時および場所の決定について

当社は、本年6月28日(金曜日)、29日(土曜日)に「G20大阪サミット」が開催されることを踏まえ、第95回定時株主総会の開催日時および場所について下記のとおり決定しましたのでお知らせします。

1.開催日時 2019年21日(金曜日) 午前10時
2.開催場所 大阪国際交流センター
(大阪市天王寺区上本町8丁目2番6号)

アクセスマップ 大阪国際交流センター

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カテゴリー: 関西電力

【19/4/7・4/8東京新聞・国際】<スリーマイル島原発事故40年 終わらぬ悪夢(上)・(下)>と 中尾ハジメ『スリーマイル島』が読めます

べつに声高に核廃絶を語るわけでもない一般民間人のお兄さんでさえ「今年はスリーマイル事故から40年ですよね」なんて話題を昼ごはんの時に語っております。
だから彼には「いやもう、スリーマイルのことは秘密にされていてほとんど公開されていないのよ」なんて話をしておりました。

さて、4年前になりますが、熊取で行われた荻野先生のPDFが公開されていました。
10ページめに巨大タンポポの画像があります。

原発事故による環境異変と電磁波被曝の環境影響
2015.8.11
京都大学原子炉実験所
荻野晃也(電磁波環境研究所)

『放射能の流れた町 スリーマイル島原発事故は終わらない』は、やはり絶版のようでした。
古書でも見つからなかったので、暇になったら土曜日あたりに関西の国立国会図書館へ
閲覧させてもらいに行こうかと思っとります。

これまた絶版の本ですが、Web上で読めると上記荻野さんのサイトで見つけました。

中尾ハジメ『スリーマイル島』

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<スリーマイル島原発事故40年 終わらぬ悪夢> (上)癒えぬ傷

2019年4月7日 朝刊【東京新聞・国際】
https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201904/CK2019040702000128.html

住宅地から望むスリーマイル島。1号機の冷却塔から湯気を上げる。右は事故を起こした2号機の冷却塔の残がい

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世界初の炉心溶融(メルトダウン)事故とされ、大気中に放射性物質をまき散らした米東部ペンシルベニア州のスリーマイル島(TMI)原発事故から四十年がたった。米政府は「死傷者ゼロ」を強調するが、住民らは現在も健康被害を訴え、事故とのつながりを示唆する研究結果は絶えない。一方、州議会ではTMI原発の延命策が議論され、事故機の廃炉が先送りされる可能性も出ている。米史上最悪の原発事故は今も終わっていない。

母、めい、同級生、そして自分-。TMIの南約十キロに住む当時高校生だったペギー・パーキンスさん(54)は、身近な人々が次々と脳腫瘍などのがんを患い、自身も三十一歳から皮膚がんや甲状腺異常症と闘ってきた。

もともと家族や親戚にがん患者は「一人もいなかった」。長女(33)には背骨の先天異常や腎臓病がある。全てが偶然とは思えない。心配なのは孫やまだ見ぬひ孫に、放射線被ばくの影響が受け継がれること。「もっと早く放射能漏れを教えてくれていたら…」

州都ハリスバーグ近郊のミドルタウンにあるTMIは、米東海岸で最も長いサスケハナ川の中州の名前だ。川岸には住宅地が広がる。

一九七九年三月二十八日午前四時。原子炉二基のうち、三カ月前に営業運転が始まったばかりの2号機で設備の不備や誤操作が重なり、核燃料が溶け落ちる炉心溶融が発生、放射能が外部に漏れ出した。

当時の州知事が妊婦と未就学児を対象に半径五キロ圏からの退避を勧告したのは三十日の昼。事故発生から五十六時間がたっていた。

事故当時ミドルタウン市長だったロバート・リードさん

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「放射性物質の放出量は少なく、健康や環境への影響は無視できるほどだった」。米原子力規制委員会(NRC)や業界団体の見解だ。がん患者や死亡率の増加を指摘した著名大学の研究ですら放射線被ばくとの関係を否定し、原因は「事故による精神的ストレス」と結論づけた。

一方で、実際の被ばく量が政府側の説明より相当多くなければ、がん患者の増加は「考えづらい」と疑問視する研究結果もある。直近では二〇一七年、地元ペンシルベニア州立大の研究チームが甲状腺がんを患った周辺住民の検体を調べ、「事故と甲状腺がんの相関性の可能性が示された」と発表。がんの原因そのものが放射線かどうかは判断を避けつつ、事故後の一定期間に発症した集団で、放射線被ばく特有の遺伝子変異が多かったという。

米疾病対策センター(CDC)の統計では、ペンシルベニア州は直近一一~一五年の甲状腺がん発症率が全米二位、がん全体では三位。それ以前も全米平均より高い状態が続いていた。

メアリー・ステイモスさん(75)は事故以来、頭が二つある乳牛など動植物の奇形を千例以上集め、NRCに放射能の影響を訴え続けている。「政府は『事故は終わった』と言うけれど、私たちはそれが真実ではないと学んできた」と語る。

一方、事故当時ミドルタウン市長だったロバート・リードさん(86)も友人や近隣住民、きょうだいをがんで失った。事故の影響だと思っているが、「専門家ではないから」と断言はしない。もはや因果関係の解明そのものに悲観的だ。「これから医者や科学者が明らかにしてくれるのか。そうは思えない」

四十年前の真相がはっきりしないまま、TMI原発は今も稼働している。

(ミドルタウンで、赤川肇、写真も)

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<スリーマイル島原発事故40年 終わらぬ悪夢> (下)潮流に背

https://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201904/CK2019040802000187.html
2019年4月8日 朝刊【東京新聞・国際】

3月28日、米ペンシルベニア州ミドルタウンのスリーマイル島原発前で「TMIの救済をやめよ」などと書いたプラカードを手に黙とうする人たち

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夜空を蒸気で染める巨大な冷却塔を背に、約三十人の住民らが並んだ。吐く息が白い。米ペンシルベニア州ミドルタウンのスリーマイル島(TMI)原発事故から四十年となった三月二十八日未明、事故を次世代に伝えようと毎年続く抗議集会。参加者が掲げるプラカードには今年、こんな文言が目立った。「TMIを救済するな」

米国は世界随一の原発大国だが事故以降、二〇一三年まで新規着工が止まった。米エネルギー情報局(EIA)によると、ピーク時の一九九〇年には百十二基が稼働していたが、いまは九十八基。シェールガス革命に加えて太陽光、風力などの再生可能エネルギーの普及で競争力が衰え、運転許可期限を待たずに退役を迫られる例も相次ぐ。

TMIもそう。事故を起こした2号機が閉鎖され、1号機だけが八五年に再稼働したが、六年前から不採算に陥っている。

「二〇一九年九月末にTMI原発を閉鎖する」。経営を受け継いだ米電力・ガス大手エクセロンが一七年五月に発表した。しかし、「必要な政策変更がなければ」との条件付き。クレーン最高経営責任者(CEO)は「きれいで信頼できるエネルギーと高収入の雇用の維持」を求め、州政府に事実上の救済を迫った。

これを受けて州議会では今年三月、TMIの地元選出のメハフィー議員が、州内の原発九基を「無公害な発電源」として、年五億ドル(五百五十億円)かけて延命させる法案を提出。地元フランクリン&マーシャル大の世論調査では、再エネと同様に原子力を支援することに州内の50%が賛成し、反対の37%を上回った。廃炉に向けた風向きが変わりつつある。

背景には原発依存度の高さもある。全米の総発電量のうち原発は二割だが、同州は四割。メハフィー氏は「原発による雇用や経済、環境への恩恵に感謝するときだ」と主張する。

一方で、米原子力規制委員会(NRC)によると、事故で溶け落ちた2号機の核燃料(デブリ)は一九九三年までに99%を除去したが、1%は解体しないと取れないため現場に残ったまま。解体は1号機の廃止を待って行われる予定で、延命は事故処理の先延ばしにもつながる。

四十周年の抗議集会に母親(87)と参加したマリア・フリスビーさん(55)はTMIの訓練のサイレンを聞くたび、避難勧告後に高校で迎えを待ちわびた当時の恐怖がよみがえる。「二度と事故が起きないなんて誰も約束できない」。延命策への嫌悪感をあらわにする。

原発を動かし続れば、行き場のない使用済み核燃料もため込むことになる。原発が「トイレなきマンション」といわれるゆえんだ。

TMIの監視を続ける市民団体「TMIアラート」のエリック・エプスタイン代表(59)は道義的な面からも「原発の悪夢」に終止符を打つべきだと訴える。「重ねた失敗のツケを次世代に先送りする。実に不公平だ」(ミドルタウンで、赤川肇、写真も)

カテゴリー: 放射能汚染, 中日東京新聞・特報 | タグ: ,

19/03/31「福島・飯舘村の今」語るシンポジウム 避難者に募る疎外感 子や孫おらず「夢ない」【東京新聞・特報】

飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA) 第10回シンポジウム2019福島
http://iitate-sora.net/fukushimasymposium/fukushima2019

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「福島・飯舘村の今」語るシンポジウム

  避難者に募る疎外感

    ハコモノ先行の復興 役場の目線「村内ばかり」

子や孫おらず「夢ない」

 帰還者 故郷で生活再開も

   事故から8年「なかったこと」に抵抗を

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2019033102000171.html
【東京新聞・こちら特報部】2019年3月31日

東京電力福島第一原発事故によって全村避難を強いられた福島県飯舘村で、三十一日は一つの節目に当たる。二年前、大半の地域で避難指示が解除された日だ。村は国ともども復興をアピールしてきたが、村民を取り巻く環境は複雑さを増している。そうした状況を語り合うシンポジウムが二十三日、京都大の今中哲二氏らでつくる「飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)」によって開かれた。村民の声や研究者の議論を詳しく紹介する。 (榊原崇仁)
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飯舘村の今を語り合った村民ら=福島市内で

住宅近くに積まれた除染廃棄物=2月、福島県飯館村で

「福島の問題は沖縄と似ているJと語った今中哲二氏=福島市内で

十回目を迎えたIISORAのシンポ。村民ら約二百人が詰め掛けた福島市内の会場で、同市で避難生活を続ける農業菅野哲さん(七0)がこう語った。

「八年前、いち早く避難した人は『村を捨てた』と言われた。いま、避難を続ける私たちは行政側からどう見られているか。飯舘村民として認められているか。ないがしろにされているように思えてならない」

原発から約三十キロ離れながら全村避難となった飯舘村を巡って、政府はニO一七年三月三十一日、帰還困難区域の長泥地区を除いて避難指示を解除した。あれから二年。事故前の人口の六千人強に対し、千人程度が村民戻った。村民の多くは生活環境を考え、やむなく避難を続けているが、村役場は村内ばかりに目を向けている、というのが菅野さんの実感だ。

村内の施設整備は確かに進んだ。一七年八月に道の駅「までい館」ができたほか、野球場やサッカー場、屋内運動場を備えたスポーツ公園もオープン。一八年四月には小中学校を一カ所に集約して再開させ、こども園も新築した。子どもたちには、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんが手がけた制服を無料で配り、給食や学童保育などの費用は無償化した。

しかし新たな村づくりの中で「避難している村民の位置付けは考えられていない」。故郷への思いは避雛者にもあるのに「戻らない村民はあてにしない。戻った村民だりで村づくりをする方向のよう」。村政に意見できる機会はほぼなく、疎外感が募る一方、避難先での生活再建の支援は乏しく「村を見切り、自力で何とか自立しようとする人が目立つ」。

元村職員の横山秀人さん(四八)も避難村民が冷たく扱われていると感じる。

福島市内で暮らしている横山さんは一七年末、避難している村民同士が悩みや希望を話し合う場として「いいたて未来会」を設けた。「村の規約に沿った『自治組織』にしようと動いていた。村にそう認められると、広報誌で活動を周知してもらえるので」

避難者にも郵送する広報誌の力を借り、避離者同士をつなぎたいと考えたわけだが、自治組織の認定は受けられず、思惑通りにならなかった。「避難者の新たなコミュニティーができると帰村を妨げると考えたのか。残念でならない」

ハコモノ先行の復興に対する懸念も強い。

佐藤健太村議(三七)は「阪神大震災で被災した方に話を聞くと、『ゼネコンが町を造りかえたので愛着がなくなった』ということだった。飯舘村で同じことが起きている」と語る。

村の予算は事故前の三~五倍程度になったが、「職員の数はそれだり増えていない。仕事は手いっぱいの状況」。頼るのは村外のコンサルタント会社という。

佐藤八郎村議(六七〉も「村長は国の役人と相談して事を進める。議会とか区長会とかに話が来る前に報道される。今は民主主義が崩れている」と嘆く。

村で生活を再開させた人たちは何を思うのか。

伊達市の仮設住宅から昨年五月に帰還した長谷川健一さん(六五)は「体が動くうちは農地を荒廃させちゃいかんと思った」と語る。

一緒にそばづくりを試みる仲間がいるが、故郷へ戻った人たちは「みんな、私より年上。私が青年団長です。年齢自体、事故から八歳も増えたし」。若い世代は放射能の影響を考え、避難を続ける例が目立ち「子どもたちがいない、孫たちがいない状況。それが致命的。夢も希望もない」。

避難先の福島市と飯舘村の自宅を行き来する農業の渡辺とみ子さん(六五)は「去年、夫を亡くした。飯舘の家を守らないといけないけど、年金暮らしでは破綻してしまう」と語る。収入を得るため、事故前から栽培してきたカボチャ作りを続けているという。

飯舘村で唯一、避難指示が続く帰還困難区域の長泥地区も理不尽な状況に置かれている。

住民側が望んできたのは、広い範囲での住宅除染だった。しかし国の制度上、帰還困難区域で除染の対象になるには、「特定復興再生拠点区域」(復関拠点)に入る必要があった。

村と国が協議する中、除染土壌を長泥地区の復興拠点で再利用し、農地造成する案が浮上した。広い範囲で再利用すれば拠点のエリアは広くなり、住民の希望に添う形で住宅の除染も行うという筋書きだった。住民たちは苦渋の決断の末、除染土再利用を受け入れ、昨年九月から関連工事が始まった。

憤りの言葉を語ったのが、事故前から村のまちづくりに関わってきた日本大の糸長浩司特任教授(環境学)だ。各地の除染土を減ら玄すため、事故直後から国が再利用を計画していたことに触れ、「長泥では住民の気持ち手利用して駆け引きした」と非難した。

前出の佐藤八郎村議も「長泥をだますなんて完全に間違っている。悔しくてならない」と述べる一方、「長泥地区は住民が一体になって復興極点の構想を進めようとしている。議会が反対するのは非常に難しい」と複雑な胸中を明かした。

東京電力にも、厳しい言葉が飛んだ。

村民の半数に当たる約三千人は賠償の増額を求め、裁判外紛争解決手続き(ADR)を申し立てたが、このうちの初期被ぼくの慰謝料については昨年七月、東電が和解案を拒否したために手続きが打ち切られた。

弁護団の海渡雄一弁護士は「東電は自らの責任で事故が生じたと思っていない」と指摘した上、東電旧経営陣の刑事裁判に言及し「いいかげんな態度を改めさせるために非常に重要なターニングポイントになる」と訴えた。

事故から八年がすぎ、国も村も「復興が進んだ」と強調している。しかし国学院大の菅井益郎名誉教授〈日本経済史)は足尾銅山鉱毒事件など過去の公害に触れ「国はあわよくば被害がなかったことにしようとしてきた。福島の事故では絶対に避けなければいけない」と訴える。

シンポを締めくくる言葉を述べた今中氏も、こう呼び掛けた。「福島の問題は沖縄と似ている。東京の霞が関や永田町が中心になって、(地元の被害が)多くの人に見えないようにする試みが行われている。だからこそ私たちは声を上げ続けなければいけない」

((((デスクメモ))))

「日本で最も美しい村」連合に加盟し、農業で村おこしを進めていた飯舘村。原発事故がなければ、ほとんどの人は静かな暮らしを続けていただろう。避難している人も、村で苦労している人も被害者であり、分断と苦悩は国と東電が招いたものだ。何年たっても忘れてはならない。(本) 2019・3・31

カテゴリー: 中日東京新聞・特報, 今中哲二 | タグ:

3/12福井地裁の原発差し止め判決は「当然」 元裁判長の樋口さん【中日新聞・三重】

4.28樋口英明&河合弘之「講演と対談」

2019年 4月28日(日)13:30開演
津リージョンプラザお城ホール(津市役所隣)
http://nonuclear-mie.blogspot.com/2019/02/428_16.html

三重)大飯原発の差し止め命じた樋口英明元福井地裁判事

https://www.asahi.com/articles/ASM345FCYM34ONFB00Q.html
有料記事【朝日新聞デジタル・三重】聞き手・安田琢典 2019年3月11日03時00分

写真・図版
福井地裁で判事だった2014年5月、関西電力大飯原子力発電所の運転差し止めを命じた樋口英明さん=津市半田

元福井地裁判事で、津市在住の樋口英明さん(66)が4月28日、津市で講演会を開く。福井地裁で判事を務めていた2014年5月、関西電力大飯原子力発電所の運転差し止めを命じ、全国的な脚光を浴びた樋口さんにとって、地元・三重での講演会は初めて。その思いと狙いを聞いた。

――各地で講演会を開いています。

私の判決に対する名古屋高裁金沢支部の控訴審が終わるまでは、訴訟への影響があるかもしれないと考え、何もしゃべることはありませんでした。しかし、高裁支部は18年7月、一審判決を取り消し、住民の請求を棄却する逆転判決を下した。判決が確定したこともあり、原発の危険性を広く知ってもらうためにも、報道機関の取材に応じ、講演活動も始めました。

――講演会ではどのようなこと…

 

三重)大飯原発を止めた決断に迫る 元裁判長に聞く催し

2019年3月1日03時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM2Q33DWM2QONFB002.html

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福井地裁の原発差し止め判決は「当然」 元裁判長の樋口さん

https://www.chunichi.co.jp/article/mie/20190312/CK2019031202000011.html
【中日新聞・三重】2019年3月12日

大飯原発差し止め訴訟について語る樋口さん=中日新聞三重総局で
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福島第一原発の事故後に初めて、原発の運転差し止めを命じた判決は、福井県の関西電力大飯原発3、4号機への、二〇一四年の福井地裁の判決だった。裁判長を務めた樋口英明さん(66)は今、古里の津市に暮らしながら、原発の危険を訴える講演をしている。樋口さんは「原発の危険を直視すれば、差し止めは当然の結果だった」と当時の判決を振り返る。

-裁判官が過去の判決について語ることは異例だ。

原発は国の存亡に関わる問題。原発が危険であることを知った以上、黙っておくわけにいかない。

-判決に至った経緯は。

訴訟を担当して半年で大飯原発がかなり危険だと分かった。電力会社の地震想定は根拠がなく、非常に甘かった。大飯原発が設計上耐えられる揺れの目安は、判決当時七〇〇ガル(揺れの勢いを示す単位)。私の自宅はハウスメーカーが三四〇〇ガルまで大丈夫と言っている。自宅より原発の強度が低いのは驚き。七〇〇ガルの揺れは震度6でも起こる。この程度の揺れで原発が危うくなるとは訴訟前には全く予想していなかった。

裁判で、原告は「原発の敷地に強い地震が来るかもしれない」と訴え、被告の電力会社は「原発の敷地に七〇〇ガルを超える揺れは来ない」と主張した。震度6や7の地震は来ませんと言っているのと同じ。そんな予知はできないから原告の方が正しいと分かった。

-高裁で判決が覆った。

高裁判決はひどいと思った。原発の新規制基準が合理的かどうかで判断している。高裁判決によると、その合理性とは形が整っているとか、前後のつじつまが合っているということのようだ。規制基準は地震学者の協力を得てつくっているから、それなりにつじつまが合っているのは当然。高裁は「規制基準に従っているから心配ない」というが、現実の危険性を見ていない。七〇〇ガルを超える揺れが来れば原発が危うくなる現実を見ると、原発を動かしてはいけないという結論は非常に単純に出る。

-原発の再稼働が進んでいる中で、積極的に講演をするようになった。

多くの国民は、規制基準があり、電力会社も安全だと言い、学者も地震は来ないと言えば、大丈夫だと思ってしまう。新幹線のように事故を起こせば被害が大きいものは、事故の発生確率が抑えられている。だが、原発は事故が起これば被害が膨大な上に、事故発生確率は抑えられていない。

-三重には、芦浜原発計画を、漁業者が中心となって止めた歴史がある。

計画段階で止めてくれて本当に良かった。後になればなるほど、止めるのは難しくなる。例えば浜岡原発では、高い防潮堤が建設される前に運転を止める判決が出たらよかったが、防潮堤建設に莫大(ばくだい)な費用が投じられた後に、これを無用の長物にするという判断は難しくなってしまう。

私の地元に反原発の歴史があるのはうれしいし、誇りに思う。今後の講演で芦浜原発の反対運動のことも伝えられればいいと思う。

(森耕一)

<ひぐち・ひであき> 鈴鹿市生まれ、津市で育つ。高田高、京都大法学部卒。1983年任官。福岡、名古屋などの地裁・家裁、大阪高裁などを経て、2014年5月に福井地裁で大飯原発運転差し止め判決、15年4月に高浜原発再稼働差し止めの仮処分決定をした。17年8月に退官。

カテゴリー: 樋口英明

3/10“全原発を廃炉に” 原発事故8年で抗議集会 東電本社前【NHKニュース・震災8年】

昨日の関電本店前で上牧行動主催者の旦那様から聞いた話。
なお、この報道はローカルニュース扱いで7時の全国ニュースでは流れなかったらしい。

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“全原発を廃炉に” 原発事故8年で抗議集会 東電本社前

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190310/k10011842591000.html
2019年3月10日 16時53分【NHKニュース・震災8年】

 

福島第一原子力発電所の事故から11日で8年となるのを前に、東京電力の本社の前で原発に反対する人たちが集会を開き、すべての原発の廃炉を求めることなどを訴えました。

東京電力の本社前では、10日午後から原発に反対する集会が開かれ、参加者は「東京電力は原発事故の責任を認めよ」などと書かれた横断幕やのぼりを掲げました。

集会にはおよそ260人が参加し、初めに東日本大震災や原発事故の影響で亡くなった人に対して1分間の黙とうをささげました。

そして参加者たちは「原発事故は終わっていない。事故で被害に遭った人や避難している人への支援を打ち切ってはいけない」などと述べ、すべての原発の廃炉を求めることなどを訴えました。

福島県双葉町から都内に避難している74歳の女性は「原発の事故さえなければ苦しむことはなかった。憎いという感情を持ちつつも前を向いて原発に反対していく」と話していました。

また、市民団体の柳田真さんは「8年たっても救われない人がたくさんいるので残念だ。東京と福島で連帯しながら原発の問題に関心が高まるよう訴えていきたい」と話していました。

カテゴリー: 関西電力

膳所の反原発デモに峯本さんが!3/10原発事故から8年「廃炉22基、市民の力結実」滋賀で脱原発訴え【いろんな新聞】

今朝、政府からも黙とうのお願いが出ているので当社でも黙祷をしますとのこと、何なんだ?
あっ これのことね 閣議了解
https://www8.cao.go.jp/tsuitou/ryokai.pdf
今まで何でせえへんかったんや?関西電力本店ですら半旗なのに。

今日は14:46めがけて関電本店前へ行く!

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原発事故から8年「廃炉22基、市民の力結実」滋賀で脱原発訴え

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190310000030
【 2019年03月10日 09時57分 】京都新聞

原発のない社会の実現を訴えて行進する集会の参加者たち(大津市本丸町・膳所城跡公園)

東京電力福島第1原発事故から間もなく8年となる9日、脱原発を訴える「原発のない社会へ2019びわこ集会」が、大津市本丸町の膳所城跡公園であった。県内の一部が30キロ圏に入り、運転開始から40年以上たつ高浜原発1、2号機(福井県高浜町)について、参加者たちは「老朽原発はいらない」などと反対の声を上げた。

集会では、原発再稼働差し止め訴訟に携わる井戸謙一弁護士が「事故後に廃炉が決まった原発は22基に達し、粘り強く活動を続けた市民の力が結実した。今年は選挙で原発問題を争点化できるかが課題だ」と訴えた。

大飯原発3、4号機の運転差し止め判決や高浜原発3、4号機の運転差し止め仮処分判決を出した元裁判官の樋口英明さん(66)は「原発問題は複雑だと思っている方もいるが、国民の命か、電力会社のもうけかの単純な問題。地震のたびに原発を心配して過ごすのはわれわれの世代で終わらせよう」と呼び掛けた。

集会後、参加者たちは「全ての原発廃炉」「琵琶湖を守ろう」などと声を張り上げて市街地を歩いた。

集会は市民団体などでつくる実行委員会が6年前から開いており、約千人(主催者発表)が集まった。

 

 

原発NO!デモ行進 大津で集会

https://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20190310/CK2019031002000021.html
2019年3月10日【中日新聞・滋賀】

デモ行進に出発する市民=大津市本丸町の膳所城跡公園で
写真

原発再稼働に反対する「原発のない社会へ2019びわこ集会」が九日、大津市本丸町の膳所城跡公園などで開かれ、集会やデモ行進などに約千人が集まった。

市民団体などの呼び掛けで二〇一三年より開催され、今回で七回目となる。集会では、元金沢地裁裁判長で、石川県の志賀原発二号機の差し止めを認める判決を下した井戸謙一弁護士が原発の稼働状況などを報告。井戸さんは「将来、多くの裁判所が原発差し止めを認める日が来るはず」と訴えた。

デモ行進は、「危険な原発、今すぐ止めろ」「再稼働反対」などと声を張り上げながら、公園からOh!Me大津テラスまで約一.八キロを歩いた。

(柳昂介)

 

原発ゼロへ500人デモ 福井で5団体が集会

https://www.chunichi.co.jp/article/fukui/20190310/CK2019031002000025.html
2019年3月10日【中日新聞・福井】

原発のない福井の実現を訴えてデモ行進する集会参加者=福井市田原1で
写真
東日本大震災と福島第一原発事故から八年になるのを前に、脱原発を求める県内団体は九日、福井市のフェニックス・プラザで原発ゼロを求める集会「3・11メモリアルアクション 原発のない新しい福井へ」を開いた。

福島原発事故の翌年から開催し、今年で八回目。県内の五団体でつくる実行委員会が主催し、五百人が参加した。

原発問題住民運動全国連絡センターの筆頭代表委員を務める伊東達也さん(福島県いわき市)が、事故により約十万人が故郷に戻れず、特に子どもが激減したままの状況を説明。「福島は言葉に尽くせない犠牲を払った。次の犠牲を払わないうちに、原発を再稼働させない運動を頑張ろう」と語った。

元自民党幹事長で、原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟の副会長を務める中川秀直元衆院議員が記念講演。かつて科学技術庁長官として原発推進の先頭に立ったことを「大きな誤りだった。心から猛省している」と振り返った。「今、原発をゼロにし、自然エネルギーに転換するのが合理的だ」と強調し、野党が昨年の通常国会に提出した「原発ゼロ基本法案」への支持を呼びかけた。

「原発のない新しい社会をつくる」とするアピールを採択。参加者は市街地をデモ行進して「原発なくそう」と訴えた。

(今井智文)

 

 

「原発いらない」デモ行進 名古屋で市民グループ

https://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20190310/CK2019031002000055.html
2019年3月10日【中日新聞・愛知】

 

「フクシマを忘れない」と訴えて大須商店街などを練り歩く参加者ら=名古屋市中区大須で
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二〇一一年の東京電力福島第一原発事故から十一日で八年となるのを前に、原発反対の市民グループでつくる「原発ゼロNAGOYA ACTION」の集会とデモ行進が九日、名古屋市中区栄周辺であった。

グループは、一二年から毎週金曜日に中部電力本店前や関西電力東海支社前で抗議活動を続けている。この日、栄の矢場公園で開かれた集会には約三百人が集まり、原発事故で名古屋へ避難した女性らが放射能汚染の理不尽さや電力会社の責任を訴えた。

福島県伊達市で被災し、出身地の名古屋で避難生活を続けている「原発事故避難者の会・愛知」共同代表の岡本早苗さん(40)は「何も変わらない八年だった。福島が大事な場所であることに今も変わりはない」と話した。

集会後のデモ行進には百人ほどが参加。声を上げて「原発いらないっすよね」「3・11忘れない」と沿道の人たちに訴えた。

(中崎裕)

 

福島の教訓「忘れるな」 北電本店前で反原発集会

https://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20190311/CK2019031102000007.html
2019年3月11日【中日新聞・富山】

反原発のプラカードを掲げ、抗議する人たち=富山市牛島町の北陸電力本店前で
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東日本大震災の発生から十一日で八年になるのを前に、県平和運動センターや県内の市民団体が十日、富山市牛島町の北陸電力本店前で反原発を訴える集会があった。

参加した約八十人は同社が志賀原発(石川県志賀町)の再稼働を目指している姿勢を批判。「北陸電力は原発をなくせ」「あの日起きたことを忘れるな」などと声を合わせて抗議していた。

集会の前には、同市下新町の自治労とやま会館で、龍谷大(京都市)の大島堅一教授(環境経済学)が「原発ゼロへエネルギー政策の転換を-原発コストの偽り」と題した講演があり、約二百八十人が参加した。

原子力発電所の維持にかかる費用を紹介し、廃止した場合と再稼働をした場合の関西電力の電気料金を独自に試算すると、廃止した方が安くなったと主張。その上で「原発のコストが高いのは明らか。安いと主張する政府の立場はおかしい」と訴えた。 (向川原悠吾)

 

 

<東日本大震災8年> 脱原発の決意 新たに 高崎で1300人、集会やデモ行進

https://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201903/CK2019031102000143.html
2019年3月11日【東京新聞・群馬】

脱原発を呼び掛けてデモ行進する参加者=高崎市で
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高崎市の中心市街地では「力あわせる200万群馬さよなら原発アクション」が開かれ、市役所前の高崎城址(じょうし)公園であった集会には市民ら約千三百人が参加した。

「原発事故から八年がたったが、被害が収束したとは到底言えない。二度と福島の悲しみが繰り返されないために、原発再稼働反対の声を大きく広げていこう」との宣言文を朗読。脱原発や被災者の救済と支援に向けて取り組む決意を新たにした。

市民団体などの実行委員会が主催した。集会では原発事故当時、福島県南相馬市で対応に当たった桜井勝延前市長(63)が事故で避難を強いられた福島県民の苦しみや窮状を報告。「地域や市民は分断され、避難先での震災関連死も増え続けている。命と家族を守るため、いらないものはいらないと言おう」と脱原発を訴えた。日本原子力発電東海第二原発(茨城県東海村)の運転差し止め訴訟原告の花山ちひろさん(42)は同原発再稼働の問題点を指摘し「群馬県でも再稼働反対の声を広げてほしい」と呼び掛けた。

集会後には「さよなら原発」などと声を上げながら中心街をデモ行進した。 (石井宏昌)

 

 

原発ゼロ訴え市民団体デモ 50人、米子駅前行進

https://www.nnn.co.jp/news/190311/20190311002.html
2019年3月11日【日本海新聞】

東京電力福島第1原発事故から11日で8年を迎えるのを前に、鳥取県西部の反原発を訴える市民団体などが10日、米子市内でデモ活動を繰り広げた。国内の原発再稼働に対する反対の声を上げ、再生可能エネルギーへの転換などを訴えた。

デモ行進で「原発いらない」などと訴える参加者たち=10日、米子市加茂町2丁目

 

国会前で「原発ゼロに」 市民団体が集会

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190310000091
【 2019年03月10日 18時21分 】京都新聞

国会前で開かれた脱原発を訴える集会=10日午後

東京電力福島第1原発事故から8年となるのを前に、脱原発を求める市民団体が東京都千代田区の国会前で集会を開催した。参加者は「原発ゼロへ」「原発いらない」とシュプレヒコールを上げた。

集会では冒頭、東日本大震災の犠牲者に黙とうをささげた。経済産業省元官僚古賀茂明氏は「安倍政権はいまだに原発を動かそうとしている。日本を間違った方向に進めないよう頑張ろう」と呼び掛け、作家落合恵子さんは「原発再稼働にかじを切ろうとする政権にはノーというしかない」と述べた。事故当時、首相として対応に当たった菅直人衆院議員も参加し、「日本から原発をなくそう」と訴えた。

 

 

ドイツでかざぐるまデモ「原発はコントロールできない」

https://www.asahi.com/articles/ASM3974Z7M39UHBI02K.html
【朝日新聞デジタル・ベルリン=高野弦】 2019年3月10日07時51分

 

ブランデンブルク門前を歩く反原発デモの参加者=9日、ベルリン、高野弦撮影

日本語も書かれた垂れ幕を持って街を歩く反原発デモの参加者=9日、ベルリン、高野弦撮影

東京電力福島第一原発の事故から8年になるのを前に、ドイツ各地で9日、環境団体らによる反原発デモがあった。ドイツ政府は事故後、2022年までの「脱原発」を決めたが、参加者らは世界中の原発の即時停止を訴えた。

ベルリンでは約300人が参加。風力発電をイメージした「かざぐるま」を手に約1時間、市内を行進し、福島で起きた事故は「世界のどこでも起こり得る」などと訴えた。

ドイツ最大級の環境団体「BUND」のフーベルト・ワイガー代表はブランデンブルク門の前で「脱原発を決めたとはいえ、核廃棄物の最終処分場も決まらない現状で稼働を続けていいのか」などと訴えた。ワイガー氏は過去に3度、事故後の福島を訪れたという。

取材に「原発はとてもコントロールできる技術ではない。日本やドイツばかりではなく、世界中の原発の停止を求める」と語った。

ドイツ政府は11年の事故後、世論の高まりを受けて、いったん延期を決めていた脱原発の方針を復活。原発は当時17基あったが、現在稼働するのは7基となっている。(ベルリン=高野弦)

カテゴリー: ちたりた | タグ:

3/3びわこ集会 原発のない社会へ 講演など 大津で9日 /滋賀【毎日新聞・滋賀県】3/9膳所での集会記事

びわこ集会 原発のない社会へ 講演など 大津で9日 /滋賀

https://mainichi.jp/articles/20190303/ddl/k25/040/262000c#cxrecs_s
会員限定有料記事【毎日新聞・滋賀県】2019年3月3日 地方版

「原発のない社会へ2019びわこ集会」の開催意義を説明する実行委のメンバー=滋賀県庁で、北出昭撮影

原発ゼロ社会を目指す県内の団体や個人、労組などが東日本大地震・福島原発事故から8年を迎えるのを前に9日、「原発のない社会へ2019びわこ集会」を大津市本丸町の膳所城跡公園と近くの市生涯学習センターで開く。びわこ集会は今年で7回目。福井県にある原発の再稼働を認めない判決を出した元福井地裁裁判長の樋口英明さんが講演する。

樋口さんは2014年、地震対策に構造的欠陥があるとして関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)…
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カテゴリー: 講演会

3/7汚染処理水、処分方法絞りに遅れ 福島第1原発、小委が開かれず【京都新聞】

そうよね、年末にあったきりだわ。

http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/012_05_01.pdf
第12 回多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会

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汚染処理水、処分方法絞りに遅れ 福島第1原発、小委が開かれず

https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190307000024
京都新聞【 2019年03月07日 09時21分 】

福島第1原発の敷地内に立ち並ぶ汚染水タンク

東京電力福島第1原発の汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化処理した後にタンクで保管を続けている水を巡り、政府による処分方法の絞り込みが大幅に遅れていることが7日、分かった。処分を議論する政府の小委員会は昨年末を最後に2カ月以上開かれないまま。事務局の経済産業省は「小委メンバーの日程調整が付かない」とするが、議論が長引けばタンクの整備計画や廃炉工程の見直しを迫られる可能性もある。

浄化処理後の水には放射性物質トリチウムが含まれている。

 

 

汚染処理水、処分後に測定 安全性確認で政府小委

2018/12/28 11:27
©一般社団法人共同通信社
https://this.kiji.is/451210026078536801

東京電力福島第1原発の汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化処理した後に残る放射性物質トリチウムを含んだ水を巡り、処分方法を検討する政府小委員会は28日、海洋放出などで処分した場合、周辺環境の放射性物質の濃度を測定し、結果を公表することなどを提案した。小委は年明け以降も議論を継続する。

この日の会合で小委の事務局は、ALPSでも除去できないトリチウムについて、安全性確認のため処分前と後で周辺環境や農作物、水産物の濃度を測定し、結果を公表することを提案。基準値を上回った場合、放出停止などの対応を検討するとした。

 

 

汚染処理水の処分決定を IAEAが廃炉作業検証、福島

https://this.kiji.is/435018835970049121?c=39546741839462401
2018/11/13 19:3512/7 15:29updated
©一般社団法人共同通信社

磯崎仁彦経産副大臣(右)に報告書案を手渡すIAEA調査団のクリストフ・グゼリ団長=13日、経産省

東京電力福島第1原発の廃炉作業を検証するため来日している国際原子力機関(IAEA)の調査団は13日、汚染水を多核種除去設備(ALPS)で浄化処理した後の水の処分方法について「迅速に決定すべきだ」とする報告書の素案をまとめ、公表した。

調査団のクリストフ・グゼリ団長は、磯崎仁彦経済産業副大臣に報告書案を手渡した後、東京都内で記者会見した。第1原発敷地内のタンクに保管され、国が海洋放出など処分方法を検討している処理水について「タンクの容量が限界に近づいている。迅速に解決策を決定し、実践してほしい」と述べた。

カテゴリー: トリチウム

2019年2月26日 断食声明「末期の眼で観ているような--関西電力は老朽原発 (高浜①・②、美浜③)の延命工事の申止を」

声明文PDF190226dannjikisenngenn

2019年2月26日 断食声明「末期の眼で観ているような--関西電力は老朽原発 (高浜①・②、美浜③)の延命工事の申止を」
(若狭より)中嶌哲演

・若狭の幼い子どもたちの頑是ない姿・大人たちのつつましい日々の営み・美しい海などの風景が、あたかも「末期(まつご)の眼で観ている」ように愛おしく輝いて見えます。しかしその背後には、とくに関西大都市圏の大量の電力需要と繁栄のために、「原発マネー・ファシズム、国内値民地化」(金カや強権によって批判の自由を封じ込める)の支自己を受けて形成された、15基もの原発密集地帯(世界一)の現実があるのです。

・同じように関東首都圏のために形成された「東の原発銀座(10基)・福島」は、2011年3月11日に過酷な原発震災にみまわれました。「直後の避難者数は約47万人。避難先は全国47都道府県の1006市区町村。」8年後の避難者数が、「1月10日時点で5万2731人になった」 と福井新聞は報じています。その「ブクシマ」の一人一人が故郷を根こそぎ奪われ、どれほど深刻な被災の渦中にあるかを忘れ去り、風化させてはなりません。

・そのフクシマの犠牲者たち・被災者たちに心を寄せ、「第三のフクシマ」 を決して繰り返させないために、そして「原発のない新しい福井」・日本を願って、私は以下の当面の重大な問題点の指摘と要望が受け入れられるように、本日より断食を始めます。

①関西電カは老朽炉(高浜1・2号機、美浜3号機)の延命対策工事の中止を!(→延命か廃炉かの再検討を!→廃炉の英断へ!)

・高浜①・②の対策工事費は2160億円、美浜③のそれは1650億円。高浜①・②の廃止費用は各450億円、美浜③のそれは490億円。40年廃炉という従来の基準を覆し、対策工事を強行中。その進捗率からすれば、上記工事費の?%しか使っていないはず。工期が9か月遅れて、再稼働は来年-再来年に!(2/5「福井」より)

・高浜町の年間歳入に占める原発関連収入の割合は55%、美浜町のそれは38%。ちなみに小浜市のそれは1%。 (いずれも2017年度)「原発ゼロ法案」第九条では「新たな産業の創出、電気事業者の事業の継続等により、原子カ発電所等の周辺の地域の経済の振興策及び雇用の確保を図るものとする。」 と約束している!

・名古屋地裁は廃炉を促す判決を!

・関電の顧客(消費者)は、再稼働・延命に固執するなら関電からの離脱(新電力会社へ契約の切り替え)を、廃炉を決断するなら関電の支援を!

・岩根茂樹関電社長(℡  0 6-6 6 4 1-8 8 2 1 ) へ直訴・電話・ハガキ(手紙)・メール・ファクスなどで要請を!

②国会は「原発ゼロ法案」の審議開始を!(→審議を尽くして!→制定へ!)

・25条から成る同法案は、(1)原発等の速やかな停止・廃止、(2) 電気の需要量の削減、(3)再生可能エネルギー電気の供給量の増加-という3本柱をかかげ、その実現のために「法制上・財政上・税制上又は金融上の措置その他の措置」を講ずると明記している!そのモデルケースとして、①について実質的な審議を!

・昨年3月に上程された同法案は、まだ一回も開かれていない!

・経済産業委員会の赤羽一嘉(公明)委員長や各委員(一覧票を参照)へ、直訴・電話・ハガキ(手紙)・メール・ファクスなどで要請を!

・地震列島が「大地動乱の時代」(石橋克彦神戸大名誉教授)の周期に突入し、「第二のフクシマ」の襲来すら危倶せざるを得ない現在、関西電力の経営陣が①について英断され、国会議員の方々が②について徹底審議し、同法の制定に真摯に尽力されるならば、広範な再稼働反対の世論が実在する中で、いわんや老朽原発の廃炉を望む住民・市民・国民から、どれほど大きな共感と支持を得られることでしょう。

・また、私たち自身の問題として、福島県の中通り在住で自ら被災者の一人でもある武藤類子さん(福島原発告訴団団長)の以下のことばをも銘記したいものです。
「人の罪を問うことは、自分の責任も間われることを意味します。・・・刑事費任ではありませんが、私たち一人ひとりにも責任があります。原発由来の大量の電力消費を前提にした生活を受け入れていたこと、すぐそこに原発があるのに、その危険性に思いを馳せずに生活して来たこと。今回の告訴を通じて、自分自身の責任も問うていく中で、これまでと違う価値観を育てていくことができるのではないかと思っています。」(『世界』2012年8月号より)

・グルメ・飽食の時代を謳歌する一方、大地や水や空気を汚染している現実、便利で豊かな都市文明の繁栄のために、過疎地へ過酷な危険を強いてきた現実。原原銀座・若狭で生きて来ざるを得なかったー仏教者の私は、「自他一如・自利利他円満・少欲知足」という仏教の根本精神に照らしながら、そうした現実を問い直してまいりました。
今日、喜寿の誕生日を迎えた非カ・無能な私は、せめて第一の欲望たる食を節することによって、後世代とかけがえのない自然環境との共生に資し、①と②の実現へ向けて、全国の各原発や核燃料サイクルを憂慮し、その廃止・後始末を熱望している、さらなる広範多数のみなさんと共々に、いささかなりとも貢献できればと願っております。いつでも、どこでも、だれでもできる一食・一日断食の輪(あるいはリレー断食の連鎖)を広げ、その食費分をたとえば以下の口座に振り込んでいただけませんか。

(口座名・福井から原発を止める裁判の会  00760-6-108539   通信欄に「反原発断食募金」とご記入を。)

・8年目の3月11日前後に、各都道府県で開催される大共同・協働集会において、以上の願いと要望が共有されることを祈念してやみません。  合掌

 

カテゴリー: 関西電力, 上牧行動 | タグ: ,

福井の石森氏も11日目断食抗議続行中-2月26日からの断食中にお世話いただいた県内外の各位へ中嶌哲演 (若狭小浜、明通寺より)

2019/03/06配信 たんぽぽ舎です。【TMM:No3593】地震と原発事故情報 より

ご心配いただきながら、2月26日の断食開始以来、あたたかいご支援・ご協力をいただいた各位に、心から感謝いたしております。

今回(これまで6回実施)は、とくに東京・名古屋・神戸・大阪など都市圏(原発電力の消費圏)の各位、その背後の不特定多数の市民の方々に訴えたくて、遠距離移動しつつ、アピールさせていただきました。

県内では、私より1日早く断食に入られた石森修一郎氏(老朽炉3機の改修工事に入る前から抗議・申し入れをされていた!)をはじめ、「反原発オール福井」のメンバーたちの有形無形の支えを得て参りました。

3月4日には、関西電力社長宛てに声明や付属資料を関西電力本店で、関西圏の市民グループのメンバー20余名(?)の応援を背に手渡し、2月28日には、「原発ゼロ法案」が付託されている経済産業委員会の赤羽委員長をはじめ、党派をこえて、関係委員の衆議院議員(秘書)に直訴して回ることができました。

この間の様々な出会い・交流については、後日、ご報告できることを願って居ります。

3月4日帰寺、これら別紙の3/9福井集会まで、明通寺で平常の生活・休養をしながら断食を続行するつもりです。

ご支援に感謝いたしつつ、一言ご報告とお礼まで  合掌

カテゴリー: 関西電力, 再稼働, 上牧行動

第6回「原発ゼロ 高槻deパレード」終りました【高槻のゴミ焼却場のある地区で暮らすばあちゃんの日記パート2】

大雨に泣かされた第2回高槻deパレードのようなこともなく、最後にパラパラ程度の小雨。
皆さま、おつかれさまでした。
早く関電がつぶれて原発から撤退しもうこんな反原発パレードをしないで済むことに期待。
お忙しいところを駆けつけて下さった高槻市議の高木りゅうた様、ありがとうございました。

経産省だったら水増ししてサバを読むんでしょうけど、主催者発表はサバ読まずに実数で30。
遅れてやってきた堺のD氏に「はい!28人目」といってチラシ(呼びかけ文)を渡した時、一番遠くにおられた異国の女性と通訳の男性(先日の高槻アクションで案内チラシを差し上げた方たち)を見つけてチラシを渡したので、本当に30人。

また、上牧行動主催者のブログが関電に消されたら困るので(笑)こちらへコピーさせて貰います。

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パレード終わりました

2019年03月04日【高槻のゴミ焼却場のある地区で暮らすばあちゃんの日記パート2】
http://chikakos.sblo.jp/article/185657373.html

やっとパレードが終わりました。
参加人数は30人です。
ビラまきできた人もいます。熱心の誘ったHさんのお手柄。
30人も来てくださったら、上出来です。
ビラまき等、準備の段階も含めてのパレードです。

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家に帰って、沈丁花の花が咲いているのに気がつきました。

パレードを 終えて帰えれば 沈丁花

3.11関電本店前包囲行動

午前8時より午後6時30分まで
午前8時より午後6時30分までの間、ご自由に参加ください

カテゴリー: 関西電力, 高槻アクション, 上牧行動

3.11関西電力本店前抗議行動の呼びかけ

3.11関西電力本店前抗議行動の呼びかけ

  関西電力本店こそ関西最大の結集点

  2万人大包囲をめざして 終日包囲行動を

日 時:11日(月)午前時より午後30分まで
(午前8時より午後6時30分までの間ご自由に参加ください)

場 所:関西電力本店前(大阪市北区中之島3-6-16)

呼びかけ:原発ゼ口上牧行動(坂元 09069162413)、
反戦タイガース(北田)、脱原発高槻アクション(岡川)
ブログ:高槻のゴミ焼却場のある地区で暮らすばあちゃんの日記パート2

原発を止める市民運動の最大の効果は関電本店に対する圧力であり、
原発停止の「関西最大の結集点」は関西電力本店だと考えます。
私たちは3.11関西電力本店終日包囲を呼びかけます。

カテゴリー: 関西電力, 高槻アクション, 上牧行動

隠れ病む人々と歩む(2018/3/17NHK・Eテレ こころの時代~宗教・人生~)中嶌哲演師の番組【私の山歩きと旅】

1年前(2018年3月17日)のNHK・Eテレで見損なった中嶌哲演師の番組

こころの時代~宗教・人生~「隠れ病む人々と歩む」
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2018-03-17/31/7869/2008300/

どなたか動画をUPしてくれていないかと、昨年検索してみたが時期が早すぎたのか見当らなかった。
上牧行動主催者の旦那様から「3/4に哲演さんが関電前にいらっしゃる」とお聞きしたので、調べてみたら、数日前から新聞に載っていたらしい。

「原発延命」断食で反対 中嶌さん、工事中止求め

http://fukunawa.com/fukui/43148.html
2019年3月1日 13:20【フクナワ】

40年超運転に向けた対策工事の中止などを求め断食すると発表する中嶌氏=2月25日、福井県庁

原発反対県民会議の中嶌哲演代表委員(77)は2月26日、原則40年の運転を延長し再稼働を目指す関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)と美浜原発3号機(同県美浜町)の安全対策工事の中止などを求め断食を始めた。27、28日は上京し国会議員らに訴えた。
県庁で25日に会見した中嶌氏は「延命工事は安全面、経営面でもリスク。原発の恩恵を受けている関西地域などでアピールしたい」と強調した。対策工事中止のほか、立憲民主、共産、自由、社民の野党4党が2018年に衆院に共同提出した「原発ゼロ基本法案」の審議開始を求めるとしている。
3月4日には、大阪市の関電本店に申し入れる予定。中嶌氏は「工期が延長されたこのタイミングで声を上げたい。断食終了は未定」とした。

 

福井)老朽原発の再稼働に向けた工事 住職が抗議の断食

https://www.asahi.com/articles/ASM2V5D70M2VPGJB00S.html
【朝日新聞デジタル・福井 山田健悟】 2019年2月27日03時00分

断食を始めた中嶌哲演さん=2019年2月26日、福井県庁

関西電力高浜原発1、2号機、美浜原発3号機の再稼働に向け、安全対策工事が進んでいることを受け、福井県小浜市の明通寺住職、中嶌哲演さん(77)が26日、抗議の断食を始めた。3基はいずれも運転40年超の老朽原発。関電に声明文を提出する予定の3月4日まで、断食を続ける意向だ。
中嶌さんは26日、県庁1階のロビーに姿を現した。取材に「世論は原発の再稼働反対に傾いている」と指摘したうえで、「関電には工事を中止し、廃炉を含めた計画の再検討をしてほしい」と語った。さらに「多くの人が原子力について真剣に考えるきっかけをつくり、より議論の輪を広げたい」と話した。
中嶌さんが抗議の断食に入るのは今回で7回目。これまでは再稼働の直前などにすることが多かったが、より抗議に実効性を持たせたいと考えて、工事の段階から断食することにした。(山田健悟)

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今日(3/4)午前中にたぬき御膳さんがツイキャスで放送されていたので、哲演さんのお姿をちらっと見ることができた。
会社勤めしてなければ関電前に行くのに何もできないけれど、断食をご一緒させていただこう。

一年前の動画はわからないけれど、画像と音声を文字おこしなさった方を発見した。本当にありがたい。見そこなってしまった番組をこうして目で読むことが出来てとてもうれしい。「私の山歩きと旅」さんに感謝。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-807.htm
ブログ名:私の山歩きと旅 「宗教の時間へようこそ」より

隠れ病む人々と歩む

          真言宗御室派明通寺住職 中 嶌(なかじま) 哲 演(てつえん)

 

1942年、福井県小浜市生まれ。高野山大学在学中、友人に半ば強引に平和講習に連れて行かれ、1963年に広島原爆の男性被爆者と出会ったのを機に、小浜で被爆者を訪ね歩いて、広島から呼んだ専門医の診察を受けてもらうなど、被爆者支援の活動を始める。また、日本宗教者平和協議会にかかわった。1968年に帰郷。1994年の被爆者援護法制定まで26年間、被爆者支援を目的に毎月6日と9日に明通寺周辺3集落(約80戸)で托鉢を続けた。1968年に小浜市に原発4基の建設・誘致の計画が持ち上がり、1969年に地元漁協による「内外海原発設置反対推進協議会」の活動が始まる中で、1971年暮れに同協議会の後継組織「原発設置反対小浜市民の会」を結成、事務局長を務める。以来、反原発市民運動を展開している。小浜市の真言宗御室派棡山明通寺の住職。

ナレーター:  かつて中国大陸や朝鮮半島から文物を受け入れ、京の都に運ぶ玄関口として栄えた福井県若狭(わかさ)地方小浜市(おばまし)。その山あいに当時の面影を伝える寺院があります。真言宗御室派(おむろは)の名刹明通寺(みようつうじ)。創建は平安時代八○六年と伝えられています。階段状に築かれた伽藍の最上段に位置する国宝の三重塔。鎌倉時代に建てられました。三重塔が見下ろす本堂。明通寺は、福井県で唯一国宝に指定された仏教建築を構える寺院です。一二00年を超える明通寺の伝統を支えてきた住職の家系、中嶌哲演さんは、その跡取りとして生まれ、今年七十六歳になりました。日々の祈りを捧げる本尊は薬師如来。病に苦しむ人々を癒し、安らぎをもたらす仏です。救いを求める参拝者を迎え入れながら、中嶌さんは自らも里に下り、人々の暮らしや社会と積極的に関わってきました。中嶌さんが生涯をかけて取り組んだのは、若狭地方で隠れるようにして生きてきた原爆被災者たちの支援です。二十六年間、托鉢で家々を回り続け、差し出されたお米やお金を全て故郷に住む被爆者たちに捧げてきました。地道な行いを続ける中で、中嶌さんは全国でもとりわけ若狭湾に集中する原発の問題にも目を向けることになりました。核の恐怖に不安を抱えながら生きる人たちと手を取り合い、その訴えを届けようと活動しています。こうした中嶌さんの営みの歳月は、ブッダの教えに深く根ざすものでした。

中嶌:  お釈迦様自身が言っておられるように、「生きとし生けるもの、命あるものは、何よりも自己を大切にし愛おしむものなんだ」という。命あるものすべてに対しても、すごく非暴力。絶対暴力や他者を強制したり、他者を害したり殺したりしちゃいけない。

ナレーター:  中嶌さんの人生を物語る通信書「鈴声(れいせい)」。一九六八年から始めた托鉢で、地域の人たちに読んでもらおうと書いてきた中嶌さんの手紙であり日記でもあります。その中で中嶌さんは、この世の全ての命の尊さを説くブッダの言葉を掲げ、その教えに従って人知れず苦しむ人たちを支えることや、生きとし生けるものを脅かす核と向き合うことの大切さを刻み続けてきました。自らが信じ続けた仏教者としての歩み。その道のりには数多くの出会いがあり、挫折からの目覚めがありました。その出発点は、高校生だった頃、住職を継ぐことに抵抗し、寺を離れた時代に遡ります。

中嶌:  山寺から逃げ出したかったし、あまり坊さんにもなりたいという気持ちも当時は持っていなくて、思春期でしたからね。まぁこの草深い山寺からやっぱり自由を求めて、新しい未知の世界へのあこがれみたいなものを思ってね、一年浪人したんですけども、一九六0年の秋に上京したということでした。当時、いよいよ日本が経済成長、科学技術とこう結びついた経済成長に向かっていく時代でしたから、やっぱり自分の関心のあることだとか、自分のしたいことや願っていることを、こっちの方を優先したいと。そんな人のため世のためにまず自己を犠牲に、自分のことをこっち脇に置いてでも、思慮したり尽くさなければいけない。それが仏教としたら、とてもじゃないが私はそういう器ではないと。まず自分のやりたいこと、思っていることに向かいたいという、そういうある意味では自己中心の、自己を優先にした青年時代の思いというのがあったから。でも上京してびっくりしたのが、特に一九六四年に東京オリンピックがあって、そのオリンピックへ向けて、まぁあちこちを掘り返して、四六時中夜中でも突貫工事の音までが下宿の私の部屋にもちょっと響いてきましたよ。そういうある意味では、活気を帯びた時代でもあったんでしょうけど、やはり東京の街の佇まい自体が、ずいぶん変化をし始めた―自然破壊を含めてね。そういうことにはやっぱりこういう田舎から、草深い山寺から出て行った私にとっては、もう一つ馴染めなかった。違和感をむしろ逆に感じてしまった面がありました。それからもう一つはね、当時私の印象に残っているのは、九州のヘルメットをかぶった炭鉱労働者が、何百人とこう上京してデモを何回も何回も繰り返しましたよ。首切り反対、合理化反対のね。閉山が迫られていましたから。デモを繰り返していましたね。今にして思うと、当時国を挙げて国策としてもだったんでしょうけれども、石炭エネルギー―石炭産業から石油の時代に転換しようとしていた。その端境期にあの労働者たちはいたんだなというの思いますね。いわゆる六十年安保闘争の直後ですからね。その間もない頃だから、政治的社会的な面でも非常になんかざわついている雰囲気もありましたからね。今の安倍首相のおじいさんにあたる信介さんは、首相の座を降りますけどね。でも安保条約のそのものは、もう成立してしまった。まぁ六十年安保が成立してしまって。だから挫折感を味わった人たちも多くて、学生運動に身を打ち込んだ人たちが、大学をやめて行った人たちもいます。ドロップアウト(dropout:脱落、脱退、落ちこぼれ)して行った人たちがね。それに対して、私自身は全然そういう学生運動やデモや集会にあんまり関心が持てないで、なんか内面に突っ込んでいくような、そういういわゆる実存主義的な文学だとか哲学思想だとか、そっちのほうにぐんぐんのめり込んで行ったんですね。そういう実存主義の問題っていうのは、やっぱり死の問題。どんなにハッピー(幸福)で、あるいは美しいものとの出会いがあったりしても、やがて必ず死というものに直面してしまうとすれば、所詮虚しいんじゃないかという、根底にそういう虚無主義というか、ニヒリズム(nihilism:真理や道徳的価値の客観的根拠を認めない立場。虚無主義)にとりつかれていたもんですから、ますます不眠症になったりね、不眠症にもなりまして、すごく自分たちは苦しかったわけですね。

ナレーター:  オリンピック景気の陰で切り捨てられようとする人々。政治を変えようとして押しつぶされていく同世代の挫折。そして自分自身に付き纏う生きることへの虚しさ。逃れるように都会を離れ、向かった先は、実家明通寺と同じ真言宗、和歌山県の高野山でした。中嶌さんは、仏教に立ち返り、自分が生きるためのよすがを求めようとしたのです。

 

中嶌:  仏教そのものの原点、大本(おおもと)がどういうものだったのか。お釈迦様までさかのぼって勉強し直さなければ、ということで、ブッダの言葉、それを読みながら、私が出くわしたこの言葉は、ほんとに私にとっては救いだったんですね。

どの方向に心でさがし求めてみても自分よりもさらに愛(いと)しいものを

どこにも見出さなかった

そのように 他人にとっても

それぞれの自己がいとしいのである

それ故に

自分のために

他人を害してはならない

すべての者は

暴力におびえている

すべての生きものにとって

生命が愛(いと)しい

己(おの)が身にひきくらべて

殺してはならぬ

殺さしめてはならぬ。

(『ブッダの真理のことば・感興のことば』中村元訳より)
という。この言葉の中に、なんとか東京時代の私―まぁそれ以前も含めて―東京時代の私が、高野山に移って、このお釈迦様の言葉と出会って、自分の中で新たな転換が起こっていくそのテコになった。結局この広い世界の中で「自分よりも愛しいものはないんだ」という、そのことをお釈迦さん自らそれを認めておられるんですね。東京時代、やっぱり実存主義的な流れの中でのこの自己や他者との捉え方というのは、どうしても自分自身の「生き死に」にすごくこだわってしがみついてね、それは自分がまた愛しいからそうなんですけどね。まず「この自分自身が一番愛しいものなんだよと。君達もそうですね」という、そういう受け入れてもらっているということを、一番私としてはまず最初に救われたわけですけど。ところがその部分だけじゃない、もう少し後になってくると、自分だけがそうじゃなくって、自分以外の全ての人たち、あるいは命あるものすべてが、やっぱり自分が一番愛しいわけですよ。そうすると、自分の愛しさをもう少し相対化して客観的に他の人たちもそうなんだなというところに広がっていきますね。「すべての生き物にとって、命が愛しい。それは自分も他者も同じなんだ。だから己が身に引き比べて殺してはならない、殺させてはならない」という、仏教の平和を求める命を最も大切にし、自己も他者も諸共に平和に共生していくという。自分でも何度も何度も繰り返し味わい、皆さんにも紹介してきた言葉なんですね。

ナレーター:  自分自身を愛おしむ。それは誰も皆同じ。からこそ自らを愛することは、他者の命を大切にすることにもつながっていく。やがて中嶌さんは、故郷福井の地にそのブッダの教えを、一人この世で黙々と実践している人がいることを知ります。その僧侶との出会いが、仏教者として、どう生き、どう行動すべきかを考える新たな原点となりました。後藤日雄(ごとうにちよう)さん。敦賀市にある法華宗の寺の住職でした。この日、中嶌さんは、かつて通い続けた後藤さんの寺を訪ねました。それは大伽藍も塔もない一見寺には見えないような家でした。後藤さん亡き後は無住の寺となり、弟弟子だった小崎学円(こさきがくえん)さんが時折訪れては管理しています。

中嶌:  後藤上人が、本当に気さくにお迎えいただいて、いろいろ学ばせていただきましたね。非常に優しくいろんなご自分が…

小崎:  人間性の濃い方でしたね。

中嶌:  ほんとにそうでしたね。

小崎:  それで靴でも底のある靴見たこともなかったですね。歩いて歩いて、ボロボロになってね。そしてそれを直してね。着るものも履くものも、ほんまに。ここは収入がないです、この寺も。檀家さんもいないで。それであの方、後藤上人はね、耳を怪我されてね、兵隊の時に。唯一の収入というのは軍人恩給でしたよ。それだけでして。それ入ったらね、ほんの少し家族に渡して、後は持って日本中托鉢。

ナレーター:  後藤さんは、若い頃兵隊にとられて出征。戦地で上官に暴力を受けて殴られ、耳が不自由になりました。捕虜となってシベリアに抑留された後、故郷に帰ると、後藤さんは晩年に至るまで、体に染み込んだ戦争の実態を托鉢しながら人々に伝え、歩き続けました。

小崎:  行動すること。口先ばっかりじゃダメなんだと。行動するということが、ガンディー(マハトマ・ガンディー:1869-1948)の言葉で、インドのガンディーさんね、宗教家でもあり、哲学者でもあり、平和運動をやってきた。そんな話をようされていました。それは平和運動する人でも、口だけの人もたくさんおるんやと。そうやけど、実際に体を使って足を運ぶということが大事なんやって、私にようそういうお話をしておられましたね。

ナレーター:  後藤さんに連れられて始めた托鉢。その導きを受けながら、中嶌さんは自分の寺の地域にも歩みを進めていきました。
中嶌:  後藤上人のお姿でやっぱり印象に残っているのは、うちわ太鼓叩いてね、行脚、托鉢をされている姿ですね。仏教の方では「乞食(こつじき)」という言葉を使うんですよ。托鉢の時に、食を乞う。「乞食(こつじき)」これは仏教の重要な修行のひとつなんだというね。一般では、「乞食(こつじき)」を「こじき」というふうに読むでしょ。だから何か若い時代の私も乞食(こじき)の行為のように受け止めて、やる前はそういう感じがあったわけですけど、そうであってはならないんだということを、後藤上人からすごく教えられましたね。こういうことをおっしゃっていましたね。

道に食(しよく)あり。食に道を失う。

というね。道の中に食があるんだ。道を守っていく。正しいことをやっていく、それが食につながる。逆に食のために道を失ってはいけないと。自分の生活、今日明日の糧のために、少々嫌なこと、不当なことでも、それを我慢して、見ざる、言わざる、聞かざる、を決め込んでいくというのは、これは宗教者にあってはならないけど、宗教者にもあるし、一般の生活者の中にも結構こういう生き方というのは、少なくないですよね。その点本当に小さなまぁいわば貧しいお寺で、しかも奥さんと子供さんを托鉢一本で子供さんたちを育てられながら、自分の信念を貫き通しておられた後藤上人の姿には本当に学ばされることが多かったわけですね。私も後藤さんのお供をして一緒に托鉢したときに、体験したことですが、非常に立派な屋敷を構えている家では、私たちの姿をだいぶ前に確認されたと見えて、その家の奥さんがぴしゃっと玄関の戸を閉め切ってしまわれてね、私たちの托鉢する余地がなかった。一方ですね、もうお家も非常に貧しそうで、障子も破けたような、土間に托鉢で足を踏み入れた時に、髪をぼうぼうにした奥さんが、子供を背負った奥さんがね、「ちょっとも待っていてください」って奥へ引っ込まれて、一升マスにお米を盛ってね、托鉢してくださったんですよ。年末の本当にあわただしい年の瀬で、そのお家にとっても大変だったと思うんですけれど、それだけの米を、私たちを待たせて奥に入って托鉢してくださった。ありがたい。もちろんありがたく礼拝はしました、合掌しましたけれども、だからといって、貧しい人からそういうふうにもらったから、特別また何か、特別のこちら側の対応をするというのも、それはまた行き過ぎなんですよ。不当な無礼な扱いを受けても、それを雲が流れていくように、水が流れていくように受け止めていくというのが、托鉢行の根本の精神なんですよ。平等に接していく、すべての人にね。そういう托鉢のありようというのも後藤上人から学ばされていますね。

ナレーター:  明通寺の麓の家々を回り、一人で歩くようになった中嶌さんには、もう一つ後藤さんから学んだことがありました。托鉢の際、自分の思いを綴った紙を袋に携え、一軒一軒配り歩くことです。中嶌さんもまた「鈴声」と名付けた通信を発行。鈴の音はブッダの言葉の響きであり、人々に仏の心を呼び覚ます力を持つと言われます。自らの書にその願いを込めました。

中嶌:  後藤上人は、托鉢の時に、わら半紙に自分でガリ版刷りの訴えを、しかも法華宗の方ですので、法華経だとか、日蓮上人の言葉なんかも紹介されながら、でも単なるお説教的な文章ではなくて、平和の問題に関わる、それを訴えるようなチラシをこう托鉢される先々に入れていかれたんですよね。訴えたいこと、メッセージを、仏教者として、あるいは仏教者が現実のこの今の状況に対してどう、皆さんにもどういうふうに生きてもらいたいか。取り組んでほしいかというようなメッセージを届ける。私自身は、その後自分のこの地元の村での托鉢行で、私は「鈴声」というチラシを配りながら、托鉢したのには、後藤上人から学んだ点が大きかったわけですね。私は鈴をならしながら、家から家へ托鉢したもんですから、小学生の低学年、あるいは幼稚園の小さな子供がね、その鈴の音を耳ざとく聞きつけて、私がもう回っていく十分、十五分も前からね、ずーっと玄関口で待ち構えていて、私が玄関の前に立つと、喜び勇んでその握り締めていた硬貨を私にこうくれるんですね。ありがたいなと思いましてね。その子供がもう二十数年もやっていると、「もう今度高校に入りました」とか、「いやどこそこの大学へ行きました」「大学出て就職しました」とかね、そういうことを同じ子供が成長していく中で、節目節目でそういう挨拶を受けたりしてね。まぁそういうのは非常に嬉しかったですね。

ナレーター:  托鉢で配る「鈴声」にどんな自分なりの思いやメッセージを込めていくべきか。中嶌さんの脳裏に浮かんだのは、高野山での修行時代、和歌山で参加したある平和行進でした。一九六三年の原水爆禁止世界大会に向けた平和行進。中嶌さんは、戦後二十年近くたっても、いまだに苦しむ被爆者の姿を目の当たりにし衝撃を受けました。被爆者の存在を忘れてはならない。そう胸に刻んだ中嶌さんは、「鈴声」の第一号に、「托鉢は広島、長崎に原爆が投下された日付、 六日と九日に行う」と記しています。「鈴声」には、平和行進の時、被爆者の一人から聞いた短歌も載せました。
死ぬる気で出征したる故郷(ふるさと)に

隠れ病む身となりて換(か)へりぬ
中嶌:  その行進に一人の原爆被爆者の方が参加されていて、平和行進の間中ピタッと私の横に付かれてね、その方はたまたま短歌を詠んでおられた方だったんですよ。私にとってはこれまた核の問題、平和の問題を考えていく上での原点になった出会いだった訳ですけど、ここに書いていますが、
死ぬる気で出征したる故郷に

隠れ病む身となりて換へりぬ

という。一日中その方は自分の戦争体験、被爆体験、被爆後のその日まで舐めてこられた苦しい状態、そういうものを切々とズーッと語り続けられましてね。「死ぬる気で出征したる」出征ですよ、征服に出かけて行ったんですよね、かつての日本の戦争は。故郷から送り出されて死んでこいと。お国のため、天皇のために命を捧げて来いとこういっていて、故郷の人々にまで、そうして送り出されて出ていった戦争。そこで散々海外で戦争体験した挙句、広島に駐屯しているときに原爆に遭うという、二重三重の凄まじい体験をなさった方でもあったわけですね。

ナレーター:  中嶌さんをさらに突き動かしたのは、自分の足元である若狭地方にも多くの被爆者がいることを知ったからでした。以来中嶌さんは、故郷に暮らす被爆者たちを訪ね、その声に耳を澄ましてきました。かつては小浜保健所の管内で三十人を数えた被爆者も、今では二人だけとなりました。
中嶌:  おはようございます。

藤内: 全部なくなってますね。

ナレーター:  中嶌さんが、古くから親交を重ねてきた藤内利直(ふじうちとしなお)さん。今年九十五歳になりました。故郷の小浜からフィリピンに出征後、広島に配属され被爆。二十二歳の時でした。

藤内: 広島で被爆したことは隠してる人がずいぶんいましたからね。

中嶌:  ものすごく差別を受けたり、不利な条件に遭うということがあるもんですからね。

藤内: ですからね、あまり被爆者被爆者とか、隠しましたもん。いつ何が出てくるかわからんということはありますわね。

中嶌:  それはご自身の病気がですか?

藤内: はぁ、いつ何が再発するかわからんということが…

中嶌:  健康上の不安ですよね。

藤内: それは多少ありますわね。それはもうこの歳になっていますからしょうがないけど、どうなってもね。

 

ナレーター:  「隠れ病む身」。核兵器による凄まじい暴力を受けた被害者でありながら、口を閉ざすことを強いられて生きてきた人々。中嶌さんは、「鈴声」に隠れ病む身の人々とともに歩む決意を込めたのです。

中嶌:  被爆者の非常に悲惨で気の毒な点というのは、「隠れ病む身」というこの言葉に象徴されているんですけど、まさにそうなんですね。私は、この人との出会い以後、こっち故郷に帰ってきてから、小浜の原爆被害者の人たちとの交流が広がっていくんですけど、「自分が被爆者だ、ということは、もう本当に言いたくないんだ」という。そのことをすごく気にされていたりね。被爆者たちは、「被爆者だ」とこう世間に流されて知られてしまうと、その本人自身が結婚されるときには、あるいは子供や孫が生まれてくる時、まず自分自身がすごく心配されるんですよ、遺伝的にね。そういうこともあって、自分自身が当事者としてあまり人に知られたくないということから、隠れるようにして生きていかなければいけないという。いろんな被爆者の方と交流するたんびに、この言われていた、この歌で表現されていた「隠れ病む身」というのは、いかにもすべての被爆者に普遍的な悩みを表現した言葉だったんだなということを、この歌に立ち返って確認したことが多かったです。

ナレーター:  被爆者の診療に当たってきた医師を広島から招くなど、活動を広げていく中で、放射線被曝の恐ろしさを学んだ中嶌さんは、当時福井で進行中だった新たな核の問題に目を向けていきます。六つの原発施設に十五基の原子炉がたちならぶ福井県若狭湾。中西さんの地元は、全国一の原発集中地帯です。中嶌さんが「鈴声」を始めた頃は、すでに敦賀や美浜で建設が進み、最終段階を迎えようとしていました。「鈴声」にも、原発についての記述が次第に増えていきます。なぜ原発に向き合うべきなのか。それは新たな隠れ病む人々が生み出されていることを知ったからでした。原発敷地内で負傷した作業員の存在です。

中嶌:  大飯(おおい)原発の対岸部の集落の方でね、下請け労働に行っていて、大飯原発の配管から一次冷却水だと思うんですけど、まともにかぶられた人のようでね。福井の弁護士の方と一緒に私はその人の枕元にまで行ってね、「そこまでの被害を受けられたんだから、労災保険を受けられたらどうですか?」ということで、「弁護士さんもその手続きちゃんと取ってもらえると思いますし」と言ってね、すすめたんですけども、「いや、その気にはなりません」というて。「実は自分には子供たちがいて、すでに教師をしたりね、子供たちも独立したりしているので、自分のそういうことが公になったりして、子供たちに迷惑をかけたくないんだ」というね。そういうご本人の強い意志がありました。それから会社側からもなにがしかの補償金のようなものが出ていたかもしれませんけどね。正式のきちっとした補償を受けるということはなしに、結局弁護士さんも足を運んでもらいましたけど、そこまでいかないまま終わってしまいました。私も「わかりました」という。「隠れ病む身」というのは、そういう問題を含んでいるわけですよ。自分が正直被災者になったということが、自分だけの問題じゃなくて、家族にまでいろいろ累が及ぶようなことが話題になっていくことを、当事者が自主規制してしまう。私が言っている隠れ病む身の被爆者の隠れ病む身になってしまっている放射能がらみになってくると、あぁ、こうなるのかという思いを禁じ得ませんね。原爆被爆者が辿(たど)られた苦しい悲しい道をまたなぞるように辿り直しておられるんじゃないかという。やっぱりここまで人々の心を必要以上に萎縮させてしまうのかなぁというのが、なんか悩ましいし、悲しいですしね。ご本人がそのことを、いわば自分で自発的に断られているわけですから、なんとも言えないわけですけど、でもそういう思いにまでさせてしまうというのが、放射能の問題であり、そういうところへ追い込んでいくという現在のその環境、社会的な環境といいますかね、それこそが私は問題だと思っているんですけどね。

ナレーター:  原発誘致の動きは、一九六八年、明通寺の地元小浜市でも起きました。中嶌さんは、市民とともに行動を起こします。小浜市の有権者半数以上の反対署名を集めた結果、市は四年後に誘致を断念しました。しかしそれ以後も、福井県では、新たに十二基の原子炉が増設され稼働しました。一方補償や医療支援、認定基準などで、様々な制限を受け苦しんできた広島・長崎の被爆者には、一筋の光が射し込もうとしていました。一九九四年、国の責任において被爆者の福祉や医療を総合的に進めることを義務付けた被爆者援護法が成立したのです。中嶌さんは、地べたの托鉢で続けてきた被爆者支援の「鈴声」も、一つの区切りを迎えたと考えました。これはその最終号です。托鉢の期間は、二十六年六カ月に及んでいました。その最後の欄に、中嶌さんは「自らの歩みはこれからも続く」と記しています。「この二十六年あまりの托鉢期間に、我が若狭は原発銀座と化してしまいました。本托鉢は終えても、平和への「鈴声」をふり続けていかなければと決意を新たにしている次第です」。新たな決意で出発するにあたり、中嶌さんは絵を一つ載せいます。その絵は常に心の片隅に留めてきたある画集から写したものでした。

中嶌:  これは最後の表紙裏に収録されていた絵なんですね。「原爆の絵HIROSHIMA」という。原爆被災者だけが描いた画集なんですよ。非常に直視するの辛いような絵がたくさんあったんですけど、これはその最後のページに出てたんですね。この被爆者は、これだけの裸の子供の絵を、黒々とした漆黒の闇の中に浮かび上がらせているだけだったんですけどね。その描いた被爆者の人のコメントが出ています。
男の幼児が門にすがって泣いている。声をかけてさわってみると、彼は死んでいた。
原爆被爆者援護からずっといろんな問題がこう広がっていった。その広がりの大きなインパクトを与えられたのが、この漆黒の闇の中にこの頑是(がんぜ)ない男の子の姿を見たことが大きかったと思っています。漆黒の闇の正体はね、私なりに突き止めて行きたい。

 

ナレーター:  漆黒の闇の中には、何が渦巻いているのか。中嶌さんは、「鈴声」でも紹介してきた仏教の究極の言葉「自利(じり)利他(りた)」という視点から闇に光を当て、現状を見つめようとしてきました。

中嶌:  仏教のずーっと歴史の中で、「自利利他」というのは、最も根本的な思想でもあったわけですね。究極の「利」としては、お釈迦様が悟られたその究極の悟りを得ることが自己にとっての最高の利益―利。他の人たちも同じようにその利を得ていただく、最高の利を得てほしいという。そのために他者に働きかけるというのが、仏教に於ける究極の本来の「自利利他」の有り様なんですけどね。仏教がなぜ「利他」という。「自利他利」でなくて、なんで「利他」というのかというと、「他利」というのは、他者の利益・幸福ということを客観的に表現しているわけでしょう。何も自分との関係で自分が他者の利に対して、どうこう積極的に関わるという意味合いは、「他利」のなかには含まれていませんね。「他者の利益・幸福が何か」ということをただ客観的に表現しているわけです。でも「利他」というと、他者を利するという。人のために何か行動を起こす―「利他行為」というのは、それなりの努力がいります。まず、己(おの)が身に引き比べて、相手がどんなに苦しんで悩んでおられるか。あるいはその他者が何を望んでいるかという、その他者の立場に想像力を及ぼす、イマジネーションを及ぼす必要がまだありますね。そうして他者の苦しみが本当に自分のもののように感じられた時に、初めて行動を起こしていく。行動が伴うわけです。そういう立場から私は若狭の原発問題を見つめ捉え直しているんですね。そうすると、非常に単純な話なんですけど、若狭の人たちにとって十五基もの原発を受け入れたことによって、確かに若狭の人たちは「自利」を得ました。インフラ整備は出来たりね、それからいろんな交付金・協力金をもらって、若狭の経済がそれなりに発展した。地域がそれなりに経済的に発展したことは否定できません、公平にみてね。でもその自利の性質が本物の真の利益であったかどうかということは、福島のあの実態を見るならば、福島や若狭の私たちが得てきた「自利」というのは、目先の危険料や不安・迷惑料と引き替えの利益を得ていたに過ぎなかったんじゃないのかということを、福島の事態は問い直していると思うんですね。じゃあでも一方では、いや若狭や福島のわれわれは、立派な利他をやってきたんだ。なぜなら、福島の場合は、関東首都圏の膨大な電力消費の、それに貢献するための原発を受け入れて来たんだからと。若狭の私たちは、関西一円の広大な大電力消費地帯の電力消費に貢献するために、若狭の私たちは受け入れて来たんだからという。それに誇りを持たなければいけないということを、推進する人たちは言ってます。そういう捉え方がありますね。いろんな立場や捉え方によって、何を自利とみなし、何を利他とみなしていくかということは、すごく問題があるわけですね。どうしても私はね、若狭に生きてこざるを得なかった住民で、一住民、一市民であり、一仏教者であるもんだからね。その問題と離れてどうこうってなかなか言いにくい面があるんですけど、若狭の原発と大都市圏とのこの自利利他、真の自利利他円満でない、歪んだ形の自利利他円満の有り様だと思っていまして、それはねお釈迦様の時代まで私は遡って、経典の中から若狭の状況を重ねあわせて捉えている面もあるんです。お釈迦様が生きておられた時代は、弱肉強食の時代で、十六の大国が並び立っていて、周り中の小さな国を滅ぼして、お釈迦さんが出家された釈迦族の国自体滅ぼされています。決してハッピー(幸福)な時代や社会だったから、お釈迦様の思想が、そういう生き方が生まれたんじゃ決してなかったんですよ。だから若狭の状態はやっぱり大国によって釈迦族の国が滅ぼされたその時のお釈迦様の気持ちや立場というのと、僭越だけれども、若狭の原発問題と都市部とのこの関西の大都市圏との関係も、そういう仏教経典のなかのエピソードと自ずとオーバーラップさせながら、受け止めてしまうというところがありましてね。でも、そういう厳しい時代、闇が深い暗黒の時代だったからこそ、ともに平和に生きて共生していこうという、そういう理想を確立されたわけでして、とても足元にも私は及びませんけれどもね、そのことをやっぱり仏教者としてやって、その考え・理想に沿いながらそのことを皆さんに呼びかけていく必要があるのかなということは考えていますね。
ナレーター:  自利利他の行いをどのように実現していくのか。「鈴声」を終えた今も、中嶌さんは地域の人たちとともに活動を続けています。今日は、二か月に一度の有志が集まる日。情報誌を各地に郵送するための作業です。

中嶌:  全国ですよ。沖縄から北海道まで。やっぱり関西、中京方面が多いですけど。

ナレーター:  「はとぽっぽ通信」。若狭の原発の問題を中心にみなで作り上げてきました。中嶌さんがひとりで始めた「鈴声」は、地域の人々も参加する「はとぽっぽ通信」と形を変えて引き継がれています。「はとぽっぽ通信」の最初のページに掲げられる巻頭言、毎号毎号それを書くのが中嶌さんの担当です。最初の「鈴声」から五十年、メッセージを綴る道具は、ガリ版の鉄筆からパソコンのキーにかわりました。

中嶌:  人が笑えますよ。ピアノをポンポンと叩いているようなもんです、一本指で。こうして頭がすぐ飛んじゃうんですよ。ちょっと油断があるとパッと切れてしまう。

ナレーター:  「はとぽっぽ通信」を始めてから、二十年後、中嶌さんたちの恐れが現実となりました。福島第一原発事故です。その後全国すべての原発は稼働を停止しました。そして今九州や四国、福井の若狭地方で、次々と再稼動が進んでいます。その中で中嶌さんは、状況がいかに変わろうとも歩み続けようとしています。その歩みは、「鈴声」を書いていた時代から一貫して中嶌さんが心に刻んできたブッダの言葉に支えられています。

犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め

中嶌:  犀の角というのは、鼻の先に一本だけありますね。犀は堂々と独歩闊歩していってるわけですけど、いかにも象徴的に我一人歩んで行くという、堂々と歩んでいる姿をお釈迦さん自身がイメージされていたと思いますけど、慌てず騒がず堂々と一人歩む。お釈迦様自身が言っておられるように、生きとし生けるもの、命あるものは、何よりも自己を大切にし、愛おしむものなんだという。その命の根源的な有りようというのを、個の命の大切さというものを、愛おしさ尊さというものを、まずお釈迦様は認めていらっしゃるということですね。それを大事にしましょうと。そのことを真に大事にしていくならば、自分以外の他者も全部同様に愛しいものなんですね、それぞれの個人が。犀の角のように己自身を大切にしながら歩まれたお釈迦さんだったからこそ、すべてのものに対しての慈悲の気持ち、慈しみの気持ちというのが可能だったわけですよね。托鉢してると、なんか非常に穏やかな気持ちになってね、蛇が出てきても、お前さんそんな道を悠長に横断していると車に轢かれるぞ、というような、声をかけたくなるような気持ちになってしまうんですね。ところがこれがマイカーで道端を吹っ飛ばしていたりね、まして新幹線に乗ったりしていたら、そんな周りの風景や雰囲気、自然の状態がどうか。生き物がどんなふうになっているかなんていうのは、現代文明の世界では、ますますそういう生きとし生けるものとの触れ合いが遠ざかってきているんですよ。科学技術とタッグを組んだ経済的な繁栄のもとに、欲望を追求、ますます欲望を全面展開しているのが、現代の有り様かもしれませんね。それを保証しているのがまた原発の大量の電力だったかもしれない。それを踏まえて都市の繁栄があったわけですけど、そういう一切合切まで問い直したくなるようなものというのが、私は仏教の根本精神にあると思っていましてね。それが私なりの犀の角のように独り歩んで行くという。独り歩むというのは何も孤立することなんかじゃ全然なくて、人間同士の関係どころか、生きとし生けるもの自然全体と一体化して平和に生きていくということを示唆しているのは、あの犀の角の教えだというふうに私は思っているんですね。

ナレーター:  今年正月、中嶌さんは、明通寺近くの寺に向かいました。その寺の住職が高齢になり、年に一度の法事ができなくなったのです。

中嶌:  ここの家なんかにもおられんのですね。この集落もだんだん住む人がなくなってきていて、

ナレーター:  寺には数少なくなった檀家の人々が集まってきました。一年の幸福を願い、災いを振り払うための法事、大般若祈祷(だいはんにやきとう)。中嶌さんは、六○○巻に及ぶ経文を次々唱え、新年を迎えた人たちに、功徳がもたらされるよう祈りました。

中嶌:  私は、こうして年頭のご祈祷をさせていただきながら、すごい勢いでパンと叩いて「災飛んで行け」という、そういう意味も込めてお経を唱えさせていただいたわけですけども、仏教のお釈迦様の基本的な教えの中に、無常―すべてのものは移り変わって止まないという、そういうことであるわけですけど、私たち自身の身体も心も変わっていますが、社会も変わっていく。悪い状態をいい方向に変えていくということなんです。決して不可能ではないということを、無常ということは、私たちに教えてくれていると思うんですね。今こういう状態だから、あんまりものも言えないし、意見言ったところで変わらんのじゃないかという、そういう諦めの気持ちというのは、若狭の人たちは結構多かったと思うんですよ。しかし、まさに諸行は無常なんですね。今年、去年何もなくて、なんとか災難を免れて、「二○一九年(平成三十一年)を迎えることができたね」っていう喜び合えるような、来年もこの日を迎えたいなというふうに願っています。

 

これは、平成三十年三月十一日に、NHK教育テレビの 「こころの時代」で放映されたものである

 

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3.11福島を忘れない 第6回『原発ゼ口高槻deパレード』の呼びかけ

3.11福島を忘れない

          第6回『原発ゼ口高槻deパレード』の呼びかけ

                         【2019年3月3日(日)実施】

 

福島の事故からこの3月でまる8年になります。わたしたちは原発をなくすための取り組みの一環として昨年も3月4日に第5回の『原発ゼロ高槻deパレード』を行いました。当日は、晴天に恵まれ約70人の参加を得ることができました。これは高槻近辺の多くの皆さんの原発を止めたいという気持ちの表れが、結実したものであると理解しています。また6月23日には、『上牧行動』の特別行動として第4回の『関電八木会長原発やめてくださいパレード』を上牧-島本間で行いました。

関電の岩根社長は福井県内にある使用済み核燃料を昨年中に県外に移動すると明言しておりましたが、この約束を反故にしました。

また今年に入って、日本の原発輸出の受注案件が事実上なくなったとの報道がありました。英原発からの撤退を決めた目立は3000億円もの負債を負うことになるようです。国の成長戦略の柱とされる原発輸出が頓挫したことになります。

このように、今や日本の原発政策は国内だけでなく世界でも通用しないことが明らかになりつつあります。今や世界は再生可能エネルギーの時代に入っています。

国や東京電力が「今後40年で福島第一原発の廃炉作業が完了するj といってから丸7年が過ぎました。予定では2021年末には燃料デブリの取り出しを開始し、2051年以降に廃炉作業を完了するとのことですが、一体いつ廃炉作業が完了するのでしょうか。

3.11以後一貫して原発の全廃を唱えている小泉元総理大臣は1週間に1回のペースで原発反対の講演に出かけているようです。

また、河合弘之弁護士、海渡雄一弁護士が共同代表の『脱原発弁護団全国連絡会』は司法の場で脱原発を訴え続けています。

これまで裁判所による原発停止の仮処分決定は3回ありました。私たちも、身近なところから「原発はいらない」という声を上げていこうではありませんか。私たちのような取り組みが日本各地で広がることが、原発全廃に向けた大きな力になると思います。

『原発ゼロ高槻deパレード』も今回で6回目になります。各団体や個人の定期的な街宣やビラまきなどの活動は定着してきているとはいえ、もっと大きな広がりにしたいものです。「全国各地で争われている裁判の行方を左右するのも、私たちのような自に見える活動や市民の声が不可欠である。」という視点を持って、今後も活動を続けていきましょう。

私たちは「3.11福島を忘れない」という言葉をキーワードに「私たちは忘れていない」、「福島原発の事故という事実に真撃に向き合えば原発を全廃しなければならないということを広く訴える手段の一つとして今年も、第6回『原発ゼロ高槻deパレード』を企画しました。

多くの皆さんが参加されることを切望いたします。

呼びかけ:『原発ゼ口 高槻deパレード』実行委員会

カテゴリー: 関西電力, 高槻アクション, 上牧行動

3/1被ばく久保山さん悼み焼津で行進 ビキニ「第五福竜丸」65年【共同通信社 他】

3.11を忘れないように高槻deパレードをするようになってもう6回目という。
第2回が大雨だったけれど、今年はパレード終了後の午後4時頃に小雨が降るらしい。
去年の今日3/1は出勤途上で捻挫した日だったのを思い出した。
いや、そんなことどうでもよい。「第五福竜丸」の日なんだ。

3月1日はアーサー・ビナードさんの『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』を読む日にしなくては。
この恥知らずな国は人々が忘れるのを待っているのだから、絶対忘れてなんかやらない。

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被ばく久保山さん悼み焼津で行進 ビキニ「第五福竜丸」65年

https://this.kiji.is/474050110054958177?c=39546741839462401
2019/3/1 14:223/1 14:24updated【©一般社団法人共同通信社】

第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんを悼み、核兵器廃絶を訴え行進する人たち=1日午前、静岡県焼津市

米国のビキニ水爆実験で静岡県焼津市の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が被ばくしてから65年となった1日、被ばく半年後に亡くなった無線長久保山愛吉さん=当時(40)=を悼み、核兵器廃絶を訴える人たちが同市内を行進した。

参加者は午前9時半ごろ、久保山さんの墓がある弘徳院に向け、JR焼津駅を出発。横断幕を掲げて約2キロ歩き、久保山さんの好きだった赤いバラを墓前に手向けた。

高松市から参加した農業薬師敏宏さん(61)は「いまだに世界から核兵器がなくならず残念だがあきらめず、子どもたちが安心して暮らせる平和な社会をつくっていかなければいけない」と話した。

第五福竜丸の無線長久保山愛吉さんの墓前で手を合わせる人たち=1日午前、静岡県焼津市

 

核廃絶求め焼津で行進 ビキニ被ばく65年 久保山愛吉さん悼む

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「第五福竜丸、物語共有を」 米国人監督の映画上映 静岡

http://www.at-s.com/news/article/local/central/605882.html?news=604583
(2019/3/1 07:57)

映画の特別試写会であいさつするキース・レイミンク監督(左から2人目)=28日午後、静岡市駿河区のグランシップ

1954年に米国が太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験により被ばくした焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」を題材に、元乗組員の人生を描いたドキュメンタリー映画「西から昇った太陽」の特別試写会が28日、静岡市駿河区のグランシップで開かれた。米国人映像作家のキース・レイミンク監督(40)が来場し、「(事件の)物語を共有する機会にしたい」と語った。

レイミンク監督は25日に亡くなった見崎進さん=享年(92)、島田市=ら元乗組員の取材について「事件のことを伝えようと、みんな笑顔で歓迎してくれた」と振り返った。映画は約4年かけて完成し、米国の学校でも上映会を開いたという。「小さなプロジェクトだが、人々が核兵器について学ぶきっかけになれば」と願った。

試写会には約90人が参加し、映画の上映後には監督との意見交換も行った。

 

第五福竜丸元乗組員、見崎進さん逝く ビキニ被ばく伝え続ける

http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/604583.html
(2019/2/26 07:54)【静岡新聞NEWS】

キース・レイミンク監督(右端)らの取材を受ける第五福竜丸元乗組員の見崎進さん(左端)夫妻=2014年12月、島田市(粕谷たか子さん提供)

映画「西から昇った太陽」のポスター

第五福竜丸元乗組員の見崎進さん(92)=島田市=が25日、亡くなった。晩年はビキニ事件の記憶を語り継ごうと取材や聞き取り調査に応じてきた。米国人映像作家が見崎さんら元乗組員の人生を描いた映画が、28日のビキニデー集会に合わせて日本で初めて披露される直前の訃報だった。被ばくから65年。事件の実情を伝える数少ない証人がまた一人この世を去った。

見崎さんが出演したのは、米国人映像作家のキース・レイミンク監督による映画「西から昇った太陽」。元乗組員らの証言を基に約4年間の制作期間を経て完成した映画を、見崎さんは昨年、自宅で視聴し「ええっけよ。よくできているよ」と喜んだという。

レイミンク監督の取材をサポートしたのは同市の粕谷たか子さん(69)。2013年に地元の中高生が行った聞き取り調査をきっかけに見崎さんとの交流を続けてきた。「本当にたくましく、明るく前向きな方」と人柄をしのび、「被害に遭った人にしか分からない痛みや苦しみを、若者たちへ真剣に伝えてくれた」と惜しんだ。

3・1ビキニデー県実行委員会運営委員会代表の成瀬実さん(82)=焼津市=は「事件の後、家族のためにじっと耐えてきた。生きざまがそのまま歴史になっている」と振り返る。記憶を語り続けた見崎さんの思いを「仲間が亡くなる中で『伝えなければ』という危機感があったのでは」と推し量った。同実行委員会事務局長の大牧正孝さん(69)=静岡市葵区=は「事件を風化させないために、われわれが伝えていかなければならない」と言葉に力を込めた。

 ■28日静岡で特別試写会

映画「西から昇った太陽」は、元乗組員の見崎進さん、池田正穂さん(86)=焼津市=、大石又七さん(85)=東京都=による証言映像と、日本の紙芝居に着想を得たアニメーションで構成するドキュメンタリー。元乗組員が船上で目撃した爆発の光景や放射能の影響だけでなく、漁師の暮らしや帰国後の治療の経過、家族との絆など、一人一人の歩みを丹念に追った。

映画の特別試写会は28日午後7時から、静岡市駿河区のグランシップで行う。上映後にキース・レイミンク監督が参加者と意見交換する。定員は先着95人。希望者は直接会場へ。上映協力金500円。問い合わせは電話またはファクスで粕谷たか子さん<電0547(37)3563>へ。

 

大切な証言者が…ビキニ事件から65年 第五福竜丸の元乗組員 見崎進さん(92)死去

【テレビ静岡】2019年2月26日 火曜 午後6:00
https://www.fnn.jp/posts/2019022600000007SUT

65年前、アメリカの水爆実験に巻き込まれた焼津市の「第五福竜丸」。

この元乗組員・見崎進さんが、25日、肺がんのため亡くなりました。92歳でした。

1954年3月1日。

静岡県焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」は、マーシャル諸島沖で水爆実験に巻き込まれました。いわゆるビキニ事件です。

乗組員の1人だった見崎進さんは、放射性物質を含んだサンゴ礁の残骸、いわゆる「死の灰」を浴びて被ばくし、1年2ヵ月の入院を余儀なくされました。

退院後は、地元・焼津市で豆腐店などを経営していた見崎さん。

晩年は、講演会などで体験を話し、事件を語り継ぐことに力を入れていました。

2014年撮影・見崎進さん「やっぱり忘れないようにしてもらいたい。こういう物は怖いって。いつまでも残したいね。日本だけだもんね。(原爆・水爆ともに)そういう目に遭っているのは。そういうのを忘れてしまっては怖い。いつまでも残したいと思う」

第五福竜丸の事件を忘れない。

見崎さんの姿を約20年見守ってきた成瀬さんは。

3・1ビキニデー静岡実行委員会・成瀬実代表(82)「私たちは迷惑をかけたと、後ろ指さされないように立派に生きていかなければと、常に福竜丸の名前が我々には付いてるから、ちゃんとして、恥ずかしくないように。あるいは、これからの世の中のために、精一杯尽くす立場で頑張ろうと。そういう思いが、福竜丸の乗組員さんたちにはあるんです。その中のおひとりであったと思います」

ビキニ事件からまもなく65年。大切な大切な証言者が、この世を去りました。

カテゴリー: 放射能汚染 | タグ:

4.28 講演と対談 樋口判決(原発差し止め判決)に向き合う

https://kokucheese.com/event/index/553596/

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雨天決行!3/3(日)14時から高槻市役所前【第6回原発ゼロ・高槻deパレード】

あと3日で高槻deパレード!

14時集合、パレード出発の14時半からの小一時間は雨が降りませんように!!

 

カテゴリー: 高槻アクション

2/23福島原発事故から8年 母子避難家族の闘いの記録【日刊スポーツ】MBS 映像’19「フクシマの母 ~母子避難8年・闘いの記録~」

深夜の目覚まし時計が遅れていて、冒頭部分(5分くらい?)見逃してしまった。

前回の主演女優めいあちゃんのバスで泣くシーンは何度見ても切ない。
子どもにこんな思いをさせちゃいけない。

今回のめいよう君とお父さんのキャッチボールのシーンは
「あの小さかっためいよう君がこんな力強いボールを投げるようになったのか!」と驚くばかり。
顔つきもコドモコドモしてなくて、立派な「少年」といった風情で、この3年の成長を見せてくれた。

何年かに一度、この番組でめいよう君とめいあちゃんの姿を垣間見ることで、遠縁の例えば「大伯母さん」のような気になる。

お父さんのお料理風景(私より女子力高そうで恥ずかしい)もあったり
「外国人はあんなの好きだから」っておっしゃっていたが、日本人だってあんなの好き。
日本は外圧に弱いから、お母さんはどんどん海外でスピーチしてきてほしい。

驚いたことといえば、
えーっ「大阪地裁の裁判で、すでに裁判長が3人も替ったなんて!」
知らなかった。
本当に裁判所ってえげつない。
この恥知らずの国は原発事故をなかったことに、忘れさせることに躍起になっているけれど、
「忘れないで」という津村さんの製作趣旨は、観る側にちゃんと届いている。

chitarrita 2019/2/25朝

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福島原発事故から8年 母子避難家族の闘いの記録

[2019年2月23日11時51分] 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201902230000259.html

母子避難を続ける森松明希子さんと家族(MBSテレビ提供)

「言わなければ、なかったことにされてしまう」-。東日本大震災からまもなく8年。東京電力福島第1原発事故によって大阪市内に母子避難している森松明希子(あきこ)さん(45)。

鋭い視点で斬り込むMBSテレビのドキュメンタリーシリーズ「映像’19」。今回は「フクシマの母~母子避難8年・闘いの記録」と題したドキュメンタリーを24日深夜0時50分(関西ローカル)から放送する。幼い子どもへの放射能の影響を考えて「自主避難」した家族を通し、原発事故を問いかける。

森松さんは11年3月11日、勤務医の夫、暁史さん(51)、当時3歳だった長男明暁(めいよう)くん(11)、当時生後5カ月の長女・明愛(めいあ)ちゃん(8)の家族4人で暮らしていた福島県郡山市で東日本大震災に遭遇した。自宅は福島第1原発から約60キロの距離だった。

福島第1原発事故により、福島県をはじめ、東日本の広大な地域に放射性物質の汚染が広がり、多くの住民が無用な被ばくをせざるを得なかった。

事故後、郡山市には国から避難の指示は出なかった。約1カ月の避難所生活。事故後に放射能汚染の広がりが知らされず、汚染した水を飲んで母乳を与えてしまった。「普通に子育てができる暮らしを取り戻したい」と自主避難を決意。11年5月、福島県郡山市から子どもを連れて大阪市内に避難した。

福島と大阪の二重生活で光熱費は倍になった。暁史さんが家族に会いに大阪にやってくるのは月に1度だった。

「大阪の生活はたいへんだけど、目の前の子どもたちの健康を守るために避難している。夫は避難生活を続けさせるために働いて、守るべき子どもは目の前にいない。どうやって精神状態を保っているのかなと思ってしまう」。森松さんは夫を気づかう。

郡山市内で内科の勤務医として働く暁史さん。患者をおいて逃げることはできないと、とどまることを決断し、母子での避難を勧めた。番組では暁史さんにも密着した。「疲れてきましたね。5年前と比べると、大阪への行き帰りの交通。前はなんてことなかった…」。

番組は裁判も追う。

森松さんは、原発事故の避難者らが国と東電に損害賠償を求める大阪地裁での訴訟の原告団代表でもある。「避難したい」と訴えていたのに、あてがなく、残るママ友もいる。原発事故による被ばくを受けない権利は避難している人にも避難していない人にも等しくあるのではないか? そのことを広く世間に知ってもらいたい。そんな思いで、国と東京電力の責任を問う裁判の原告になった。

避難者が国と東京電力の責任を問う裁判は、17年の提訴以来、2年間、弁論を重ねてきた。森松さんの2人の子どもも原告席に座った。

被告の国と東京電力はいっさい答弁せず、すべて書面で行った。

東京電力は書面で「被告、東京電力は事故発生時における最新の科学的な知見をもってしても、原発の所在地において、地震に伴う大津波が発生することは予見できなかった。かかる巨大地震、巨大津波によって発生した事故につき、被告東京電力に故意または過失はない」。

国は「被告、国おいて規制権限を行使する職務上の法的義務はなく、原告らの主張は理由がない」。

「このままでは事故はなかったことにされてしまう」。森松さんの懸念が現実のものになってきた。

被ばくの不安などを理由に国が避難指示を出す以外の地域から自らの判断で避難した人は「自主避難者」とされ、賠償と保障では大きな差がある。

番組は13年から森松さん家族を断続的に取材。14年3月16日放送「“自主避難”~原発事故3年・家族の苦悩」、16年3月27日放送「“自主避難”~原発事故から5年・真実と風化」に続く同じ家族を追った第3弾となる。

津村健夫ディレクターは番組の制作意図について「『忘れないで』ということです。東日本大震災について通年で報道する機会が減っている」と強調する。

裁判が決着するまでは長い歳月がかかりそうだ。一方で放射能が半分に減る半減期はヨウ素131なら8日だが、プルトニウム239だと2万4000年。なかには100万年以上という放射性物質もある。

津村氏は「半減期の時間と対比すると、人間の時間のほうが短い。(福島第1原発事故で放射能がまき散らされたことの)罪は重い」と語る。森松さんの8年の闘いに「言わなければ、なかったことにされてしまうから言っていらっしゃる。当事者じゃない人間も忘れたらいけない」と話した。

カテゴリー: ちたりた, 避難, 裁判 | タグ:

2/20原発事故で自主避難の家族に密着 ドキュメンタリーの第3弾、MBSで24日深夜放送【毎日新聞】

映像’16の動画はもう見られなくなっていた。残念

3/16深夜の毎日放送津村健夫さんの作品「映像’14」『自主避難~原発事故三年・家族の苦悩~』と去年の荒木田岳・福島大准教授の報道記事

【動画】(映像16)“自主避難”~原発事故から5年・真実と風化

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原発事故で自主避難の家族に密着 ドキュメンタリーの第3弾、MBSで24日深夜放送

https://mainichi.jp/articles/20190220/k00/00m/040/153000c
毎日新聞2019年2月20日 18時32分(最終更新 2月20日 18時33分)

MBSのドキュメンタリー「映像’19 フクシマの母~母子避難8年・闘いの記録」の一場面。東京電力福島第1原発事故後、自主避難を続ける森松明希子さん=MBS提供

東日本大震災の発生から今年で8年。東京電力福島第1原発事故により、福島県内からの自主避難を余儀なくされた家族の日常に密着し、長引く事故の影響と風化を問うドキュメンタリー番組「映像’19 フクシマの母~母子避難8年・闘いの記録」が24日深夜(25日午前)0時50分から、MBS(毎日放送、大阪市)で放送される。

福島県郡山市で暮らしていた森松明希子さん(45)は現在、長男の明暁(めいよう)さん(11)、長女の明愛(めいあ)さん(8)と3人で大阪市内のマンションに住んでいる。原発事故から約2カ月後、「子どもの健康を守るため」と、夫の暁史さん(49)を郡山に残して自主避難した。避難生活が長引く中、県や国は帰還を促し、自主避難者への支援を2017年3月末で終了させた。

8年前までは普通の主婦だった森松さんだが、国や東電に対し避難に伴う慰謝料などを求める集団訴訟に参加し、原告らで作る連絡会の共同代表を務めている。「原発事故による被ばくを免れる権利は人として当然ある」などと訴える講演活動も継続。昨年3月には2人の子どもを連れてスイス・ジュネーブの国連本部を訪れ、避難者の人権を守るためのアピールも行った。

福島第1原発では廃炉に向けた作業が進むが、原子炉格納容器内の溶融燃料(燃料デブリ)の取り出しもできていない。避難生活の終わりも見えない状況だ。

MBSは13年から森松さん家族を取材。今回は14年と16年の放送に続く第3弾で、子どもたちの成長が避難生活の長さを実感させる。津村健夫ディレクターは「時間の流れを視聴者に見せたいと思い取材を続けてきた。フクシマを忘れないでほしい」と話した。【倉田陶子】
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青田恵子さんの詩『避難者にすらなれない』と2/21【東京新聞・リポート福島】縮小続く避難者への住宅支援  原発被害者連絡会幹事・村田弘(ひろむ)さんに聞く

避難者にすらさせてくれない

     青田恵子

私の身体は福島の土で出来ている
私の心は福島の風と森の匂いで出来ている

一年目
福島が恋しくて恋しくて帰りたかった
帰ればたちどころに
やわらかき土に同化し
心は森の奥深く吸い込まれそうだった

二年目
早くも避難指示が解除された
私の身体にザラザラとした砂が混じり始め
森の匂いは消えていった

三年目
四年目
私の身体にセシウムの入った除染土が混ぜられ
心のひだに汚染水がにじむ

五年目
六年目
ついに仮設からも借り上げ住宅からも
追放された
私の身体は土偶のように焼き固められ
心はヒビ割れ燃え尽きた

七年目
難民となる
もはや避難者にすらさせてくれない
避難者ならば手厚い保護を受けさせてよ
国策の犠牲者に罪をなすりつけないでよ
優しさと同情の温かい手ぐらい差し伸べてよ
もはやこの国にそんなものはない
この国の難民にさせられた
明日の難民はあなたかもしれないのだ

びわこ集会に寄せて

2018年03月16日
http://biwakoshukai.shiga-saku.net/e1400565.html

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縮小続く避難者への住宅支援  原発被害者連絡会幹事・村田弘(ひろむ)さんに聞く

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/report-fukushima/list/CK2019022102000212.html
2019年2月21日【東京新聞・長久保宏美のリポート福島】

避難した人たちの住まいの問題について話す村田さん
写真

東京電力福島第一原発事故からまもなく八年、避難している人たちへの住宅支援が縮小を続けている。三月末で、福島県南相馬市などの仮設・借り上げ住宅の無償提供が終了するほか、県内の避難指示区域外から避難した人への民間賃貸住宅の家賃補助も打ち切られる。避難者の住まいへの支援を続けている原発被害者団体連絡会幹事の村田弘(ひろむ)さん(76)に実情を聴いた。

一月十日現在の復興庁のまとめで、福島県外に避難している住民は三万二千七百六十八人。県内も含めると四万二千人以上にのぼる。

今、切迫しているのは、避難指示区域外から民間賃貸住宅に避難して、家賃補助を受けている約二千世帯への補助の打ち切りです。補助は、所得が月二十一万四千円以下の世帯を対象に、一七年度で上限三万円、一八年度は同二万円。これに、神奈川県は一万円を独自予算で上乗せしていましたが、福島県が打ち切るので、これも同じ三月で打ち切られます。さらに民間住宅だと、二年ごとに更新料が請求されます。

避難指示区域外から東京都江東区の東雲(しののめ)など、公務員住宅に入居している約百三十世帯への住宅提供も終わります。公務員と同等家賃を支払っていますが、三月末で退去しない場合、二倍の家賃を支払うという条項が契約書にあります。家族構成など世帯要件があり、簡単には都営住宅などに入れない人もいます。

そもそも、現在に至るまで転居できないのは、経済的余裕がないからと考えるのが普通。当の福島県がどの程度、避難者の実情を把握しているのか、疑問を感じます。

福島県の内堀雅雄知事は記者会見などで一貫して、避難指示区域外からの避難者を含めた実態調査をする必要はなく、避難者の個別の相談に対応するとの姿勢を示している。

山形県や新潟県は実態調査をしています。私たちは、すべての避難者が自立できるとは限らないと思うから、心配しているのです。

私たちと一緒に避難者の住宅問題に取り組む「避難の協同センター」(東京)が一月、東雲の公務員住宅で相談会を開きました。そこで、ある避難者が「三月十日までに転居先が決まらないと転居費用補助十万円が支給されないが、希望する物件がなく焦っている」と打ち明けました。

会場に来ていた福島県職員に、センターのスタッフが確認すると「来年度から、区域外避難者への経済的支援予算はゼロ。三月十日までに申請を頂かないと、年度内に執行できない」とのことでした。

福島県は支援縮小の理由を、復興公営住宅の整備がほぼ完了したことや、「生活再建のめどを早めに立ててもらうため」としている。

東京で五輪が開かれる二〇二〇年の三月末には大熊、双葉町を除いて、放射線量が高い帰還困難区域から避難した人への住宅の無償提供も打ち切られます。避難先での生活再建が、そう簡単にいかない人もいます。今年に入ってからも、住宅の問題で精神的に追い詰められた人が、私のところに相談しに来ました。行政には、経済的な理由で転居できない世帯に、柔軟に対応してほしいと思います。 (聞き手・福島特別支局長)

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